日輪狼

 会談場所から駆けて10分1ジガー。ミオレーツ山の南東部、麓の近辺にあるラッツォリ沼は惨憺たる有様だった。

 沼の水は濁って泡立ち、周辺の木々は焼け焦げて倒れたり燃え尽きたりと原形を留めているものが殆どない。下草が焼き払われ剥き出しになった地面に、物言わぬ骸となったループ狼人ウルフマンが何匹も倒れ伏していた。


「これは……なんてこった」

「一体何者の手でこんな……」

『何とも、惨い有様ですな……』


 真っ先に到着し、何とか焼け残った木の陰から様子を窺うトランクィロとヴィルジール、アルフォンソが、あまりの惨状に揃って息を呑む。

 人間の姿では四人に追いつけなくなり、ループの姿で遅れて現地に足を踏み入れた僕は、目の前の惨状に膝が震えた。

 変身も解かず、思わずその場にへたり込む僕の肩を、隣につくパトリスが優しく抱いた。


『使徒様……』

「酷い……こんな、うっ……」


 涙を零す間もなく、胸の下からこみあげてくるものを感じ、僕は前脚で口元を覆った。

 辺り一帯にたち込める、草と木と肉が焼ける臭い。血と土の臭い。文字通りの死臭。

 これまでの人生で経験したことの無い、経験するわけもない、濃密な「」が、そこら一帯に満ちていた。


 僕の肩から離れて飛んでいたアルノー先生が、ひらりと僕の前脚に止まって嘴を開いた。


『エリク、無理はすんな。少し後ろに下がって肺の空気を入れ替えろ』

「でも……」

『無理はすんなと言った。お前はまだ12だ。冒険者としての訓練を積んでいるとはいえ、こんな死地・・を経験するのは、もう何年か後でいい』


 そこまで言って、ついと顔をそむけるアルノー先生。その目は鋭いままに、眼前の惨状を映している。

 僕はようやく溢れ出した涙で頬を濡らしながら、吐き気を催していたことも忘れてアルノー先生の姿を見ていた。

 目の前のカラスクーの身体が大きく膨らんだかと思うと、人間族ヒュムの姿になって服を身にまとったアルノー先生がぐっと両足で地を踏んだ。

 僕は地面に身を伏せるようにしたまま、背中で陽光を浴びるアルノー先生を見上げながら、呻くように言った。


「じゃあなんで僕をここに……」

「今回の相手、お前ならもしや……と思ったから、な」


 要領を得ないアルノー先生の言葉に、僕は首を傾げた。アルノー先生の太い腕が、ゆるく前方へと伸ばされる。


「だがいいかエリク、あいつ・・・はお前がカーン神の使徒だからといって、容易く御しきれる相手じゃないのは間違いねぇ。

 戦闘は俺達に任せて、まずは見ているんだ」


 指で指されたそれ・・を見て、僕は文字通り息を呑んだ。

 まばゆい白銀色に輝く、紋様の刻まれた毛皮。煌々と、その四肢と背で燃え盛る黄金色の炎。3メートル1メテロはあろうかという巨体。憤怒の炎がちらつく、黄金の瞳をしたループ

 その美しさすら感じさせる姿と、歯を剥き出しにして前方を睨みつけるその魔物は、伝説の中で語られることもある程に、強大な神獣だ。僕もよく知っている。


日輪狼スコル……」

「まさか直接目にする機会が、生きているうちに来るとはな。月輪狼ハティの姿は見えないが、確実に傍にいるだろう」


 ヴィルジールが歯噛みしながらそう零した。


 太陽を追い、炎を操る日輪狼スコルと、月を追い、氷を操る月輪狼ハティは、常に二匹一対で行動すると伝えられている。

 目の前に姿を見せてこそいないが、伝承通りなら月輪狼ハティもあの日輪狼スコルの傍に居ることは間違いない。

 日輪狼スコルだけでもここを焦土に変え、付近のループ達を一掃するだけの力があるのに、ここにもう一体が加わったらどうなることか。想像するだけで恐ろしい。


 後方で、土を踏む音がした。後ろを振り返ると、僕を見下ろすイタチウェッセルループイタチウェッセルループ

 このミオレーツ山に住まう、つい先刻までいがみ合っていたイタチウェッセル達とループ達、その戦闘部隊が勢揃いしていた。


『親父、戦闘部隊、斥候部隊、共に準備万端だ』


 イタチウェッセル達の先頭に立つイヴァノエが、前をキッと見据えてそう告げた。

 彼の傍らに立つ巨大なループも、無言のままでヴィルジールを見つめている。

 トランクィロとヴィルジールは、二人揃って大きく頷いた。


『いいかお前ら、相手はあの伝説の日輪狼スコルだ。五体満足で帰れると思うんじゃねぇ、だが奴も五体満足で帰してやるな。いいな?』

『この戦い、確実に死力を尽くしたものになる。遠慮はするな、遠慮したらその瞬間に命を落とすものと心得よ!』

『『おぉっ!!』』


 二人の王の言葉に、二つの種族の戦士たちが揃って声を上げた。その声は日輪狼スコルにも届いたのだろう、その眼差しがこちらに向くのが見て取れた。

 僕は戦士たちの最前列で声を張るイヴァノエを、不安そうに見つめる。


「イヴァノエ……」

『大丈夫だ、エリク。俺は死なねぇ……ここで死ぬわけにはいかねぇ。

 俺はお前の伴魔・・であり、友人・・であり、相棒・・となる男だ。絶対に生きて、お前と一緒に山の外の景色を見るんだ』


 イヴァノエの瞳が僕を見て優し気にすぅと細められ、口元に笑みが浮かんだ。その笑顔がなんだか切ないもののように思えて、僕は思わず後ろ脚で立ち上がってイヴァノエの肩に縋った。


「死なないで……死なないでね……!」

『おう、心配すんな……おい、アリーチオ』

『はい』


 僕のループの前脚を優しく撫でながら、イヴァノエが傍らに立つアリーチオに視線を投げた。いつもの軽妙さが鳴りを潜めたアリーチオが、短く答える。


『お前はエリクの傍についてろ。もしあいつスコルがエリクに牙を剥いたら、お前が守ってやれ』

『……了解っす。さ、エリクさん、そろそろ下がりましょ』


 アリーチオとパトリスに伴われ、僕が集団の後ろの方に下がり始めた時、日輪狼スコルは焦土の真ん中くらいまで歩を進めてきていた。


『……煉獄へと向かう決意表明は出来たか? 野蛮なけだもの共め。何人たりともここには近づけさせんぞ!』


 その大きな口をぐわっと開いてベスティア語で大きく吼えながら、日輪狼スコルが足元の焦げた土を蹴上げた。

 対して、木陰から飛び出して日輪狼スコルの前にその姿を見せるヴィルジール、トランクィロ、そしてアルノー先生が、三人並んで相対する伝説の獣を睨みつけた。


『ふん、己の側から御山に踏み入っておいて、伝説の神獣ともあろうものが随分と無礼を働いてくれる。土地を預かる者として捨て置けん』

『ま、この山が荒らされたら困るのは俺達なんでね。悪いがとっととお引き取り願おうか』

「学校としても、資産であるこの山が荒廃するのは避けたいところなんでな……いくぞ、トランクィロ、ヴィルジール」


 アルノー先生が地面を蹴り、その肉体を猪人ボアマンに変身させたのを皮切りに。

 それに追随して二人の王がその手を振りかざすと共に。

 総勢300匹を数えようかというイタチウェッセルが、ループが、イタチ人ウィーゼルマンが、狼人ウルフマンが。

 たった一体の日輪狼スコルめがけて、一斉にその身に宿す魔力を振るったのだった。



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