第8話~ホール研修~

~飯田橋・新小川町~

~リンクス株式会社・本社~



 あたし、パスティータ・デクスハイマー。19歳のピチピチエルフ。

 元々の職業は盗賊だけど、今はこの異世界で居酒屋店員として絶賛研修中。

 なのだが。


「デクスハイマー、違う! 真面目にやりなさい!」


 絶賛、ピンチです。



 リンクス株式会社・本社内の研修室。

 今日はあたしが研修の日で、接客のイロハをみっちり叩き込まれていた。

 基本の発声練習、お客様の応対の仕方、忙しい時の仕事のこなし方、などなど、接客において学ぶことは多い。

 だが、ここであたしに一つの重大な問題が発覚した。

 教官の女性が顔を紅潮させながら強い口調であたしを叱りつける。


「違う! A卓が生ビール、B卓がノンアルコールビール、C卓がジンジャーエールです!

 全部バラバラじゃないの!」

「うぅー、すみません……」


 その言葉に、しゅんと項垂れるしかなかった。

 テーブルに見立てた目の前の三つのトレイ。その中に一つずつジョッキが置かれている。中身は左からジンジャーエール、生ビール、ノンアルコールビール。

 つまり、一つも正しく運べなかったのだ。


「はぁ……うっかり者と言うか、おっちょこちょいと言うか……

 記憶力は悪くないはずなのですけれどね、貴女は」


 そう言って頭を抱える女性は、福永ふくなが 由実ゆみ。リンクス株式会社の「接客」を統括する、ホール業務のトップだ。

 そう、あたしの抱える重大な問題、それはすなわち「おっちょこちょい・・・・・・・・」だというところだ。

 元々考えるよりも身体が動くタイプではあった。しっかりと考える前に行動して、それが失敗につながったケースも何度もある。元の世界の酒場で働いていた時も、オーダーミスとか計算ミスとか、ちらちらと記憶にある。

 だが、それらの失敗はこちらの世界の仕事では許されない。というより、小さな問題として片づけることは出来ない。

 間違ったものを出してしまったら店の損失に繋がるし、食器も割ったり欠けさせたら怪我に繋がる。大変なことなのだ。


「さぁ、気を取り直してもう一度やりますよ! いいですね!」

「はい、福永さん!」


 トレイに置いた三つのジョッキを手に取って、カウンターを想定した一つのトレイに置きなおして、由実はキリッとした表情であたしに言う。

 背筋をしっかと伸ばして、あたしは課題に再チャレンジすることにした。



~飯田橋・下宮比町~



 外がすっかり暗くなり、街に人が溢れ出す頃。

 あたしは由実に連れられて、飯田橋の街を歩いていた。


「全く……ここまで手のかかる社員は久しぶりです」

「すみません、あたしのドジのせいで……」


 会社を出ても由実のぼやきは止まらない。謂れのないものならともかく、思い当たる節しかない物なので、あたしも小さくなるしかなかった。

 結局あの後もおっちょこちょいに起因する失敗を何度もしてしまい、程々に出来るようになる頃には定時をだいぶ過ぎていた。見事に残業だ。


「いえ、ドジは直せなくても不注意は直せます。じっくり取り組みましょう……あぁ、ここです」


 由実が足を止めたのは、飯田橋駅前の交差点に建つビル。

 その地下に降りる階段の前だった。階段の入り口に小さな立て看板が置かれている。


「ここがその、おすすめのお店ですか?」

「えぇそうです。入りましょう」


 表情を変えないまま、由実があたしを促す。あたしは転ばないようそろりそろりと、階段を下りて行った。



~銀のピクルス~



 階段を下りて行った先は、開放的なレストランだった。

 水曜日のいい時間だからというのもあるだろう、店内はだいぶ賑わっている。


「2名で予約した福永です」

「お待ちしておりました、こちらへどうぞ」


 由実が店員に名前を告げると、店員があたし達を店の奥へと促す。

 不自然にそこだけ空いていたテーブルにあたし達を通すと、テーブル上のプレートを手に取って去っていった。


「あの、福永さん、これは……?」


 事も無げに席についた由実に、あたしは恐る恐る話しかける。座っていいものかどうか自信が持てず、辺りに視線を巡らせつつ、だ。


「私達がこの店にこの時間に来ることは、予め伝えてありました。今日は混むことが予想されましたからね。

 この、「お店に事前に連絡し、来店時間と人数を告げて席や料理を確保してもらう」概念を、予約と言います。一般的なことなので覚えておくように」


 そう言うと由実は、自分が座っている席の向かいにある椅子をあたしに勧めた。つまり安心して座っていいらしい。

 あたしは軽く頭を下げると、示された席に座った。席に着いたことを確認した店員が、メニューとおしぼり、水の入ったグラスを手に持ってくる。


「本日はご来店ありがとうございます。ご注文がお決まりになりましたらお呼びください」


 メニューをテーブルの真ん中に置き、おしぼりと水のグラスをあたしと由実の前に置き、店員は頭を下げて去っていく。それを見送った由実はメニューを手に取ると口を開いた。


「あのように、丁寧な所作がこちらでは好まれます。勿論お店の空気や雰囲気にも左右されますが。

 常日頃から丁寧に、それを心掛けることです」

「はい……」


 由実の言葉を受けて、改めてお店の店員の動きに着目する。

 挙動はゆったりとしていて焦りが無く、一つ一つが丁寧だ。無駄のないように動きつつも、失敗や間違いのないようにしっかり確認している。

 そんなあたしに、由実がさらに声をかけてくる。


「いいですかデクスハイマー、何も急ぐ必要はないのです。動き続ける必要はないのです。

 しっかりとオーダーを確認し、運んでいるものを確認し、丁寧に動くのです。

 それが出来るようになれば、貴女は誰よりも働けるようになるはずです」


 その由実の言葉を、あたしはしっかりと受け止め、咀嚼し、心に留めた。

 やはり焦るのは良くないし、考える前に動くのも良くない。ここは本当に直さなくては。


「はい……ありがとうございます」

「どういたしまして。さて、何か食べましょうか。ピザは大丈夫ですか?」


 ふっと息を吐いた由実が、メニューを開いて見せてきた。色とりどりのピザが見目に楽しい。

 その中からあたしは、一番上に大きく記されていたピザを指さす。


「あっ、それじゃあたしこの、マルゲリータピザがいいです」

「分かりました、取りましょう。あとはミートボールとバーニャカウダと……

 そういえばデクスハイマーは未成年でしたね? 何を飲みますか?」


 由実の言葉に頷くあたし。もう少ししたら20歳になるとはいえ、まだ19歳であることには変わりない。

 早く20歳になって、お酒が飲めるようになりたい。そうすればお客さんにも説明できるようになるだろう。

 ……あたしの場合、ドジっ子を直すことの方が先になるんだろうけれど、今は考えないでおこう。


 あたしは由実と色々なことを話しながら、楽しい夕食の時を過ごしたのだった。



~第9話へ~

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