第三章 クライシスエリア・クライシス
銃と乙女と遊戯世界 第三章 1
第三章 クライシスエリア・クライシス
* 1 *
「『ティンカーのことは、俺が絶対に守る』、か……」
昨日永瀬に言われた言葉を思い出して、わたしは顔がにやけるのを感じながら呟いていた。
すっかり外は暗くなり、窓から見える空には、白く輝く座標線が走ってるのが見えた。
あれが消えない限り、ワールドシフトは終わらない。
この状況が早く終わってほしい、早く終わらせないといけない、と思いながらも、暖かさを感じる胸の奥に、キャミソールの上から手を当てて、わたしは人気がなく薄暗く灯りが点いてるだけの校舎の廊下を歩く。
避難民の夕食も終わってそろそろみんな寝てしまう時間だけど、今日の作戦はちょっと遅くなっちゃったから、わたしはこれから夕食を食べて、体育館脇のシャワー室でシャワーだ。
その前にちょっと永瀬の顔が見たくて、わたしは彼のことを探していた。
そのとき聞こえてきた声は、司令室からだった。
覗き込んでみるとアバター姿のふたりが見えた。座ってる綺更ちゃんと、その側に立つ永瀬。
――そう思えば、綺更ちゃんはいつ寝てるんだろ?
いつ見ても司令室かどこかで何かをやってる姿しか思い浮かばなくて、綺更ちゃんも寝起きしてるはずの校長室で見かけたことは一度もなかった。
覗き込んでるわたしに気づいた永瀬が、険しかった表情を驚きに変えて見つめてくる。
何でかわたしは、そんな彼の視線に、顔が熱くなるのを感じていた。
――わたしが好きなのは、ミノス。ミノスなんだから……。
そう心の中で言い聞かせながら、「こんばんは」と声をかけて司令室の中に入っていく。
「こんばんは、智香さん。どうかされましたか?」
「うぅん。何でもないんだけど。声が、聞こえたから。どうかしたの?」
漏れ聞こえてきてた声に、少し不穏な感じがしたから、永瀬のことをちらちら見てるのを誤魔化す意味でもそう訊いてみた。
「いえ……、ちょっと問題が発生していまして。ボス討伐計画が避難民代表の方々から中止を申し入れられてるんですよ」
「何でまた」
今日の作戦で、シティクライシスのボスが出現する位置は特定されていた。
源也さんの研究所から持ち帰った書類やデータから、ワールドシフトはタクロマの世界の座標とだいたいリンクしていて、ボスが出現するフィールドダンジョンの位置が推測された。今日の偵察によって予測地点にダンジョンの表示が確認され、場所が特定できた。
そして夕方の会議で、綺更ちゃんによってボス討伐計画が発表された。
ボスさえ倒せばシティクライシスは終わり、避難所は二週間のとりあえずの話かも知れないけど、安全になるのはわかってるのに、なんで中止しないといけないのか理解できない。
「今回はボス討伐を行わず、避難所の安全を確保した方がいい、という話なんですがね。いまは戦力が揃っていないというのも確かですし、ファイターの中にも作戦決行を危ぶんでいる人もいるみたいです」
「それはまぁ、そうかも知れないけどねぇ」
一昨日でかなりの数のスマートギアが手に入って、ファイターの人数も増えた。今日も収集は継続され、たぶん増えたファイターの人数は百人以上になったはずだ。
増えた分の戦力で避難所の防備はかなり揃えられたと言っても、新しいファイターのレベルはまだ低い。これまでファイターをやっていた人でもレベル七の人がちらほら。平均でも四がいいところ。新人についてはやっと三に達した人がいるくらいで、強い武器も不足していて、新人の戦闘訓練はドロップアイテムの収集も兼ねていたはずだった。
人数は増えたけど戦力が充分とは言えないし、当たり前のようにレベル一〇以上のファイターがいたタクロマの中でも、イベントボスはフルパーティ八人で挑むような強さだった。
いまの戦力をかき集めても、ボス討伐は決して容易じゃない。
「でも、ここはゲームだったときと違う」
眉根にシワを寄せた永瀬が、暗い瞳をしながら呟くように言った。
「えぇ、そうなんです。タクロマの中ではシティクライシスはボスを討伐しなくても、メンテナンス突入で終了になっていました。けれど、ワールドシフトしたこの世界には、ゲームのときと同じようにメンテナンスがあるかどうかわからないんです。シティクライシスが終わるとは限らない。ない可能性の方が高いですし、もしメンテナンスに相当するものがあるとしたら、いまよりも状況が悪化するんじゃないか、と思っています」
「確かに、それもあるな……」
「そう言って説得したのですが、うまく話がかみ合わないんですよ」
「まぁ、そうだよねぇ」
木曜の夜の会議から参加するようになった避難民代表と言ってる人の中心人物は、本当ならもうすぐ区議会議員に立候補する予定ってことだったと思う。その人が中心になって、綺更ちゃんの方針に何度となく反対意見を言ってきていた。
避難民の安全を考えるのはわかる。でも、いまはそれだけじゃ立ち行かないときなのに、避難民にとって耳障りのいい言葉を口にするばかりで、綺更ちゃんを悪者のように扱っていた。
「臨時政府の救援でも、連絡でもあればいいのですが、いまは通信すらできませんからね……」
「……そうだね」
「そろそろいまの生活にも少し余裕が出てきて、不満が溜まってきている時期のようなので、ちょっと危険かも知れません」
「どういうこと?」
「一昨日くらいまでは生きるだけで必死だったのですが、昨日今日辺りからは状況を受け入れられるようになって、現状への不満や改善を求める気持ちが高まってきているんです。しかし普通の災害と違って、そうした可能性が見いだせないいまは、絶望に近い想いと一緒に、やり場のない怒りが溜まってきているように感じます。何か大きな変化などがあればそうしたものは少し解消できるのですが、それも難しいですからね」
「確かにね……」
病院などに対する救助活動は現在も続けられていることは把握していた。
作戦の行き帰りで、たぶん自衛隊のだと思うヘリを見かけることはあったし、そうした活動が行われているという報告も入ってる。
でも通信は相変わらず途切れたままで、たぶんもう三〇〇キロ程度に広がってると思われるワールドシフトの外から連絡が入ることもない。人でも、手紙をヘリから投下するのでもいいから連絡くれればいいと思うのに、それすらいまのところない。
日に日に避難してる人たちの顔から元気がなくなってきているのは、わたしも感じてた。
「それでもやはりボス討伐は決行するしかありません。避難民の理解が得られるように説得は続けますが、これは全体の安全を考えた場合、必須の作戦ですから」
言って顔を上げた綺更ちゃんが、わたしに微笑みかけてくれる。
でも口元に浮かべた笑みは、決して元気のある笑みとは言えなかった。
――本当、綺更ちゃんは頑張ってるよね。
彼女がいなければ、いまほど組織的に避難をすることも、避難所の体制も整えられなかっただろうことは、誰でもわかってることだと思う。
たくさんの人を使いながらだけど、本当に頑張ってることも、みんな見てるはずだ。
それでも綺更ちゃんはまだ中学二年の女の子。
小柄で、まだ幼い感じのある顔立ちをしながらも、彼女は大人でも堪えられるかどうかわからない重圧を背負ってる。
どれほどの気苦労を抱えてるかわたしじゃわからないけど、わたしができることはひとつだ。
戦うこと。
わたしはそう決めたから、永瀬と一緒に戦う。
ちらりと永瀬の顔を見てみると、深刻そうに眉を顰めていた彼が、わたしの視線に気づいて疑問の表情を浮かべる。
「ふふっ。私は私ができることを最大限やります。智香さんも、無茶はせずに、できることをお願いします」
「もちろん」
綺更ちゃんの言葉に、わたしはガッツポーズを決めて応えていた。
「本当に無茶は、やめてくれ。それと、避難所の中でも、気をつけておいてくれ」
「うん、わかった」
ため息を吐きながら言う永瀬は、わたしを心配してくれてるらしい。
いままで気づかなかったけど、そんな彼の気遣いがくすぐったくて、笑みが零れてしまう。
「……まだ、何かあるか?」
「う、うぅん、ないよ。何でもないっ」
永瀬の顔を見つめていたらそう言われてしまって、恥ずかしくなったわたしは司令室を出る。
「じゃあ、食事してくるね。またね、綺更ちゃん、永瀬」
ふたりに手を振って、自分でも感じるくらい軽い足取りで食堂の方に向かっていった。
*
肉の少ない野菜炒めを頬張ると、ニンニクを利かせた香ばしい味が口の中に広がった。
口が臭くなりそうではあるけど、お母さんがいない家で食べてたよりも美味しい食事は、わたしにとっては満足なもの。
量は決して多くない。今日も作戦をこなしてきたわたしにとっては、足りないくらいだ。
でもそれも仕方がない。食料収集作戦で集めてこられる量に限界があるのと同時に、夏の暑さによって、冷蔵されてない食材はどんどんダメになってきてる。
綺更ちゃんの指示の元、日保ちするように処理をしてたりもしてるらしいけど、今週中にはご飯と野菜の他は、缶詰やカップ麺などの保存食に切り替わっていく予定らしかった。
――食事にも、限界はあるよなぁ。
テレビで見たことがある災害の避難所と違って、いまは避難物資が届くこともない。せめて外と連絡が取れて、救助があるのかどうか、避難物資が届くのかどうか、それがいつなのかがわかれば安心できるけど、モンスターが闊歩する街の中を抜けてくるのは命がけだ。高空を飛ぶモンスターがいないと言っても、ヘリだって着陸前後を狙われたら破壊されちゃう。
シティクライシスだけじゃなく、食事のこと、外との積極的な連絡手段がないことは、確実に避難所に暗い影を落としてる。
――でも、わたしは戦うだけだ。
わたしにできることはそれだけだから、しっかり食事を摂って、寝て、明日の作戦に備えること。それがわたしの精一杯。
そう思いながらお茶碗に溢れるくらい盛りつけてもらったご飯を、大きな口を開けて頬張る。
「元気そうだね、智香」
言いながら食事を乗せたお盆を持って正面の席に座ったのは、仁奈。
「うん、もう大丈夫だよ……。ってか、その格好って」
青色のスマートギアを被り、仁奈が身に纏っている青いアバターは、パワーとスピードのバランスがよくて、防御もそこそこ高いウォリアー系のライト・ウォリアー。
「アタシもファイターに志願したんだ。今日からだけどね。智香も頑張ってるみたいだし、智香だけに任せていられないなぁ、って思って」
「大丈夫なの?」
「うん。どうにか、かな? 教官をしてくれる男の子が言うには、余りが出たらナイト系アバターと銃を回してくれるって。でもアタシだともうちょいスピードのあるアバターの方が合ってるかも。タクロマちょっとやってたときもそんなに上手くできなかったから、いまもたいしたことないけどね。それでもずいぶん動かし方を教えてもらったし、午後に作戦にも出て、レベル二になったよ」
笑顔を見せてくれながら話す仁奈だけど、やっぱり心配だ。
「気をつけてよ。仁奈までファイターになるなんて、心配だよ」
「それはアタシの台詞だよ。今日モンスターと戦うとき、本当に怖かった。噛みつかれたら死んじゃうんだ、って思ったら逃げ出したくなった。それでもどうにか戦えたんだけど……。智香はいつもこんな怖いのと戦ってきたんだな、って、もっと強い敵相手に、立ち向かってたんだな、って思ったんだよ」
怒ったように頬を膨らませながら野菜炒めを口に運ぶ仁奈に、わたしは言い返す言葉がない。
実際、これが現実だと言うことを思い出す前も、わたしはモンスターと対峙するときは恐怖を感じていて、でもそれを隠しているだけだった。怪我こそしたことなかったけど、紙一重の戦いなんて、いくらでもあった。
「でも本当にどうしたの? 昨日の今日でずいぶん復活したよね。何かあったの?」
「ん……。まぁ、なんて言うか、永瀬が意外と頼りになるんだなぁ、って感じただけ、かな?」
「何それ。いままでミノス一筋だったのに。諦めたの?」
「諦めたって言うか、たぶんいまはもう逢えないからね。これだけ探して見つからないんだから、ミノスはワールドシフト圏外にいるんじゃないかなぁ」
「何だよ、それ。女の子が戦ってるのに、そのミノスって奴は逃げ出したのか?」
わたしたちの会話に割り込んできたのは、東堂。
もう食事してる人がわたしと仁奈しかいない食堂で、彼はひとつ空けた椅子に座った。
「それならそれでいいよ。生きてるなら、それでいい。無事ならまた逢えるから」
不満そうな顔をしてる東堂に、わたしはそう言って微笑む。
本当に、わたしはそう思ってる。
ワールドシフトの犠牲者はいったいどれだけいるのかわからない。何万人にも達してるだろう犠牲者のひとりになってるよりも、この場にいないなら、圏外に逃れていてほしいと思う。
「ちょっと変わったね、智香」
「そう?」
「うん。いままではちょっと、元気でも、どっか危なっかしいところあったけど、いまは落ち着いた感じがある。安心したかな」
「そっか」
柔らかく笑ってくれる仁奈に、わたしも同じ笑みを返していた。
「そんなことよりも藤多は綺更司令と仲がいいだろ? 救助がいつくるかとか聞いてないか?」
「聞いてないし、あったら会議で発表すると思うけど、どうかしたの?」
「いや……、そろそろ限界が近いからな」
「どういうこと?」
「今日の会議でボス討伐作戦の話があっただろ? あの後から、戦力を分散するんで、避難所が全滅するかも知れない、って話をしてる奴らが多いんだ」
さっき綺更ちゃんとも話してたけど、ボス討伐作戦を発表した影響はやっぱり大きいらしい。
避難民が寝起きしてる教室にいる東堂は、わたしや、たぶん綺更ちゃんよりも、彼らの話を聞いているんだろう。
「そんなに切羽詰まってる感じ?」
「あぁ。一昨日のでファイター戻りも増えたから、そいつらの実体験がけっこう効いてるんだ」
綺更ちゃんの方針によって、ファイターは初日の作戦で食料がある程度確保できて以降は、志願制になっていた。
ファイターをやめるのも自由で、スマートギアを回収される以外にはとくに制限はない。現実でのアバター操作に慣れない人や、モンスターと戦えない人がやめて、いわゆる「ファイター戻り」になることは、けっこうあることだった。
いまはスマートギアの不足も解消され、志願しててもファイターになれなかった人にまで渡るようになってる。でもゲームだったときもそうだったように、アバター操作ができるかどうかには相性があるみたいだし、どんなにリアルでもゲームだったときと違って、現実で遭うモンスターには恐怖を感じるのは仕方ない。
主にタクロマ経験者をファイターに採用してたのが、未経験者もファイターになるようになって、ファイター戻りの人数はかなり増えているんだろうと思う。
「いままでは絶望の方が強かったけど、諦めに変わってきてる奴が増えてる」
「諦めって……。わたしはまだ――」
「そうじゃない。諦めってのは、そういう意味じゃない。今日の朝から、避難民の女子区画に男子が入ることは制限されるようになった。女性がひとりだけで行動しないよう通達も出てる。ファイターの人数に余裕が出てきたら、たぶん避難所内の警備も始まると思う」
「何か、ありそうなの?」
「まだわからない。でも諦めってのはそういうことだ。絶望して元気がなかったのが、余裕が出てきて、でも未来がないと感じたとき、自殺するとか、他人を巻き込んで暴れるとか、そういう行動に出る可能性がある」
「怖いね……。東堂は、そういうの、大丈夫なの?」
仁奈と一緒に彼の顔を見つめると、驚いたように目を見開いて言う。
「オレは……、まぁ大丈夫だ。お前たちと知り合いだし、お前たちが頑張ってるの、知ってるからな。……オレ自身は、アバターの操作とかよくわかんないし、戦えそうにないけど」
そんなことを言う東堂に、仁奈の顔を見てみると、彼女もわたしの方を見ていた。
声に出さなくても仁奈の言いたいことはわかる。わたしの言いたいことも仁奈に伝わってる。
女の子好きで、女の子と遊ぶのが好きで、戦いを拒むほどにはヘタレで、でもそんな彼は、決して悪い奴じゃない。
「藤多も倉増も気をつけろ。ファイターだ、って言っても、お前たちも女の子なんだから」
「うん、気を付けるっ」
「わかった、東堂君。ありがとう」
少し顔を赤くしながら鼻の頭を掻いてる彼を、わたしと仁奈は笑って見つめていた。
「じゃあわたしはシャワー浴びて、さっさと寝るね。明日も作戦たくさんあるし」
「ん。お休みなさい、智香」
「お休み、藤多」
食事を終えたわたしは、ふたりに手を振って席を立った。
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