銃と乙女と遊戯世界 第二章 3
* 3 *
「ティンカー班、帰還五名。ひとりは――」
「うん。掲示板の報告は見てた。後の処理は私がやるから、お兄ちゃんは休んで。お疲れさま」
「しかし、まだ作戦が……」
「今日の出撃はもう無理でしょ。早いけど休んで」
「わかった」
そんな永瀬と綺更ちゃんのやりとりを、司令室の入り口に立ったわたしは、ボォッとしながら見てた。
どうやって学校まで戻ってきたのか、あんまり憶えてなかった。
自分の脚で帰ってきたような気もするし、永瀬に抱きかかえてもらったような気もしていた。
泣いて、たくさん泣いて、大事なものがすっかり身体から出て行っちゃった気がするのに、胸の奥がまだ重くて、時々涙がこみ上げてきて、自分がいまどうなってるのかよくわからない。
外はまだ明るいけど、身体が重くて、怠くて、動きたくなかった。
――助けて、ミノス。
ギルドメンバーリストには、彼の名前はない。彼らしい人も見つからない。
落ち込んでるときは、ゲームの中でだったけど、笑みをかけてくれて、髪を撫でてくれて、わたしの気が済むまで一緒にいてくれた彼は、どこにもいない。
「智香? 大丈夫なの?」
少し離れたところから声をかけてきてくれたのは、仁奈。
凄く驚いたような顔をして、それから心配そうに目を細める彼女に、胸の中で何かが弾けた。
タクロマからログアウトして、スマートギアをはぎ取ったわたしは、仁奈の元に走っていく。
彼女の身体に抱きついて、柔らかい胸に顔を埋めて、わたしは泣いた。
大声で泣いた。
何も考えたくなかった。
何もしたくなかった。
でも眠ることも、ひとりになることも怖くて、どうしていいのかわからなかった。
だからわたしは、仁奈に抱きついてずっと泣いていた。
「水だけど、飲める?」
仁奈が持ってきてくれたコップに手を伸ばして口をつけてみるけど、水ですら飲み干せない。
ゆっくりと、少しずつ喉を通して飲むと、痛かった喉が少しマシになった。
もう厨房では夕食の準備が始まってるのが見える食堂。
しばらく仁奈に抱きついて泣いて、ここまで連れてきてもらったわたしは、椅子に座り込んだままもう一歩も動けそうになかった。
それでも少し気持ちが落ち着いてきて、心配そうな表情をしてる仁奈に顔を向ける。
「何があったの? 智香」
「ん……。さっきの作戦で、パーティメンバーがひとり、――死んだの」
「そっか」
口にするだけで、喉にこみ上げてくるものがある。
それを必死で抑え込んで仁奈を見てみると、悲しそうな、寂しそうな色を瞳に浮かべてるけど、驚いてる様子はなかった。
「驚かないんだ?」
「うん。アタシは最初の避難所まで逃げる途中で、ふたりくらい……、見たから」
「そうだったんだ」
弱々しく笑う仁奈は、椅子から立ち上がって、隣に座った。
肩に腕を回してくれて、頭を抱き寄せてくれる。
「わたしは知らなかった……。これはゲームで、現実なんかじゃなくて、人が死ぬなんて……、思わなかった」
仁奈の肩に額をつけて、鼻をすすりながら、わたしは言う。
――嘘。
言った途端、わたしの中で、わたしが否定した。
自分の言葉が嘘であると、わたしの中のわたしが言っていた。
顔を上げたわたしは、優しい笑みを向けてくれる仁奈に言う。
「本当は、嘘。わたし、全部知ってた。ここが現実で、タクロマの中なんかじゃなくて、人が死ぬリアルなんだってわかってた」
この数日の間に、ファイターが増えるばかりじゃなくて、減ってることもあるのに、わたしは気づいてた。それはファイターをやめる人だけじゃない。ペアが最低行動単位で、偶数人で組織されるパーティが、帰還時に奇数人になってるのも、報告のときに聞いたことがあった。
何よりもわたしは、一番最初にモンスターに食べられかけたんだ。死にかけたんだ。
ワールドシフトが現実であることは、そのときから気づいてた。
「わたしは、目を逸らしてただけ。これはゲームで、現実じゃないんだって自分に言い聞かせてただけ。ミノスに逢えるかもって考えて、誤魔化してただけ」
「たぶん、そうだろうな、って思ってた」
「気づいてたんだ?」
「そりゃあね。いつから智香の親友やってると思ってるの? 智香はつらかったり、苦しかったりしたときは、いつもより元気に振る舞うんだよね。自分で気づいてなかった? 無理してるのはわかってたけど、……アタシも余裕なかったからね」
「うん……」
仁奈が気づいてくれてたことが嬉しくて、でもちょっと恥ずかしくて、少しだけ笑うことができたわたしは、彼女の大きな胸に顔を押しつけて、暖かさを感じる涙を流していた。
「木曜の朝の、停電する直前の臨時政府発表で、行方不明者は一万人以上だったよ。これは現実なんだ、藤多」
「東堂……」
「あれからもう何日も経ってる。いまはその何倍かになっててもおかしくない。そんな情報すら、いまは入ってこない。救助がいつ来るかも、この状態からいつ脱出できるのかもわからない。オレたちはいま、生きるか死ぬかの瀬戸際にいるんだ」
机を挟んだわたしたちの正面の椅子を引いた東堂は、少しやつれた感じのある顔に険しい表情を浮かべて座った。
「言っただろ、藤多。ファイターは危険だ。オレや倉増よりも死に近いところにいるんだから」
「うん……」
「早くファイターをやめるんだ。藤多も死ぬことになるぞ。なんだかここを離れたところにいるボスを倒しに行くなんて話もしてるそうじゃないか。そんなことをするより、救助が来るまで避難所に籠もってた方がいい」
「でも、シティクライシスってイベントで、水曜には避難所も安全じゃなくなるんだよ」
「だったらそのイベントが終わるまで、ここだけを守っていればいい。ボスなんて強い奴と戦いに行くよりも、その方が何倍も安全だ」
「それは……」
東堂の言葉に、わたしは反論する言葉が見つからなかった。
綺更ちゃんが最後に臨時政府と通信したときには、救助を出すことを約束していたと言う。タクロマの中には高空を飛ぶモンスターはいないから、手段はヘリで、でも病院とかの緊急性がある施設が優先されるということだったそうだ。
それでもいつかは救助が来る。……そのはずで、食料の確保だけをやって、あとはシティクライシスのクライマックスの間、避難所の防衛に努めていた方が、いまみたいにいろんな作戦をやるより安全だろうと、わたしも思えていた。
「今日以降、ファイターは増えるんだろ? だったらもう藤多が戦う必要なんてない。女の子なんだから、危険なことは男に任せておけばいいんだ」
「でもわたしは……」
言い返そうと思ったけど、何も言えなかった。
ミノスにはいまも逢いたいと思ってるけど、自分をごまかせなくなったわたしは、ミノスに逢うことを理由にはできない。
死ぬ可能性もある戦いに、彼と逢うことを理由にして参加できない。
仁奈の顔を見てみると、柔らかい笑みを浮かべてる彼女は、でも何も言ってくれなかった。
わたしが決めないといけないことなのは、自分でもわかってた。
でもどうしていいのかわからない。
やめるべきなのかどうなのか、判断できない。
いまは何も考えたくなかった。
「心配してくれてありがとう、東堂」
俯いて、それだけ言うわたしに、大きなため息を吐いた東堂は苛立ってるみたいに席を立つ。
「ファイターをやめるならいまのうちだぞ、藤多。ボス討伐作戦が始まったら、藤多はけっこう強い方なんだろ? 最前線に行かされちまうかも知れない。ボスが討伐隊よりも強かったら、何人帰ってこられるかわからないんだぜ?」
「うん、そうだね……」
「早く決めた方が藤多のためだ」
そう言い残して、足を踏み鳴らしながら、東堂は食堂から出て行った。
――なんでかな?
自分でも、ファイターをやめる決断ができない理由はわからなかった。
危険なのはわかってる。死がすぐ隣にあることだって、もう理解してる。
それでもやめようと、思うことができなかった。
「わたし、どうしたらいいんだろ?」
「それはアタシに訊いても仕方ないことだよ」
いつもの、ワールドシフトが起こる前の、教室とかで話してるときと同じ笑顔を見せてくれた仁奈は言う。
「智香には迷ってる理由がある。悩んでる原因がある。それはアタシじゃはっきりとはわからないし、どうするか決めるのは、智香自身じゃないとできないよ」
「うん……、そうだね」
そう応えたわたしは、仁奈にできるだけの笑みを返す。
明日もたくさんの作戦があって、達成目標が掲げられてる。朝までには決めないと、わたしだけじゃなくて、最低でもペアで行動しないといけないんだから、永瀬にも迷惑がかかる。
それがわかってても、わたしはいまはまだ、どうするか決めたくなかった。
*
壁に下げられた丸い時計の針は一時をとうに過ぎ、照明の後ろ半分を落とした司令室には、綺更しかいなかった。
雑然と紙の束や地図が置かれた机の上で、彼女は手元に並べた何枚かの紙を見比べながら、新たな紙にペンを走らせている。
「ん」
そんな彼女に近づいていき、左手のカップを差し出したのは、侍よりも忍者を思わせるハイスピード・サムライを纏った永瀬稔。
紅茶の入ったカップを渡した後、彼は机に身体をもたせかけ、自分のカップに口をつけた。
「ありがとう、お兄ちゃん。……ティバッグのかぁ。こんなんでもいまは貴重なのはわかってるけど、早くちゃんとした紅茶とかコーヒーが飲みたいね。お兄ちゃんが淹れてくれた奴」
「そうだな」
小さく応えた稔は、考え込むように俯き、黙り込んだ。
時折カップを傾けるだけで、綺更に背を向けたままその場を動くことなく、喋ることもない。
そんな稔の背中を眺めていた綺更は、苦笑いを浮かべて彼に声をかける。
「智香さんのこと?」
「……あぁ」
「いまはどうしてるの?」
「隣で眠った」
「そっか。眠れたんだ。っていうかお兄ちゃん、智香さんの寝顔見てたんだ?」
「……俺もさっき、少し寝ていただけだ」
アバター越しでも微妙に縮こませている稔の肩に、綺更は思わず噴き出しそうになっていた。
しかしそのすぐ後、表情を引き締める。
「今日の作戦で手に入ったスマートギアは八三個。早い時間に手に入った分は希望者に配り終えて、アバター操作の訓練も始めてる。一番早い人は実戦に入って、レベル二にはなってるよ」
「あぁ」
「今日の作戦での負傷者は三人。ひとりは重傷だから戦線離脱だね。……それから死者が一名」
「……うん」
素っ気ない返事をしていても、稔がちゃんと話を聞いてることは、綺更にはわかっていた。
そして彼がいろんなことを考えてるのも、知っていた。
これまでにギルドに加入しているファイターの死者は、五名に達していた。重傷を負い、戦線離脱を余儀なくされた者が一二名。
それ以外に、自主的にファイターをやめた人間が、二〇名近くいた。
ファイターが減ってスマートギアに空きができる度に、志願者のうちタクティカル・ロマンシア経験者を優先して配布し、戦力補充に努めてきた。安全圏外の活動は避難民の捜索と誘導、食料やスマートギアの確保が主で、ゲームのときのように狩りを目的とした作戦は行っていないため、ギルド内の平均レベルは四にも達していない。
レベル五以上のファイターは、今日で一五〇人を超えた中でも一〇人ほど。シティクライシスのイベントボス討伐の際にはレベル七以上、最低でもレベル五以上のファイターで討伐隊を構成したかったが、達成できるかどうかは難しいところだった。
ファイターが増えた分、武器などの装備不足も発生していて、とくに需要が高い長槍系の武器は、ドロップ率の高いモンスターを退治して手を入れる必要がありそうなほどとなっている。
それでも今日で手に入った大量のスマートギアは、ファイター希望者以上の数になり、少なくとも水曜までに各避難所に最低限の戦力を整えることができる程度になっていた。
「もし智香さんをファイターやめさせるなら、いまだよ」
「……そうだな」
「まぁお兄ちゃんは智香さんがファイターになるの、最初から反対だったもんね」
楽しそうに言う綺更に、稔は眉根にシワを寄せて彼女を睨みつけるように振り向く。
しかし何かを言うでもなく、残った紅茶を飲み干して視線を外した。
そんな彼の様子に深くため息を吐き、綺更は言う。
「お兄ちゃんはどうしたいの?」
「わからない」
「何がわからないの?」
「何を言ってやればいいのか、どうしてやるべきなのか、何が一番いいことなのかわからない」
「本当、お兄ちゃんはそういうところ面倒臭いって言うか、不器用って言うか……。まぁ知ってるんだけど。そういうとこ器用にこなすお兄ちゃんも不気味なんだけどさ。……これがネットの中で、BGMでもあったら、もっとどうにかなったのにね」
綺更の言葉に稔は心底嫌そうに顔を歪めていた。
その顔を見つめて楽しそうな笑みを浮かべる綺更は、顎に指を添えしばし目を細めて考える。
「……明日の作戦、どうするの? お兄ちゃん」
「俺ひとりで行く」
「ダメだよ。どんな仕掛けがあるのかわからない。侵入は諦めて偵察だけで済ますとしても、ひとりは絶対ダメ。本当は、私が一緒に行ければいいんだけど、まだしばらくは司令室を離れていられそうにないからね」
「だったらやっぱり俺が――」
「智香さんは!」
説得しようと綺更の目を見つめる稔だったが、彼女の勢いのある声に口をつぐむ。
「智香さんは、まだファイターをやめるって宣言してないんでしょ?」
「そうだが……。しかしいまのあいつは――」
「だったら、智香さんとふたりで行ってきて」
「無理だ。いまあいつは出撃できる状態じゃない」
「でも、お兄ちゃんをひとりでは行かせられない。私も一緒に行けない。タイミングから考えると、明後日以降には延ばせない。……それに、最悪フルパーティで攻略とかになるかも知れないけど、そこまでせずに済ませられるなら、いまのうちは信頼できる人以外に拡散させたくない。避難所の足並みが乱れちゃうからね」
「それを言ったらあいつも他人だ」
「うん、わかってる。でも私はけっこう智香さんを信頼してる。智香さんを信頼してるお兄ちゃんを信じてる」
机に肘をついて手の平に顎を乗せた綺更は、にっこりと笑いながら言う。
「それに、智香さんはお兄ちゃんが思ってるほど弱くないよ。タクロマの中でも何回かしか会ったことないし、ほとんど話に聞いてるだけだったけど、直接会って、話して、だからこそ言える。お兄ちゃんは智香さんのこと、見誤ってる。心配するのはわかるんだけどねぇ」
「俺は、その、そうじゃなくって……」
「とにかく、明日の作戦は明日の朝に判断する。最悪お兄ちゃんひとりで行ってもらうことになるけど、智香さんがOKなら、ふたりで行ってきて」
「……わかった」
「私じゃ明日のことはわからない。危険かも知れないし、ぜんぜん問題ないかも知れない。とにかく、絶対に帰ってきて。それだけは約束して」
「ん。約束する」
稔の少し口ごもるような返事に、綺更はにっこりと笑んだ。
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