第9話~浮浪者~

~新宿・大久保~

~メゾン・リープ 203号室~



 金曜日、午後1時過ぎ。

 昼食を取った僕は自室でゴロゴロしていた。

 今日は仕事が休みの日だ。同じく休みのエティを除いて、他の三人は既に仕事に向かっている。

 エティも今日は行きたいところがあるらしく、一人で出かけて行った。

 なので僕はすることもなく、したいことも見つけられず、一人暇を持て余しているのだった。


「一週間、かー……」


 ベッドに転がり、無機質な天井を見上げて、僕はそう独り言ちる。

 陽羽南がオープンし、本格的に働き始めてから、一週間。

 まだ一週間しか経過していないという事実に、改めて驚く。色々とありすぎて、一ヶ月……は大袈裟だが、半月くらい経過しているような気がしていた。

 火曜日も水曜日も木曜日も、何だかんだで来店者は多くいたため、忙しい日々だった。きっと今日も、夕方以降は忙しくなるのだろう。

 そう思うと、その場にいられない自分自身が、少し歯がゆくもあった。


「……うん、出かけよう」


 僕はベッドから身体を起こすと、クローゼットを開けてシャツとジーンズを手に取った。

 街に出て喧騒に身を置けば、少しはもやもやした気持ちも晴れるだろう。そんな期待を胸に抱き、外出の準備をしていった。



~新宿・靖国通り~



「(やっぱりここに来ちゃうよなー……)」


 新宿三丁目方面から新宿駅方面に向けて、靖国通りをぶらぶらと歩きながら、僕は脳内でそう呟いた。

 お金は持っているし、家から少し歩けば新大久保駅にも東新宿駅にも出られるから、電車に乗ってどこかへということも出来たのだが、自分の知っている「喧騒のある場所」が、新宿しか思いつかなかったのだ。

 歩いてこれる距離だから、お金をかけずに済むというのも、一因かもしれない。


 この世界にやってきて、政親に声をかけられ、新宿の街に出て。

 夜の新宿の喧騒に圧倒されたのを今でも覚えているが、その騒がしさは金曜日の昼間になっても変わらない。

 勿論、行き来する人の多さこそ夜よりも落ち着いてはいるが、僕の感覚からしてみれば十分に多いのだ。

 元いた世界でこれだけの人を通りに目にするのは、年に一度の祭りの時くらいなものだ。


「でも、ここではこれが日常なんだものなぁ……」


 ぼんやりと、人混みを歩きながら、そんな言葉が口をついて出る。だが、誰も僕の言葉を気に留める様子はなく、ただ僕の横を通り過ぎていく。

 最初、「この世界には本来、人間ヒューマンしかいない」と聞かされて、僕は内心震えあがったものだが。この世界の人間ヒューマン達は、思っていた以上に他人に無関心だ。

 ただ性根が冷たい、というわけではないのだろうけれど、必要以上に関わり合いにならない、という、一種の線引きがあるのだろう、と思う。

 僕が獣人ビーストレイスの姿で街を歩いていても、奇異の視線を向けこそすれ、変に絡んでくることは少ない。


「お~? 珍しい犬ッコロが歩いてるじゃねぇか、おぉ~?」


 ……少ないはずだが、たまにこう、浮浪者や素行の悪い者に絡まれることはあるのだ。

 新宿は大きな街だし、人も建物も混雑している。加えて飲食店も多い。こういう浮浪者が居つくのも訳はないのだ。

 僕は声をかけてきた浮浪者の男を一瞥すると、人波から外れてその男の方に近づいていった。

 まさか近づいてくるとは思わなかったのだろう、男の身体がびくっと跳ね上がる。


「おじさん、この辺に居て長いのか?」


 努めて親しげに、口元を緩めて、声をかける。男は後ずさりながら、「お、おぅ」と上ずった声を上げた。


「やっぱり僕みたいなのは、この街でも珍しいのか?」

「おぅ……そうだな。っ、ちらほら見かけることは多くなったが、まだ、な」


 そこから、この街で見かける「人間以外」の話を、浮浪者の男は語り始めた。

 二十年ほど前には既に、話題には上っていたこと。

 日本政府や東京都では早くから受け入れが始まっていたが、社会の枠からあぶれる者も多く居たこと。

 獣人ビーストレイス竜人ドラゴンレイス鳥人バードレイス魚人ウォーターレイスどころか、全く人間とは似ても似つかない姿の者も現れること。

 時折「ジエイタイ」が出動しては、立ち入り禁止の区域が発生するほど騒ぎになること。


「特に三年前の冬、歌舞伎町にでーっかい竜が現れた時は、そりゃーもう上を下への大騒ぎでなぁ……あの時は俺も、地下街に逃げ込んで片隅でブルブル震えてたもんよ」


 いつの間にか僕は、近くのコンビニエンスストアで買ってきたコーヒーを手に、男の話に聞き入っていた。

 僕が買ってきたコーヒーをぐっと呷ると、男は僕に視線を向けてくる。


「兄ちゃんも、どっか別の場所からこっちにやって来たクチだろ?

 働き口を見つけたんなら、大事にした方がいいぞ。食い扶持を労働で稼げないと、この世界では生きていけねぇからな」


 そうしてニカッと笑みを見せると、男は膝に手をついて立ち上がった。尻に敷いていたブルーシートを畳むと、僕に背を向ける。


「おじさん?」

「あばよ兄ちゃん、コーヒーごちそうさん。

 今度俺を見かけても、変に話しかけたりするんじゃねぇぞ」


 そう言って男は僕の方を振り返ることなく、手をヒラヒラさせて歌舞伎町の裏道へと消えていった。

 男の背中を見送った僕は、しばらくそのまま、男の消えていった裏道を見つめていた。

 「今度見かけても話しかけるな」、そう彼は言った。きっと、この街での暗黙のルールを、彼は教えてくれたのだろう。

 そうしてこの街は動いている、そうしてこの街にいる人は動いていく。そのルールを破ったら、それとなく社会から爪弾きにされるのだろう。

 僕は自分の中で折り合いをつけて、靖国通りへと戻っていった。確かこの近くに温浴施設があったはずだ。



~第10話へ~

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