使徒の能力

 自然神カーンの聖域『ヴァンド森の屋敷』。

 交易都市ヴァンド東に位置する森の『聖域』内から転移することが出来る、広大な敷地内に聳え立つ煉瓦造りの屋敷。

 その敷地内は自然の恵みに満ち溢れ、獣が憩い、草花が茂り、それでいてしっかりと整備がされている。


 どこまでも自然で、そうありながら人の手が隅々まで加えられているような、調和の取れた屋敷の庭を、僕とアグネスカは歩いていた。

 その傍らには、山吹色の毛皮を持ち、ワイシャツにスラックスを身につけて庭師ルックを決めた壮齢の虎獣人が控えている。

 僕は庭に植えられたアプフェルの樹――いわゆるリンゴの樹だ――を撫でながら、虎獣人に話しかけた。


「ルドウィグ、獣人族アニムスの姿にもなれるんなら、普段からその姿でいた方が便利なんじゃないのか?」

「聖域の内部ではこちらの姿を取っておるよ。

 獣人の姿で表の森に出ては、色々と面倒である故にな。あちらでは虎の姿の方が都合がよいのだな」


 虎獣人は肩をすくめながらそう言ってため息をついた。

 そう、この壮齢の庭師然とした虎獣人は、先程まで大柄な虎の姿でいたルドウィグなのだ。

 聞くところによると、カーン様の聖域の守護者は総じて、動物の姿とそれ以外の姿を使い分けて持っているらしい。


「私は表の森の警護の他に、この聖域の果樹や畑、植え込みの管理をしておるのだよ。いわゆる庭師の仕事と言ったところだな。

 他に、使徒殿や巫女殿の世話役や、屋敷の中を管理する面々もいたりするのだが……あぁ、おった。リュシール!」


 屋敷の裏手に差し掛かったところで、ルドウィグが声を張った。

 ちょうど屋敷の裏口から姿を見せた、エプロンドレスを身に着けた鹿獣人の女性がこちらに視線を向ける。


「おかえりなさいませ、ルドウィグ。お迎えは無事に済んだのですね」

「あぁ、そうだ。こちらの少年がカーン様の使徒であらせられるエリク殿。

 そしてこちらの少女が巫女であらせられるアグネスカ殿だ」


 ぱたぱたとドレスの裾をはためかせつつこちらにかけてきた鹿獣人。

 ルドウィグが彼女に僕とアグネスカを紹介すると、鹿獣人は深く頭を下げて見せた。


「これはこれは、ようこそお越しくださいました。

 私はこの屋敷の管理と、使徒様方の世話役の統括をしております、リュシールと申します。

 お二人の執事のようなものと考えてくだされば結構です。よろしくお願いいたします」


 頭を下げたまま挨拶をするリュシールに、僕もつられて頭を下げる。

 その様子を見てふっと息を吐くと、リュシールはピッと黒い爪のついた人差し指を立てて見せた。


「さて、エリク様。貴方様は既にカーン様の使徒としての能力を発現されていることと思いますが。

 使徒としての能力は、なにも自然と意識を合一するもののみではありません。

 これから使徒としての能力の最も重要なもの・・・・・についてご説明いたします」


 そう言うとリュシールはルドウィグに視線を向けた。

 それを受けて頷き、僕とアグネスカの傍から離れて屋敷の向こう側へと向かっていくルドウィグ。

 事態を飲み込めないままその場で立ち尽くしていると、やがてルドウィグが一匹のループを伴って戻ってきた。


「待たせたな、コンスタンなら気性から見てもちょうどよいじゃろう」

「そうですね、いいでしょう。ありがとうございます」


 リュシールが連れられてきた狼の頭を一つ撫でると、狼はその頭をリュシールの手に押し付けるように擦り付けて目を細めた。

 どうやら人に慣れているらしい。リュシールやルドウィグを人と言っていいのかは疑問だが。


「エリク様、これなる狼はコンスタン。この屋敷で飼っている、警護用の狼の一体です。

 彼を撫でて、慈しみ、その毛皮に心から身を預けてみてください」


 リュシールのその言葉に従い、狼――コンスタンの傍に寄る。

 狼と言うと気高く人を寄せ付けない印象があったが、コンスタンのその瞳は穏やかで優しさを感じさせる。そして手入れが行き届いているのか毛並みがもっふもふだ。

 そのもふもふな毛並みに吸い込まれるように、両手を伸ばして撫でまわす。柔らかいし、温かい。

 そこからはもうもふもふの魅力に抗えなかった。顔をうずめ、頬を擦り付け、においを嗅いで。コンスタンは抵抗することなく大人しくして、僕にされるがままにされている。

 そしてリュシールに言われたように、コンスタンのその毛皮と熱に身を預け、目を閉じて全身で感じてみる。


 コンスタンの高い体温が僕の身体に伝わり、全身に行き渡り、同時にその毛皮のもふもふが身体の隅々まで伝わるように広がっていくのが感じられる。

 僕の身体とコンスタンの身体の境目が無くなって、一つの生き物のように混ざり合って……混ざり合って?

 そこでふと、僕は目を開いた。先程まで抱き着いていたはずのコンスタンの身体が、どこにも見当たらない。

 辺りをきょろきょろする僕の視界に、先程まで間近にあった色合いの毛皮が目に入る。それは僕の腕の位置にあり、僕の腕から生えており。

 そう、僕の腕なのだ、もふもふしているそれは。


「えぇぇぇぇっ!?」


 思わず、驚嘆の声が口から漏れる。

 おかしい。僕は獣人アニムスではなく、人間族ヒュムだったはずだ。だのに今の僕はきっとどう見ても狼獣人だ。

 混乱している中で、僕の頭の中に声が響く。


『エリク様、エリク様、俺はここです。エリク様の中です』

「コンスタン?」


 頭の中に聞き覚えのない少年の声が響く。それに意識の中で答えたつもりが、声に出ていたらしい。

 その声を聞いて、目の前のリュシールは満足そうに頷いた。


「上手く行ったようですね」

「リュシール、これは一体……僕はどうなってしまったんだ?」


 困惑する僕に、リュシールは僕の頭を撫でることで応えてみせる。そしてゆっくりと、言い含めるように口を開いた。


「これが貴方の持つ、自然神カーンの使徒としての能力の、もっとも重要なものです。

 貴方は獣達と心を通わせ、慈しみを持って接した時に、その獣の力や肉体を己の身に取り込み、自分の力とすることが出来るのです。

 その力は時には獣だけでなく、魔物や精霊と呼ばれるものにも及びます。それが自然の中で息づくものであるならば」

「世の中の冒険者で、融合士フュージョナーと呼ばれる職業の者がおるじゃろう。理屈としてはアレと同じじゃ。」


 リュシールの言葉に、ルドウィグが補足するように言葉を重ねる。

 融合士フュージョナー調教士テイマーの上位職で、魔物と心を通わせてその肉体を取り込み、その力を以って戦う職業。

 冒険者の中でもその人数は数少なく、魔物をその身に取り込むことから異端として扱われることもある。その力がどうやら僕には備わっていたらしい。


『あぁエリク様、俺の身体がエリク様の中に溶けていきます……俺の意識が……エリク様と一つに……エリクさまぁぁぁ……』


 そしてその最中にも、脳内に響くコンスタンの声がどんどん小さく、朧げになっていった。

 やがて声が聞こえなくなり、コンスタンの身体と意識が僕と完全に一体になったことを感じ取る。鋭い爪のついた両手を開いては閉じてを繰り返すと、俺は不安げにリュシールを見た。


「コンスタンの声が……聞こえなくなった」

「そうでしょうね、そろそろ融合が完了した頃合いでしょうから。

 これで貴方はコンスタンの肉体と、彼の有する能力をその身に取り込んだことになります。

 の状態の貴方は普通の人間でしかありませんが、獣を取り込んだ貴方は相応にその能力を向上させます。技能スキルの面でも同様に、能力の上昇があることでしょう」


 リュシールのその発言に、僕は一つの確信を得た。

 つまり僕が「能力検分」でパッとしない結果だったのは、の状態だったからなのだ。

 そして僕は取り込む獣の素質や能力によって、様々な能力を持ち得るのだ。


 自然神カーンの加護を持つにしても、使徒ともなるとここまでの能力を持ち得るのか。

 僕は狼獣人と化した自身の肉体を見つめながら、その力の大きさに密かな恐れを抱くのであった。



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