銃と乙女と遊戯世界 第三章 2



       * 2 *



「よいしょっと」

 ドライヤーが使えないから充分に拭いたけど髪はまだ湿っていて。ヘンなクセがつかないようにゴムでポニーテールにまとめておく。

 避難所によっては電気着火式のボイラーを改造して使ったり、シャワー設備がなくてタオルで身体を拭くだけなんてところもあるそうだ。お風呂までの贅沢はできないけど、暖かいシャワーが浴びられるいまの環境は凄く恵まれてると思う。

 脱いだ服とかを入れてある手提げの鞄を腕に提げ、いったん司令室に顔を出してから寝ようと思って、火照った身体に心地いい風をTシャツ越しに感じながら、わたしはシャワー室のある体育館から校舎に入ろうと、渡り廊下を歩いていた。

「んっ!」

 そのとき、突然後ろから抱き締められて、口を塞がれた。

 身をよじっても、身体を回されてるのは片腕なのに、凄い力で身動きすることもできない。

 ――スタイルアバター?

 苦しいわけじゃないけど、脱出なんてできそうにもないその力に、わたしは後ろにいる奴の正体がファイターであることを感じる。

「んんっ」

 わたしを抱きかかえたままの誰かが、凄い速度で走り出す。

 スタイルアバターを纏ってるときなら耐えられるけど、生身のままじゃ苦しいほどの圧力を感じる動きに、わたしは気を失いそうになっていた。

 頭がくらくらしてる間に、両手を何かで縛られるのを感じた。

 口にも布が押し込まれ、声も出せなくなる。

 冷たい床に転がされて見たのは、わたしのことを見下ろしてくるナイト系アバターを纏ったふたりの男。

 月明かりにかろうじて見える彼らは、確かうちの高校に通う二年で、タクロマのハイレベルプレイヤー。身体の大きい方が樋口で、小柄な方が浅野だったと思う。

 作戦でも先陣を切って戦うふたりは、でも若干素行に問題があるということで、会議のときに注意を受けてるのを何度か見たことがある。

「いい匂いさせやがって。本当、お前はそそる女だよな」

 覆い被さるように近づいてきた樋口が、わたしの身体の匂いを嗅ぐ。

「胸もでかいしよ。どうせ彼氏とかと遊んでんだろ? いつも見てたぜ。いつかこうしてやろうって、ずっと思ってたんだぜ」

 そんなことを言って息がかかるほど顔を近づけてくる浅野が気持ち悪くて、わたしはできるだけ顔を逸らした。

 ――嫌だっ。

 足も縛られちゃってるわたしは、立ち上がって逃げることもできない。

 覆い被さってきてる樋口の下から這うように逃れて、必死に距離を取ろうと身体を動かす。

 回りを見てみると、たぶん屋上。

 アバターの力を使って、一階の渡り廊下にいたわたしをアッという間にここまで運んだんだ。

 気持ち悪い笑みを貼りつかせて近づいてくるふたりに、わたしはお尻を床にこすりつけながら逃げる。

 ――嫌だ、嫌だ、嫌だ……。

 歯を食いしばろうとするのに、口に詰められた布でそれもできず、悲鳴を上げることだってできない。

 普通の人だったら蹴り飛ばすとかして時間を稼いで逃げられるかも知れないけど、アバター相手に人間の力なんて通じるはずもない。

 逃げ切れないことがわかってるわたしを追い詰めるのが楽しいのか、口元からよだれを垂らしながら、ふたりはゆっくりとした動きで近づいてきていた。

 ――絶対に、嫌!

 そう思っても、壁に追い詰められたわたしに、樋口が伸ばしてくる手から逃れる方法はない。

 Tシャツをつかんだそいつは、アバターの力でそれを引きちぎった。

 下着が丸見えになるけど、床に押さえ着けられたわたしにはどうすることもできない。

「どうせみんなすぐ死ぬんだ。いいだろ? 別に」

 反論の言葉を言えず、わたしは首を激しく横に振る。

 どうにか動かせる膝で蹴りつけるけど、硬いアバターにはダメージにもならない。

「それよかオレらと一緒にいた方が生き残れる可能性が高いんじゃないか? オレらは今日でレベル七になったんだぜ。戦うにしても、ここから逃げ出すにしても、オレらと一緒の方が可能性高いぜ。だからさ、報酬は前払いってことでよ」

 首筋に顔を寄せてくる樋口が嫌で嫌で、わたしは涙がにじんでくるのを感じながら、心の中で助けを呼んでいた。

 ――助けて……、稔!!

 そう思った瞬間、身体の上に感じてた重さがなくなった。

 すぐ後に聞こえてきたのは、何か重い物が壁にぶつかるような音。

「動くな」

 言われて身体を硬直させると、両手を縛っていた感触がなくなった。

 目を開けた途端にわたしの顔に被さってきたのは、少し汗臭いジャージの上着。

 下着を隠すようにして顔だけ出して身体を起こすと、見慣れたハイスピード・サムライの背中が わたしの前にあった。

「何しやがんだ、てめぇ」

「どうせオレらは死ぬんだ。好き勝手やってもいいだろっ」

「お前たちが勝手に死ぬのは構わない。だが、他の人を傷つけたり、とくにこいつに何かをしようとするなら、許さない。……殺す」

 振り向いてはくれない。でも、背中越しでも立ち上るほどの怒りを湛えてるのがわかる永瀬に、わたしは何故か凄く、安心と、嬉しさを感じていた。

「言ったな、てめぇ。先にてめぇを殺してやるよ!」

 泡を飛ばしながら言う樋口と浅野は、武器を喚び出して構える。

 それに応じて、永瀬も両手にナイフを喚び出した。

 ――このままじゃ、まずい。

 あのふたりはレベル七。永瀬もいまは同じレベル七だ。

 二対一じゃ分が悪い。

 でもわたしはいまスマートギアを被ってなくて、携帯端末と一緒に校長室で充電中だ。

 腰を落とした永瀬が、緩く息を吐いて、止める。

 次の瞬間には攻撃に入る、と思ったとき、制止の言葉が飛んできた。

「そこまで!」

 屋上の階段室の扉を開けて現れたのは、綺更ちゃん。

「何なんだよ、てめぇはよ!」

 すごんでくる樋口の言葉に怯むこともなく近づいてきた綺更ちゃんは、わたしのことを助け起こしてくれる。

「この争いは私が預かります。構いませんね?」

 階段室から続々と出てきたのは、十数の人たち。その中には、先生なんかも含まれていた。

「どうするってんだよ」

「そうですね。いまここでは法律など通用する状況ではありません。強者の言い分こそが通る世界になっています。ならばその言い分、力によって勝ち取ってもらいましょう」

 そう言って、綺更ちゃんはニヤリと口元に笑みを浮かべた。



          *



「バトルフィールド、展開」

 大きな声ではないのに、響き渡るような澄んだ声とともに綺更ちゃんがマジックスタッフを天に振りかざすと、校庭の真ん中に直径一五メートルほどの円形の光が噴き出すように生まれた。

 夜で辺りは真っ暗なのに、展開されたバトルフィールドの中に立つ三人の姿がよく見える。

 リアル感とスピード感を楽しむゲームであるはずのタクロマではかなり珍しく、綺更ちゃんことキキーモラは支援魔術師として有名だった。

 バトルフィールドもその魔法のひとつで、見ることはできるのに、外から中へ攻撃はできず、中から外への攻撃も遮断される。まさに決闘のためのエリアをつくるための魔法だ。

 もう遅い時間なのに、校庭に集まっているのはファイターだけじゃなくて、ものすごい人数の避難民。窓が開いてる校舎からも、人が眺めてるのが見える。それだけじゃなくて、周囲に立つファイターたちによって、いまの様子は他の避難所に中継までされてる。

 ギルドメンバーのファイターと、綺更ちゃん管轄の避難民のほとんどが、これから始まる戦いに注目していた。

「大丈夫なの? 永瀬は」

「んー。大丈夫ですよ、お兄ちゃんなら。あれでも強いですから」

 わたしの問いに、綺更ちゃんは心配してる様子もなく答えてくれる。

 二本のカイザーエッジを逆手に持ち、わたしと綺更ちゃんに背中を見せている永瀬は、いまはまだとくに構えたところはなく、ゆるりと立ってるだけだ。

 いつも通りの、戦闘前の彼のはずなのに、わたしはいつもと違う雰囲気を感じていた。

 ――本当に大丈夫なのかな?

 念のため自分の携帯端末とスマートギアを持ってきて、ハイパー・フェアリーを纏ってるわたしは、なんとなく心配になっていた。

 永瀬は屋上でわたしを助けてくれたときから、一度も振り向いてない。

 いつもなら、ちょっとした仕草とか、スマートギア越しの目配せとかで、何を考えてるのかとか、どうしたいのかがわかるけど、いまはあいつが何を考えてるのかぜんぜんわからない。

 綺更ちゃんの言葉ほどには余裕を感じない永瀬の背中に、わたしは不安を覚えていた。

「……でも、ちょっとまずいかもですね」

「何がまずいの?」

「お兄ちゃん、怒りすぎかも」

 確かに永瀬の背中からは、怒りを感じる。

 飛んでくる声援や野次にも反応することなく、ただじっと、対峙するふたりのことを見てる。

 ――怒ってるときの永瀬って、あんな風になるんだ。

 一緒に戦ってきてずっと見てきたのに、背中から怒りを発してる永瀬はこれまで見てきた彼と違っていた。

「怒ってるのはわかるけど、そんなに?」

「はい。元からお兄ちゃんは、さっきみたいなことは大嫌いで、話に聞くだけでも不機嫌になるくらいなんですけど、今日は格別ですね。……やっぱり、智香さんだったからかな」

「えぇっと、いまくらい怒ってると、どうなるの?」

「負けるようなことはありません。お兄ちゃんはアバター操作に関しては天性の才能みたいなものを持ってますから。それが仇になって、パートナー探しに苦労することになるんですけどね。――それはともかく、たぶん手加減ができません」

「それってもしかして……」

 相変わらずスマートギアを被ったままの綺更ちゃんがわたしの顔を見つめてくる。

「はい。寸止めとか半殺しとか、そういう加減はぜんぜんできないんじゃないかと、プラクティスモードで戦う分にはそれでも問題ありませんが」

「……それは確かに、まずいね」

 言ってる間に、男たちが永瀬に向かって声をかけ始めた。

「レベル七のオレたちに、お前が勝てると思ってるのか?」

「俺もレベル七だ。そんなことはどうでもいい。まどろっこしいからふたり一緒に来い」

「はっ。威勢がいいじゃねぇか、一年坊主。最初からてめぇのことは気に入らなかったんだ。司令の兄貴だからって優遇されやがって。あのちびっ子司令もそうだ。あんなガキに、オレたちがいいように使われなくちゃならないんだ。てめぇらのことは最初っから殺してやりたいと思ってたんだよ!」

「ならプラクティスモードバトルじゃなくて、PVPモードでやろう。そうすれば、望み通り殺すこともできる」

「お兄ちゃん!」

 綺更ちゃんが悲鳴のような声をかけるのに、永瀬は振り向きもしない。

 ゲーム内でファイター同士のバトルをする場合、プラクティスモードではダメージは入らず、戦闘訓練をするだけのものだ。でもPVPモードは、ダメージも入り、ライフがゼロになればモンスターにやられたときと同じようにファイターは死ぬ。

 たぶん、ワールドシフトしたいまのここでは、PVPモードでやり合えば、本当に相手を殺すことだってできる。

「本格的にまずいかも。お兄ちゃん、我を忘れてる」

 いまならもう、永瀬がどれくらい怒ってるのかがわかる。

 背中から立ち上っているのは怒りなんかじゃない。殺気だ。

 永瀬は最初から、戦って勝つ気なんてない。殺すつもりでこれから戦うんだ。

 声援と野次がより大きくなり、たぶん三人の間でバトルモードの承認画面が出てると思うタイミングで、わたしは足を踏み出した。

「綺更ちゃん、お願い」

 言ってわたしはバトルフィールドの中に入っていく。

「三人とも待って。わたしも決闘に参加する」

「な、何を……」

 たじろぐ永瀬を睨みつけてから、わたしは距離を取って立ってるふたりに目を向ける。

「二対一なんて卑怯だし、別にいいでしょ?」

「か、構わねぇけど……」

「あぁ……」

 永瀬以上に動揺しているらしいふたり。

「条件はPVPモードのままで変えなくていい。もし寸止めとかができなければ殺しても構わない。貴方たちが勝って、わたしが生き残ってるなら、わたしを好きにしてもらってもいいよ」

「そういうことなら」

「ダメだ、ティンカー!」

 嫌な笑みを浮かべる男たちのことなんて気にせずに、制止の言葉を口にした永瀬に向き直る。

「歯を食いしばりなさい!」

 言い終わるよりも早く、わたしは永瀬の頬を思いっきり殴った。

 身構えてなかった彼は無様に地面に転がる。

 ちょっと強すぎたかも、とも思うけど、呆然とした顔で頬を押さえながら身体を起こす永瀬に、大丈夫であることを確認する。

「目が醒めた?」

「……あぁ」

 いつもの少し口ごもった感じの返事に、わたしは彼に笑みをかけながら右手を伸ばした。

「まだ殺すつもりで戦うの?」

 一瞬唖然とした樋口と浅野が我に返って、パーティを組んだわたしと永瀬に飛ばしてきた目の前のPVP承認ウィンドウを眺めながら、囁くように訊いた。

「いや……。そのつもりはない」

「うん。これは永瀬だけじゃなく、わたしと永瀬の戦い。それでいい?」

「わかった」

「ちなみにどれくらいの攻撃なら、アバター貫通せずに戦える?」

「拳銃弾か、散弾なら。いや、こいつを使ってくれ」

 永瀬からの交換ウィンドウが開いて、そこに置かれたのは数種の玩具弾(ホビーバレット)。ゲームの中で遊びで撃ち合うための弾丸で、アバターに衝撃はあるけどダメージは通常弾の半分以下。現実なら火薬を減らした弱装弾とかになるものだ。

 交換を承認して、素早く予備の弾倉に玩具弾を詰めるようインベントリの中で操作する。

「ん。じゃあいくよ」

「あぁ」

 PVPモード承認ウィンドウのOKボタンを押す。

 始まったカウントダウンに、わたしは永瀬の顔を見て、口元に笑みを浮かべた。




 カウントがゼロになった瞬間、わたしは両手にサブマシンガンを喚び出した。

 それを見た樋口と浅野は、驚いた顔をしながら全身を覆えるほどの盾を装備し、その後ろに隠れた。

 迷うことなく引鉄を絞って、盾越しのふたりに雨あられと弾丸を降らせる。

 すぐに弾丸が尽きた短機関銃を仕舞って、代わりに取り出したのは銃身の短い散弾銃。

 普通のよりも拡散性が高いそれは、ダメージを与えられる距離が短い代わりに、この位置からならふたり同時に小粒の散弾の範囲に収めることができる。

 永瀬はまだ、わたしの後ろに控えたまま。

 盾の後ろに隠れてじりじりと左右に動き始めたふたりが、攻撃をしてこられずに焦れてきてるのがわかる。

 散弾銃の弾丸も切れて、新しく喚び出したのは短機関銃が一丁。

 その瞬間に走り出したふたりのうち、浅野の方にわたしは狙いをつけて弾丸を放った。

 樋口が近づいてきたのが横目に見えたときには、永瀬はわたしの後ろにはもういない。

 瞬間移動したような動きで樋口の横に出現した永瀬は、奴の横顔に膝蹴りを放ってそのまま浅野の方に向かう。

「てめぇ――」

 頭を振って永瀬に罵倒を飛ばそうと大きく開いた口に、わたしは小型拳銃を突っ込んでいた。

 永瀬の方を見ると、浅野の後ろに回り込んだ彼は、首筋にナイフを押し当ててる。

「アバターを纏ってるって言っても、口の中はたぶん防御力ないと思うんだけど、試してみる?」

 恐怖に引きつった顔をしてる樋口は、拳銃を突っ込まれたまま動かせる範囲で首を横に振り、武器と盾を投げ捨てて両手を上げた。浅野もそれに習って、両手を上げる。

「決着! 永瀬稔、藤多智香の勝利!!」

 言いながらバトルフィールドに踏み込んできたのは、綺更ちゃん。

「ギルドマスターとして、そしてこの地域の避難所をまとめる総司令として、私はここに宣言します。どんな理由があれど、人を傷つけたり、汚したりする者が現れた場合、ファイターや避難民に関係なく、厳罰に処するものとします!」

 校庭の隅々に、通信でつながれた避難所のすべてに響き渡る声で、綺更ちゃんは宣言した。

 そんな綺更ちゃんに近づいていって、わたしと永瀬は彼女を守るように後ろに立つ。

「異議を申し立てたいならば、構いません。しかしいまはワールドシフト圏内では力こそ正義。異議を申し立て、ルールを変えたいと言うならば、私の最強の剣が相手になりましょう」

 わたしと永瀬に目配せをしてくる綺更ちゃんに、わたしたちは頷きを返していた。

「こんな……、もうすぐ死ぬかも知れない状況で、そんなのに従っていられるかっ」

 両手を上げていた樋口が、そう叫びながら地面を蹴った。

 剣を喚び出して突きつけようとするけど、綺更ちゃんの顔には笑みが浮かんだままだった。

 わたしが何かしようとする暇もなく、剣が届く寸前に樋口の身体が光る網に捕らわれた。

「がぁーーーーっ!!」

 バリバリと、理科の実験のときに聞いたことがある放電音をさせるそれは、仕掛け式の罠としても使える魔法、ライトニングバインド。

 動けば激しい電撃が走るそれに捕らわれた樋口は、身動きすらできずに地面に転がった。

「貴方がそうした行動に出ることを、私が予想してないとでも思いましたか? ギルドマスター権限により、貴方の装備を、そしてスマートギアを没収し、禁固刑に処します」

 綺更ちゃんの言葉とともに、樋口が纏っていたナイト系アバター、テンプルナイトが解除されノマ服になり、永瀬が近寄っていってスマートギアを頭からはぎ取った。

「こんな私刑が日本で許されるか!」

「いまここは極限状態であり、日本の法律などに従っていられる余裕はありません。もしそれが不満だと言うなら、私に挑んでくるか、ここから出て行くしかありません。明後日までは私有地はおそらく安全です。自宅に戻ることに関して、私は止めることはありません。ただし、ファイターによる支援などもありませんが」

「くっ……」

 顔を歪ませた樋口がそれきり黙り込む。

 顔を上げ、胸を張った綺更ちゃんは言う。

「これは私が管轄するすべての避難所に関しても同様です。私に従えないと言うのであれば、挑むか、出て行くかのどちらかを選んでください」

 それまでざわついていたみんなが、一気に静まり返る。

 綺更ちゃんの言葉は、実質的には圧政宣言だ。

 諦めに俯く人々と、反発の視線が半分ずつくらい。

 そして全員が理解してる。

 いまはこの小さな女の子に従う以外、生き延びる方法がないことを。

 誰も動かず、誰も喋らない緊張状態がしばらく続き、それを打ち破る音が近くで響き始めた。

「……ティンカー」

「え? わたし?」

 すぐ近くから聞こえてきたのは、携帯端末の着信音。

 一斉にみんなの視線が集まる中、タクロマからログアウトしたわたしは、ポケットの中の携帯端末を取り出してみる。

「……お母さんからだ。え? なんで?」

 自分で口にしてから、理由を思い出す。

 僻地に海外出張することが多いお母さんと連絡を取るために、わたしの携帯は普通の携帯電波だけじゃなく、衛星の電波をつかめるタイプだった。

 綺更ちゃんの促す視線に、みんなの視線に堪えながら応答ボタンを押して携帯を耳に近づけた。

「はい。えっと、お母さん?」

『智香? 智香なの? 本当に? 大丈夫? 元気してる? ちゃんと食べて寝てるの? 怪我とかしてない? 生きてる?』

「うん、大丈夫。元気。生きてる」

 当然と言えば当然だけど、いつもと違う激しいテンションのお母さんに応えるけど、さすがに場違いな感じがして、汗が溢れてくるのを止められない。

『あ、もうっ。えぇっと、ゴメンね。いまちょっと電話替わるから』

「え? 何?」

 そう言ってお母さんの声が聞こえなくなった後にしたのは、野太い感じの男の人の声。

『藤多智香さんですね。いまそちらは本部避難所ですか?』

「えっと、はい」

『そちらにいらっしゃる総司令、キキーモラ氏に替わっていただけますか?』

「……わかりました。綺更ちゃん、替わってって」

 不思議そうな顔をしてる綺更ちゃんに携帯を渡すと、彼女は男の人と何かを話し始めた。

 しばらくして耳から携帯を離した綺更ちゃんは、スピーカーモードのボタンを押して、音量最大で天に掲げる。

「もう一度、同じことをお願いできますか?」

『わかりました。私は自衛隊ワールドシフト特別対策班に所属する富岡という者です。本日臨時政府より許可が下り、私以下三〇名、レベル七のファイターが装甲輸送車に分乗し、明日の早朝そちらに向かって出発します。我々の目的はキキーモラ氏が情報を圏外に届けてくださった、シティクライシスのイベントボス討伐。皆様に代わり、その任を行わせていただきます。皆様には到着後の支援をお願いしたい』

「わかりました。よろしくお願いします」

『はい!』

 富岡さんの返事を聞いた綺更ちゃんは、通話の切断ボタンを押した。

「……これで、オレたちは救われる」

 静まり返った中で、誰かがそう呟いた。

 一気に広がる歓声。

 笑みとともに携帯を差し出してくる綺更ちゃんに、わたしも笑みを返す。

 でもそのとき、よろけて転びそうになる彼女を抱き留めることになった。

「大丈夫?!」

「はい……。安心して、少し気が緩んでしまったみたいです」

「それなら、いいけど……」

「俺が替わる」

 言って永瀬が綺更ちゃんの身体を抱き上げる。

「皆さん、作戦は改めて明日の朝の会議で発表します」

 永瀬に抱かれたままの綺更ちゃんがそう声を張り上げるけど、騒ぎ出したみんながそれを聞いてる様子はない。

 近寄ってきた司令室要員の人にいくつか指示を飛ばした後、そのまま彼女は身体を丸めるようにして永瀬の腕の中に収まった。

 わたしに軽く目配せしてから歩いていく永瀬の後ろに着いて、わたしも校舎に向かっていく。

 振り向くと、それまであった緊張が嘘のように、嬉しさで声を上げる人々が、まだ騒ぎ続けていた。



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