旅路は続く 同日 〇一二〇時
リチャードは上官との対話を終えると、穴だらけの羅針艦橋を目指して歩いていった。ラッタルを登って目的地に着いた後、彼を出迎えたのは当直士官のフレデリカ・パークス大尉である。
彼女は副長にむかって敬礼すると、艦の針路や補修状況についてリチャードに報告した。
報告によれば、〈リヴィングストン〉は船団との合流コースを順調に進んでいた。このままいけば、おそらく予定通りに邂逅を果たすことが出来るだろう。いっぽうで損傷による浸水がいちじるしく、特に船体上部の破孔から、絶えず波しぶきが飛び込んでいるとの事であった。
リチャードは復旧作業についていくつか指示を出すと、艦橋の一角に立って部下たちと闇に包まれた洋上へ交互に視線をめぐらせる。吹きすさぶ風をその身に浴びつつ、彼は周囲の様子をしばらく眺めつづけた。
「レーダー室より報告」
電話員がそう伝えてきたのは、一四〇〇時になる少し前であった。北西三〇海里の地点に、航空機らしき反応を確認したとの事である。
この知らせを聞いて、艦橋に立つ将兵たちはドッと沸きかえる。おそらくその機体は、船団の周囲を警戒する連邦軍の哨戒機だろう。リチャードが連絡をとるよう命じると、しばらくして返答があったとの知らせが届いた。将兵たちの歓喜はより大きなものとなり、艦内電話で報告を受けたホレイシアも、受話器越しによろこびの声をあげた。
そして一四三〇時に、レーダー室は新たな報告をもたらす。
「一一時方向、距離二〇海里に船影多数を確認。速力九ノットで東北東の方角に向かいつつあり」
リチャードはパークス大尉に目をやった。
「艦長をお呼びしろ」
「了解です」
パークス大尉は頷くと、伝令に声をかけて艦長室に向かうよう命じる。ホレイシアが伝令に付き添われて姿を見せたのは、それから五分後のことだ。
ホレイシアは負傷した腕をコートの中におさめて、ゆっくりと艦長席のほうへ歩いていった。席につくとリチャードが現在の状況を説明し、それを聞き終えた彼女は大きく頷いて電話員に命じる。
「船団指揮船へ通信。 護衛指揮官ヨリ船団司令官 我、帰還セリ」
電話員が復唱して通信室に伝えると、彼女は後ろに立つ副長のほうを向いた。
「私たちが船団から離れたのは、一七〇〇時頃だったかしら」
「はい、艦長」
「……ほんの一〇時間前なのね」
ホレイシアはそう呟くと、目線を正面に広がる海にむける。リチャードも上官につづいて目線を移した。
周囲はまったくの暗闇に包まれているため、遠方の様子を確認することはほとんど不可能であった。だが砲声や爆発音の類が一切耳に入らない、この海域は間違いなく平穏な雰囲気に満ちている。数時間前に熾烈な戦闘を潜り抜けてきたとは、とうてい思えないほど静かであった。
しばらくして、電話員の声が艦橋に響き渡った。
「船団指揮船より返信。 船団司令官ヨリ護衛指揮官 各艦ハ速ヤカニ定位置ヘ就クベシ。以上です」
頷いたホレイシアは僚艦たちへ、隊列を解いて各々の配置に戻るよう命じた。ただちに〈ローレンス〉と〈レックス〉は針路を転じ、〈リヴィングストン〉を次々に追い越していく。〈リヴィングストン〉は二隻の邪魔にならぬよう、針路と速度を変えずにしばらくそのまま進みつづけた。
それから四〇分後のことである。
「一〇時方向、距離三海里に船影あり!」
艦橋の一角に立つ見張り員――彼女は先の戦闘を無傷で切り抜けた、数少ない正規要員のひとりであった――が、興奮ぎみの声でそう知らせてきた。
リチャードは双眼鏡を構え、報告のあった方角に目をやった。何度か視線を左右に振ったあと、真っ暗な洋上にみえる黒い豆粒のような姿を捉えることに成功する。ただし距離が遠いため、その種類まで特定することはさすがに出来なかった。
「船団外周部を独航中ですので、警戒のために残したG級のどれかだと思います。位置からみておそらく……、ん?」
そこまで言いかけると、小さな光がその船影で点滅しているのに彼は気が付いた。そちらに注意を向けていると、先ほど報告してきた見張り員の声が、ふたたび艦橋で響き渡る。
「発光信号を受信! 〈ゲール〉ヨリ各艦ヘ 帰還ヲ祝ス、オ帰リナサイ 以上です!」
僚艦から伝えられたねぎらいの言葉に、艦橋のあちこちから安堵と喜びの溜息が漏れる。ホレイシアは一瞬だけ微笑むと、席をたって海図台のほうへと歩いていった。
「定位置につけるわ。フレデリカ、操艦を代わってちょうだい」
「操艦指揮、お預けします」
ホレイシアは〈リヴィングストン〉と船団の位置関係を海図上で確認した。
しばらく考え込んだあと、彼女は右舷に変針して増速するよう命じた。機関室でエンジンの出力があげられ、〈リヴィングストン〉の速力は第一戦速――一八ノットにまで上昇する。一五二〇時、指定の速力に達したことを確認すると、ホレイシアは針路を北東へむけさせた。
〈リヴィングストン〉は荒れ狂う波に揺さぶられながら、船団本隊との距離を少しずつ詰めていった。そんななか、一五四〇時ごろに艦橋で報告の声が響く。
「発光信号あり!」
そう知らせてきたのは〈ゲール〉の時とおなじ左舷見張り員であった。
「コンチネンタル・ライン所属、貨客船オーシャントレジャー号からです。 貴官ラノ奮闘ニ、心ヨリ感謝ト敬意ヲ表ス。貴官ラハ……」見張り員はそこまでいうと、しばらく押し黙ってからふたたび口を開いた。「……貴官ラハマサニ戦乙女、『ワルキューレ』ノ化身ニ違イナシ 以上となります!」
「ワルキューレ」
海図台の傍へ移動していたリチャードは、苦笑しながらそう呟いた。
「古い神話の女神に喩えるとは、また随分な持ち上げようですね。艦長」
だが、ホレイシアはなんの反応も示さず、リチャードはもういちど彼女に呼びかけた。「艦長?」
「え? ああ、そうね」
ホレイシアは気の抜けた声で応じた。
「褒められるのは嬉しいけれど、そこまで言われるたら複雑な気分になるわね」
そう答えてリチャードのほうを見た彼女の表情は、言葉通りの様相を呈していた。口は喜びで緩んでいたが、反対に目元はへの字に曲がってしまっている。自分がそのように呼ばれるに足るだけの働きを成せたのか、確信をもてないのだろう。
「確かに言い回しは大げさですが、あのフネや船団にとっては違うのです」
リチャードがそう言うと、ホレイシアは首をかしげながら応じた。
「そうなのかしら?」
「ええ」リチャードは頷きながら話を続けた。「船団にとって、我々は迫りくる脅威を排除した、正真正銘の救世主なのですよ」
リチャードの言葉にホレイシアは返事をかえさず、彼女はそのまま正面に視線を戻した。〈リヴィングストン〉は波を踏み越え、切り裂きながら進んでいる。
「レーダー室より報告。船団本隊最前列は本艦から見て一〇時方向、四海里にあり」
知らせを聞いたホレイシアは、海図をちらりと見て命じた。
「面舵、針路〇七五へ。ゆっくりでいいわ」
まもなく右舷への転舵がはじまり、船体がわずかに傾きだした。ホレイシアは報告に耳を傾け、海図と洋上の相互に視線をやりながら、艦を定位置につけるべく指示をだし続けていく。その間に時刻は〇四〇〇時を過ぎ、当直要員の交代がおこなわれた。
〈リヴィングストン〉が定位置についたのは、〇四一五時のことであった。一連の作業を終えたホレイシアは、あたらしい当直士官であるエリカ・ハワード大尉に以後の操艦を命じる。リチャードが休むよう勧めると、わずかに躊躇ってから席をたち艦橋を後にしていった。
それを見送ったリチャードは舷側から身を乗り出し、後方の様子を窺った。暗闇のなかで見えたのは黒々とした波と、船団本隊の所属船が発する識別灯の小さい光だけだ。だが彼にとって、船団の健在を実感するにはそれで十分であった。
帝国軍艦隊との交戦により、NA一七船団の航行スケジュールは大幅に遅れることとなった。だが、それまでの過酷な旅路を考えれば、それは許容されてしかるべきものと言うべきだろう。これ以降、船団は一切の敵影を見ることなく極寒の洋上を進んでいった。
船団と第一〇一護衛戦隊が目的地である連邦の港へたどり着いたのは、戦闘から二日後――一一月一六日の夕刻のことであった。
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