銃と乙女と遊戯世界 第一章 3



       * 3 *



「そこ、固まってないで動いて!」

 灰色の身体をした全高四メートルはある巨体で雄叫びを上げたのは、ギガントデーモン。

 悪魔系モンスターのフィールドボスだ。

 コウモリのような翼を生やし、脚が短く手が長くてムキムキマッチョな身体をしてるギガントデーモンは、巨体もあってゲームの中ならともかく、現実で見るとかなり恐ろしさを感じる。

 スピードは低いものの防御力が高いナイト系アバターを纏い、身長よりも長い長槍(ロングスピア)と槍の先端に斧とツルハシを組み合わせたような斧槍(ハルバード)を持つふたりは、わたしの声にも硬直したように動かない。

「ちっ」

 舌打ちしながらギガントデーモンの懐に飛び込んだわたしは、短機関銃の拳銃弾を奴の腕に集中させ、振り下ろされてくる岩のような粗雑な棍棒の軌道を逸らす。

 地響きとともに駅前ロータリーの道路にめり込んだ棍棒に、やっとふたりは武器を構え直してギガントデーモンから距離を取った。

「永瀬!」

「あぁ!!」

 ボスと同時に現れた取り巻きの雑魚である、ギガントデーモンの小型版のレッサーデーモンの群れと戦っていた永瀬に声をかけると、わたしの意図を理解してくれたらしい彼はこちらに駆け寄ってきてくれる。

 彼と入れ替わりで残り三体のレッサーデーモンの方に向かったわたしは、短機関銃を自動小銃に持ち替え、スマートギアの視界内に表示されてる照準で狙いをつけて、小銃弾を叩き込む。

 囲まれないよう注意しながら動き回り、ふたつ目の弾倉が空になる頃に三体目を泡に変えた。

 振り向いて見ると、永瀬もまたギガントデーモンを倒し終え、奴の巨体は大きな音を立てて倒れていくところだった。

「ふぅ……。よかった」

 新しいモンスターを警戒をしつつ、残弾が少ない弾倉を現実の銃のようにボタンを押して取り外してインベントリに送り、新しい弾倉を装着したわたしは、ため息を漏らしていた。

 学校に一番近い駅のロータリー。

 夕方前のこの時間なら人でごった返してるはずの見慣れた風景には、わたしと永瀬、それから作戦のためにパーティとなったふたりのファイターの他には、誰もいない。

 人がいない他はいつも見てる日常的な場所に、タクロマのモンスターが闊歩してるという光景は、シュールを通り越して滑稽にも思えていた。

 ――それでも、実際モンスターが出るんだから仕方ないよね。

 戦闘が終了して一ヶ所に集まったみんなに、わたしはできるだけ元気よく声をかける。

「さぁ、さっさと作戦終わらせちゃお。暗くなる前に学校に戻らないと」

 口元に笑みを浮かべて、結局今回だけじゃなくここまでの二度の戦闘の間に一度も敵に攻撃ができなかったふたりに言うけど、無言で頷くばかりで元気が出た様子はなかった。

 ボスなんて滅多に出現しないから短機関銃に持ち替えてみんなで向かったのは、ロータリーに面した駅前の大型スーパー。

 綺更ちゃんの立てた作戦によりわたしたちが実行してるのは、食料の確保。

 指定避難所になってる高校には非常用の食料や毛布とかが完備されてるけど、避難民が三百人を超え、まだ増えてる上、ワールドシフト圏外に逃れるための救助が来る予定も不明な状況では、食料確保は急務となっていた。

 勝手にお店から持っていっていいのかと思ったけど、綺更ちゃんは通信が途絶する前に大阪に臨時で設置された政府と話し、許可を取っていたらしい。

 ――でも本当、永瀬は頼りになるなぁ。

 ファイターになった人の中でも、まだ半分くらいはパーティのふたりみたいに上手くアバターを扱うことができなくて、実際戦闘になると竦んでしまう人がいるくらいだった。

 わたしもまだゲームの感覚とリアルの感覚の違いにアバター操作が充分にできてるとは言えないし、永瀬もゲームの中のミノスほどに素早く動けるわけじゃないし、ミノスに比べるとダイナミックさが足りない。

 何よりいま足りないのはBGM。

 タクロマの魅力はスピード感やリアルさもあるけど、あのノリのいいBGMは外すことができない。

 連携を取るにしてもタイミングを計るときもあのテンポのいい音楽が役に立ってたし、気分的にノリがいまひとつ。モンスターの声や足音と、銃や剣の戦闘音しかしないいまは、静かすぎるくらいだった。

 それでも、ミノスとのペアほど上手く行かないにしろ、ナイフ使いで連携の取りやすい永瀬は、怯まず敵に飛び込んでいくし、あっちの意図も読めるし、こっちの意図も読んでくれる。かなり戦いやすくて、頼りになる相棒だと感じていた。

 ――まぁ、ゲームオタクの面目躍如ってところかなぁ。

 仁奈にわたしもゲームオタクだと言われてることは棚に上げることにして、険しい表情で周囲を警戒してるらしい永瀬の横顔をそっと見つめていた。

 灯りがなく薄暗いスーパーの中を歩いて、電気が来てなくて数日でダメになっちゃう肉や野菜を中心に、背負ってきた巨大なサイズの鞄に食材を詰め込んでいく。カップ麺とかの保存できる食料は、生鮮食料品がダメになった後に確保作戦を行うため、今回は持っていかない。

 渡されたメモで指定された調味料なんかを詰めつつ、思考でポインタを操作して、さっきのギガントデーモン戦で得られたドロップアイテムを整理していた。

「あ、やった」

「どうかしたのか?」

 すぐ側でカレーのルーなんかを詰めてた永瀬が声をかけてくる。

「新しいアバター。フェアリー系だよっ」

 インベントリに見つけたのは、新しいスタイルアバター。

 装備やアバターはゲットした直後はタイプ以上の情報は名前すらわからない。一度アイテムの詳細表示を出すと判明するそれを、わたしは作業の手を止め期待を籠めて表示する。

 何しろギガントデーモンは、滅多にドロップしないけど、タクロマの中で愛用していたハイパー・フェアリーを出すモンスターだったから。

「……シンフォニック・フェアリーだった」

「それはまた、微妙な……」

 アイテム詳細に表示されたスタイルアバター名は、シンフォニック・フェアリー。

 スピード重視のフェアリー系アバターのひとつで、能力値上昇率はハイパー・フェアリー並に高く、防御もそこそこ。スズランをモチーフにした可愛らしいデザインには人気もある。

 タクロマにはたくさんの種類のスタイルアバターがあって、フェアリー系はそのひとつ。

 他にも永瀬が使ってるパワーとスピードを重視して防御弱めなサムライ系。綺更ちゃんやパーティのふたりが使ってるスピードが遅めでパワーと防御重視のナイト系。魔法補助の高いエルフ系とか、課金かレアドロップのみでゲットできる女性型アバター専用のヴァルキリー系。系統なしの特徴一点突破のミノスが使ってるパンキー炎とか、多種多様に。

 それぞれいろんな特徴や、同じ系統でもタイプが違って、能力値上昇は固定値じゃなく割合で上昇するから、初期にゲットできるものから末長く使えるものが多く、何よりデザインを売りにしてるのがスタイルアバターの魅力だ。

 フェアリー系アバターの特徴は能力値上昇が高めなことだけじゃなく、必ずひとつ以上特殊能力があること。

 でもシンフォニック・フェアリーの特殊能力は、サウンドエフェクト。音楽を鳴らす能力だ。

 能力値上昇が高いからたまに戦闘で使ってる人もいるけど、ハイ・フェアリーの短距離超高速移動とか、ハイパー・フェアリーの浮遊制御とかと違って、戦闘ではまったく役に立たない。デザインの良さからシティ内で普段着用アバターとして使っていたり、みんなで携帯端末内の音楽を聴くのくらいしか使われない。

 背中に羽根のようにあしらわれた、スズランの花の形をしたスピーカービットを飛ばして音楽を鳴らす姿は華やかで可愛らしくて好きではあるんだけど、いま使ってるハイ・フェアリーに比べると有用性が低すぎる。

 現在のギルドルールとしてドロップアイテムはゲットした人が使うものと、ペアの相手との交換する場合については優先権があるから、とりあえずインベントリの奥底に置いておくことにして、作業を再開した。

「……ハイパー・フェアリーが手には入ったら、回すよ」

「あ、うん。ありがと」

 そう言ってわたしの肩を叩いて作業に戻っていく永瀬に礼を言うけど、わたしはちょっと疑問が浮かんで首を傾げていた。

 ――なんで永瀬、わたしがハイパー・フェアリー使いだって知ってるんだろ。



          *



 夕日に染まる学食の厨房は戦場になっていた。

「えっと、食料集めてきたんですけど」

「そこに置いておいて! 後で中身確認するから!」

 威勢のいい小母さんの声に、わたしたちはそれぞれの袋を厨房の入り口に置く。

 三百人分、もしかしたらもっと増えてるかも知れない食事をみんなでつくってるんだ、戦闘にも似た緊迫感が厨房には満ちている。レストランかどっかで見たことがある小父さんとか小母さんとかがよってたかってコンロや流しをフル回転させ、次々と料理をつくり上げていた。

 食堂ではひしめくようにみんなが食事をしていて、入り口には空き席待ちの人が並んでいた。

 そしてみんな一様に、沈んだ表情をしている。

「帰還報告に行ってくる」

「ギルドチャットで報告済みでしょ?」

 スマートギアで見える視界の下の方にはメッセージウィンドウがある。パーティチャットやギルドチャットなどが切り換えられるそれで、わたしたちが帰還したことは報告済みだった。

 通信は途絶してるのにチャットやギルドのインベントリにアクセスできるのは不思議だったりするけど、現実がリアルというサーバとして機能してるなら、そんなものなのかも知れない。

「綺更の様子も見ておきたい」

「そっか。じゃあわたしも一緒に行く」

 アバターを纏ったまま、スマートギアのディスプレイを跳ね上げる永瀬はちょっと嫌そうな顔をしてるけど、微笑んで見せてそれを無視する。

 司令室に行くならって言って小母さんに渡された水筒を手に、ファイター用の教室に向かう他のメンバーと別れて、陽が傾いて薄暗くなり始めた廊下を歩いて司令室に向かった。

 何度かしか入ったことがない職員室は現在、近隣の避難所全部の司令室になってる。

 永瀬と一緒に開けっ放しの扉から中に一歩入る。

 そこは厨房以上の戦場だった。

 教員用の机は真ん中に寄せられ、もっとあったはずの机はここにはなくて、年齢も性別も様々な人たちが一心に何かを書き続けている。それ以外にも多くの人が出入りしていて、文字通り戦場の様相を呈していた。

 廊下側、奥手、校庭側の窓の前には集めてきたんだろうホワイトボードが並べられていて、その前には長机が置かれていた。ホワイトボードには大小の紙が貼り付けられ、長机にはそれぞれの紙に関連してるらしい紙の束が積み上げられている。

 近くの掲示物を見てみると、地理の授業で使ったことがあるこの周辺の地図には近隣の避難所の印と、避難民の人数が書かれていた。その下の長机には避難民のリスト。別の地図にはモンスターの出現情報と、モンスターの特徴や戦法をまとめた書類があった。

 作戦予定リストや物資の収集状況など、この避難所だけじゃなくて近隣の避難所のものも含めた情報が、司令室の中にまとめられていた。

 午前中に避難所に入ったとき見たのより避難所の数は倍以上になり、数えてはいないけど、この地域の避難民の人数は三倍くらいになっていそうだった。

 普段なら教頭先生がいるはずの上座の席に座っているのは、トータナイトのアバターを纏い、スマートギアを被った綺更ちゃん。

「先ほどお願いしたモンスター出現情報の更新はできましたか?」

「終わりましたっ」

「では新たにこちらの情報の追加をお願いします。避難民リストと分断家族の情報については?」

「ま、まだもう少し……」

「明日には作戦を開始したいので、急いでください。それと、新しい方の聞き取り調査は?」

「終わってます。こちらがリストです」

「教室の割り振りと……、厨房に行ってアレルギー対応食Aの三人追加、Bの四人追加をお願いしてきてください。対応不可の避難所については明日以降の作戦か……。それから、間違えのないよう本人にはネームプレートの所持と自己申告を徹底させてください」

「わかりました!」

 明らかに年上の人たちに対して、綺更ちゃんは自分でも手元の紙にペンを走らせながら、次々と指示を出していく。

 ――この地域のリーダーって、言葉通りの意味だったんだ。

 綺更ちゃんの仕事は、一時たりとも止まっていない。

 大人顔負けどころじゃない彼女の仕事ぶりに、わたしは圧倒されてしまっていた。

「あ、先生」

 ちょうど司令室に走り込んできたのは、わたしのクラス担任の先生。

「藤多さん……。ファイターやってるのね。お疲れ様」

「あ、いいえ。凄いですね、綺更ちゃん」

「えぇ。司令がいなかったらいま終わってる仕事の半分もできてないかも知れないくらいよ」

 難しい顔をしながらも、まだ若い女性の先生は、わたしに手を振って確か学年主任の先生のところに行ってしまった。

 近寄りがたい雰囲気を醸し出してる綺更ちゃんだけど、永瀬がそこに近づいて行くのに、わたしも後ろに着いて近寄る。

「ティンカー班、全員帰還した」

 なんでパーティリーダーがわたしなんだろうとか、せめて苗字で読んでくれればいいのに、と思うけど、アバター名でしか呼ぶ気がないらしい永瀬のことはもう諦めることにしていた。

「お疲れ様、お兄ちゃん。無事でよかった……。智香さんもお疲れ様」

「うん。綺更ちゃんもお疲れ。それからこれを」

「ありがとうございます」

 水筒を渡すと、スマートギアのディスプレイはそのままに、口元に柔らかい笑みを浮かべて綺更ちゃんはそれを受け取った。

 ――どうしてこう、永瀬と違って綺更ちゃんはこんなに可愛いんだろ。

 見てた限りのリーダーっぷりは凄まじいの域を超えてるけど、彼女の見せてくれる笑みや仕草は、永瀬の妹なんて思えないくらいに可愛らしい。年下で小柄で顔も小さめだったりすることもあるけど、永瀬とは似ても似つかない可愛さが彼女にあった。

 ――まぁ、ミノスの妹って言うのも、それはそれで無理があるか。

 ハジけたテンションのミノスとも違って、綺更ちゃんは礼儀正しさもある。能力的にも性格的にも非の打ち所がなさそうな彼女は、永瀬にもミノスにも似てなくて、完璧な女の子だった。

「この後は暗くなりますので、今日の作戦は終了です。もうすぐ食堂も空くと思いますから、食事を摂って早めに身体を休めてください。明日もやっていただきたい作戦がありますので」

「ん。わかった。でも綺更ちゃんは休まないの?」

「私はまだ、やることがありますので」

 ちらりと彼女が見た司令室内には、まだたくさんの人が仕事をしてる。幼さを感じるくらいで、実際中学二年に過ぎない彼女だけど、人任せにして仕事を打ち切ることはできないのかも知れない。

「皆さんも順番に食事を取って、仕事がひと段落した段階で休んでください。経過報告だけは忘れないようにお願いします」

 そう綺更ちゃんが張り上げた声に、司令室内からちらほらと返事の声が上がった。

「それじゃあ」

「うん、お兄ちゃん。しっかり休んでね」

 司令室の外に向かう永瀬と一緒に、軽く手を上げて挨拶したわたしも廊下に出る。

「少しいいか? ティンカー」

「何よ」

 廊下を出て数歩歩いたところで振り向いた永瀬が、険しい顔をして見つめてくる。

「来てくれ」

 言って彼が開けた扉は、司令室の隣にある部屋。校長室だ。

 促されて先に入った校長室の中は灯りが点いていなくてもう薄暗く、見えている中の様子は校長室らしくなくなっていた。簡易ベッドがふたつと、荷物が少々。積み上げられた書類がたくさん。元々ここにあったらしい机は、部屋の隅に追いやられていた。

「何なの? ここ」

「綺更と俺の寝室だ」

「専用室? 贅沢ー」

「綺更はいまここになくてはならない存在だ。待遇よりも対応速度を優先して、すぐ司令室に入れるようこの部屋で寝起きすることに決まった。俺はあいつの兄貴だからだが……、あいつの護衛の意味もある」

「護衛って……。そんなの必要なの?」

 不穏な言葉に、わたしは眉根にシワを寄せながら、ふたつのベッドの間を歩いて、ブラインドが下げてある窓の方に近づいて行った永瀬の背中を見つめる。

「いまのところ仕事が多いし、みんな気力がないからしばらくは大丈夫だが、状況が状況だけに、今後もっと厳しい体制を敷く可能性がある。そのとき矢面に立つのは綺更だ」

「大人の人に替わってもらえばいいんじゃないの?」

「いまさら無理だ。いまの状況のすべてが頭の中に入ってるのは綺更だけだし、時間が充分にあれば可能だろうが、状況の変化が激しいいまはその時間がない。能力的にも綺更以外に、ただの避難ではなく、ファイターをまとめ、状況の変化に対応していける奴は、おそらくいない」

「確かに、そうかも知れないけど……」

 見てる間だけでも凄いと思ったけど、作戦の合間に見た彼女がつくり上げていった成果は、凄いという言葉を超えているものだった。中学生らしくないとか、大人顔負けとか、……天才ですら足りないほどに、彼女はいまこの場所にとって必要な人だ。

 その彼女が必要だと考えれば無理な作戦でも、他の人を納得させられない方針でもやるしかないんだろうけど、どんなに必要だと頭でわかってても、多くの人は感情的には収まらない。

 今後このワールドシフトがどんな風に変化していくかなんてわかりゃしないんだから、綺更ちゃんがどんな方針を打ち出していくかなんてことも、わかりはしない。

 もしいまの状況が大きく変化したとき、彼女を守るべき状況が発生しても、確かにおかしくはないかも知れなかった。

 スピーディ・サムライのアバターを纏っているからってのもあるけど、永瀬の背中は男らしい、広いもののように思えていた。

 妹のことを守りたいと必死で想う、兄貴らしい背中に。

「できればティンカー。君にもこの部屋で寝起きしてほしい」

「何それ。変態、スケベ」

「……違うっ。そういう意味じゃない! 俺は、その……、あいつの側に信頼できる人をできるだけ置いておきたくて!」

 振り向いた永瀬の顔は、夕日が差し込んで茜色に染まる校長室の中にあっても、明らかに赤くなってるのがわかった。

 慌てた様子で弁解の言葉を考えているらしい彼に、わたしは思わず噴き出しそうになる。

「いいけどね、別に。綺更ちゃんのことは、キキーモラとしてタクロマで会ってた頃から友達だと思ってたし。ダメなことはダメだって言うし、反論があるならちゃんと言わせてもらうけど、それで構わないなら」

「あぁ。それでいい」

「ただし! わたしが寝起きするからには、ここに入るときは必ずノックを忘れないこと! それを守れるなら、ね」

「……約束する」

 安堵の息を吐いて少し笑みを見せる永瀬に、わたしも口元に笑みが浮かぶのを感じていた。

「でも本当、そこまでする必要あるの? 永瀬が綺更ちゃんを守りたいと思うのは当然だけど、専属護衛みたいなことをする必要までは感じないんだけど」

 目を細めて険しい顔になった永瀬は、わたしの目を見て、それから斜め下に逸らす。

 感じたのは、微かな違和感。

 妹を守りたいと思うのは兄としては当然。状況が状況だから可能な限り警戒するのもわかる。

 でも、永瀬の言葉に、それから綺更ちゃんの能力に、わたしは微かな違和感を感じていた。

「この話は、他の人には秘密にしてくれ。ティンカーだから話すことだから」

「う、うん。それは別に構わないけど」

 これまで以上に硬さを感じる声に、わたしはちょっと怖くなりながらも了承の返事をする。

「綺更には、特殊な能力がある」

「天才ってこと?」

「違う。……綺更が持っているのは、未来を予報する能力、だ」

「んん?」

 言われたことの意味がよくわからない。

 窓の側を離れてわたしに近づいてきた永瀬の瞳を見つめてみても、彼が嘘を言ってるような色は見えない。

「予知能力とか、そういうの?」

「綺更が言うには、違うらしい。俺も詳しいことはわからないんだが、予知能力は未来に起こることが確定している事象を見る能力で、綺更が持ってる未来予報の能力は、未来に起こりうる可能性の高い事象を、ある程度の範囲で予報する能力だそうだ」

 説明されてもやっぱりわからない。

 似てるけど違う能力だ、ってのはわかったけど、その違いが判然としない。

「どう違うわけ?」

「綺更の受け売りだが、可能性分岐並行世界説というのがある。両手を出してみてくれ」

 言われてわたしは開いた両手を握手するように出してみる。

「俺はいま、どちらかの手に触れるが、どちらに触れるかは決めてない」

「うん」

「例えばこうして、右手を握る」

 そう言って右手を伸ばした永瀬はわたしと握手する。

 避難所に来たときもした握手だけど、やっぱり永瀬の手は男らしい大きな手だ。彼との握手で、わたしは鼓動が激しくなるのを感じていた。

「このとき、左手を握るはずだった可能性が消えたのかと言うと、違うとするのが可能性分岐並行世界説だ。ふたつ、もしくはそれ以上の可能性が存在するとき、可能性が確定する瞬間、世界は可能性の数だけ並行した世界に分岐する、ってことらしい。世界の分岐は最小時間単位で、世界の最小構成単位ごとに存在する可能性の間で行われる、と言う話だ」

「えぇっと、なんかもうよくわかんないけど、わかった」

 いつまでもわたしの手を握ってる永瀬の手を振りほどいて、一歩彼から離れる。

「その、可能性分岐並行世界説と、綺更ちゃんの未来予報の力がどう関係あるって言うの?」

「未来予報の能力は、本来ならば見ることができない分岐した並行世界を感じて、未来に発生し得る可能性の分岐を天気のように予報する能力ってことなんだ。綺更はその能力を応用して、並行世界に存在する自分を感じて、自分が行い得る思考を並列して行うことができる」

「それって普通の天才と何か違うの?」

「綺更が言うには、天才というのは高速な処理能力。未来予報を応用した並行未来思考は、並列処理なんだそうだ」

「違いがよくわかんない……。まぁいいや。何かもう世界が違いすぎそうだし。その未来予報の能力って、永瀬も持ってるの?」

「俺も……、綺更みたいに意識的に使うこともできないが、無意識に使ってるらしい。俺はあいつの本当の兄貴じゃないからなのか、あいつほどの能力はない」

「……どういうこと?」

「綺更の本当の父親は、俺の叔父の源也だ。俺がまだ幼い頃、生まれたばかりの綺更を自分では育てられないと言って、俺の両親に養育費とか養子縁組の書類と一緒に押しつけたんだそうだ。綺更も、そのことは小学校に入る頃には聞いて知ってる」

 ――それってつまり、綺更ちゃんには永瀬とは別に、実の兄がいるってことかも?!

 あんまり突っ込んで聞けそうなことじゃないけど、もしそういうことなら永瀬の他に本当の兄貴がいて、それがミノスなのかも知れないと思った。

 いまは永瀬と住んでるからミノスとは一緒に暮らしてなくて、ここにもないだけで、ミノスもどこかにいるのかも知れない。

「……よしっ」

「どうか、したか?」

「うぅん、なんでもない。それよりもその未来予報の能力ってのは、綺更ちゃんや永瀬以外にも持ってる人がいるってことなの?」

「あぁ、いる」

 途端に険しかった表情を暗くして、永瀬はわたしから目を逸らした。

「俺が知ってるのはふたり。ひとりは曾祖母に当たる人、のはずだが、よくわからない。誰よりも能力が高かったその人は未来予報士って人らしくて、能力が強すぎて、世界に対して存在が曖昧になって、実際存在していたかどうかもよくわからなくなってる。それからもうひとりは、源也。綺更の実父だ」

「……ん?」

 未来予報士の方はともかく、その源也さんの名前を呼んだ永瀬の声に、憎しみが含まれているような気がしていた。

「源也が未来予報能力者であることが、綺更を守る必要が出てくる理由のひとつだ」

「どういうことなの?」

「ここから先は、絶対に、誰にも言わないと約束してくれ」

「わかった。約束する」

 怒っているようにも見える永瀬の目を、わたしは真っ直ぐに見つめて返した。

「俺も、綺更もそう思ってるが、おそらくこのワールドシフトを発生させたのは、源也だ。世界が取り得る可能性には普通では起こり得ないもの、それどころか人間が想像し得ないものまであるらしい。あいつはおそらく何らかの方法で、ワールドシフトを起こさせる可能性を見いだしたんだと思う」

「何か根拠でもあるの?」

「スマートギアをほぼひとりで製品化まで持っていったのは、源也だ。それから、あいつはタクティカル・ロマンシアの開発にも携わってる。ワールドシフトで世界を上書きするのにタクティカル・ロマンシアを選ぶ可能性があるのはあいつだけだと思う。それに、可能性分岐並行世界説を唱えたのも、あいつだ」

「……そっか」

 もう隠すことなく怒りの色が浮かんだ永瀬の瞳は、でも同時に、深い色を湛えていた。

 それはたぶん、綺更ちゃんに向けられた心配。

 ――ミノスも妹想いだったなぁ。

 ゲームの中でしてた雑談で、ミノスが凄く妹想いだったことは、時折感じていた。

 そしていま目の前にいる永瀬も、ミノスと同じか、それ以上に妹想いのお兄ちゃんだった。

「いまの状況で綺更と源也の関係がバレる可能性は低いと思うが、何が起こるかわからない。作戦行動中は綺更の側にいられないが、できる限りあいつを守ってやれる位置にいたいと俺は思ってる。……ティンカーにも、できれば協力してもらいたい。俺はお前を、信頼してるから」

「ん。いいよ。信頼には応えたい、かな」

 なんで永瀬がそこまでわたしのことを信頼してくれるのかはわからないけど、綺更ちゃんを守りたい想いだけは伝わってきた。どこまで何ができるかはわからないけど、いまみんなのために頑張ってる彼女に何かあるなら、守ることにためらう必要は感じない。

「よろしく頼む」

「言われなくても、やれることはやるよ」

 深く頭を下げる永瀬に微笑みかける。

 そのとき、被ったままのスマートギアのヘッドホンから、警告を発する音が鳴り響いた。

 それは緊急招集の合図。

「永瀬!」

「行くぞ」

 すぐさまわたしたちは、校長室を出て隣の司令室に向かった。



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