会談の日

 会談の日取りが伝えられてから2日2ティス後。

 6の刻を前にして、僕は大きな切り株の上に、トランクィロの隣に座るようにして腰を下ろしていた。

 今現在僕達がいるのは、ミオレーツ山の西側地域の中でも東側に程近い、小高い崖の下に広がる開けた草地。

 僕が入山当初にキャンプを張っていた、あの洞窟の前にある草地である。


「まさか、指定された場所がここだなんて……」

「どうした、不安か?」


 僕の隣に座るトランクィロが、欠伸をしながら僕に目を向けた。

 欠伸が移りそうになってそれを噛み殺すようにしながら、目を瞬かせつつ僕は答える。


「一度、ここでループ達に襲撃を受けていますから。向こうもこの辺りの地形とかは、把握しているでしょうし……」

「ま、あちらさんも勝手は掴んでいるだろうな。お互いに土地勘があるし、目も届かせやすい……順当なところだろう」


 手持無沙汰なようで、地面に落ちている小枝を拾い上げて齧り始めたトランクィロは、いつものように泰然自若として騒がない。これから群れ全体を左右する話し合いが行われるというのに、落ち着いたものである。

 僕の傍らに立つ小柄なイタチ人ウィーゼルマンが、僕の背中をポンと叩いた。


『心配するな使徒様、王様は勿論だし、フラーヴィオ老も俺もいる。余程のことが無い限りは、不利にはならんさ』


 そう僕を力づける彼は、斥候部隊長のリオネロだ。イヴァノエの異母兄弟だという彼は、年若いわりに非常に落ち着いていて、発言に安定感が溢れ出ていた。

 そして僕とトランクィロを挟んでリオネロの反対側で、2メートル半ほど8メテはあろうかという巨大な大イタチギガントウィーゼルが、頭頂部の白くなった頭を揺らしながら笑った。

 家老勢の中でも最長老と目されるフラーヴィオである。


『そうですぞ、エリク殿。ここは我々年長者に任せて、どんと構えていればよいのです』

「は、はい……よろしくお願いします」


 僕がフラーヴィオに頭を下げたところで、僕達の前方の木立ががさがさと揺れる。

 僕とトランクィロが立ち上がったところで、木立の向こう側から、いつかの日に見かけたループが一匹、その後ろから狼人ウルフマンが一人、二人。

 一番最後に現れた狼人ウルフマン、いや、ループ魔人族ジアブレを見て、僕は目を見張った。

 体毛が、まばゆいばかりの銀色なのだ。

 装飾品など一切身に付けていないのに、目も眩みそうなほどに輝かしいその魔人族ジアブレは、僕の姿を見つけると草を踏んで静かに近づき、僕の前へと跪いてみせた・・・・・・


「我らが主神、カーン神の使徒、エリク・ダヴィド殿。この度はご足労頂き、心からの感謝を申し上げます。

 私が、このミオレーツ山の東側一帯を預かっております、ヴィルジール・フォートレルと申します。以後、お見知りおきください」

「えっ、あ、はい、エリクです。今日はよろしくお願いします」


 その心の籠もった最敬礼に戸惑いを隠せない僕だったが、何とかヴィルジールへと頭を下げた。そして傍らのトランクィロの耳にそっと口を寄せる。


「あの、フォートレルって」

「おう、あいつと俺は血が繋がっている兄弟なんだ。ちなみに俺が弟な」


 そう言ってニヤリと口角を上げるトランクィロ。その様に僕が面喰らっていると、トランクィロは切り株のこちら側に、ヴィルジールは切り株の向こう側に。

 まるで切り株をテーブルのように使って、両者は向かい合った。


「それでは、会談の前に面子の確認も兼ねて自己紹介と参ろうか。

 我々ルーポ側は、私ヴィルジール、家老勢からアルフォンソ、警護部隊長からパトリス。以上三名となる」

「オーケー、申告通りだな。

 俺達イタチドンノラ側は、俺、家老勢からフラーヴィオ、斥候部隊長からリオネロって面子だ。問題ないな?」

「問題はない、が……息子を連れてきて、相変わらずお前は親馬鹿なのだな、トランクィロ?」

「ヘッ、魔人族ジアブレ狼人ウルフマンに頼り通しのお前だって似たようなものだろ?」


 開始早々からヴィルジールとトランクィロの間で火花が激しく飛び散っている。先程までの暢気な様子は一体何だったのか。

 フラーヴィオが両者をなだめるように両手を切り株についた。細められた目が小さく開かれ、両者をねめつける。


『まあまあ王様、ヴィルジール様も。兄弟喧嘩は後にして、まずは話し合いを進めましょうぞ。

 本日の案件は、「ミオレーツ山の双方の縄張りについて」と伺っておりますが、お間違いは無いですかな?』

『あぁ……すまない。そちらの話が先であったな』


 フラーヴィオへと小さく頭を下げたヴィルジール。すぐさまトランクィロも小さく何度も頷いた。

 この家老、口調も穏やかで雰囲気も柔和なようでいて、言葉の威圧感が半端ではない。

 改めてヴィルジールは、トランクィロへと向き直った。組まれた腕のその両肘が、切り株へとつけられる。


「単刀直入に言おう。御山おやまの南側、ちょうどここの広場の辺りまで、譲り渡してもらいたい」

「へぇ……? 随分でっかく取ろうとして来たもんだな。で? そっちが何も出さねぇってのは通らねぇぞ」


 ヴィルジールの話を受けてトランクィロの瞳がすぅと細められた。確かに山を二分するようにして南北に線を引くと、そこからこの広場の辺りまでは、随分と幅がある。

 トランクィロの交換条件の提示要求は、ヴィルジールも織り込み済みだったのだろう。すぐさまに口を開いた。


「御山の北側、山腹にある、お前たちがスペルティと呼んでいる沼があるだろう。あの辺り一帯を差し上げる。

 沼の水の利権も差し上げよう。どうだ?」

「ふーむ……なるほどな」


 腕を組んで考え込み始めるトランクィロ。その横から顔を出すようにして、リオネロが口を挟んだ。


『分からないな。ルーポの一族に水は必要不可欠だろう?畑や果樹園を維持するのに、水が必要ではないのか?』


 リオネロの質問に、答えを返したのはパトリスだった。切り株の上をトン、トンとつつくように叩きながら口を開く。


『我々は、新たな水源を二ヶ所ほど確保した。今は水源よりも、耕作地と子供たちを育てる場が欲しいのだ』

『新たな水源、だと……!? 新たな泉や沼を作り出したというのか!?』


 パトリスの言葉に、リオネロが思わず両手を切り株の上に勢いよくついた。フラーヴィオも同様に、驚愕に目を見開いている。

 黙って聞いていたトランクィロの片手が、自身の太腿をパシリと叩いた。


「井戸を掘ったか……ますますやることが人間じみてきてやがんな、この野郎」

「何とでも言え、魔法の力も文明の力も、捨て去るわけにはいかん」


 毒づくトランクィロだが、ヴィルジールは意に介する様子はない。

 続けて口を開いたのはアルフォンソだ。


『近年、我らの群れは日を追うごとに大きくなっている。子供たちは育ち、肥え、また更に増えていく。このままでは寝床が、食料が足りんのだ』


 アルフォンソは俯きながら、絞り出すように言葉を述べた。

 そういえば、アルフォンソもパトリスも、心なしか身体つきがほっそりとしているように見える。ヴィルジールはそれほどでもないにせよ、やはり群れ全体として節約はしているのだろう。

 農耕や果樹栽培は、生産が安定すれば相応の食料供給が見込めるが、すぐさまに食料が得られるわけではない。子供が増えれば猶更だろう。

 と、そこで僕は一つ思い当たることがあって、おずおずと手を上げた。


「あ、あの……」

『使徒様、どうなされた』


 アルフォンソが不思議そうに僕に声をかけた。と同時に、ヴィルジールも、トランクィロも、他の皆も一斉に僕を見る。

 僕は緊張で言葉がつっかえそうになりながらも、お守りとして身に付けていたレーモの尻尾を握りしめて、自分の意見を述べていく。


「あの、この山を出て、別のところで群れを作って暮らす、とかは、駄目なんでしょうか?」

「ほう、御山を出ていく……とな」


 僕の言葉に、ヴィルジールが目を見開いた。そのまま思案に入るヴィルジールの横で、対してパトリスはゆるりと首を振る。


『使徒様の慧眼には感服いたしますが、難しいでしょう。我々の群れは既に雑食が定着しております。肉のみを狩って食らうのは家老方ほか、一部の年長者のみ。

 その年長者もほとんどは既に御山を離れて近隣の草原で群れを作っております故、これ以上御山から離すとなると……』

『左様、如何に御山の実りが豊富であるとはいえ、限度がある。我々が絶えたら、子供たちは狩りのやり方を知らぬまま、教わらぬままに育ってしまう。

 狩りのやり方を知らぬ獣を野に放ったとて、それは飢え死にを宣告するようなものです』


 パトリスと同様、アルフォンソも難色を示している。やはり、生半可な意見では通らないか。僕が手を下ろして下を向いたところで。


「……いや、待てよ。エリク、そいつは結構アリかもしれん」


 トランクィロが口元に手を当てながら視線を上げた。その視線がヴィルジールとぶつかる。ヴィルジールも思案した姿勢を崩さずに、小さく頷いた。


「確かに。カーン神の使徒とあれば、『聖域』への出入りは可能なはず。

 聖域で我々の幾ばくかを引き取り、そこで生活するよう取り計らえば……それにエリク殿、貴殿の聖域に農耕を行う施設はおありか?」

「えっ? はい、確かあったと思います。あと果樹園も……規模はどのくらいか分からないですけど」

「であれば都合がよい、私共の狼人ウルフマンは農耕についても果樹栽培についてもひとかどの人物が揃っていると自負いたします。

 聖域に既に管理者や守護者の方はご在籍のことと存じますが、何卒、前向きにご検討いただけないでしょうか」


 そうして、ヴィルジールは僕に向かって深く頭を下げた。

 僕は少し迷いながらも、頭を下げつつ口を開く。


「はい、ただ、守護者の二人に、受け入れて大丈夫かを聞いてみないことには……」

「勿論、今すぐにとは参りません。受け入れ準備が整い次第、お願いしたく存じます」


 僕の言葉を受けて顔を上げたヴィルジールの表情は、当初よりもだいぶ穏やかな様子になっていた。

 トランクィロも幾分か笑顔になり、手をぐっと握りしめる。


「よし、じゃあある程度の人数をエリクの聖域に移すとして、縄張りの方はそれで――」

『王様! 急ぎ報告です!』


 そしてトランクィロが縄張りの話を再開しようとしたところで、森の中から広場に駆け込むようにして一匹のループが飛び込んできた。

 ヴィルジールが振り返りながら立ち上がる。


『何事だ!?』

『敵襲です!! 御山の外から侵入した巨大な・・・獣が、南東部の洞窟前で暴れています!!』

「『なんだって!?』」


 その場にいる全員が、ループからの報告を受けて驚きの声を上げた。

 ミオレーツ山に外部から動物や魔物が侵入することこそ珍しくはないが、そんな巨大な魔物が侵入してきて、しかも山の中で暴れまわっているとは。

 浮足立つ広場の真ん中に、一羽のカラスクーが舞い降りてきた。そのカラスは流暢なベスティア語でがなり立ててくる。


『そいつの報告は事実だ、昨夜のうちに南東部のラッツォリ沼近郊の洞窟に何者かが侵入、そいつが大暴れしている!!

 会談は中断だ、今すぐに対処に向かうぞ!!』

「その声……アルノー先生!?」


 カラスクーが発した声に明らかに聞き覚えがあった僕は、彼を食い入るように見つめながら声を張る。

 カラスクーは一つ頷きを返すと、ひらりと僕の肩の上に乗った。


『おうそうだエリク、俺だ。だがそれは後にしろ、今すぐに現場に行く。いいな!?』

「はっ、はい!」


 僕が立ち上がったところで、トランクィロが傍らのリオネロとフラーヴィオに鋭い声をかけた。


『リオネロ、すぐに城に戻って戦闘部隊を組織させろ、後から来い!! フラーヴィオはここで待機しとけ!!』

『『了解です、王よ!!』』


 ビシッと背筋を伸ばして答える二人は、すぐさまそれぞれの仕事に取り掛かった。

 僕も遅れてはいられない。アルノー先生を肩に乗せ、トランクィロとヴィルジール、アルフォンソとパトリスと一緒に、森の中へと駆けこんだのだった。



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