ラファエレの動向
「うーん……」
「どうしたのアリーチェ、何かあった?」
チボー村にやって来て、神力調整の仕事を続けて数日が経った頃。
いつものように村の近隣を散歩していて、村近傍の草原の只中で休憩していた時に、アリーチェがわざとらしく唸った。
僕が視線を向けると、アリーチェが手をぶんぶん振りながら口を開いた。
「ラファエレですよ、ラファエレ。確かに私達の
アリーチェの発言に、僕は首を傾げるしかなかった。
素直に、感じたままの疑問を口に出す。
「おかしいって、何が?」
「何がって……何となく私達を避けているというか、よそよそしいというか。不自然なんですよ、日々の行動が。
そりゃあ、彼は最近はチボーの農場の確認に動いているから、私達とは別行動ですし、屋敷の使用人の中にベスティア語を分かる人がいるから、私達と一緒にいる必要性は薄いですけれど……」
「言われてみればそうですね。ここ数日、ラファエレの行動は不自然なものがあります」
続けて述べられたアリーチェの所見に、アグネスカも同調の姿勢を見せた。
その言葉にアリーチェも、頷きを返しながら言葉を続ける。
「彼、元々恥ずかしがりというか、積極的でないというか……あんまり人と積極的に関わろうとしないところがあるのは確かなんですよね、
誰かから話しかけられることが無ければ、日がな一日畑に出ていて地面を耕したり、雑草を取り除いたり、作物の様子を見ているような人ですから。
だからこそ、チボーの農場を心行くまでに見られる現状が、彼の性に合っていると言えば、いるんでしょうけれど」
「だからこそ、屋敷での振る舞いが気にかかる?」
アリーチェの発言に、確認するようにアグネスカが言葉を継いだ。
それに対して人差し指をピシッと出しながら頷くアリーチェ。その上でさらに言葉を重ねた。
「そういうことなんです。だってそうじゃないですか。
ここはミオレーツ山の東の村とは違うんですよ、仕事が終わったら皆で食事を取って、お風呂に入って、皆と一緒に寝る訳じゃないですか。
そうやって皆と顔を合わせる機会が何度もあるのに、わざわざ接触を避けようとするなんて……何かあるとしか思えませんよ」
「うーん……食事の時に農場の状態について話を振った時とかは、普通に返してくれるんだけどなぁ……」
チボー村の農場の様子とか、土壌の様子とか、作物の生育具合だとか。その辺りをラファエレに質問すると、いつものように饒舌になって所見を述べてくるのだけれど。
そこだけ見た感じでは、普段通りというか、おかしな点は無いように思える。
切り株に座ったままで、腕を組んで空を仰ぐ僕に、アグネスカが質問を投げかけてきた。
「エリク。その話をする時というのは、大抵夕食時でしょう。
夕食の時以外……例えばお風呂の時などはどうですか? 一緒になることもあるのでしょう」
「あっ、うーん……
どうかなぁ、特に変わった様子は見られないというか……普通に石鹸で身体を洗って、普通に身体をお湯で流しているような……」
「石鹸で身体を洗う?」
僕の発言を拾い上げるように、アリーチェが言葉を反復した。ぐっと、僕の方に身体を近づけてくる。
「アリーチェ、それがどうかしたのか?」
「おかしいですよ。ラファエレは
いくらヴィルジール様の村が人間と大差ない生活をしているからって、お風呂の際に石鹸で身体を洗ったりしますか?
あの村には下水道の整備もないんですよ」
「あっ……」
アリーチェの言葉に、僕はハッと目を見開いた。
確かにそうだ、ヴィルジールの村は井戸を掘ったりして人間に近い生活をしているとは言えど、下水道の整備がされているわけではない。
あの村でお風呂と言ったら、火種魔法でお湯を沸かしてそれで身体の汚れを流すくらいのものだ。
石鹸を使う文化が、あるはずはないのだ。
アグネスカが両手を膝について、ぐっと身を乗り出した。
「誰かが、ラファエレに石鹸を使って身体を洗うことを教え込んだ……ということですか?」
「そうだと思うんですよねー。
アダンさんの屋敷の使用人たちが教えたんだろうと、私は見ていますけれど……それだとしても、何のために? ってやつなんです」
「ラファエレは僕達と同じ、客人だものな……使用人と同じ扱いをする必要はないはずだ」
僕の言葉に、アリーチェもアグネスカもこくりと頷く。
ラファエレを取り巻く状況に、何やら変化が起きていることは、間違いがなさそうだった。
その日の夜。
普段通りに散歩を終えて、夕食を終えた僕が、アダンの屋敷にある浴場で身体を洗っていると、カラカラと扉が開く音が聞こえてきた。
『……あ』
「あ、ラファエレ」
扉を開けて浴場に入って来たのはラファエレだった。既に中にいた僕の姿を見て、ばつが悪そうに身体の前を隠している。
浴場の入り口に立ったままで、恥ずかしそうにもじもじしているラファエレに、僕はにこりと笑いかけた。
「お風呂入りに来たんでしょ、こっち使いなよ」
『あ……すみません、お邪魔します』
おずおずと、湯が沸きだす魔法のかけられた湯桶の前にやって来て、手桶ですくった湯を自分の身体にかけるラファエレ。その手つきは随分と手慣れたもののように見える。
何度か湯をかけて、石鹸に手を伸ばすラファエレに、僕はごく自然な風を装って声をかけた。
「ラファエレ、最近毛並みが綺麗になったよね」
『っ!?』
僕の言葉に、石鹸を取ろうとするラファエレの手が止まった。
彼の様子にちらりと視線を送りながら、僕は言葉を続ける。なるべく、不自然にならないように。
「ガンドルフォさんとはどう、上手くやれてる?」
『っ……はい、ベスティア語しか話せないおいらにも、とてもよくしてくれています』
ラファエレが、石鹸を泡立てながら、たどたどしくなりながらも言葉を返してくれた。
ガンドルフォは、アダンの屋敷に住み込みで働いている使用人の一人で、魔物の一種である
ルピア語もベスティア語も両方堪能なので、僕達と一緒にいない時は彼にラファエレの通訳としてついてもらっている。
「お風呂の入り方も、ガンドルフォさんに教わったの?」
『はい……そうです。アダンさんのお屋敷で暮らすからには、身体を綺麗にしないと、ならないからと……』
両手の中で泡立てた泡を自分の身体に擦り付けながら話すラファエレの表情は、どうにも浮かない感じだ。やはり、何か心の内に秘めたものがあるようである。
僕は自分の身体についた泡をお湯で流すと、石鹸を手に取った。
手の中で泡立てると、ラファエレの背中へと手を伸ばす。
『わっ、使徒様!?』
「背中、洗ってあげるよ。手が届かないでしょ」
石鹸の泡をラファエレの背中に擦り付けて広げながら、僕はラファエレの毛並みをその手で確かめた。やはり、この村に来た当初よりも手触りがよく、柔らかくなっている。
ラファエレの大きな背中を撫でるようにしながら、僕はそっと彼に声をかける。
「ねえ、ラファエレ。何か悩みごととかあるんだったら、遠慮なく話してよ。
僕じゃ、あまり力にはなれないかもしれないけれど……それでも、友達だしさ」
『使徒様……』
僕の言葉に、ラファエレが背中を丸めたのが分かった。やはり、思うところはあるのだろう。
ラファエレの背中にそっと手を添わせる僕に、彼の瞳が僕の方に向けられる。その目には、優しい色が宿っていた。
『ありがとうございます……でも、大丈夫です。
これは使徒様にお話して解決する話でもないですし……おいら自身の問題ですから』
そう話して、ラファエレは僕にこくりと頭を下げた。その手には手桶が握られている。
『背中、ありがとうございます、使徒様。
流すんで、もう大丈夫です……使徒様も、手、洗ってください』
「あ、うん……」
僕が頷きながらラファエレの背中から離れると、彼の手にした手桶がお湯をすくい、ざっと背中を流すようにお湯がかけられた。
そのまま、二度、三度、と念入りに泡を流すラファエレの背中を、僕はなんだか物悲しい気持ちを覚えながら見つめるのだった。
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