幽霊との会話

 はしごを順番に降りていって、イヴァノエは入り口から下まで三角飛びをするように降りていって、最後。僕がゆっくりはしごを降りていった先で、皆は待っていた。


「ようやく、床かな……」

『ぺっぺ、埃が凄いぜ……ギリギリ降りられる幅だったからいいけどよ』


 僕が床に降り立つと同時に、ふわりと埃が舞い上がる。それによって口の中に埃が入ってしまったのだろう、イヴァノエがしきりにツバを吐いている。

 降り立った先の部屋はとても暗かった。微かに点った灯りが、ぼんやりと部屋の中を照らしている。まるで防空壕ぼうくうごうか何かのようだ。


「地下室ですか? それもこんな隠し方……」


 マドレーヌが暗い天井を見上げながら言う。すると先を行くイルムヒルデが、手元に魔法の灯りを点しながら頷いた。


「はい、その通りですわ。ゲヤゲ村の村長、アロイス・ジラルデ様は、こちらの地下室に隠れていらっしゃいます」


 そう話しながら、イルムヒルデは部屋の奥側、扉がある方に向かって歩いていく。そして歩きながら、彼女は村長――アロイスについての話を始めた。


「ジラルデ様は五十年ほど前にお亡くなりになられて、しかし魂は現世に……つまりこの屋敷に留まったまま、村長の仕事を続けていらっしゃいます」


 そう説明をしながら、イルムヒルデの羽がドアの取っ手を掴む。ぎぃ、と軋む音を立てて開かれた扉は、明らかに十数年、いや、数十年は開かれていなかっただろうことが分かる。

 その言葉に、僕の喉の奥で引きつった音が漏れた。死んでからなお五十年、屋敷に留まって村長の仕事を続けているなんて、そんなこと、想像するだにつらすぎる。


「いいんですか? それって……」

「死人に鞭打つような行いだと、言わざるを得ないですよね……」


 開かれた扉を抜けて、これまたぼんやり明かりが灯る廊下を進んでいくイルムヒルデ。その背中に、アグネスカやアリーチェが疑問の声を投げかけた。

 それに対し、廊下の奥のもう一枚の扉を開くべく手をかけながら、こちらに微笑むイルムヒルデだ。


「問題ありませんわ。ジラルデ様が自ら望んでやっていらっしゃることでございますから。それに、ルピアクロワでの村長職と同じように、書類仕事などはありませんもの……さあ、こちらですわ」


 そうして、もう一枚の扉を彼女は開く。再び軋んだ音を立てて開かれる扉。その奥は、先程までより少々明るい部屋だった。

 魔法燭台に点った灯りが、ちらちらと揺れている。誰もいないその部屋の中で、イルムヒルデは口を開いた。


「ジラルデ様、三大神の使徒と巫女が参りましたわ」


 この空間にも、誰もいない。それは確かだ。だが。不意に、僕達の目の前の空間が揺らめいた。

 ぼう、と、光が人の形を取る。その光の中から、老人の声が聞こえてきた。


「おお……イルムヒルデに、ディートマル……懐かしい顔じゃ。よう来た……」


 その声に息を呑む僕達だ。先程屋敷の地上部分で聞こえてきた声と同じ。この声の主が、目の前にいる光の人だというのか。

 と、人型の頭が僅かに動いた。僕と、マドレーヌの方を見ている。


「そちらの獅子の獣人族アニムスと、小さな人間族ヒュムが、残りの使徒じゃな……お初にお目にかかる、このゲヤゲ村の村長、アロイスじゃ……」

「は、はい……」

「初めまして……」


 丁寧な自己紹介に、面食らいながら僕とマドレーヌが頭を下げる。そのままの流れで僕達一行も軽く自己紹介をすると、その自己紹介が済んだところでアリーチェがそっと手を上げた。


「あのー、一つ気になっていたことがあるんで、この際に聞きたいんですけど、いいですかぁ?」


 その戸惑いがちに発せられた問いかけに、皆の視線が集まる。アロイスもアリーチェの方に目を向けると、小さく頷きながら先を促した。


「なにかの、神獣の娘……」


 彼の言葉に、アリーチェが眉尻を下げた。困った表情を作りながら、指をくるくる動かしつつ質問する。


「この村の皆さんって、邪神を崇めているわけじゃないですか。で、今回エスメイという邪神が降臨したわけじゃないですか。そのことを、この村の人達は喜んだりしたんですか? あれだって、一応は皆さんが崇めている存在でしょう?」


 その問いかけに、全員がふと視線を逸らした。

 そう、エスメイも邪神だ。この村の人々は邪神を崇める人たちだ。そして僕達は、その邪神を何とかするためにこうしてここに来ている。

 既に、村人はキマイラに成り果ててしまったとは言え。彼らの信じるものをどうこうしてしまうのは、教会の関係者としても少々、気が引ける。

 だが、その邪神の信望者であろうアロイスは、力なく首を振った。


「喜んだのは、エスメイを直接信望する僅かな信者だけじゃ……残りの者は、恐れ、逃げ惑った……エスメイが人間のことを顧みない神だと、知っておったからな」


 その言葉にため息を禁じえない僕達だ。どうやら邪神の信望者の間でも、エスメイは好ましく思われていなかったらしい。

 曰く、エスメイは神として力はあるが、人間を顧みない、信者に報いないことで有名なのだそうだ。だから、神の中では嫌われ者なのだと言う。


「彼奴はまず、自分を崇める信者から手をかけた……『器』に手を加え、元の形をすっかり失わせ、その繰り返しの果てに信者はキマイラへと成り果てた……それが済んだら、次は他の村人……その結果は、皆も上で見たであろう」


 そう話しながら、アロイスは無い口からため息を吐いた。自分たちが築き上げてきた村が壊された様は、当然彼も見ているであろう。その心中、察するには余りある。

 ゆるゆると頭を振りながら、アロイスは吐き出した。


「わしらが望んだのは、こんなものではない……神を崇めながら、平和に、ひっそりと暮らせていれば、それで良かったのだ……神にいいようにされる未来など、望んではおらなんだ……」


 その無念極まりないという言葉に、僕達も肩を落とした。

 信じるものこそ違えど、同じ人間だ。つらい、悲しいと感じる心は一緒だろう。

 イルムヒルデが一歩前に踏み出した。胸元に手を当てながら言う。


「かしこまりました。ついては、ジラルデ様」


 そうして言葉を区切ってから、彼女は宣言するようにアロイスに伝える。


「我々、三大神に属するものは、邪神エスメイの降臨に際しての禁域の拡大と、エスメイの地階マテリアル降臨の阻止のために、エスメイに対抗いたします。それでよろしいですね?」


 その静かながら、凛とした言葉。アロイスも落としていた顔を上げた。


「無論だとも……この肉体を失った老骨に、何が出来るでもないが……よろしく、頼みたい、皆の衆」


 そうしてこちらに向かい、深く頭を下げるアロイス。光が動き、向こう側の壁が一部見える。

 と、そこに。小さく、穴のようなものが空いているのが僕には見えた。

 さっきから気になっていたのだ、アロイスが頭を下げるたびにちらちらと見えていた、その不自然な穴。その奥から、誰かが覗いているような感じも受ける。


「……?」

「エリク?」

『どうした、さっきからぼーっとして』


 アグネスカとイヴァノエが僕に問いかけてくる。が、僕は返事を返す言葉が口から出てこない。

 気になる、と言うよりは、目が離せない、というか。僕の異変に、イルムヒルデも気がついたのだろう。こちらを振り返った。


「ダヴィド様? 何か――」


 そこでようやく僕は我に返った。ゆっくり、手を前に伸ばして言う。


「あそこの壁……あっちから、視線を感じて……」

「えっ?」


 その言葉に、その場の全員が目を見開いた。僕の指が指し示す方、アロイスの背中側の壁に目を向ける。

 そして次の瞬間、アロイスが壁に向かって突進した。


「まさか! 皆の衆、すぐに――」


 彼が幽霊に似つかわしくない大声を上げた次の瞬間。穴から発射された赤い光線が、アロイスの身体を貫いた。


「ごふっ……!」

「ジラルデ様!」

「アロイス様! 何が――」


 後方に倒れ込むアロイス。突然のことに、その場の全員がアロイスに駆け寄った。

 光の身体に大きく穴を穿たれたアロイスは、弱々しい声を吐き出しながら、息も絶え絶えの様子で告げる。


迂闊うかつじゃった……皆の衆、気をつけよ……エスメイは、禁域に『呪圏じゅけん』を作っておる……やつは、わしらのすぐそばに……」


 そう言い残すと、アロイスの身体を形作っていた光が、弾けるように消えた。


「ジラルデ様!」


 イルムヒルデが声をかけても、もう声は返ってこない。

 沈黙が部屋の中を支配する中、ギーがぽつりと言葉をこぼした。


「……死んだ、のか?」


 その声に、全員がギーの険しい顔を見上げる。

 幽霊が、死んだ、というのは表現的には正しくないかもしれないが。しかしあれは、死んだと取ってもおかしくのない状況だったはずだ。

 彼の言葉に、ディートマルが小さく首を振った。


「いえ……分かりません。ですが霊体を攻撃されても、アロイスさんの本体が損なわれない限りは、復活することが出来るはずです。本体は厳重に保管されていますから……しばらくすれば、お戻りになるでしょう」


 しばらくすれば。そう話すディートマルだが、いつ頃戻るかは、彼自身確証が持てていない様子だ。

 と、再び沈黙が部屋の中に広がろうかというところで、今度口を開いたのはマドレーヌだ。


「……イルムヒルデ様。坊やは、何を見たの?」


 視線を壁の方に向けながら、彼女は問う。そちらに目を向けても、先程の穴は、もう見えない。

 イルムヒルデも目尻を下げながら、小さく息を吐いて言った。


「恐らくは、エスメイの潜む『呪圏』の入り口……そしてそこから覗き込むエスメイの視線を、ご覧になったのだと思います。信じられない……私にもはっきり見えるものではありませんのに」


 彼女曰く、「呪圏じゅけん」とは神が世界に対して作り出す領域のことで、いわば地階や天階に現れた神階の一部。その領域内は、まさにその領域を作り出した神の独壇場で、地階や天階ではただ消費していくだけになる神力を蓄えるための休息場所でもあるらしい。

 いわば、神の作り出した家の中だ。イルムヒルデ曰く、使徒であってもその入口を視覚で捉えることは難しいらしい。

 アリーチェが僕に寄り添いながら口を開いた。


「エリクさんは、カーン神様に随分愛されているようですし……その影響でしょうか?」

「可能性はあります……ですがダヴィド様、努々ゆめゆめお気をつけ下さい。神に好かれやすいということは、狙われやすいということでもあります。ダヴィド様の存在を察知したエスメイが、今後どう動いてくるか、分かりませんから……」


 イルムヒルデも小さく頷きながら、僕の両手をその翼で包んだ。

 神に好かれやすい。その影響は地階ではきっと大きなメリットだろうけれど、ここでは別だ。エスメイ自身にも好かれやすくなる、ということに他ならない。

 やはり、付いてこないほうが良かっただろうか。いや、付いてこなかったらあの小屋の中でエスメイに成すすべもなくやられていただろうか。

 そんな事を考えながら、僕は口をつぐむことしか出来なかった。

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