第二話『第一使徒 乙丸外連』6

 百合子は、そっとダッフルコートを脱いだ。胸を張るように肩を回して、袖の余り気味な指先で引っ張って。まるで、恋人の前でそうするかのように、ゆっくりと。

 既に辺りは冬の夜の気配であった。真っ暗でこそないが、もはや足下に影は伸びない。

 ローファー。黒いタイツ。やや地黒の肌を濃紺のセーラー服に包み、そして短い黒髪にはハイビスカスの花。

 冷たい海辺の風に吹かれて、屋上に少女はいる。立っている。顔にすら傷を負い、衣服のあちこちは乙丸外連の靴跡に汚れ、タイツは何ヶ所も裂けていたが。

 それでも、彼女は立っている。謝花百合子。南の島から来たストレンジャー。

「百合子……!」

「和姫。……大丈夫、見てて……」

 モッズコートを羽織った眼鏡で癖っ毛の藤宮和姫が、左手で百合子のマフラーを強く握ってその背後にいる。だからなのか。

 だから、謝花百合子は立ち上がれるのだろうか。ふたり、顔を見合わせて頷き合う。もはや和姫は百合子を止めようとはしない。あんなにも平穏を望んでいた藤宮和姫が。

 ……それが、どうした。

 独りなんかじゃないのは、外連だって同じことだ……!

 ――沙羅。

 ――うちの大好きな沙羅。

 外連の愛する彼女はここにはいないけれど、こんなに寒い季節の中で手のひらは熱く火照って燃える。

 瞬間、見上げると空は近い。近いけれどすっかり昏い闇に落ちて、薄墨色の雲が流れていくのさえ目を凝らさなければ見えない。それは未来と同じように。

「ほんとは、誰もいらなかった……銀子もヘルミも、恬も覇龍架も……誰もいらなかった……うちらが最初につくった『酔狂隊』のままでよかった……あのふたりがいなくなるってんなら、沙羅とうちのふたりでよかった……」

 ――沙羅がいたから。沙羅が、うちと出会ってくれたから。

 ――うちは、うちになれたんだよ。

 沙羅。水恭寺沙羅。時代遅れのスケバンルックで、いつでもみんなの先頭にいた彼女。

 山のような玩具とお菓子だけが空虚に散らばるひとりぼっちの王国から、乙丸外連を連れ出してくれた彼女。

 水恭寺沙羅だけが、乙丸外連の全てだった。ずっと。

「でも、沙羅が気に入ったあいつらを、うちだって好きになったんだ……今のうちにとっては、今の『酔狂隊』が宝物なんだい!!」

 外連は、翔んだ。

 凍えるような冬の夜空に、パーカーの紐が踊った。

 唇を引き結んだ百合子がカウンターを狙って待ち構えているのは百も承知だ。だから、その想定を乱させる。リズムの支配者は依然として乙丸外連だ――

 手をついて身体を跳ね上げるのでは、なく。前方宙返りから、そのまま地面に右の掌底を突き出す――外連の身軽さあっての大技だった。タイミングや力加減、何かを少しでも間違えれば手首などいとも簡単に圧し折れる。そんなことを恐れないから、彼女は不良少女なのだ。

「こん、にゃろ……っ!!」

 手のひらひとつ支点にして身を跳ね上げ、蹴り込み、浮いた左手に重心を滑らせる。コンパスのように大きく弧を描く軌道の蹴りを左右に振り、逆さの少女は謝花百合子を突き崩しにかかる。

 女神の騎士の斧として、ローファーの甲は冬の星明かりに艶々と煌めく。廻り廻り、乙丸外連はもはやひとつの竜巻と化していた。少女がそのように動くのではなく、そうとしか動けない現象なのであった。薄い胸の内で渦を成す感情のままに、肉体を千切れるほど振り回し削り取る。それだけが外連のタイマンだった。

「謝花ァ……お前、すごいよ。すごいと思う。好きな女を探して、沖縄からこんなところまで来て、さ。……多分、こんな風に知り合うんじゃなかったら、うち、お前と仲良くなれたんだろうなあ」

 弾かれる。弾かれる。靴底と触れ合えば、摩擦で痛むのは当然に素肌の方。だが、百合子は襲い来る脚捌きの合間に呼吸を整え、唇をきゅっと噛む。拳を強く強く握り、袖の余ったセーラー服の内で細い二の腕の筋肉を引き絞る。鋭く身体を締め上げ、攻防の要とするチンクチ。琉球空手の技法だ。

 それを――組み合わせる! 百合子の知るもうひとつのスタイル、ボクシングと。脚を前後に開き、胸の前で拳を交差させる。ファイティングポーズのまま、狙いを定めるスナイパーのように左目閉じて、百合子のローファーは屋上を蹴る。タップダンスのように。外連を中心として円を描く、サークリングのサイドステップ。外連の視線は追い付かない。背筋のチンクチを脹脛にまで掛けているからこそ、翼の生えたように軽やかなサークリングが可能となっているのだ。

 ラーニングしたスタイル同士の、合成!!

 和姫は目を見開き、閉じた喉に難儀しながら唾の塊を飲み下した。

 ――おいおい……

 ――あいつ、どんどん……成長してないか……!?

「でも……ごめんだけど、ほんと、ごめんだけど……お前が鬼百合を――うちらの『酔狂隊』を変えちゃうってんなら! やっぱりお前なんか大嫌いだし、うちは何発だってお前を蹴っ飛ばすしかないじゃんか!」

 父親の仕事柄、子供の頃からたくさんの大人の女を見てきた。そして、大人の女が大嫌いになった。

 だから、小学校の上級生たちを見ていて自分の肉体が丸みを帯び「大人の女」に変わっていく未来を想像すると、吐きそうになるほど耐えられなかった――そして、それはまるで奇跡のようにして、彼女の成長は「止まった」のだ。当然の帰結と言えた――以降の乙丸外連が、強く願えば何でも叶うのだと信じたのは。

「うちが守る……『酔狂隊』を!! あいつらが帰ってくる場所を!! 沙羅とうちのあの日から始まったんだよ、『酔狂隊』は!! 誰にも壊させるもんかぁぁぁっ!!」

 外連は、吼える。色を抜いた短髪、振り乱して。

 その大喝で、百合子は足を止めた。気合による威圧――猿真似の彼女が目にも止まらず動くとしても、見る必要などなかったのだ。

 中学生の頃、よく沙羅とふたりで生徒指導室へ呼び出された。根性の曲がった先輩を蹴り飛ばしたりなんかして。

 そして体育教師に、口癖のように言われたものだ。「気持ちは間違っていないが、大人になれ」と。

 ――ふざけんな。

 ――そんなの、クソじゃんか。

 ――自分に嘘ついて生きるのが大人なら、うちは一生、大人になんかならなくていい……!

 ――沙羅のことしか考えらんない、チビでバカなガキでいいよ……!!

 外連は吼える。目の前、炎の花を黒髪に挿した少女が立っている。ふらつきながら、タイツに包んだ細い脚で立っている。陽炎のように。

「好きなモンを好きって言いたいから! 嫌いなモンを嫌いって言いたいから! うちは不良やってんだい!! 沙羅とうちが作った今の『酔狂隊』が大好き!! それが変わっちゃうんなら、どんな未来でも大っっっ嫌いだよ!!」

 それは。

 それは、乙丸外連がやっと吐き出した本心だった。

 未明の先に光があると信じてひたすらに突き進んでいく親友の、水恭寺沙羅の背中を――彼女は、いつも笑いながら押してきた。隣で、我武者羅に駆けてきた。大好きな彼女と一緒に。

 本当はずっと、ずっとずっと――立ち止まっていたかったのに。

 そんなことを、言えるわけがなかった。何度も何度も、大切なものを失って――綺羅を守るという使命に縋って、ただ前へ走り続けることしか知らない沙羅に。

 だから。

 沙羅にではなく、自分に――ずっと、嘘をついてきた。沙羅が選んだ使徒たちの前では、明るく面倒見のいいみんなの先輩で在り続けた。逆十字のピアスをぶら下げて。

 三点倒立、逆立ちばかりの天邪鬼。

 ――春なんて来なければいい。

 ――この冬がずっと続けばいい。

 ――あのチャペルに、今のまま、ずっと閉じこもっていればいいじゃんか。

 ――みんなで。あいつらが、帰ってきてくれるまで。

 大きく息を吸う。ぐるりと、視界が回転する。両手のひらをコンクリートにつけて、乙丸外連は脚を開く。軽い体重を利用しながら、重心を傾けて、全体重で踏みつけるように蹴り込む。まるで独楽のように――独りでは楽しくないから、彼女は筆頭使徒であるのだったけれど。

 謝花百合子がやってきて――田中ステファニーは倒され、藤宮和姫は礼拝堂に顔を見せた。『魔女離帝』幹部たちも突然の不安要素にざわついているとの噂だし、そして何より、他ならぬ水恭寺沙羅がなんだか浮足立っている。鬼百合が、変わりつつある。それは全て、謝花百合子が転校してきたことから始まったのだ。

「来いよ謝花ァ!! うちらの邪魔すんなら、このうちがぶっ殺してやる!!」

 風が前髪を吹き散らし、百合子は僅かに目を細める。その瞬間を、外連は狙った。後方に身体を跳ね上げ、一度直立してからの、特攻。突っ込む。振る腕は風を掻っ切って、一歩、二歩、三歩。その先にいる謝花百合子を睨みながら。

 いつだって、そうだった。決め打ちは常に、直進の指向性で――

「らああああああああああっ!!」

 ローファーの底がコンクリートを強く蹴る。外連は舞い上がる。小さな身体を丸めて、鬼百合で最も天高くまで。

 短い髪、地に引かれながら。外連はしなやかに脚を広げる。蹴る――それに、乙丸外連という不良少女は全てを費やしてきた。小さな身体で、それでも彼女は沙羅と共に戦い続けた。蹴り下ろす。混沌のように黒々と、外連の心に這い寄る彼女へ。

「変わらない……よ」

 ……ヘーゼルの瞳、前髪の奥で煌めいて。

 百合子は、小さな拳を振るっていた。上空、薙ぎ払うような脚を恐れることなく、ただ無心に。それは外連の必殺を潜って、踝の辺りを掠める。それだけで、十分だった。拳圧が外連の肉体の制御を乱す。完璧な技量で組み上げられる繊細な動きに、たった一撃の瑕疵を与える。それでも無様に墜落することなどなく、なんとか左手、右手を順につき、身体を縦に回して、膝を曲げ勢いを殺しながらしっかり着地できるのが乙丸外連であったけれど。

 顔を上げた先輩のその頬を、したたか――真横から振り抜かれた少女の右拳が、打ち据えた。

 ぱん、と。

 肌が肌を打つ高く痛快な音が、その夜、初めて響いた。

「いったぁ……っ!」

 横に倒れる。視界が崩れる。黒の乱れる中に咲くのは一輪、ハイビスカスの真紅だった。燃え盛る炎の如く、星の瞬く夜の闇を背負ってもなお咲き誇る。

 セーラー服纏った、不良少女。

 殴り飛ばしたまま目の前に立っている傷だらけの彼女は、まるで――

 ――沙羅?

 乙丸外連にとっての、永遠のヒーロー。水恭寺沙羅、その人のようで。

 ぱちりと、瞬きをする。口まで小さく開けて。

 次の瞬間にははっとして、そんなことを想像した自分自身に何よりむかっ腹が立って。

「てん……めえ……」

 灰色のコンクリートに手のひらをついて、外連は立ち上がる。パーカーを脱ぎ捨てる。静けさの森に似た深い緑のセーラー服、冬の夜の空の下で露わになる。レモンイエローのスカーフだけが、胸元、風の中ではためいて。

 頬に朱をそっと落としながら、外連は前屈みに重心を落とす。

 そのまま下ろす左の手首を、斜めに伸ばされた百合子の手が掴む。振り払う間もなく、腕ごと持ち上げられて――

「うあっ」

 小さな拳が、再び、外連の頬を叩く。体重乗せて。パァン、と乾いた音高く。

「なんにも、変わらない……」

 ぱっ、と手を離す百合子。すかさず、外連は身を躍らせて斜めに顔を蹴り上げた。どこかに痛みが走っても、それをいつまでも引きずったりはしない。それが不良少女なのだ。大切なものを喪う心の痛みよりは、よっぽど痛くないのだから。しかし、百合子の痩せた手は翻る、翻る。左の手の甲が、しっかりと振り抜かれたはずの外連の足首を捉えて。中らぬように、軌道、逸らして。

 琉球空手は攻防一体、潮目の如き受け流しの型――

 空中で、外連は体勢を崩した。本当なら空中で手をつき体勢を立て直す一拍を挟んでから着地できたはずだったけれど、そのまま回転を強要されて靴の裏をつける。だから、無防備になった顔面に――もう一発、下から掬い上げるような右のアッパーが入った。腕力の強くない百合子であったけれど、あまりに小気味よく。目の前にちかりと星が飛んだ。

「ぐっ……」

「……わたし、ずっと和姫と離ればなれだった。五年も……でも、和姫、昔のまま……わたしのこと、覚えててくれた……」

 藤宮和姫は。

 襤褸にも見えるモッズコートを羽織って、赤い眼鏡に指を添えながら、百合子の細い背中を見守っている。黙って、信じて。

「はあ!? 何の話だよ!!」

 外連の左頬にじんじんとした痛みを与えた彼女は、しかし続けざまに殴りつけようとはしないで。

 目を細め、そっと微笑んでいた。

「……わたしたちだって、そうだったんだから。……ずっと一緒だった沙羅せんぱいと外連せんぱいの関係……わたしなんかが、変えられるわけないよ」 

「な――」

 百合子は、感じる。

 呼吸をして、ガマクを入れる――力を、臍の奥に流し込んで固める。その動きに、駆け抜ける島の血潮に。

 ――わたしの動きの中に、和姫がいる……

 そしてそれは。

 乙丸外連だって、同じことだ。

 いつの間にか垂れていた鼻血を拭って、拳を、細い腿に叩きつける。

「なんなんだよ……なんなんだよお前ぇ……!」

 砂利に押し付けた痕が冷たく痛む手のひら。小さな手のひらだ。ここが外連の全体重を支えられるだなんて到底思えないくらいに。

 いつか勇気を出して伸ばしたら、沙羅が握ってくれた手。沙羅の背中を守るために、ずっと地面についてきた手。今朝だって、沙羅のために味噌汁を作ってきた手だった。

 悲しいことも苦しいことも、たくさんあったけれど。

 それでも、ずっと一緒だったじゃないか。

 ――畜生……

 ――うち、バカだなあ……

 ――なんで……

 ――なんで、どんな未来だって沙羅の手を離したりしないって、そう信じられなかったんだよ……!!

 聞けば、百合子は和姫が女であることさえ知らなかったというのに。

 それでも、五年という断絶の後にも変わっていないものがあるはずと信じて、遠い沖縄からやってきたのだ。

「謝花ぁ」

「……なあに、外連せんぱい」

「お前、格好いいなあ」

 百合子は答えず、ただくすぐったそうに前髪を耳に掻き上げ、穏やかな微笑みのままで拳を固めた。

 外連の方は、拳を握ることはしない。信じて貫いてきたスタイルはそういうものではない。

 だから、腕は自由にぶら下げたまま。くしゃりと、笑う。腫れた左頬を撫でながら、屈託なく。

 ゆっくりと後ずさりをした。二十メートルほどの間合いを作る。この泣けそうなほどに広い広い屋上は、大人になれない少女にそれを許した。鬼百合女学院は、少女の全てを許すのだ。

 ちゃり、と逆十字のピアスが音を立てた。清らかに、かつ鞘鳴りの如く勇ましさを予感させて。

 磨り減ったローファーの底が、地にぐっと押し付けられる。脚に力を入れて、駆ける。夜の中を。今はそれしかできない。乙丸外連は、不良だから。

「行ぃぃぃくぞオラぁぁぁぁぁ!!」

「……うん。負けないから」

 セーラー服の少女ふたり、屋上の真ん中で激突する――

 はず、だった。

 その声が、割り込んでこなければ。

『外連、電話だよ。外連、電話だよ。外連』

「「……」」

 百合子と外連の間の距離が、大股二歩まで迫ったその瞬間。

 外連が脱いで投げ捨てたパーカーのポケットで、突如として点灯したスマートフォンのバックライトが布越しに眩しく光っていた。

『外連、電話だよ。外連、電話だよ』

 そして繰り返される、耳慣れた声。

 もはや記すまでもなく、水恭寺沙羅の声である。

 全員が同時にびくりと身体を震わせて、動きを止めた。

「出て……いいよ……外連せんぱい」

「はあ!? え、そういうノリじゃないじゃんか。続けようよ」

「え、でも……気になっちゃう……でしょ……?」

「あと百合子は一生ツッコまないと思うんで私が口出しますけど、その着信音マジですか」

 誰もが大変気まずい思いをしながら、何をすることもできず腰に手を当てたり腕を組んだりしている。

『外連、電話だよ、外連、電話だよ』

 そして、静かに冷える夜の中でスマートフォンだけが鳴動し続けていた。

「……出て」

「ええー……なんなんだよぅ、もー」

 外連はスマートフォンを引っ張り出す。発信者番号は非通知だった。耳に当てる。百合子と和姫は顔を見合わせて、一旦その周囲に集まった。寒いので、百合子が雰囲気で脱いでしまったダッフルコートを和姫が拾い上げて渡してやると、唇は「……ありがと」と動いた。

「はい、うちだけど」

『……』

 返答はない。外連は眉間に皺を寄せる。悪戯電話か。

「もしもし? 誰? 沙羅? 父ちゃん?」

『……きゃはは。おーとまるぅ、ひっさし振りねえ!』

「……!」

 外連の表情が硬直する。

 ぴんと来ないわけがない。その下卑た笑い方に。

『あたしらのこと覚えてくれてるかしらぁ? おチビちゃん』

 耳に飛び込んでくる、ねっとりとして嫌な声。外連の額に妙な汗が浮かぶ。

 身を震わすのはきっと、寒さだけではなかった。

「『力學党X』……何の用だよ、先輩方」

『あっははは、大正解♡ ねーえ、今って暇ぁ? 久しぶりに遊ばなぁい?』

「……ふざけんな。あんたら、引退はどうしたのさ」

 いつもの明るい声ではない、低く落ち着いた声を外連は返す。

 謝花百合子と藤宮和姫は、固唾を飲んで見つめている。外連は心音の加速を自覚しながら、努めて冷静に言葉を待った。

 雑音が混じる。がたがたと何かが何かにぶつかる音。誰かの怒号。笑い声。

「おい、何やって――」

『……来ねーとこいつ殺すぞ?』

「――――!!」

 息を呑む。ボッ、とノイズ。まるで、誰かの顔面が電話機に押し付けられたかのような――

『オイ、わかるか? なあ……オメーんとこの中坊だよ!!』

 漏れ聞こえてくる笑い声に、百合子と和姫も目を見開いて凍りついた。

「な、え、おい」

『け……けれ、ん、さん……痛っつ……』

「覇龍架!? おい、覇龍架っ!!」

 スマートフォンを握る外連の手のひらが、じっとりと汗ばむ。

 聞き間違えようがない。それは、鷹山覇龍架の声だった――

『すんません……オレ……』

『このバカガキねぇ、あたしらが喧嘩教えてやるって言ったらノコノコ来やがってんの! あは、おっかしいったらないわ!』

『来ないでください……外連さん……俺が悪いんス! 平気ッスから!!』

『ああ!? テメー何フカしてんだチビ!!』

 覇龍架の甲高い声が、引き離され、遠く悲鳴のように――

『あ、他の「酔狂隊」の連中には内緒ね。水恭寺とかスズランコンビ連れて来たら即こいつ殺すから。あたしら、アンタと話がしたいのよねー』

「……今すぐ殺しに行くから待ってろクソババア共!!」

 スマートフォンを叩きつけんばかりに、外連は叫んで。

 通話を切り、顔を上げる。暗闇の中、色素のない髪を額に貼りつかせて、鬼の形相で。

 怒りのあまり食いしばった歯の間から漏れる息は、白く。

「……ごめん謝花。それどころじゃなくなった。行かなきゃ」

「行くって……どこに……」

「『力學党X』の溜まり場は港の倉庫。間違いない。あのクソ共はそこにいる」

 駆け出そうとした外連の手を――

「……わたしも行く」

 百合子は、さっと掴んだ。強く。

「謝花……」

「わたし……まだ、外連せんぱいに『酔狂隊』だって認めてもらってないから。大丈夫、だと思う」

 コートの留め具を掛けて、マフラーを巻いて。大きな角襟、隠して。

 その、真っ直ぐに向く瞳を見て。

「……わかった」

 外連は、ばさりとパーカーを羽織りながら小さく頷いた。

「私も行きますよ、外連さん」

「和姫……」

 真っ直ぐに、和姫の目を見て。

 百合子は、吊られた右腕を指差す。

「……足手まとい」

「酷くねえ!?」

 それに実際、和姫は『力學党X』に面が割れているだろう。リスクは犯せない――外連はそう判断して、口を開いた。

「ヒメは、水恭寺に行ってくれないかな。銀子でもヘルミでも恬でも、連絡して誰か動ける奴呼んで、万が一の時は綺羅をお願い。……あと、沙羅が来ないように止めて」

「……了解です」

 外連と百合子は、連れ立って駆け出す。扉を開け放って、リノリウム蹴って、階段を数段飛ばしで降りていく。夜の校舎、すっかり冬の中を。白い息、喘ぐように漏らしながら。つい先程まで殴り合い蹴り合っていたふたりが、窮地にあって――手を取り合う如く、並んで行く。

 その背中を追いながら、こんな時だというのに、和姫は思った。

 ――百合子。

 ――お前も、見つけたんだな。

 ――鬼百合でやりたいことを。

 ただ、和姫の隣にいるだけでなく――

 ――どんな自分で、いたいのかをさ。

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