我が家からの出立

 僕はリュシールから、使徒としての能力の使い方のレクチャーを受けていた。

 獣から人間への姿への戻り方、人間から獣人に、または獣そのものに変身する方法、気性の荒い獣の鎮め方、融合のやり方、などなど。

 今まで使ったことのない技能、感じたことのない感覚や知覚に最初は戸惑ったが、数回繰り返すうちにいずれもスムーズに出来るようになってきた。


「飲み込みが早いですね、さすが、生来から加護を身に付けているだけのことはあります」

「生まれつきであることが、何か関係するのか?」


 ループの姿から人間の姿に戻った僕は、嬉しそうに目を細めるリュシールを不思議そうに見遣る。

 リュシールは僕の頭をそっと優しく撫でながら、口を開いた。


「大きく違いますよ、何しろ身体が加護に充分馴染んでいます・・・・・・・から。その分、能力を行使するのも手間をかけずに済みます。

 世の融合士フュージョナーの皆さんも、多かれ少なかれカーン様の加護を身に付けておりますが、加護が身体に馴染まないと、満足に獣と身体を融合させることも出来ないのです。

 何故だか分かりますか?」


 僕の頭頂部に生えたままになっていた、狼の耳をピンと伸ばした指でつつきながら、リュシールは問うた。

 思わず僕は頭を押さえ、次いで背後を確認した。こちらには何もない。どうやら尻尾はちゃんとしまえたらしい。

 だが、今は其方を気にしている場合ではない、問いかけに答えるのが先だが、どうにも理由が思い浮かばない。

 ゆるりと頭を振ると、リュシールは僕の両肩に手を置いてしゃがみ込んだ。マズルの長い鹿の頭が、新緑のような緑色の瞳が、僕をじっと見つめてくる。


融合士フュージョナーの側が、獣や魔物に取り込まれてしまう・・・・・・・・・からなのですよ。

 先程実際にやって分かったと思いますが、術者の意識と獣や魔物の意識が、一つの器の中に混在する時間が出来ます。

 その時に、術者の心が弱っていたら、精神や肉体に何の護りも無かったら、魔物の心が猛々しく荒ぶっていたら……人間の心は、容易に魔物の心に塗り潰され、取り込まれます。

 融合士の冒険中の死因の中で最たるものは、何を隠そう魔物化・・・ですからね。

 貴方はカーン様の使徒であるが故に、その御身をカーン様が手ずからお守りくださっているので、その危険性はほぼ無いですが」


 リュシールのその言葉に、僕の身体を冷たいものが駆け抜けた。

 まるで尻尾を股の間に挟んだように身体を縮こませる僕に、さらに畳みかけるようにリュシールは言う。


「加えて、獣や魔物を鎮めるには戦って力を示す手法が一般的です。貴方のように、慈しみを以って接するだけで鎮めることが出来るのは、よほどカーン様に愛されていないと為し得ません。

 融合士は身体を魔物と融合させ、肉体を変化させる都合上、フルアーマーなどの重装備を身に付けられませんので、防御力の点でも危険があると言えますね」


 なるほど、自然神の加護を身体に馴染ませないと満足に戦うことも出来ず、力をつけるために必然的に獣や魔物と戦わねばならず、気を抜いたら魔物に取り込まれる危険性と背中合わせ、しかも普段は死にやすい。

 こんなハイリスクな職業では、人数が少ないのも已む無しといったところだろう。

 そう考えると、僕は防御面に気をつけてさえいればいいのだから、活動するにあたってだいぶ気楽だ。

 話しているうちに、ルドウィグに屋敷の中を案内されていたアグネスカが戻ってきた。立派な造りの広い屋敷に興奮したらしく、尻尾をゆらゆらさせている。


「エリク、人間族ヒュムに戻ったのですね。狼の姿も素敵だったのに」

「僕は獣人族アニムスになったわけじゃないぞ、アグネスカ。

 ……屋敷の中、どうだった?」


 僕がため息を一つつきながら問いかけると、アグネスカは両腕をぶんぶんと振りながら、頬をほんのり紅潮させた。


「すごいです。中は広くて綺麗ですし、大きな食堂も中庭もあります。寝室のベッドもふかふかです。

 これからこのお屋敷で暮らす・・・だなんて、私は夢でも見ているのでしょうか、エリク」

「へぇ、凄いな……ん??」


 普段の彼女からは想像もできない興奮ぶりに、少し微笑ましく思った僕だが、アグネスカの言葉に気になる点があった。

 暮らす?


「どういうことだ、ルドウィグ?」

「おや、リュシールから話を聞いていないのかね?……まぁいいじゃろう、これから貴方のご両親にも説明に伺うつもりじゃったし、そこで説明するとしよう」


 説明する?両親に?

 僕の脳内を疑問符が埋め尽くした。状況が欠片も掴めやしない。

 そんな状態の僕の手を取ると、ルドウィグは広い歩幅でずんずんと、転移のために泉に歩いて行った。




「……というわけで、私は自然神カーンの聖域の守護者として、使徒エリク殿並びに巫女アグネスカ殿を、聖域にお迎えするために、こうしてお二方の前に馳せ参じたわけでしてな」


 所変わって交易都市ヴァンド、僕達の家。

 言いつけられていた焚き木を背負った僕とアグネスカ、そして虎獣人の庭師姿になったルドウィグを、父さんと母さんは家の前で待っていた。

 気付かなかったが、既に昼をだいぶ過ぎていたらしい。帰りが遅いと思ったら見知らぬ庭師を引き連れて帰って来たものだから、両親ともに大いに驚いていた。

 そしてルドウィグの口から両親へと、僕達が聖域で受けたような説明と、僕のこと、アグネスカのこと、その能力のことが告げられる。

 あまりの情報量に目を白黒させる両親に、上記のルドウィグの発言である。

 ぶっちゃけた話、大事なところが説明しきれていない。


「いや、しかし……ルドウィグさんが怪しい人物でないことは分かりましたし、エリクに強い力が備わっていることも分かりましたけれど、だからと言ってアグネスカ共々、親元から離れて暮らさせるというのは……」

「そうです、この子はまだ12歳、アグネスカだって17歳ですよ?こんな小さな子供たちを見ず知らずの人間に預けるのは……」


 父と母として、子供を持つ親として、当然の不安をルドウィグに言い募る両親。

 当然だ、全寮制の学校に通わせるのとは、訳が違う。聖域は自然の中、森の中なのだ。いつどこから危険が舞い込むか、分かったものではない。

 両親の言葉を腕組みして聞いていたルドウィグは、両手を組みながらにこりと微笑んだ。


「クリスチアン殿とマチルダ殿の心配、誠にご尤も。

 我々としてもお二方を聖域にお招きするのが筋だと思いますが、人も獣も立ち入ることのできない場所になるため、平にご容赦願いたい。

 また、守護者が揃って聖域を離れることは、その職務上困難であります故にな。全員とも、決して危険な人物でないことは、私が保証しよう。

 そして、お二人の暮らすこの家から離すことについてだが――」


 そこで一旦言葉を切り、手を解いて顎を撫でるルドウィグ。

 その先の言葉を聞き逃すまいと、両親ともに固唾を飲んで見守っている。そして、説明をされていない僕も同様だ。

 目を閉じながらんー……と小さく唸ると、ルドウィグは顎を撫でる手を止めて口を開いた。


「エリク殿の能力を伸ばしていくには、獣や魔物と心置きなく触れ合える場所を必要とします。

 この家の周辺にそれらを呼び寄せては、クリスチアン殿の羊飼いとしての職務に支障が出ることは、想像に難くない。

 加えて聖域は自然を司る神であらせられるカーン様の目が届きやすい。街の中に居させるより、ずっと目が届きやすいのですな。

 同様のことはアグネスカ殿にも言えます。幼少期から共に暮らしてきた両名、離れ離れにするのは私としても忍びないのですよ」


 その説明に、僕はなるほどと瞠目した。

 確かに羊を飼っているところに、狼やら虎やら、猛獣を呼び寄せたら大パニックになるし、魔物なんてもっとパニックを引き起こす。

 それでは僕の、融合士としての能力は伸ばしていけない。

 それに羊がパニックになったら、羊飼いとしては普段の仕事が出来なくて大いに困ることだろう。

 そしてルドウィグは、片目をつぶって指を一本立ててみせた。


「そして、これは私からの提案なのだが……聖域とこのエリク殿の実家とを、転移陣で繋げて帰れるようにしたいと思うのだが、どうですかな?」

「「えっ??」」


 その提案に、ルドウィグとアグネスカ以外の三人が一斉に声を上げた。

 ルドウィグのプレゼンテーションは続く。


「我々がヴァンド森と聖域とを繋ぐのに使用している転移陣は、真円の清水・・・・・さえあればどこにでも設置できるのです。

 それが例え人工的な、たらいに汚れのない井戸水を汲み入れたものでも、条件は満たすのですな。

 後は私が陣を描きますので、一週間に一度ほど、水を取り替えていただければ問題ありません、いかがですかな?」

「「是非とも!!」」


 一も二もなく全員が、その話に飛びついた。

 もう年末年始なんかの時くらいしか両親の顔を見れないかと思っていたら、思わぬ形で帰省がすごく楽になった。

 そこからは両親の説得もとんとん拍子に進み、僕とアグネスカは両親の許可の下、聖域でルドウィグやリュシールと共に生活することになったのだった。


「しかしあれですな、クリスチアン殿。ここの羊たちは実によく育てられている。毛並みも大変よろしいと見た。

 さすが、名産品のヴァンド織の原料となるだけはありますな」

「いやいや、ルドウィグさんもお目が高い。あの羊たちは羊乳生産にも随分頑張ってくれていましてね」


 何故だかルドウィグと父が、いつの間にかすごく打ち解けて談笑しているが、気にしないことにしよう。

 僕は自室に戻って、引っ越しの準備を始めることにした。



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