荒野を往く

 アロイスの屋敷を出た僕達は、また隊列を組んで荒野と化した地上を歩き始めた。だが今度は村の残骸の中を進んでいくのはほどほどに、村を離れて荒野を進んでいく。

 乾いた風がほこりっぽい。翼をさっと払いながら、ギーが口を開いた。


「それで、これからどうする? 結局アロイス殿からは、これまでのいきさつしか伺えなかったわけだが」


 最後尾を歩くギーの言葉に、僕もアグネスカも揃って顔を見合わせた。

 そう、確かにアロイスには会えた。話も聞けた。しかしエスメイのことについては、ほとんど何も聞けていない。出現場所も、弱点も。

 これで果たしてどうやって、エスメイに対応出来るのだろう。しかしイルムヒルデは苦笑しながら、こちらを振り返りつつうなずいた。


「それで十分ですわ。ジラルデ様からエスメイをどうにかすることについての許可を頂けただけでも儲けものです。あとは、この禁域に巣食うエスメイを見つけ出し、どうにかする。それだけですわ」


 そうきっぱりと言いながら再び顔を前方の荒野に向ける彼女。その発言に僕は思わず言葉を漏らした。


「どうにかする、って……」

「どうすればいいんですか……いえ、どうするつもりなんですか、イルムヒルデさん」


 僕に同調するように、アリーチェも不安そうに言葉をかけた。

 相手は神だ。邪神だ。それも有象無象の下級神ではない、三大邪神の一柱の直下に位置する、物語にも登場するくらいに位の高い神だ。

 そんな相手に無策で挑んで、どうにかこうにか出来るわけがない。当然の話だろう。

 イルムヒルデもそこはよくよく分かっているようで、小さく息を吐いてアリーチェに答えた。


「滅す、殺す、と出来れば一番都合がよいでしょうが、スヴェーリの許しもなくその伴神を殺すことは出来ないでしょう。この禁域に封印してしまうのが落としどころでしょうね……とはいえ、『呪圏』を作られてしまっているのは厄介です。その中から引きずり出さねば」


 そう話すイルムヒルデに、この中で彼女同様、この禁域の過去の姿を知っているディートマルが神妙な面持ちで頷いた。

 彼女の言葉に反論する要素は無い。滅することなど夢物語にもならない。封印するのが精々だろう。この禁域自体も荒れ果てすぎて今後の発展など望めない。三神教会の監視下に置いたまま、立ち入ることも許されないくらいに厳重な封じ込めをするのが、最も現実的だ。

 だが、そうなるとエスメイの築き上げた『呪圏』が邪魔になる。いくら封印を施してもそこに逃げられたら意味がないからだ。どんどん神力を吸収されて、封印が破られないとも限らない。というか、今がまさにその状況になっているのだ。

 神妙な面持ちで、アリーチェが言葉を零す。


「引きずり出す……ですか」

「でも、どうするんですか? イルムヒルデ様にも『呪圏』の入り口はご覧になれないのでしょう。エリクにしか見えないと」


 アグネスカも眉間にしわを寄せながら話す。

 彼女の言う通り、『呪圏』を見えるのはこの場では僕だけだ。しかし、だからどうなのだという話でもある。

 そもそも先程の状況から、エスメイは『呪圏』の出入り口を好きなところに好きな風に作れることは明白だ。今この場で、出入り口を作られて襲われないとも限らない。

 イルムヒルデもそのことは重々承知しているようで、アグネスカに向かって小さく微笑んだ。


「そうですわ。ですが『呪圏』の出入り口については、深く探そうとしなくてもよろしいですわよ」


 彼女の言葉にアグネスカが大きく目を見開いた。その発言を補足するように、ディートマルが後方から言葉をかけてくる。


「確かにエリクさんは出入り口を……いえ、『呪圏』そのものを見ることが出来る。ですがその出入り口を使ってエスメイをそこから引きずり出すのは至難の業です。ポワンが釣りの餌に食いつくのと同じですから。『呪圏』が見えないところで動いた方がいい」


 そう話しながら、ディートマルが背中に背負っていた大きな杖を抜いた。同時に先頭のイルムヒルデも、腰に挿したナイフを翼で握る。


「エスメイは既に私達の存在を察知している。しかし今はまだ様子見を決め込む段階のはずだ。その間に、私達はキマイラの数を減らす・・・・・・・・・・

「キマイラの?」


 至極自然に戦闘態勢に入った二人。見れば、周囲には何体ものキマイラが僕達を取り囲むようにして見ていた。

 積極的に襲ってこない、と分かっていても、取り囲まれてしまっては恐怖も覚える。身を固くする僕とアグネスカをかばうように立ちながら、マドレーヌが小さく笑った。


「ああ、そういうこと。遊び道具を壊されたら、子供は黙っていられずに出てくるわね?」

「そういうことですわ。出来る限り、この禁域に蔓延るキマイラを討伐する。そうしてエスメイをこちら側に出て来させるのです」


 彼女の言葉に同意しながら、イルムヒルデが手に握ったナイフを振るう。魔法が込められたナイフなのだろう、水属性の魔力で作られたナイフが何本も空中に出現し、一体のキマイラめがけて飛んでいった。眉間にナイフが刺さったキマイラが甲高い絶叫を発する。

 それを見て僕はさ、と血の気が引くのを感じた。

 あのキマイラ達は、エスメイに『器』を徹底的にいじくられた人間だった、とアロイスは話した。いくら邪神を奉じる人々だったとはいえ、人間だったはずなのだ。

 そのキマイラ達を、討伐する。その言葉に、口から零れる僕の声が自然と震える。


「討伐、って、殺すってことですか?」

『マジかよ。元は人間種ウマーノだったんだろう、あいつら?』


 イヴァノエも信じられない、と言いたげな表情で言葉を発した。それに対して、当のイルムヒルデは涼しい顔だ。いや、涼しいどころではない。冷たささえ感じさせる表情で、僕とイヴァノエを見ていた。


「ダヴィド様、イヴァノエ様も……いえ、アグネスカ様やエイゼンシッツ様にも、今後の勘違いが無いように申し上げます。『器』を書き換えられるということは、融合士フュージョナーの変身や魔物堕ちとはわけが違う。その相手の『元』がどうだった、などということは、一切関係が無くなる・・・・・・・のです」


 その言葉を聞いて、僕はますます目を大きく見開く。

 僕は職業ジョブとしては融合士フュージョナーになるから、自分が人間を辞めて魔物に変身することなどしょっちゅうある。しかしそれは、人間族ヒュムの僕を無くす、と言うことには繋がらないし、僕の記憶も人格も保たれたままだ。

 魔物堕ちについては変身前の自分は無くなってしまうが、記憶も残るし人格もいくらかは保たれる。魔物になる前の自分のことを覚えている人も、減るはずはない。

 しかし、『器』の書き換えについてはそうではない、彼女はそう言うのだ。イルムヒルデは続けて話す。


「生きながらにして転生する、とも申せますわね。それまでの過去も、人生も、記憶も全て意味のないものになる。あのキマイラ達に至っては、何度も何度も『器』を書き換えられているのです。もはや、自分が人間種ユーマンだったことなど、欠片も覚えていないのですわ。本人も、周りも」


 そう話しながら、イルムヒルデは淡々と魔力のナイフを投げ込んでいく。ディートマルも攻撃魔法をどんどん撃ち込んで、キマイラに傷を負わせていく。

 容赦が無い。二人共、キマイラに一切の情けをかけずに殺そうとしていた。

 何も言えなくなる僕の肩を叩きながら、アリーチェが頭を振る。


「そうですねぇ……私自身そうでしたもの。まぁ私の場合は、『器』を削り取られて移し替えられた形だから、まだ原型もありましたけれど」

「アリーチェ……」


 彼女の言葉に、僕はまたしても何も言えない。

 アリーチェもそうだ。アリーチオという『器』を塗りつぶすようにして新しく魂の形を持った彼女は、その形を持った時から200歳を超えていて、女性で、水属性神術に精通した神獣だった。

 『器』を厄呪と一緒に死告竜ドゥームドラゴンから剥がして移し替えたブリュノだってそうだ。『器』が馴染んだあとは、生まれついて竜人族ドラコだったように思えてしまう。

 それだけ、周囲の認識までも変えてしまうのだ。

 じわりと胸の奥が痛みだす。もし僕がエスメイの手で『器』をいじられたとしたら、アグネスカやアリーチェ、イヴァノエは僕を僕だと『分かって』くれるだろうか。

 そんなことを考えてしまう僕の頭を優しく撫でながら、アリーチェが口を開く。


「そういうものですよエリクさん、だからあれに情けをかけてもしょうがないんです。無残にやっちゃっても泣かないでくださいね?」

「う、うん……」


 戦うつもり満々のアリーチェがそううそぶくのに、僕は生返事を返すしかない。

 そのまま僕は、アグネスカとイヴァノエと寄り添うようにしながら、キマイラが殺されていく様をただ見ていた。

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