銃と乙女と遊戯世界 第一章 5



       * 5 *



「いったいどういうことなのかわかるように説明してくれ!」

 そんな怒鳴り声を張り上げたのは、避難民代表を標榜する少し小太りな感じの小父さん。

「私にもわかりません。東京一帯に何故ゲームの世界が上書きされたのかも、それがどうしてタクティカル・ロマンシアなのかも、私や、おそらく私以外の人も誰も知らないんです。どうしてアバターを纏うことで戦えて、ゲームのルールがどの程度適用されているのかも、いまのところ調査中です。説明できるほどの情報がいまはありません」

 静かに、でも司令室内の隅から隅まで届くほどの声で言ったのは、綺更ちゃんだった。

 トータザウラを倒した後は敷地内に侵入してくるモンスターはなく、到着した増援と一緒に八四人の避難民をこの高校まで護衛して移動することになった。

 戦えないし、モンスターを近寄らせるわけにもいかず、人数も多くて時間がかかる移動は本当に気を遣う作戦で、一時間以上かかった移動の間に四度モンスターと戦ったよりも、動けなくなった人を元気づけたり、恐怖で逃げだそうとする人を押さえる方が大変だった。

 すっかり暗くなった後、会議のために司令室に集まったのはわたしたちファイターと、司令室要員として働いてる大人の人たち、それから避難民の代表という人たちが何人か。他にもタクロマのクライアントアプリの機能経由で、OTRに加入してるギルドメンバーには会議の様子が配信されていた。

「お前たちがわからなかったらどうすればいいんだっ。そもそもなんでこんなことになってるんだ! 誰か説明できないのか?!」

 わめいてるだけで会議の役には立ってない小父さんの声に、綺更ちゃんはため息を吐くばかりで、もう返事もしなかった。

 壁際に並んだアバター姿や、普段着になってる二〇人くらいのファイターの人たちも、綺更ちゃんの下で働いてる人たちも、不安な表情を見せていた。

 綺更ちゃんの側に永瀬と一緒に立つわたしも、口に出して言ったりはしないけど、不安なのは変わりなかった。

「とにかくいまは原因を探るよりも、襲撃に備えて連絡を密にすることと、応援態勢を整える必要があります。またファイターの数が少ない避難所も多いため、戦力増強が急務です。明日以降は予定していた作戦に加え、スマートギアを収集する作戦も実行する予定です。近くの電気店から集めてくる予定ですが、もし自宅などが近くにあって、スマートギアをお持ちの方は申し出てください。いまはひとりでもファイターを増やす必要があります。皆さんには協力をお願いしたいと思います」

 そんな綺更ちゃんの言葉に、避難民代表の小父さんや小母さんたちは、「わかった」と言いながら渋い顔をして司令室を出て行った。

「改めて今後の体制ですが、新たに行う作戦については割り振りや順番も含めて明日の朝までにはまとめておきます。また救援要請に対応できるよう、ファイターの方々には交代で待機に入ってもらいます。みんな疲れているのはわかっていますが、いまは戦える人が少ないので、すみませんがよろしくお願いします」

 言って綺更ちゃんは、机に額が着くほどに深々と礼をした。

 不安そうに近くの人と顔を見合せたり、諦めたようなため息を漏らしてるけど、残っているメンバーから反発や反論の言葉は発せられなかった。

 自分だって別にファイターってだけで他の人たちと立場が変わらないはずなのに、綺更ちゃんがどうしてここまでしないといけないのかと思ったりする。

 でもわたしが彼女の代わりになったり、彼女以上のことができるわけじゃないから、どうにかしてあげたいと思っても、何も言葉は出てこなかった。

 ――源也さんのことがあるからかな。

 永瀬が話してくれたワールドシフトの原因の可能性が高い、綺更ちゃんの本当の父親。

 そのことが気になって、彼女はここでリーダーをしてるのかも知れない。

 椅子に座ってペンを持って、紙にスケジュールを書き始めた綺更ちゃんの、引き結ばれた唇を見ながらわたしはそんなことを考えていた。

「でもどうして、ルールが変わっちゃったんだろ」

 誰に言うでもない、綺更ちゃんの呟き。

 それはわたしも、そしてみんなも持ってるだろう疑問だった。

 今日の朝方から始まったワールドシフト。

 少なくとも夕方までは家とか建物の敷地内にはモンスターが入り込んでこなくて、ピンチになっても逃げ込めば回避することができていた。

 避難所が安全地帯として機能できてるのも、そのルールがあったからだった。

 ――そう思えば。

 ふと、わたしの中に思いつくことがあった。

「シティクライシスの前兆現象みたいだよねぇ」

 思ったことを天井を眺めながら口に出していた。

「智香さん! もう一度お願いします。みんなに聞こえるように」

「え? えぇっと……」

 眉根にシワを寄せて立ち上がった綺更ちゃん。隣に立つ永瀬も厳しい視線を向けてきていた。

 綺更ちゃんの声が聞こえたらしく、司令室内の人たちもわたしに注目していて、恐ろしく居心地が悪い。

「えぇっと、シティクライシスって、タクロマの定期イベントじゃない。イベントボスが出たのは先週。ゲームの中だったらまた来週、フィールドダンジョンにボスが現れるでしょ? それで、イベントの前兆現象で、街の外にある安全地帯がランダムでモンスターに侵入されるのって、今日の午後から段々と起こるから、それに似てるかな、って」

 口元を強張らせて俯いた綺更ちゃん。

 静まり返った司令室の他の人たちも、考え込むような表情を見せていた。

 何かいけないことでも言ったのかと思って、わたしはどうしたらいいのかわからなくなる。

「すぐに対策を立てます。近隣の地図と、避難所の施設情報を集めてください。ゲームの通りならばモンスターが侵入する施設はランダムだと思いますが、NPCがいる場所が最初というのが同じならば、おそらく区立や都立などの行政管轄の施設が徐々に浸食されるはずです。まずは該当する避難所に注意の勧告を。連絡がつかない場所には人を派遣します」

 机を叩いて立ち上がった綺更ちゃんが鋭い声を発した。

「これはシティクライシスです!」

 響き渡った声によって、全員の顔に緊張が走る。

「確定ではありませんが、智香さんの言った通りであるなら、おそらくこの世界は現在、タクティカル・ロマンシアのスケジュールに同期してイベントが発生する可能性が高い。明日より危険性の高い避難所の廃止と近隣避難所への統合を開始します。統合が困難な場合には比較的安全な施設への移転を行います。またOTRの管轄外の避難所へも伝令を出します。事態は急を要します。遅い時間になりますが、朝までには作戦を開始しなければなりません。手伝いをお願いします」

 応じる返事とともに、それぞれの席に就いていた大人たちが綺更ちゃんの元に集まってくる。

 何がどうなってるのかわからないわたしは、集まってきた人々に押し出されるようにその場から離れた。

「永瀬?」

 近寄ってきたわたしの肩を軽く叩いた永瀬は、優しい色を浮かべた瞳で微笑み、それから表情を引き締めた。

「たぶん俺たちもすぐに作戦に入るか、休息を言いつけられるかのどちらかになる。指示があるまでは楽にしておけばいい」

「う、うん。えっと、わたし、何か悪いことでも、しちゃったかな?」

 何がおかしいのか、引き締めていた表情を崩して、永瀬は笑う。

「誰も気づかなかったんだ。ワールドシフトのことばかりに気を取られて、タクロマのイベントまで反映されてるなんて思いつかなかった。これはティンカー、君の功績だ」

「言ってよかったってこと?」

「もちろん。ティンカーが気づかなければ、たぶん次か、その次のモンスター侵入が発生するまで、誰も気づかなかったかも知れない。それよりも明日は今日以上に忙しくなる。休めるときに休んでおこう」

 通りがかった先生から渡された紙に書かれていたのは、わたしと永瀬のスケジュール。

 綺更ちゃんが書いたらしい綺麗な文字は、三時間の睡眠の後、近隣の避難所の確認と伝令の作戦が指示されていた。

「本当に大変になりそうだね……」

「あぁ」

 慌ただしくなった司令室を出て、綺更ちゃんの様子を振り返って見る。

 今日の昼間も忙しそうだったけど、それを上回る慌ただしさに、わたしはこれから大変になることを予感していた。

 事実、ワールドシフトが始まった翌日の金曜日は、目が回るほどの忙しさになった。



          *



 時折、泣きわめくように風が通りすぎていく。

 夜に沈む空には、無数の星が煌めき、夏の天の川がくっきりと浮かび上がっていた。

 そしてそこには、直行する白い座標線が、幾筋も引かれている。

 星空の下を、まるで闇に溶け込むような黒いゆったりとした服を身につけ、男は歩く。

 広場のような場所の端、眼下に広がる光景。

 幾本もの超高層ビル。

 多くの高層マンション。

 無数の家々。

 ひと際高い建物から男が眺める光景は、遥かな山並みまで続く東京の街並み。

 しかし眠らないはずの街は、夜の闇に沈んでいた。

 ロウソクのように小さく灯る光は、天の星より頼りなさげなものが数えられるほどに点在しているだけ。

 ワールドシフトによって、東京は仮死の街となっていた。

「予想以上に生き残っているな」

 少ないながらも点在する避難所となっている場所の灯りは、男の予想以上に多かった。

「綺更め」

 ここにはいない少女の名を憎々しげに口にし、けれど男は口元に笑みを漏らす。

「しかしこれから始まる現実を、お前たちは乗り越えて行けるか?」

 喉の奥で笑い、男は深い笑みを唇に刻んだ。



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