第六章 旅路は続く

戦いの後で     一一月一四日(航海一〇日目) 〇〇五〇時

 扉を叩くかたい音が、艦内の狭い廊下に響き渡った。

「艦長、少しよろしいでしょうか?」

「どうぞ」

 リチャード・アーサー少佐は失礼しますと言い添えると、ドアノブをまわして艦長室へ入っていった。

 駆逐艦〈リヴィングストン〉の艦橋構造物はあちこち被弾していたが、最下層に位置するここは奇跡的に無傷であった。戦闘中のはげしい機動でしばらく散らかっていたものの、部下たちの手によって綺麗に片づけられている。

 部屋のあるじであるホレイシア・ヒース中佐は制服姿のまま、従兵に付き添われて奥にあるベッドで横になっていた。

 三角巾で吊られた上官の右腕を一瞥したあと、リチャードは目線を逸らして言った。

「申し訳ありません。いくつか報告する事ができまして、こちらに伺わせていただきました」

「気にしなくていいわ」

 ホレイシアはそう答えると、従兵のほうを見た。

「しばらく外で待っていてちょうだい。何かあったら呼ぶわ」

 彼女は従兵が退出すると、副長へ座るよう促した。リチャードはコートを脱いで書類ケースを手にすると、ベッドの横にある椅子へ腰をおろす。

 NA一七船団の殲滅をもくろむ、帝国艦隊との戦闘はホレイシアたちに優位となった。来援した第一〇戦隊の重巡二隻と協同し、彼らの退路を断ちつつ射撃をおこなったのである。包囲された敵は最終的に南方への離脱をはかり、駆逐艦一隻の沈没を引き換えとしてこれに成功する。だが帝国艦隊は手痛い損害を被ったうえ、船団襲撃を諦めた彼らの敗北は明らかであった。

 かろうじて勝利をもぎ取った後、ホレイシアは船団本隊へその旨を連絡。同行を申し出た第一〇戦隊とともに、合流を図るべく移動を開始した。現在は速力一二ノットで、北に針路をとって進んでいる。

「いい知らせと悪い知らせがあります」リチャードがおもむろに口をひらいた。「まずいい知らせのほうですが、機関長からエンジンの調整に目途がついたそうです」

 副長の言葉に、ホレイシアは笑みを浮かべる。

「ありがたいわ。ここまで来て、フネを捨てたくは無いものね」

 ホレイシアがそう言うと、リチャードも「そうですね」と答えて頷いた。

 〈リヴィングストン〉のエンジンは全力運転による負荷の影響で、戦闘終了の直後から各所で不具合が生じていた。機関科員たちは航行のため運転を続けながら、これを克服すべく奮闘していたのである。また艦内では損傷の修理や排水といった復旧作業を、手すきの将兵たちが必死の思いでおこなっていた。

「機関長の話では完全に直ったわけではないものの、それでも連邦にたどり着くまではなんとか持つそうです。引き続き、エンジンの保守・点検に全力を挙げるとの事でした」

「了解よ、機関長に宜しく頼むとつたえてちょうだい」

 ホレイシアはリチャードの説明にそう答えるが、次の瞬間、彼女は眉間にしわを寄せて不安そうな顔をした。

「それで、悪い話のほうは?」

 リチャードは一瞬ためらった後、書類ケースから一枚の紙を取り出した。

「各艦の具体的な被害状況がまとまりました。こちらが報告書になります」

 リチャードはそういうと、書類を上官に手渡した。受け取ったホレイシアは時間をかけてその内容を確認し、読みすすめるにつれて表情がどんどん暗くなっていく。作業を終えたあと、彼女は書類をシーツの上に置いてリチャードのほうを見た。

「……副長、後ろの戸棚にシガレットケースがあるわよね?」

 リチャードが立ち上がって小さな棚を覗くと、そこには見覚えのある小さな銀色のケースがあった。リチャードは扉をあけてそれを手に取り、中から葉巻を取り出して灰皿と一緒にホレイシアへ渡す。

 彼女はリチャードに葉巻へ火を着けてもらい、天井のほうを見てポツリと呟いた。

「部下たちを、たくさん死なせてしまったわね」

 上官の放った言葉に、リチャードは無言でただ頷く。

 今回の戦闘で第一〇一護衛戦隊が被った人的被害は、総合すると以下の通りとなっていた。ただし〈レックス〉については、それ以前の対潜戦闘による負傷者も含まれる。

〈リヴィングストン〉

 戦死一六、重傷一一、軽傷二五。航海長戦死。

〈レックス〉

 戦死二五、重傷一〇、軽傷一七。艦長、航海長、水雷長、砲術長戦死。

〈ローレンス〉

 戦死五、重傷八、軽傷一八。幹部士官に戦死者なし。

 戦死者数に目をむけると、戦隊は四六名の将兵をこの戦いで失っていた。重軽あわせて八九名におよぶ負傷者も、生き残ったことを素直に喜べる状態にはない。体の一部を失ったり、一生消すことのできぬ酷い傷を負ったりした者が大勢いるからだ。医務室――および臨時の救護所となった士官室で、彼女たちの多くはいまも治療を受けつづけている。そして重傷者のなかには、明日の朝日を拝めるか分からぬ者も含まれていた。

 ホレイシアはシーツの上に灰皿を置き、葉巻の灰を落とすとふたたび咥えた。口から紫煙が吐き出され、白い筋となって上のほうにゆらゆらと伸びていく。

 彼女は虚ろな表情で、その煙をぼんやりと眺め続けた。


 しばらくするとホレイシアは顔をうつむかせ、溜息をつくとリチャードに呼びかけた。

「副長」

「はい」

 彼女はかすかに震える声で尋ねた。

「私の指揮は、果たして妥当なものだったのかしら?」

「それは……」

 リチャードはそう言いかけると、上官の顔をまじまじと見つめた。未練と後悔に満たされた、ホレイシアの表情は今にも泣きそうである。彼女の口元は固く閉ざされ、何かをこらえるかのように両端が歪んでいた。書類上とはいえ、勝利の代償をまざまざと見せつけられたのだから無理もない。

「副長?」

 どう答えるか逡巡している部下に、ホレイシアはふたたびそう呟く。リチャードは少し間を置き、意を決するとゆっくり口を開き始めた。

「確かに、細かい部分でいくつか問題はあったと思います」彼は話を続けた。「ですが、戦隊は優勢とはいえない状況下で敢闘し、雷撃を成功させたうえに帝国軍艦隊を撃退することも出来ました。少なくとも友軍到着までの間、敵を足止めした点は大きく評価されるべきでしょう」

 副長の熱弁を、ホレイシアは葉巻を手にじっと聞き入っていた。

「よって自分といたしましては、艦長の判断に間違いはなかったと考える次第です。賞賛を受けこそすれ、批判を浴びるいわれは全くございません」

 語るべきことを語り終えたリチャードは、コホンと咳払いして上官の顔を見据えた。

 ホレイシアは彼と目を合わせず、うつむいたまま手元の葉巻をじっと見つめていた。しばらくそのままでいた後、おもむろにそれを咥えて深々と息を吸う。大量の煙を吐き出すと、困惑した表情で彼女はリチャードのほうを向いた。

 彼女は小さな声で言った。

「……本当に、あれで良かったのかしら?」

「はい」

「そうハッキリ言われると、ちょっと恥ずかしくなるわね」ホレイシアは苦笑する。「でも、ありがとう」

 彼女はそういうと、葉巻を灰皿に押し付けて火を消した。吸い殻を載せた灰皿をリチャードに渡し、戸棚へ戻すよう頼む。

 立ち上がった副長へ、ホレイシアは恥ずかしそうに言った。

「貴方には、いろいろと教えられてばかりね。私にとっては先生みたいなものだわ」

「本職の方に、そういわれるのは嬉しいですね」

戸棚の扉を開けながら、リチャードは答えた。

「ですが、まだまだ未熟者ですよ」

 リチャードはそう呟いて扉を閉めると、椅子のほうに戻って腰かけて話を続けた。

「それに、しょせん自分はただの副長。部下として扱っていただければ、それで十分です」

 ホレイシアは副長の言葉を聞くと、照れくさそうに頷きながら言った。

「分かったわ、副長。……いえ、リチャード」

「やっと、名前で呼んでくれましたね」リチャードはニコリと笑った。「これでようやく戦隊の一員、仲間として認めてもらえたような気がしますよ」

「別に、除け者にしていたつもりじゃないわよ」

 ホレイシアはばつの悪そうな顔をしたが、すぐに頬を緩ませた。リチャードもそれにつられ、室内に二人の笑い声がこだまする。しばらくして声がやむと、ホレイシアは質問を投げかけてきた。

「さて。船団との合流は、いつ頃になりそうかしら?」

「針路等に間違いがなければ、〇三〇〇時前後の予定です」

 リチャードが答えると、ホレイシアは頷いて言った。

「じゃあ、三〇分前になったら読んでちょうだい。大事な瞬間に、指揮官が寝たきりでいる訳にはいかないわ」

「了解しました」

 リチャードはそう答えると、立ち上がってベッドに横たわる上官へ敬礼する。それが終わると踵をかえし、退出すべく出入口のほうへと向かっていった。

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