第9話「安息の1週間」
耳が遠い。温度を感じない。意識も朦朧とする……
ぼんやりと、靄がかかった灰色の景色だけが、永遠と目に見えた。
辺り一面にバチバチと音を立てて燃え滾る炎と、それにより立ち込める煙で塞がれた紺碧の空。
ああ、またこの夢か。
と、彩乃はそっと嘆息する。
次に目に映るのはいつも、背中に子供を抱えた男だ。子供の顔は、男の大きな背中に隠れ切ってよく見えない。
そして、今にも死んでしまいそうなくらいにやつれたその男は、今日も彩乃の両手を掴み、涙を振り払って懸命に叫んだ。
『もう、もう君たちにしか託せない。この世界を終わらせるんだ!君と……この子で……その日が訪れればいつか、いつか君の前にもう一度…………』
男の震える手は、そう言って何度も彩乃の手を握り直す。
段々と声も遠退いているのは、夢から覚める合図だろうか。
眩しい……
ああ……またここで、終わりか……
「ん」
少々早く目を覚ました彩乃は、身体を起こし、大胆な伸びをしてみせた。
やるせなさからか、しばらく上の空の彩乃だったが、軽く溜め息を吐くと、ベッドから降りる。
病室を抜け出すと、喉の乾きを癒す為、水を貰いにまだ誰もいない早朝の廊下を歩き出す。
途中、休憩室と思われる部屋を隔て、看護婦の会話が聞こえてきた。
「また近くで虐殺があったみたいよ」
「やぁねぇ……また黒龍と首取りでしょ?」
「ええ、人を殺してまで帰りたいのかしらね」
「アタシ、ここでの生活に慣れちゃってもうそこまでして帰りたいとは思わなくなっちゃったわ」
彼女らの話に聞き入り、壁に寄り添って、俯く彩乃。
唇を噛んで、ぐっと目を瞑る。
「ありがとうございます。あと少しの間よろしくお願いします」
と、そこで、聞き覚えのある声が耳に入る。
声の主を振り向くと、医者に何度も頭を下げる優がいた。
こんな早朝から、彩乃のことでここまで来てくれていたのだろう。
「信じられないくらい回復が早い。能力だとしたら万能だよ。ウチに欲しいくらいだ」
「いえ、助かりました。本当にありがとうございます」
「優さん!」
「あっ、色季さん」
2人を見兼ねて微笑んだ医者は、軽く頭を下げて部屋へと戻っていく。
駆け寄る彩乃に、優は思わず心配そうに両手を広げる。
「ちょ、ちょっと、まだ走っちゃダメだよ」
「す、すいません。こんな朝早くから、申し訳なくて」
「いや、ただ話を聞きに来ただけだよ」
そう淡々と話す優に、彩乃は思わず微笑む。
「ありがとうございます」
「うん」
「そういえば、学校の先生をしてるんですよね?どんな感じなんですか?」
「ああ……それがさ、子供たちがすごい元気で……」
まるで向こうの世界で青春を謳歌する中学生のような、微笑ましい時間が続いた。
「そうそう、だからもうついていけなくて……」
「優さんもまだまだ子供なんですから」
「いやいや、あの活気には追い付けないよ」
口元に手を添えて笑う彩乃に、優も楽しそうに学校での話を続けた。
そんな時間も終わりが来て、壁に吊るされた時計に目を向けた優は、すっとソファから立ち上がる。
「そろそろ行くよ。今日も学校あるんだ」
「はい、わざわざありがとうございます」
「うん、じゃあ」
手を振る彩乃を、優は再び振り返る。
「あの、色季さんさ、何歳なの?」
「え、私ですか?15ですよ」
「そっか、同い年だったのか……」
「優さんもですか?」
「うん、俺も15なんだ」
「へぇ……」
一瞬、彩乃の頬が緩んだ気がした。
その真意は、優には分からない。
「向こうの世界だったら同級生なのかぁ」
「なんか、不思議な感じですね」
「そうだね」
微笑む彩乃に、優も両手を腰に添え笑う。
「じゃあ、また来るよ」
「はい。また」
そう応え手を振る彩乃を背に、優は病院を出た。
「さてと」
先生をやり始めて、もう3日ほど経った。
今日は午前が舞友実と優の授業担当なのだが、舞友実が中々部屋から出てこない。
その為、優は戒に舞友実を呼びに行く任を仰せつかっていた。
何故戒が行かないのかはツッコんではいけない。何故優は引き受けたのかは優が鈍感だからである。
しかし、優は生まれてこの方女子の部屋というものに入ったことはなかった。
なので、今のこの状況はまさに、大人の階段を一段飛ばしで登っているようなもの。
よって今、優はどのように入ったたら良いのか分からずドアの前で立ち尽くしている。
そして、1分程経ち……
「やっぱり人間に必要なのは、思い切り!よし!」
と、わけのわからない悟りに至り、ドアノブを捻り、思いっ切り開け放った。
「舞友実さん! おはようございます! 学校に行くじか……ん……」
この時の優を一体誰が責めれると言うのだろうか。優はただ、知らなかったのだ。人の部屋の入り方を。ノックと言うものを。
「え?なんで下着?」
あまりの驚きに思わず優は、口で状況を説明してしまった。
舞友実は、下にはリボンの装飾のついたパンツ。上には、真っ白な袖無しのシャツを着て、タンスの前に立っていた。
病弱な細身の手足は、着ているシャツに引けを取らないほど白く、黒くて長い髪と絶妙なコントラストをしていた。胸は大きくはないが今後の成長に十分期待がもてそうだ。
目鼻立ちも良くまさに、美少女の名を冠するに相応しい姿をしていた。
初めて見る女体に優は、考えることをやめて見惚れてしまった。
それ故に、気付けなかった、花瓶が前から飛んで来たことに。
「いやぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」
バリィィィィィィンッ!!
「ぐふぉおおおおあぁっ!!」
細身ながらも、偽界転移による筋力増強によって強化された腕から投てきされた花瓶は、優の眉間にクリーンヒットし、音を立てて割れた。
優はその衝撃に耐えられるはずもなく額から僅かに血を流しながら倒れた。
事の重大さに気づいた舞友実が優の元に駆け寄り声をかけた。
「ちょっと!ねぇ!」
「天……使」
優の意識は、天高く昇っていった。
優の目が覚めると、目の前には舞友実。頭には柔らかい感触。膝枕という状態に至っていた。
「ええっ!?あっ、そのっ、すんませんっ!」
優は目を大きく見開き、立ち上がろうとするも、舞友実に抑えられる。
「ちょ、ちょっと。まだ介抱の途中なんだから……大人しくしててよ。馬鹿」
頬を染め、目を逸らしながら舞友実は言った。
「あ……はい」
優も目を逸らす。
というわけで、さっそく3日目からサボりだ。
3日坊主とは、こういうことなのだろうか……と、優は頬を赤くしながら思う。
そのまた翌日。
優は、舞友実の部屋に恐る恐る顔を覗かせた。
「昨日はすいませんでしたぁっ!学校の時間です!……あっ」
舞友実の部屋は本人のきつい性格とは裏腹に、ペールオレンジを基調とした家具が多く、落ち着きのある雰囲気できちんと整理整頓が行き届いている。
「ちょっ、ちょっと!」
なにやら机に向かっていた舞友実は、ペチンと無造作に音を立てると、慌てた様子でこちらに駆け寄って来た。
優は、小柄な舞友実の影にある音の正体を覗き込む。
それは、ノートのようでタイトルの欄にはでかでかとこう書かれていた。
「日、記?へ、へぇ、意外とマメなんごふっ?!」
「ノックしろぉぉぉぉぉぉぉぉおお!!」
優の妄想は、舞友実の拳によって遮られてしまった。
そして始まった、優による授業。
「よーしっ!今日は体育だよぉぉ!!鬼ごっこやろぉーっ!」
雲1つない大空の下、第1偽界特別学校にて舞友実が子供たちに向けて大声を放った。
隣に立つ優はうるさいの一心である。
「いぇーいっ!舞友実ねーちゃんだぁっ!」
「よっしゃぁっ!」
「いぇーい!!」
子供たちが一斉に集結してわさわさしだす中、初日に倒れたことを未だに誰も心配してくれないのがこの先不安である。
そして。
「タッチィッ!!」
「また優が鬼ぃ!!」
「へっ!?また俺?!ちょ、勘弁……」
いじられ続ける優だったが、なんとか午前中の担当授業を終えた。
翌日。
戒による英語。
「偽界の英語ってなんだと思う?」
戒が腰に両腕を置き、ニタリと笑う。対称的に、子供たちは静まる。
「まったく、じゃあ親友!教えてやれ!」
自信満々で優を見てくる。
当然優は見当もつかないが……
「へっ!?……ニ、ニ、ニセカーイ??みたいな……?あっ!ニセカイワールド?あっ!ワールド!!」
「……」
「な、なんか……すいません……」
1週間後。
そんなこんなで、優が活躍する場面が訪れることはなく、早1週間が過ぎていた。優は戒の家に居候し、戒や舞友実と共に学校に通っていた。
今日は1月10日。
いつもと変わらず舞友実と学校に向かう中、舞友実が優に言った。
「ねぇ、今日は何するの?あ、間違えた。今日こそは何するの?」
「うるさいな。今日は、道徳やろうと思ってさ」
「へぇ!スホーイスホーイ!ようやく期待できそうだね!」
「……」
子供たちが全員集まったのを確認すると、優は口を開いた。
1週間も経てば、多少好感を持ったのか、皆優の口を真剣に追う。
「今日はみんなに、将来の夢について作文を書いてもらおうと思う」
作文用紙片手に言う優に、舞友実は煽るように付け足す。
「自分にできる唯一の授業とは何か。それを夜な夜な考えた結果!これに至ったわけだ!」
「そ、それは言わなくてよろしい……あ、あと、この子」
そう言って、横に連れた1人の銀髪の少女。そう、開戦日に無惨に父親を神に殺された少女だ。
「この子はミナ。みんなの新しい友達だ。仲良くしてやってくれ」
「よ、よろしくお願い、します」
恥ずかしがりながらも、少女は頭を下げ、椅子に腰掛ける。
「さて!じゃあ将来の夢。書いてみようか」
優がそう放った途端、子供たちのペンは勢いよく走り出された。
20分後。
「んじゃあそこまで。1人ずつ発表してもらおうかな」
子供たちは、順番に席を立ち、自分の夢を口にしていった。
「俺は……スポーツ選手ってやつになりたい」
「私は、戒君のお嫁さんになって!平和に暮らしたい!」
「僕は……元の世界に行きたい!」
銀髪の少女は……
「お父さんの分まで生きたい」
皆に共通して言えることは、「現実世界に行きたい」と言うことだった。
それは優も同じ。
優はみんなの願いを心に刻み、笑顔で言った。
「叶うといいな……俺も、みんなの願いが叶うように、祈ってる」
と、神妙に言う優に、舞友実が横から挟む。
「ちょ、ちょっと!お兄ちゃんのお嫁さんって!どーゆーことよ!」
「え〜、だって戒君に惚れたんだもーん」
と、茶髪の少女は笑顔で言う。
舞友実は笑みを浮かべながらその子を追っかけ回す。他の子もそれに続く。
優はいいこと言うつもりだったのだが、見事に機会は失われた。
「……」
夕方、真っ赤に輝く偽界の太陽が、冷えたアスファルトをオレンジに染め上げる。
「優君って、いつも夕方どこに行ってるんだろ」
舞友実は、優を尾けていた。優は、学校の帰りに必ずどこかに寄る。それがどこなのか、それを舞友実は知りたかった。
「病……院?私が通ってる……?」
優は病院に入って行った。尾行を続けると、1つの病室に辿り着いた。そこで、舞友実は思い出した。
「あっ……そっか。いるんだ」
舞友実は、隠れて優と彩乃を伺う。そう、ここはあの、彩乃のいる病室だ。優は毎日ここに通っていたのだ。
僅かながらも、彩乃と優の会話が聞こえてくる。
「どう?調子は」
「大分良くなりました。いつもありがとうございます」
「いや、俺の所為だから。治療費、何とかなりそうだよ……た、多分」
そんな会話が続いた。それを壁越しに聞く舞友実。唇を噛み締め、目には涙が見えた。
「じゃあ、また来るよ」
優がそういい、病室の出口へと向かってくる。
ハッとなった舞友実は、すぐさま病院の出口を目指して駆け足になる。
「あ、あれ?舞友実?」
「っ!」
優は舞友実の姿を確認し、追う。舞友実は逃げる。額の前で無造作に手を動かしている。
「おいどうした!舞友実!?」
病院を出ると、舞友実はピタリと止まった。
息を切らしながらも、舞友実に追いついた優。
「ま、舞友実?」
一息吐くと、舞友実は優を振り返った。
その顔にもう、涙はない。
「明日……一緒にどこか遊びに行かない?」
夕日に照らされ、風に髪を靡かせた舞友実は、とても可愛くて、綺麗だった。
その、夜。
バシュン!!ボシュゥンッ!!
廃墟に響く奪首音。次々と襲い掛かる敵に、蹴り技を繰り出す男。それは茶髪の男、一馬だった。
「ひ、怯むな!撃て!」
「いいねぇ……血が滾るぜ」
短機関銃を放つ男たち。しかし、放たれた弾丸は一馬から1メートル弱離れた空中で止まり、跳ね返る。
男たちの表情は更に悪化する。
「な、なんだ?弾丸がっ!?」
「ヘッ。俺に弾丸は効かねーよ」
「うぉぉぉぉぉぉりゃっ!」
空中に飛び、敵の首を的確にはねていく。
肉も骨も綺麗に切られた主なき体が次々に倒れていく。それを踏み付け、血塗られた笑顔で一馬は言う。
「なんだよつまんねぇな。強え奴出せよ」
「ボ、ボスは……黒髪の男とやり合ってる……っ!たっ、助け」
ブシュゥゥンッ!
絶叫を上げ助けをこう男の首を最も簡単にはねる一馬。
「チッ、南の野郎。手柄は横取りか糞が」
手足をもがれた組織のボスと思しき男と、その男に息巻く黒髪の男。
「なんだ。貴様、その程度で頭(かしら)をやってるのか?」
「た、助けてくれ!な、なんでもする!」
「命乞いをする暇があったら反撃したらどうだ弱者。偽界戦争を甘く見るな」
背中から畝る黒刀を伸ばし、ボスへと振る黒髪の男。
「ま、待っ」
グシャッッ!!……
「おい南。次は」
血の気が止まない廃墟で、書類をパラパラと捲る黒髪の男。
「首領から桐原優という男の命令が下りてる」
「桐原、だと?」
一馬の目が鋭くなり、殺気が増す。
「こいつは捕獲。だそうだ……なにか?」
「なんでもねぇ。どこにいる」
「今は、セーフティータウン」
「よし。行くぞ。明日までには着くな」
「分かりました」
優に近づく、黒い2つの影が、そこにはあった。
ーENDー
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