第一章 ワールドシフト

銃と乙女と遊戯世界 第一章 1



第一章 ワールドシフト



       * 1 *



「ん……。ウルサい」

 三階にある部屋にまで伝わる地響きのような振動に、わたしは文句の言葉を口にしていた。

 一定のリズムで刻まれる地響き。

 それは徐々に大きくなってる気がした。

 木曜の二時から始まる定期メンテナンスの直前までタクロマにログインしてたから眠くて、閉じたまぶたの向こうの世界が朝になってるのはわかってるけど、起きたくない。

 結局大規模アップデートに関する発表はタクロマ運営からは一切なくて、どこからか漏れた情報でもないかと探してみたけど、憶測や希望を話してるような内容しか見つからなかった。

 大規模アップデートを楽しむのはある程度情報が出揃うだろう、学校が終わって帰ってきてからってことにして、もしかしたら改悪もあるかも知れないから、これまでのタクロマを精一杯遊んでからベッドに入った。だから眠気と怠さがまだ取れない。

 鳴り止まないどころか激しくなってくる地響きに、仕方なくわたしは目を開ける。

 部屋は綺麗に整理してるけど、机の上にはタクロマのマスコットなんかを置いてある。ハイパー・フェアリーのリアル系フィギュアの隣の時計を見ると、七時を少し回ったところだった。

 そろそろ起きないといけない時間だけど、まだ眠い。

 お母さんは来週までは出張で海外だし、ぎりぎりまで寝ていても遅刻しなければ問題はない。

「本当に、朝っぱらから……」

 家のすぐ側から聞こえてきた音に、わたしはベッドから出て薄水色の遮光カーテンを開けた。

「……へ?」

 すぐ下は道路になってるマンションの三階にある部屋の窓から見えたのは、目。

 野球のボールくらいありそうな目と、わたしの目が真っ直ぐに見つめ合っていた。

 恐竜。

 もうすっかり強い朝日に照らされて見えるのは、大きな身体と長大な尻尾をし、長い腕に鋭い爪を生やした手があって、わたしくらい丸呑みにできそうな牙を生やした大きな口、恐竜としか言えない姿をした物体だった。

 ――うぅん、違う。

 この形状と紺色の肌は、学校の授業や博物館なんかで見た恐竜とは違う。

 初期の難敵として何度も戦ったタクロマのフィールドモンスター、ティラノザウラだ。

 目が合ったはずのティラノザウラは、わたしに興味がないみたいにのしのしと地響きを立てて窓の側から離れていった。

「寝不足だな」

 ベッドに入る直前までタクロマにログインしてたからだろう、幻覚を見てしまっていた。

「もう少しだけ寝よ」

 声に出して言って、カーテンを閉めて布団の中に潜り込む。

 そのすぐ後に聞こえて来たのは、まるでタクロマの中で戦ってるときのような、激しい音。それからこれまで以上に大きな地響き。

 さすがに寝ていられずにわたしは飛び起きた。

「いったい何なのよ!」

 寝不足の苛立ちをぶつけるようにまたカーテンを開けると、窓から見える道路に倒れていたのは、ティラノザウラ。それがタクロマ内のモンスターのように、七色に光る泡となって消えていくところだった。

「え? ど、どういうこと?」

 窓に微かに映るわたしはスマートギアは被っていなくて、薄ピンク色のパジャマを着てる。寝起きで長い髪が乱れてるその姿は、確かに現実のわたしだ。

 考えてみてもよくわからなくて、わたしは部屋を飛び出す。

 玄関に行ってとりあえずってことでサンダルを履いて、鍵を開けて外に出たわたしは、ティラノザウラが倒れてた場所に向かうために非常階段を駆け下りた。

「い、いない……。そりゃそっか」

 急いでその場所に到着したけど、ティラノザウラは痕跡残さず消えていた。泡になって消えていく途中だったんだから、当然と言えば当然だった。

 でも、ティラノザウラの足跡だと思う凹みが、アスファルトに残されていた。

「何? どういうこと? 現実にティラノザウラ? え? え?」

 消えることなく残ってる足跡を見て混乱してるとき、後ろから甲高い鳴き声が聞こえてきた。

 鳥や獣じゃなく、タクロマの中で聞いたことがあるその声に、背筋に冷たいものが走る。

 ゆっくりと振り向くと、そこにいたのはコエルザウラ。

 わたしよりも少しおっきい感じのほっそりとした身体をし、黄土色に黒い斑のあるそいつは、けっこう好戦的で群れを成して襲ってくるタクロマの恐竜型雑魚モンスター。

 ――まずい、かも。

 現実にコエルザウラが見えてるのに、現実に思えない。

 夢でも見てるとしか思えない。

 でも、もうひと声鳴いたコエルザウラに応じるように、横道から現れた二匹目と三匹目は、確かにわたしに迫ってきてて、低い陽射しの熱さも含めて、現実に存在してるとしか思えなかった。

 ――逃げる!

 くるりと踵を返したわたしは、一目散に走り出す。

 マンションの中に入ろうと思ったけど、ちらりと後ろを見ると、ひたひたという足音を立てて追いかけてくるコエルザウラに、焦ったわたしは曲がるべき道を真っ直ぐに走っていた。

「いったい、本当に、何なの?!」

 本当にわけがわからない。

 現実の感覚があるのに夢としか思えない光景に、わたしの頭は混乱するばかりだ。

 ――逃げ、られない!

 元々コエルザウラはタクロマの中でも足の速いモンスター。

 スピードタイプじゃないアバターだと逃げ切れないことがあるくらい。ただの人間のわたしで逃げられるわけがない。その上サンダルを履いてるわたしはたいした速さじゃ走れない。

 数が増えてるっぽいすぐ側の足音に「ひぃーーっ」と悲鳴を上げつつ夢中で側の角を曲がる。

「あっ……」

 一戸建ての住宅が並ぶその道は、壁と閉じたシャッターがあるだけの、袋小路。逃げ込める隙間すら見つからない。

 振り返って後退るわたしを追い詰めてくるのは、五匹に増えたコエルザウラ。

 ――死ぬ、かも。

 一番奥の家のシャッターまでは逃げられたけど、そこから先に行くことができない。

 わたしのことを追い詰めて余裕でもできたのか、三匹並ぶのがやっとの道を、コエルザウラはゆっくりと近づいてくる。

「これは夢、だよね」

 シャッターにもたれかかるように背中を着けて、わたしは呆然と呟く。

 タクロマの精緻な表示よりもさらに精細なコエルザウラが吐く息は、生臭く、生暖かい。

 大きく開いた口が頭に噛みつこうとしてるのを見て、身体に力が入らなくなったわたしは、ずるずると背中をこすりつけて座り込んでしまった。

「助けて、ミノス……」

 そんなことを言ったところで、彼が助けに来てくれるわけがない。

 ゲームの中の存在であるミノスは、現実では違う姿をしてることだろう。

 鳥の鳴き声すらせず、朝の喧噪も聞こえず、静まり返った街で、わたしはこれから死ぬんだと、そう思っていた。

「え?」

 鋭い悲鳴が聞こえて、わたしに迫ってきていたコエルザウラたちが一斉に後ろを振り向いた。

 見てみると、コエルザウラは四匹になって、一番後ろの方で光る泡が浮かび上がっていた。

「何? 何なの?」

 言ってる間にさらに二匹が泡となり、もう一匹が大振りのナイフに斬りつけられ、泡となる。

 最後の一匹が目の前で泡になって消えたとき、わたしの前に立っていたのは、パワードスーツのような少しボリュームのある衣装を身につけた男の子だった。

「無事か?!」

「う、うん」

 まだ何がどうしたのかよくわからなくて、わたしは彼が伸ばしてくれた手をつかんで助け起こしてもらうけど、頭が現実に追いついてきていなかった。

 ヘッドギアタイプの黒いスマートギアを被っているから目元が見えないけど、彼の声と、髪の感じと、顎の輪郭にはどことなく憶えがあった。

「もしかして、永瀬?」

「……うん」

 スマートギアのディスプレイ部分を跳ね上げて見えた彼の顔は、同じクラスの永瀬稔だった。

「何? どういうこと? なんでタクロマのモンスターがいるの? っていうかなんで永瀬が戦ってるの? それよりも、え? どういうことなの?」

 詰め寄って混乱する頭の中をそのまま口に出して言ってみるけど、永瀬は困った顔をしてわたしから視線を逸らすだけだった。

「そんなことより先に、ここは危険だ。一端家に入った方がいい。家の中なら安全だから」

「……あ、うん。わかった。えっと、こっち」

 ぜんぜん状況がわかんないけど、またモンスターが出たらどうなるかわかったもんじゃない。

 永瀬に言われてわたしは、とりあえず家に帰ろうと、スマートギアのディスプレイを下ろして着いてくる彼に先行して、自分の家に足を向けた。




 食器入れからコップを二個取って、冷蔵庫の中のボトルから麦茶を注ぎひとつ永瀬に渡す。

 自分の分に口をつけてみて喉が渇いてることに気づいて、一気に飲み干してからもう一杯注ぎ、コップとボトルをテーブルの上に置いて彼のことを見据えた。

「それで、どういうことなの?」

 とりあえずわたしは彼にそう問い質す。

 無事マンションの敷地内にたどり着いて、永瀬と一緒に部屋に入った。こいつを部屋に入れるのはちょっと微妙な気がしたけど、状況が状況だけに仕方ない。どうせお母さんはいないんだし、気にしないことにする。

 決して広いとは言えないけど、四人掛のテーブルとソファなんかを置いても少し余裕があるくらいのLDKで、永瀬は落ち着かない様子で麦茶のコップを傾けてる。

 お母さんがまだしばらく帰ってこないから片付けがいまひとつだけど、そんなことを気にしてられるときじゃない。

 ディスプレイ部を跳ね上げて顔をさらしてる永瀬は、眉を顰めて険しい顔をしながら言った。

「現実に、タクティカル・ロマンシアの世界が上書きされた」

「……何言ってんのかわかんない」

 永瀬が口にした言葉の意味を、わたしは理解しない。

 というか、突飛すぎて理解できない。

 でも頭から信じてないわけじゃない。

 だってわたしは、コエルザウラに食べられかけたんだから。

「ゴメン。もう少し詳しく教えてくれる? まだわたし、たぶん混乱してる」

「ん……。俺も詳しいことは知らないが、ことの始まりはタクロマがメンテに入って少し経った頃だったらしい――」

 いつもの永瀬らしく籠もったような声で彼が話してくれたことによると、正確な時間はわからないけど、二時から三時頃、タクロマのモンスターが突然都心に現れたということだった。

 嘘ではなく真実であることを確認した政府は非常事態を宣言。すぐさま市民にあらゆる手段で避難を呼びかけた。深夜に始まった避難にも関わらず、朝方になる頃には大半の人が都心を脱出したらしい。それでも逃げ遅れたり、取り残された人が多いみたいだけど。

 電車は朝方まで動いてたけど、送電線が切れたらしくて動かなくなり、道路も明るくなるに連れ出現頻度が増したモンスターによって行き来が難しくなったということだった。ネットや通信の方も、しばらくは使えてたけど、いまは使用不能なんだそうな。

 現在も徐々に広がっていることが予測されてるモンスター出現地域は、直径で二〇〇キロくらいになってるらしいということだった。

「……なんで永瀬はここにいるの?」

「逃げ遅れた。それを言ったら、そっちはどうなんだ」

「あーー。何となく外が騒がしい気はしてたけど、眠かったし、この部屋、防音凄いから」

 小学校の頃までは狭いアパートに住んでたけど、中学に入るときにけっこう稼いでるお母さんが買った新築マンションの部屋は、わたしとお母さんの寝室、さらに書斎なんかがあるくらい広い上、全室各種楽器の演奏もOKなくらい防音性が高い。近くで工事してるような振動はさすがに伝わってくるけど、選挙カーのスピーカーくらいだったら微かに聞こえる程度だった。

「原因はなんなの?」

「わからない」

「何それ」

 突っかかっても仕方ないのはわかってるけど、わたしの方の気持ちが落ち着いてきた代わりに、目を逸らして挙動不審な様子を見せるようになってきた永瀬にちょっと苛立ちを感じ始めていた。

「外を見てみろ。空を」

 言われて眉根にシワを寄せながらLDKの窓から外を見てみると、空に黒い線みたいなものが描かれていた。座標線。

「何あれ? ってか、あれってタクロマの空と同じ?」

「あぁ。あれが描かれてる空の下には、モンスターがポップアップするようになってる。圏外に逃れた政治家が臨時政府を立ち上げて救助活動を始めてるが、病院などの緊急性の高い施設で手一杯な状況だ。私有地にはモンスターが入ってこないことはわかってて、高校が避難所として逃げ遅れた人が集まってる。こういうときはできるだけ一ヶ所に集まっておいた方がいい。移動の準備をしてくれ」

「わかった。……っていうか、永瀬のその格好って、サムライだよね?」

 落ち着いてきてやっと余裕がでてきたわたしは、服ではない永瀬の格好を指摘する。

 いろんなタイプや種類があるタクロマの魅力のひとつであるスタイルアバターの中で、永瀬が纏っているのはサムライ系アバター。防御が低めだけど能力値上昇率が高めで、スピード寄りの定番、確かクイック・サムライ。

 どことなくサムライを思わせる白と黒に塗り分けられ、赤い線などで彩られた永瀬の姿に、今更ながらにわたしは気がついた。

「……あぁ、そうだ」

 何か凄く嫌そうに顔を歪めてる永瀬に、わたしは訊いてみる。

「もしかしてモンスターが出ただけじゃなくて、リアルでアバター纏って戦えるの?」

「戦える。スマートギアとクライアントアプリがインストールされた携帯があれば」

「本当に?! ちょっと待ってて!」

 それを聞いたわたしは、顔がニヤけてくるのを止められない。

 すぐに自分の部屋に走って行って机の上のスマートギアと携帯端末をつかんでLDKに戻ったわたしは、永瀬にそれを示して言う。

「やり方教えて!」

 さっきよりもさらに顔を歪めてる永瀬だけど、そんなこと気にしてられない。

 リアルでタクロマができるなんて夢みたいだ。嬉しい的意味で。

 深くため息を吐いた後、永瀬がやり方を教えてくれる。

「クライアントの最新版のダウンロードは終わってる?」

「えぇっと、うん。自動ダウンロードをセットしておいたから大丈夫」

「だったらアプリを起動して、スマートギアを接続してくれ」

 言われた通りアプリを起動し、ローズピンクのスマートギアと携帯端末をケーブルで接続してから頭に被る。

「ログインして接続先が表示されたら、一番下にあるサーバを選択して接続。アバター名だけ入力すればキャラクター作成は不要で大丈夫」

 スマートギアの表示ではタクロマのアプリが全画面表示になってて、自分のアカウントのログイン認証をパスした後、接続するサーバを選択する画面に切り替わった。

 三つある日本サーバの下に、少し間を空けて新しく表示されていたサーバ名は「リアル」。

 スマートギアの機能である意識操作で迷わずそれを選んだわたしは、キャラクター名入力画面にタクロマでいつも使ってるのと同じ「ティンカー」の名前を入力した。

「凄い……」

 いつもならあるマップのロード画面もなしに切り替わった表示は、現実のLDKの様子だ。

 クイック・サムライを纏ってる永瀬の他に、タクロマでおなじみのステータス画面やアイテムなんかを仕舞ってあるインベントリウィンドウなんかが視界に表示されていた。

 手を顔の前まで持ってきて見てみると、タクロマのノーマルアバター、通常ノマ服に覆われてるのが確認できた。

「凄い! 本当にリアルでスタイルアバターになれた!」

 嬉しすぎて、口元が緩みきってるのが自分でもわかる。

「モンスターは現実の攻撃じゃ一時的にしかダメージは与えられない。すぐに復活する。アバターを使ってタクロマの武器でないと倒せない。アバターはタクロマをやってるときと同じように、身体を動かすんじゃなくて、スマートギアを通して動かす感じでやればいい」

「えっと、こんな感じかな?」

 ステータス表示を見てみると、たぶんわたしの基本能力と思われる数字が、ノマ服を纏った効果で少し上昇していた。

 LDKじゃあんまり激しい動きはできないから、永瀬に言われた通りタクロマの中でアバターを動かす感じで、ジャンプをしてみる。

「うん、うん。できる、できる!」

 天井までの高さは三メートル弱。普通じゃジャンプしても手が届くのがせいぜいなのに、軽くジャンプしただけで手が着くどころか頭をぶつけそうなほどまで跳ぶことができた。

「戦える。わたし、モンスターとも戦えるっ」

 身体が自分じゃないみたいに軽い。

 たいした能力上昇率じゃないノマ服なのに、力が湧いてくるのを感じる。

 難しいことなんてひとつもない。

 いつもタクロマをやってるときと同じように、少し意識を切り換えれば身体は動く。

 もう嬉しすぎて、ついさっきは食べられかけたのにそんなことすっかり気にならない。リアルでスタイルアバターを纏えることが、タクロマのように戦えることが、楽しくて仕方がない。

「しかし……」

「避難した人を守ったりとか、逃げ遅れた人を探したりするんじゃないの? さっきの話だと」

「そうだけど……」

「だったらわたしだって戦うよ。せっかくリアルでタクロマできるんだしね!」

「……わかった。ちょっと待て」

 疲れたような表情をした永瀬は、ため息を吐きながらスマートギアのディスプレイを下ろす。

 直後に目の前に表示されたのは、アイテム交換を受けるかどうかのメッセージウィンドウ。

「何?」

「いまはノマ剣しかないだろ」

「あ、あぁー」

 ステータスを見ると、わたしのレベルは一。できたばっかりのアバターなんだから、それも仕方ない。同時にインベントリ内にあるのは、使えるかどうかわからないけどタクロマ内のお金と、一番最初に勝手に持ってる短剣が一本だけ。それ以外は何も持ってなかった。

 メッセージウィンドウのOKを選ぶと、切り替わって開いた交換ウィンドウにどんどんアイテムが追加されていく。

「いいの? こんなに」

「これから外に出るなら、ノマ服とノマ剣だけじゃ心許ない」

「そっか。……あ、イノセント・フェアリー! 短機関銃と、自動小銃に、拳銃(ピストル)?」

「いまのところNPCの出現は確認されてない。予備の武器は常に必要なんだ」

「そっか。武器の耐久力減っても回復できないのか。そこのところはタクロマと違うんだね」

 スタイルアバターはライフというか耐久力があるけど、それはインベントリに格納しておけば自動的に回復する。でも武器とかの装備はNPCにお金を払って修理するか、緊急修理(テンポラリリペア)かウェポンスミス系のスキルを持ってないと、耐久力の回復ができない。

 NPCはいないのに、そういうとこのルールはタクロマのままらしい。

「それだけじゃない。消耗品の購入もできない。拳銃弾はけっこうモンスターからドロップするが、いまのところ小銃弾は少ない。この辺りのモンスターはティラノを除けば小物ばかりだから、短機関銃を中心にしてくれ」

「わかった。でも本当にいいの? 永瀬も使うんじゃないの?」

「俺はこれが武器だから」

 そう言って永瀬が虚空をつかむようにして両手に取り出したのは、大振りのナイフ。ノマ剣よりも強力なスマートエッジ。

 永瀬はミノスと同じように、ナイフ使いらしい。

 他にも長剣とか斧とか槍とかの武器、マジックスクロールをドロップかNPC購入で入手できれば魔法といった攻撃方法があるけど、スピード感が特徴のタクロマでは武器の重さや魔法力の強さをダメージに変えるものだけじゃなく、アバターの速度や体重をダメージにするナイフは人気武器のひとつだった。

 他の武器より敵との距離が近いから、その分ダメージを受けやすいデメリットもあるけど。

「じゃあありがたく」

 交換を承認するボタンを押してインベントリに移動した装備品を整理して並べ、早速フェアリー系アバターの中でもたいてい一番最初にドロップでゲットする、チューリップをモチーフにしたらしい黄色いイノセント・フェアリーに変更して、手には短機関銃を装備する。

 愛用してるフェアリー系アバターに、わたしの戦闘スタイルである銃が手に入ったのが嬉しくて仕方ない。

 スマートギアを被ってるからどんな瞳をしてるかは見えないけど、苦々しそうに口元を歪ませてる永瀬に、わたしは満面の笑みを返していた。

「じゃあ早速避難所に向かおう!」

「待て、ティンカー」

 早速アバター名を確認したのか、玄関に向かおうとしたわたしを、手で顔を覆った永瀬が呼び止める。

「何よ。まだなんかあるの?」

「……いいから一度ログアウトしてみろ」

「んん?」

 動き出す様子のない永瀬を家の中に残しておくわけにはいかないから、わたしは一度タクロマをログアウトして、スマートギアを脱ぐ。

「……」

 無言のまま永瀬が指さした胸元。

 見下ろしてみると、わたしが着ていたのは、薄ピンクのパジャマだった。

「え? わっ。ふわぁ」

 透けてるとかそういう恥ずかしいものじゃないけど、寝起きのままの姿をいまもさっきも永瀬に見られてたかと思うと、恥ずかしくて顔が熱くなるのを感じる。

 落ち着いたように思えてたけど、ぜんぜん気がついてなかった。

「ちょっ、ま、待ってて!」

「待ってるから、大丈夫。それよりいつ救援が来るかわからない。できるだけ動きやすい服とか、下ぎ……、生活に最低限必要なものを、一週間分かそれくらい、鞄ひとつにまとめるんだ。それから、食料を避難所に持っていきたい。いいか?」

「あー。どうせ電気来てないから冷蔵庫の中身もダメになるか。うん。好きに持っていって」

 自分の部屋に入ってLDKから聞こえてくる永瀬の声に答えたわたしは少し考えて、大きめのスポーツバッグにジャージとか下着だとか、旅行に必要そうなものをどんどん詰めていく。

 ――でもこれで、もしかしたら逢えるかも。

 これまでオフに誘っても一度も逢えなかった、ミノス。

 現実がタクロマの世界になったんだから、彼もまたタクロマのファイターとしてどこかで戦ってるかも知れない。

 ――やっと彼に逢えるかも!

 そんなことを期待しながら、わたしは急いで避難所に向かうための準備を進めていた。



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