密談

 翌日。

 僕はいつものように4の刻に起きた。

 ベッドから降りて、パジャマ代わりのバスローブからシャツとズボンに着替えてサスペンダーを付けて、隣の部屋のドアを叩く。

 既に目を覚ましていたアグネスカと一緒にアリーチェを叩き起こすこと20分2ジガー、ようやくベッドから這い出てきた彼女のもふもふほっぺを数度挟むように叩きながら着替えさせると、渋るアリーチェを引っ張るようにして部屋から連れ出す。

 そうして食堂まで引っ張っていくと、大概皆が揃っていて食事が始まる。

 というのがいつもの流れなのだが。


「あれ?」


 アリーチェの首根っこを掴んだまま食堂の扉を開けた僕は思わず声を上げた。

 いつもなら既にテーブルについているはずのアダンの姿が無い。ラファエレもいない。屋敷の使用人も二人ほど見当たらない。

 こちらに背を向ける形で座っていたジスランが、僕達の入室に気が付いたようでこちらを振り返った。


「あぁ、使徒様に巫女様、神獣様も。おはようございます」

「おはようございます、ジスランさん。アダンさんはまだなんですか? ラファエレも、使用人の方も何人かいないですけれど……」


 椅子から立ち上がるジスランに、僕は首を傾げながら言葉をかけた。

 ジスランも困ったような表情をして、その太い首に手を当てながら口を開いた。その傍らには山猫人リンクスマンのガンドルフォもついている。


「アダンはどうも、起き掛けに腹を下したようでして。便所に行っているようです。

 ラファエレ殿や使用人たちは……ガンドルフォ、何か彼らから聞いていますか?」

「はい、ジスラン様。ラファエレ殿、アロルドの二名はともに腹痛で床に就いております。本日はお休みの予定です。

 マヌエーラは先述の二名の世話をするため、使用人部屋に残っております」


 アグネスカよりも、より野生の獣らしい体格をしたガンドルフォが、右手を胸の前に据えながら流暢なルピア語で淡々と報告を述べる。

 それを受けて、ジスランががっくりと肩を落としてため息をついた。


「まったく、アダンにも困ったものですね……ラファエレ殿をいくら気に入ったからといって、使用人と同じ扱いをしていいわけではないというのに」

「どういうことですか? アダンさんに、何か関係が?」


 ほとほと困り果てたというように言葉を漏らすジスランに、僕は再び首を傾げた。

 ラファエレや使用人の体調不良と、アダンの名前が、どうして繋がってくるのか。ちっとも見当が付かない。

 そんな僕に、そっと屈んで耳打ちするようにジスランが頭を寄せてくる。


「実は、少々……年若い使徒様に申し上げるべきではない内容なのですが」

「??」

「おっと、お揃いでしたかな。いやいや申し訳ない」


 ジスランが話をしようとしたところで、廊下の向こうからアダンが大きなお腹を揺らしながら駆けてきた。

 話題に上がった当人が姿を現したことに、思わずそちらに顔を向ける僕とアグネスカ、そしてアリーチェ。その様子にただならぬものを感じたか、アダンが足を止めた。


「エリク殿、どうなさいましたかな?」

「あっ、いえ……」

「村長、用足しとはいえ遅刻とは感心しませんな。そんなに具合が悪かったのなら、無理なさらない方がよかったのでは」


 言葉を濁す僕の後ろから、ジスランが冷え冷えとした声を投げかけた。

 アダンの喉からぐっと、妙な音が漏れる。しかしすぐさまに気を取り直し、食堂の上座の椅子へと腰を下ろした。


「なに、私の腹具合など大した問題ではないだろう。それよりもようやく、農場予定地の耕作に入れると聞いているのですが」


 額の汗を拭いながら口を開くアダンの視線がこちらに向く。

 アダンに倣い、食堂の席についたアグネスカが、普段通りの淡々とした口調で説明を始めた。


「はい、チボー村近隣一帯の神力調整は完了いたしました。

 元から土地に広がっていたインゲ神の神力と、私たちが整えながら送り込んだカーン神の神力、土地の奥に沈められていたシューラ神の神力が、バランスを保ちながら一帯を取り巻くように循環する形になっております。

 既に、作物を生育させるのに適した環境に、なっていることと思います」


 アグネスカの説明に、アダンもジスランもにっこり微笑んで頷いた。


「有難い、これで村の者の手も借りて作業を始められます」

「ご協力に感謝いたします、皆様。

 ここからはチボーの村民が中心となって耕作を行ってまいりますが、引き続きご助力いただけるとアダンから聞き及んでおります。

 専門外のことにお手を煩わせてしまいますが、もう暫くお付き合いいただければ」


 申し訳のなさそうに僕達三人に視線を向けてくるジスラン。それに対して僕達ははっきりと、大きく頷いて口角を上げた。

 もとよりそのつもりだ、心配されることでもない。


「大丈夫です、僕達もそのつもりで来ましたし、そのつもりでラファエレを連れてきましたから」

「いざとなったら、魔法や神術を使ってズバーっと耕すなり、土にバーっと水を与えるなり出来ますからねー。

 横着と言われればそれまでですけど、こういうところで力を使わないと勿体ないですから」

「私達としても、土地に直接触れて耕作を行う農業は、自然神に仕える者として勉強になります。

 あぁ、アリーチェの発言は気にしないでください、あんまり派手な神術は使わせませんので……多少の魔法は、行う予定ですが」


 僕に続けて発言したアリーチェにじろりと目を向けるアグネスカだが、やはり相応に魔法を使っての作業はやるらしい。

 実際、僕は動物や魔物との融合によって風属性魔法と大地属性魔法を得ているし、アリーチェは水属性魔法のエキスパート。アグネスカも一般の人よりは魔法の心得があったはずだ。

 僕達三人の言葉に、アダンが嬉しそうに口元に笑みを浮かべる。


「有難いことです。我々にも生活に根差す基本的な魔法は伝えられておりますが、本格的な魔法を扱える者はおりませんのでな」


 日常生活に魔法が浸透している現在、火おこしや浄水、空調の魔法は親から教えられるくらいに一般的だが、それ以上の魔法となると専門の学校に通わなければならない。

 こと、チボーは田舎の山村だ。魔法学校に通える者もいないだろう。

 そうするうちに、朝食の準備が整って全員の前に焼き立ての丸パンが運ばれてくる。祈りを捧げる前に、ジスランがアダンに目配せしながら言葉をかけた。


「朝食が終わったら内々に打ち合わせをしましょう、村長。使徒様たちにお願いする配分も考えなくてはなりません」

「うむ、そうだな」


 互いに顔を見合わせて頷くアダンとジスラン。それを見やって僕達三人も、互いに視線を交わして小さく頷くのであった。




 朝食が終わって、それぞれの部屋に戻る時間。アダンとジスランよりも先に食堂を後にした僕達は、自分たちに宛がわれた部屋とは反対側に向かった。

 足音を潜めながら、普段通らない廊下を通っていく。


「アリーチェ、アダンさんとジスランさんは部屋に戻ると思う?」

「間違いないです。あの打ち合わせ・・・・・は間違いなく誘い文句、私たちにお願いする仕事の配分を真面目に相談するなら、二人でやるはずがありません」

「アリーチェの言う通りだと思います。内々の相談というからには、使用人の目も届かない場所……自室で行うのが自然でしょう」


 そう話しながらやって来たのはアダンの部屋があるフロアだ。アダンの部屋の向かい側、客人をもてなす応接間の中に入り込む。


「エリク、ウサギラパンに変身してください。素の聴力を上げた方がいいでしょう」

「分かった。でもそれで聞こえるかな」


 アグネスカの言葉に従い、ウサギラパンの獣人に変身する僕だ。これで結構聴力は上がったはずだが、それでも壁越しの会話を聞き取れるかというと、自信が無い。

 と、その時ににやりと笑ったのはアリーチェだ。


「ふっふっふー、そんな時こそアリーチェさんにお任せください。動かないでくださいねー……野獣の耳ズヴェールニィ・ウーシ


 アリーチェの手が僕の長い耳に伸びて、そのまま優しく包み込んだ。同時にぼんやり光を発したアリーチェの手から、僕の耳へと光が伝わっていく。

 少しの間僕の耳を包んでいた手が離れると、先程よりも音がクリアに、大きく聞こえているのが感じられる。


「……さ、いいですよ。障害物を超えて物音を聞き取る神術をかけました。壁一枚隔てたくらいなら、普通に聞こえます」

「わ、ほんとだ。すごい……」

「しっ、二人が来たみたいです。静かに」


 それまでとは格段に聞こえがよくなった耳に感動していると、扉の外を窺っていたアグネスカの目が鋭くなった。

 扉の隙間から二人分の足音が聞こえてくる。足音は向かい側の部屋の前で止まった。次いでギィ、と扉を開く音がはっきりと聞こえてくる。

 隙間から覗き込むと、アダンとジスランが向かいの部屋に――アダンの部屋に入っていくところだった。


 すぐさま応接間を抜け出して、廊下に出た僕達はアダンの部屋の扉の脇へと身を隠した。その合間にアリーチェの手によってアグネスカにも神術がかけられる。

 程なくして扉の向こう、部屋の中から、恐らく声を潜めているのだろう、ぼんやりとアダンとジスランの会話が聞こえてきた。


「……まったく、今更お前に五月蝿く言われる筋合いはないはずだぞ、ジスラン」

「屋敷の使用人に手を付けるだけなら、私も五月蝿くは申さずにいたでしょうな。

 村長の性癖・・に今更何を言うでもありませんが、客人にまで手を付けるのは私もさすがに一言申し上げます」


 アリーチェの予想通り、仕事の相談をしている風ではない。どうやらジスランがアダンに小言を呈している雰囲気だ。

 しかしアダンの声色に堪えた様子はない。鼻で笑った音も聞こえた。


「ふん、お前はラファエレ殿の良さを知らんから言えるのだ。

 人の世に慣れていない純朴さ、ルピア語を話せないうぶなところ、農作業で鍛えられたあの身体。

 愛でずにいろと言う方が酷であろう?」

「生憎ですが、その手の良さを私に力説されましても頷けませんな。ラファエレ殿が善い青年であることには同意しますが」


 唐突にアダンの言葉に挙がったラファエレの名前。僕は目を丸くした。

 本当にラファエレとアダンの間に何かがあったというのだろうか、しかし一体何が。

 その答えは、僕達に話を聞かれているとは露ほども思っていないであろう、アダンが勝手に自白してくれた。


「彼もチボーを気に入ってくれて、ここでの暮らしを気に入ってくれているのだ。エリク殿のように立場のある存在でもない。

 手籠めにして・・・・・・何の問題がある・・・・・・・?」

「はぁ……それで夜の相手をさせた・・・・・・・・わけですか、アロルドと一緒に?

 大方今朝の腹痛も、三人で致した・・・ことによるものなのでしょう、誤魔化せませんよ」

「ふん」


 呆れたような声色のジスランに、アダンは再び鼻を鳴らした。

 この話は終わりだ、と言わんばかりにテーブルを軽く叩く音が聞こえる。


「とにかくだ。ラファエレ殿を手放すにはあまりにも惜しい。なんとか言いくるめて、チボーに留めさせろ」

「分かりました、まぁ妙な期待はせずにいてください」


 会話が終わるや、二人がドアの方へ足を向けた音がする。すぐさま僕達がドアの横から離れて応接間に滑り込むと、すんでのところで二人に気付かれることは免れた。

 何でもなかったかのように、静かに立ち去っていく二人。その背中を応接間から顔を出して見送りながら、アリーチェが得心が行ったようにほくそ笑んだ。


「なーるほどー。つまり昨夜はお楽しみでしたね案件だったわけですか。ビンゴですねぇ」

「ラファエレが身なりを気にしだしたのも、余所余所しかったのも、これが理由ですか。確かに我々に言い出せないのも無理はないです」

「えっ、ごめん、二人ともどういうこと? 夜の相手をさせたって……」


 既に事態を把握しているらしい年長組二人。対して僕は、いまひとつ理解が及んでいなかった。

 話の内容は聞き取れた、一言一句逃さずだ。しかしその内容を理解できたかというと、全くもって分かっていない。

 アリーチェが口元の笑みを消して、指を僕の鼻先に当てながら優しく静かに口を開いた。


「エリクさん、身体の関係って、何も成熟した男女の間・・・・・・・・だけで行われるものではないんですよ?

 男同士であんなことやこんなことを、っていうのは、実は結構あるんです。まぁ勿論、大概の人間種ユーマンは同じ人間種ユーマン相手にヤりますけどね」

「えーと……つまり、こう……融合士フュージョナーが魔物と融合する時みたいに……?」


 ようやく言わんとすることが、アダンのしていたことが頭に入ってきた僕が、信じられないという風に呟くと、アリーチェもアグネスカも真面目な顔で頷いた。

 まさか、そういうこと・・・・・・を使用人やラファエレに、夜ごとやっていたというのか、あのアダンが。


「そういうことです。恐らく昨夜に、アダン村長と、ラファエレと、使用人のもう一人の三人で致していた・・・・・のでしょう」

「話を聞くに、村長は獣人アニムスの男性か獣種の雄・・・・・・・・相手じゃないと興奮しない性質みたいですねぇ。

 だからこの屋敷、使用人は揃って獣人アニムスか獣種なんでしょう。これは業が深いですねぇ」

「なんで、二人ともそんな平然としていられるんだよ……大問題だろ……」


 こんな話を聞いてもいつものように平然としているアグネスカと、むしろ面白そうに再び口元に笑みを浮かべるアリーチェ。

 対して僕は事態の深刻さに頭を抱えていた。

 ラファエレをこのままアダンの好きなようにさせるわけにもいかないが、それを公然と止めるだけの明確な理由も、手段も無い。あくまで彼の嗜好・・によるものなのだから。

 この屋敷の中で繰り広げられているやりとりを、どう収めたものか。僕は人間族ヒュムの姿に戻ることも忘れ、頭を抱え続けていた。



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