薬膳
「私を食べて」
見舞いに来た友人はそう言った。そうすれば私の病状は良くなると。私はたまらず抗議しようと身を起こし、咽て、蹲った。
「大丈夫?」
即座に友人に助け起こされ、安静の姿勢に戻る。浅く呼吸を整える。静かに抗議を再開する。
「大丈夫じゃない。突然何を言っているの?冗談はやめて頂戴」
「そうだね、変なこと言ってごめんね」
私と友人の間には一瞬不思議な静寂が訪れる。
「あ、そろそろ時間だから帰るね」
そう言って友人はいつものように去っていった。
私はこうして、見舞いに来る友人と、お付きのばあやと、担当医の診察が全ての毎日を送っている。いつかの日に体調を崩し、以降ずっと入院生活だ。いろいろな医者にかかったが、原因不明ということらしい。結局の所、異様に虚弱になった体を抱え、実家近くの病院で静養している。毎日が変わること無く、変わらない苦痛を抱え、変わらない診察結果を聴いている。
そうして、また変わらない一日が始まった。のだが。いつもの時間、いつものようにばあやが来る。今日の食事の用意ができたようだ。またいつものように味気のない病院食……かと思いきや、最後はいつだったか分からない、肉料理だった。
「ばあや、肉料理なんて食べられないよ……」
そういった事情はばあやも料理人も把握しているはずなのだが、変わらず笑顔で勧めてくる。ジビエ?というらしい、近所のお山で取れたらしい動物の肉だそうだ。滋養があるといい、料理人の自信作だという。そこまで言うなら……ということで口をつける。一口大に切り分けられた焼いた肉、と言った風情のそれを、口に運ぶ。おいしい。病院食ばかりで味の表現を殆ど忘れてしまっているが、実に美味しい。そう、まるで溶けるような、体に染み込むような。気付けば一皿平らげてしまっていた。
いつも病院食を食べると、もんどり打つくらい体調が悪くなっていた。それこそ生きるために無理やり食べていたのだが、今回の食後はむしろ体調が良いくらいだった。ただ胃に詰め込む食事ではなく、まるで食べたものが全て体の一部になっていくような。その日の食事は、その肉料理に限らず、無理なく味わって食べることが出来た。
次の日、同じように肉料理が出て、食事の後からお通じが良くなっていた。
次の日、同じように肉料理が出て、食事の後からお花摘みが楽になっていた。
次の日、同じように肉料理が出て、食事の後から喘息が起きなくなっていた。
次の日、同じように肉料理が出て、次の日も肉料理が出て、次の日も。
いつしか全身の調子が良くなり、担当医より一時帰宅の許可が出た。原因は分からないものの、傍目にも調子が良くなったのは確からしい。帰宅次第、早速いつも見舞いに来てくれた友人宅へと急いだ。最近会ってないが元気だろうか。
友人宅へ着くと、そこは葬儀の場だった。葬儀。誰の?葬儀場の真ん中の遺影には見慣れた、唯一の友人の写真があった。思わず駆け出し、棺桶へ。せめて顔だけでも、と覗いた棺桶は、空のままだった。何故?空の棺桶から響く、私を食べて、の声。毎日の食事の肉料理。私は、まさか、という思いとともに厠へ来ていた。吐く。胃液を吐く。胃液を吐く。もう何も吐けないのに吐く。気がつけば涙が滂沱と流れ出していた。私は皆の制止を振り切り、外へと走り出していた。
気がつけば見慣れた湖畔、よく友人と遊んでいた公園だった。一体どれだけぶりに全力で走っただろうか。息が切れてはいるが、全身に苦痛らしい苦痛は無かった。
湖に向かい合い、誰も居ないベンチに座り呆ける。しばらくの後、思わず呟きが出ていた。
「どうしてこんなことをしたの?」
誰にでもない呟きに答えが返る。あなたのためだよ。
「いつからこんなことを考えていたの?」
再びの呟きに答えが返る。あなたが病気に倒れてからずっとだよ。
「何故私だったの?」
呟きに答えが返る。私があなたが好きだったからだよ。
呟き、応答があり、呟き、応答がある。ああ、そうか。友人は私の中に居るんだ。友人は私と一つになったんだ。
私はベンチから立ち上がり、ゆっくりと歩き始める。これからは、また健康な一人の人間として新しい日々が始まる。でも、私は一人ではない。今までと同じように、友人と歩んでいくのだ。
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