銃と乙女と遊戯世界 第二章 4
* 4 *
着地した民家の屋根の上から周囲を見渡して、モンスターが出現してないのを確認する。
大型トラックでも充分行き来できそうな太い道路を挟んだ向こうの敷地が、今日の作戦目標。
両手にナイフを構えた永瀬を見て、わたしも右手に短機関銃を喚び出す。
朝、寝起きのわたしに話しかけてきたのは、綺更ちゃん。
永瀬は今日、いつもと違う作戦に出ると言う。事情により信頼できる人以外には参加させられないという作戦は、綺更ちゃんが同行できないため、このままだと永瀬ひとりで行くことになるということだった。
一緒に行ってくれないか、と言われて、わたしは頷いた。
どうして出撃することにしたのか、自分でもよくわからない。
いろんなことが頭の中を駆け巡っていて、胸の奥にもやもやしたものがわだかまってる。外に出たくなんてなかったし、ずっと寝ていたいと思った。
それでもハイパー・フェアリーを纏って、永瀬の隣に立ったら、自然と動くことができた。
いつもよりぎこちないアバター操作になってるのは自分でも感じながら、それでもここまで屋根伝いにやってこれた。途中でモンスターを見かけたときは足が竦みそうになったけど、でも先を行く永瀬に遅れないように、アバターを動かすことができた。
「……ここは、何なの?」
屋根から道路に降り立って、素早く敷地の門の前に移動する。普通の家にしては高い、と言っても立って手を伸ばしたよりも少し高い程度の門は、ハイパー・フェアリーのわたしと、ハイスピード・サムライの永瀬にとっては障害にもならない。
門を飛び越えた先、何かがあった感じがしない、キャッチボールくらい余裕でできそうな雑草がちらほら生えたスペースには、木も生えてなくて、庭の雰囲気でもない。その向こうに建つ三階建ての箱のような建物は、素っ気なさ過ぎて巨大な豆腐にも見えるくらいだった。
「元々はどこかの会社の研究所だったそうだ」
「あー、なるほど」
いつもみたいに元気があるなんて口が裂けても言えないけど、永瀬の返事にわたしは極力いつも通りに相づちを打つ。
本部避難所からけっこう離れてて、河が近いこの辺は、企業の倉庫とか工場が多い。
それにしても広大と言える敷地の真ん中に建つ箱のような建物は、ちょっとおかしい感じがあったけど、永瀬の言葉に納得した。
「いまは、源也が所有してる」
「源也って、綺更ちゃんの……。じゃあここが、ワールドシフトの中心?」
「それは違う。中心点は新宿都心部だ。ここはあくまで研究所、だと思う。中心点の比較的近くにあるだろうと予測してたが、昨日やっとここだと判明したんだ」
「そっか」
判明したってことは、探してたってことだと思うけど、綺更ちゃんはあれだけ忙しくしてたのに、そんなこともしてたんだとちょっと感心してしまう。
そう思えば避難民の身元特定や状況確認のために区役所に行って書類やデータを持ってくる作戦もあったけど、実はここを特定する目的もあったのかも知れない。
「周囲を充分に警戒。犯人が源也なら、ここにも何か仕掛けてるかも知れない」
「わ、わかった」
いつもよりさらに鋭い永瀬の警戒の声。
目の前に敵がいるみたいに両手のナイフを構え、正面玄関にじりじりと近づいていく彼の後を着いていくわたしは、短機関銃を両手で持って、左右と背後に注意を払っていた。
――わたし、戦えるかな?
モンスターを見るだけで足が竦むようになってしまったわたし。
昨日の朝までの自分と、いまの自分が変わってしまっているのを感じる。
胸の奥に押し込めていたものに気づくまでは、戦うことを楽しんでいた。
怖いことだと、死ぬ危険があるんだとわかっていても、楽しいという気持ちで塗りつぶして、気づかないふりをしてた。
武器は構えてるけど、実際目の前にモンスターが現れて、戦わないといけなくなったとき、引鉄を絞れるのか、脚を動かすことができるのか、わからなかった。
ガラスの自動ドアには金属格子のシャッターが下りていて、永瀬はその脇にある通用口らしい金属の扉に近づき、手を伸ばす。
「下がれ! ティンカー!!」
永瀬の叫び声に、わたしは反射的に後ろにジャンプして扉から大きく距離を取った。
わたしと扉の中間地点まで下がった永瀬が、腰を落として戦闘態勢を取るのと同時に、扉のわずかな隙間から染み出すように現れた、黒いもの。
「ドッペルゲンガー!」
扉の前で人型を取ったそいつに、わたしは思わず声を上げていた。
ドッペルゲンガーはタクロマの中で出現する、あるクエストダンジョンのボスモンスター。
レベル一〇のときに戦ったことがあるけど、ぜんぜん相手にならなくて、結局ミノスに手伝ってもらって倒した苦い想い出がある敵だった。
そしていま、わたしのレベル五で、永瀬は六。
タクロマの中での強さと、現実でアバターを纏ってるときの強さはたぶん違って、レベルだけじゃ計れないものがあると思うけど、少なくともいま、戦いたい敵じゃなかった。
目も鼻もないのに、口だけがあるドッペルゲンガーがニィと笑い、姿を変える。奴の能力は名前通りに、他人の物真似。
永瀬の姿を取ったドッペルゲンガーはステータス表示すら偽装するから、他人が見た目で見分けるのは不可能。ゲームの中でパーティで挑むときは、姿を盗まれたファイターは防御と回避に徹するという行動によって、仲間に見分けてもらう方法が採られていた。
――攻撃、しないと……。
そう思うのに、わたしはドッペルゲンガーに銃口を向けることすらできない。脚が震えて、立ってることも難しいくらいだった。
「大丈夫だ、ティンカー!」
スマートギア越しに視線を飛ばしてきた永瀬は、ドッペルゲンガーに向かって駆ける。
ふたりとも同じカイザーエッジを両手に持ってて、速い動きと肉薄する攻撃で、一瞬でどちらが本物の永瀬で、どっちがドッペルゲンガーかわからなくなる。
――戦わないと。
そう思うのに、わたしの身体は動かない。
わたしがレベル一〇でもひとりじゃ倒せなかったドッペルゲンガーが、いまレベル六の永瀬ひとりで倒せるわけがない。支援しないといけないのはわかってたけど、震える身体は立ってることもできない。座り込んでしまったわたしは、両腕で震える身体を抱き締める。
――怖い。
ただ、そう感じていた。
ナイフとナイフがぶつかり合い、火花が散っていた。
片方は奥歯を噛みしめてて、片方は薄笑いを浮かべてるけど、お互いにナイフを振るい、躱し、ぶつかり合うふたりの立ち位置は、どんどん入れ替わっていく。
――このままじゃ、永瀬が死んじゃう。
そんなことになってほしくないと、左手を地面について、歯を食いしばって立ち上がろうとするけど、力が入らないわたしの身体は、また座り込んでしまう。
「ティンカー!!」
どちらの声だったのか、俯いてた顔を上げると、すぐ側に永瀬の身体が吹き飛んできた。
彼の身体にはたくさんナイフで斬られた傷があって、アバターの下に達するものはないみたいで少し安心するけど、苦しそうに口元を歪めてる。
「永瀬!」
「ダメだ!」
這うように近づいたわたしと、離れたところから走ってくるもうひとりの永瀬の声が被った。
倒れていた永瀬がわたしの手をつかみ、ニヤリと笑う。
次の瞬間、永瀬だったものは、ハイパー・フェアリーを纏った、わたしになった。
起きあがって短機関銃の黒い銃口を向けてくるドッペルゲンガーに、わたしは死を覚悟する。
「ティンカー!!」
引鉄が絞りきられるよりもわずかに早く、奴の手を蹴り飛ばしたのは、永瀬。
攻撃を諦め、ドッペルゲンガーはわたしと同じ長い黒髪を振り乱しながら距離を取った。
わたしのことを隠すように、永瀬は背筋を伸ばして奴との間に立つ。
――こいつ、こんなに背中広いんだな。
こんなときなのに、わたしはそんなことを考えていた。
まだ永瀬とペアを組むようになって何日も経ってないのに、見慣れているようにも思えるハイスピード・サムライを纏った永瀬の背中。
その背中に守られて、わたしはなんとなく、気持ちが落ち着いていくのを感じていた。
「大丈夫だ」
目配せするように少しだけ振り向いて、言いながら永瀬は左手に大きな盾を喚び出す。
その直後に、拳銃弾の雨が降り注いだ。
すべてを盾で防いだ永瀬は、再び両手にカイザーエッジを構えて、ドッペルゲンガーに走り込む。
「このままじゃ、ダメだ」
呟いて、わたしは脚を踏ん張って立ち上がる。
目の前で繰り広げられてる永瀬とドッペルゲンガーの戦いは、圧倒的に永瀬の不利だ。
対モンスター戦で考えた場合、切れ味の鋭い剣、重量をダメージに変える長槍、体重と速度を乗せられるナイフといった武器は、途切れることなく戦うことができて、ダメージも大きい。
でも対人戦になったとき、同じ速度で逃げ回ることができ、距離を離してても攻撃ができる銃器などの遠距離武器が圧倒的に有利となる。
ナイフ戦をやっていたときと違って、近づくことすら難しい永瀬は、それでも諦めることなく隙を窺ってドッペルゲンガーに接近を試みてる。
――なんでだろう。
ふと疑問が生まれた。
何で永瀬は、こんなに頑張ってるんだろう、と。
このまま戦ってたら、死んじゃうかも知れない。わたしを置いて逃げれば生き残れるのに、彼はいまも戦い続けてる。
そこまで彼がする理由を、わたしは思いつけなかった。
「永瀬!」
「大丈夫だ! 貫通してないっ」
拳銃弾が腹に命中したのを見て悲鳴みたいに声を上げてしまうけど、わたしに返事をした永瀬はまたドッペルゲンガーに向かっていく。
――ワールドシフトの秘密がわかるかも知れないから?
この建物は源也さんの研究所。探ればワールドシフトを止める方法が見つかるかも知れない。
だから永瀬は必死なのか、と思う。
――わたしがいるから?
口数が少ない永瀬は、でもいつもパーティメンバーのことを気遣っているのを感じていた。
声にして言えるほど器用じゃないけど、彼は仲間想いの頼れる相棒だった。
いろんなことが頭の中にあって、でも考えがまとまらない。
そのときふと見ると、ドッペルゲンガーがわたしに銃口を向けていた。
応射しようと銃を持ち上げるよりも先に、わたしに覆い被さってきて押し倒してきたもの。
降り注ぐ拳銃弾からわたしの身体を抱き締めて守ってくれたのは、永瀬。
その頬には、かすめた弾丸で、うっすらと血がにじんできていた。
「……なんで?」
地面に転がったまま、すぐ側の永瀬の顔に問う。
でもそれに答えてくれない永瀬は、口元に笑みを浮かべて言った。
「大丈夫だ。ティンカーのことは、俺が絶対に守る」
わたしの髪を一瞬撫でて、素早く立ち上がった永瀬は、またドッペルゲンガーに挑みかかる。
身体を起こして彼の戦いを眺めるわたしは、呆然としていた。
――うん、嬉しい。
素直に、永瀬の言葉にそう感じていた。
命がけで彼がわたしを守ってくれる。
その言葉とその行動は、嬉しくて思わず笑みが零れちゃうほどだった。
――でも違う。
胸の奥から湧き上がってきて、わたしの身体を満たしたもの。
もう身体は震えてない。
短機関銃を持つ手にも力が入る。
永瀬とドッペルゲンガーの動きをしっかりと見据えたわたしは、わたしがこれまで戦ってきた理由を、戦ってこられた本当の理由を理解する。
散弾銃を取り出したドッペルゲンガーは、小さな粒が拡散して広がる散弾を発射した。
散弾で抉られた地面に足を取られて、永瀬が体勢を崩す。
さも嬉しそうに唇の端をつり上げるドッペルゲンガーは、永瀬に銃口を突きつける。
「させない!」
片膝をつきながら短機関銃を仕舞い、自動小銃を取り出したわたしは、スマートギアの視界に表示された照準で狙いをつけて、引鉄を絞った。
命中させたのは、ドッペルゲンガーの、でも自分のものにも思える頭。
永瀬の代わりにわたしに銃口を向けようとする奴に、わたしは次々と小銃弾を見舞った。
散弾銃を破壊されて両手に短機関銃を取り出したのを見て、同じように両手に短機関銃を取り出したわたしは、奴が構えるよりも先に引鉄を絞りながら倒れてる永瀬の前に走り込む。
「離れてろ、ティンカー!」
「うっさい、莫迦!!」
回避行動をし始めたドッペルゲンガーに、弾倉が空になった短機関銃から自動装填式散弾銃に持ち替え、素早い動きの奴に散弾を撃ち込む。
立ち上がったらしい永瀬に、振り向きもせずにわたしは言い放つ。
「永瀬がわたしをそんなにまでして守ってくれるのかは、今度訊く。でもわたしも永瀬に死んでほしくない。怪我してほしくない。同じなの! だからわたしも戦う。もう大丈夫だから!!」
「……わかった」
新たに対物大型銃を取り出したドッペルゲンガーを見て、わたしも同じ銃をインベントリから取り出した。
「やるよ、永瀬」
言ってわたしは、空を指さし、彼に目を向けた。
命中すれば怪我では済まない威力を持った銃を向けられながらも、永瀬とわたしは頷き合う。
対物大型銃は、短機関銃や小銃のように引鉄を絞ってる間ずっと撃ち続けることはできない。
一発ずつ、引鉄を絞る必要がある。
その一瞬の時間があれば、わたしと永瀬には充分だった。
一発目の弾丸が発射される直前、わたしたちは左右に分かれて跳んだ。
迷うことなく永瀬に銃口を向けたドッペルゲンガーが二発目を放つけど、それを躱した彼は奴に肉薄していた。
斬りつけるのではなく、仰向けにした身体を滑り込ませ、永瀬はわたしと同じサイズの胸をつかみながら、奴の腹を蹴り飛ばした。
ドッペルゲンガーは変身した相手が持ってるすべての武器を使えるけど、アバターに備わった特殊能力は使えない。ハイパー・フェアリーの浮遊制御は使えない。
空高く浮かび上がった奴に狙いをつけ、わたしは対物大型銃の引き金を絞った。
一発、二発、三発、四発。
避けることもできないドッペルゲンガーは、一発命中するごとに遠ざかるように吹き飛ぶ。
四発の弾丸を受け、壁に叩きつけられ、地面に転がった奴はのたうち回っている。
そこにジャンプで着地した永瀬は、両手のナイフを奴の身体に突き刺し、地面に縫いつけた。
近づいたわたしは、わたしと同じ姿をしたドッペルゲンガーの顔に、対物弾を撃ち込んだ。
それをトドメに、ドッペルゲンガーの身体は泡となって弾けた。
完全に泡が消えるのを待ってディスプレイを跳ね上げ、永瀬に笑いかける。
「わたしは戦うよ、永瀬」
同じようにディスプレイを跳ね上げて顔を見せてくれた彼は、苦々しそうな表情を浮かべる。
「永瀬がわたしのことを守ってくれるのは、嬉しい。けど、けどね? わたしも永瀬を守れるよ。一緒に戦えるよ。だから、もう大丈夫」
言ってわたしはできるだけの笑みを見せるのに、でもなんでか、目尻から溢れた涙が、頬に伝っていくのを感じていた。
「……わかった。一緒に戦おう」
諦めたように、呆れたようにため息を漏らした永瀬は、笑ってくれて、涙の止まらないわたしの髪を優しく撫でてくれた。
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