銃と乙女と遊戯世界

小峰史乃

銃と乙女と遊戯世界

序章 タクティカル・ロマンシア

銃と乙女と遊戯世界 序章



序章 タクティカル・ロマンシア



          *



 英語でセントラルシティの煌びやかな光文字が躍る街の正門は、突如粉々になって崩壊した。

 崩れ落ちる門の向こうから現れたのは、三階建ての建物よりも大きなひとつ目の巨人。

 ――ミノスの情報は本当、いつも正確だね。

 事前にこうなることを知っていたわたしは、口元に笑みが浮かぶのを止められない。

 右手にわたしの身長ほどのサイズの打撃部分があるハンマーを持ち、緑の肌をして粗末な腰蓑のようなズボンを身につけた巨人の名は、サイクロップス。

 本来なら山岳フィールドの奥深くでたまに出現するだけのボスモンスターだ。

 サイクロップスは鋭い爪を生やした左手を伸ばし、崩れた門の脇に立つメイド服姿で微笑む女の子をつかみ取り、握りつぶすように爪で引き裂いた。

 でもその子はNPC。

 光る泡になって消えていく彼女は同じ台詞を繰り返すだけの、ゲーム上のキャラクターだ。

 サイクロップスの登場で、穏やかだったセントラルシティのBGMが、ボス専用のテンポの速い緊張感のあるものに切り替わる。

 ――もう本当、最高!

 いまわたしがいるのは、ゲームの世界。

 オンラインゲーム「タクティカル・ロマンシア」。

 通称タクロマのBGMはどれも素晴らしくて、配信が開始された直後に携帯端末にダウンロードしたくらい大好き。

 ゲーム中のわたしは、ローズピンクを基調にした衣装を纏ってる。

 伏せたバラの花のようにふわりと広がるミニスカートと、ドレスを思わせる少し刺々しさのある上着。胸を強調するデザインと、ピンクのタイツに覆われながら脚の細さと長さを魅せるデザインは、スタイルアバターと呼ばれる仮想の身体。

 まるで自分の身体のように動かせるけど、SFとかアニメなんかみたいにネットにダイブしてるんじゃない。

 背とか標準の身体つきとか、背中の半ばくらいまである黒髪とか、現実のわたしとほぼ同じに設定してあるアバターが頭に被っているのはヘッドギア型の、ヘッドマウントディスプレイにヘッドホンを組み合わせた形状のマルチインターフェース「スマートギア」。

 それの視界にゲームの画面を映し出すことによって、まさに現実がゲームになったようなリアル感が得られる。ダイブはできなくても、脳波を受信してポインタ操作やキーボード入力、使い慣れるとサンプリングした自分の声で疑似発声なんかができるスマートギアは、ゲームパッドなんてなくても、考えるだけでアバターを自分の身体みたいに動かすことができる。

 現実でも同じものを身につけてるローズピンクのスマートギアは、タクロマでは必須の機器。

 発売されてからけっこう経つのに小遣いで買うにはちょっときっつい値段のスマートギアは、趣味のデバイスとしてしか扱われてなかったけど、タクロマが登場してから状況が変わった。

 サービス開始からまだ半年くらいで、スマートギア必須にも拘わらず、タクロマのアカウント数は全世界で百万を超える。

 これまでの平面ディスプレイではあり得ないほどのリアル感とスピード感、考えるだけで操作が可能なユーザビリティは、スマートギアがあるからこそ実現したものだ。

 もちろんわたしも、その魅力に取り憑かれていた。

「行くぜ、ティンカー!!」

「うんっ。ミノス!」

 わたしのアバター名「ティンカー」を威勢の良い声で呼んだのは、隣に立つ男子アバター。

 燃え上がる炎のような色をし、ほっそりとしたデザインのアバターを纏う彼は「ミノス」。

 スリムなのに肩や脚など要所要所にボリュームのある、パワードスーツを思わせる彼のスタイルアバターは、「パンキー炎(ほむら)」。

 タクロマの魅力は、多種多様にあるスタイルアバターという衣装がそのひとつ。姿だけじゃなく纏うことでステータスも変化するスタイルアバターは、実用性だけじゃなくデザインにも人気があった。

 その中でミノスが纏うパンキー炎は、スピードと機敏さのみを追求し、扱いづらくて有名なピーキーなアバターだ。

 黒い色のヘッドギアタイプのスマートギアからパンキー炎にあわせたような赤い髪を逆立てた彼は、声とともに虚空からつかみ取るように、両手に大振りのナイフ、カイザーエッジを喚び出してサイクロップスに向けて駆けだした。

 バラをモチーフにした美麗さと可愛らしさを兼ね備え、パンキー炎ほどじゃないけどスピード重視の「ハイパー・フェアリー」を纏ったわたしは、サイクロップスに向けて真っ直ぐに走っていくミノスとは垂直に、黒い髪をなびかせながら横方向に走り出した。

 視界に表示されているのはファンタジー世界をイルミネーションで飾り立てたような街の様子と、ミノスとサイクロップス。

 ステータスなんかの様々なウィンドウが開いた視界の中で、わたしは意識でポインターを操作し、装備を格納してるインベントリウィンドウにある銃を装備欄の右手に置く。何もなかった手に短機関銃(サブマシンガン)が出現し、わたしはその銃把(グリップ)を握りしめた。

 銃を装備してすぐさま視界に現れたのは、円と十字を組み合わせた照準表示。

 ためらうことなく照準内にサイクロップスの胴体を納めて、自分の身体のように感じるアバターを操作し、引鉄を絞った。

 街の中にいる他のプレイヤーキャラクターの人たちは、まだ突然登場したサイクロップスに驚いてるだけで、武器を手にしてる人もほとんどいない。いまなら、ドロップアイテムや経験値に優遇のあるファーストアタックをゲットできる。

 短機関銃から連続発射(フルオート)で放たれる拳銃弾(ピストルバレット)がサイクロップスの胸に命中し、わたしの目の前にはファーストアタックの表示が踊った。

「ミノス!」

「おう! いくぜっ! うっらぁぁーーっ!!」

 説明せずとも名前を呼ぶだけでファーストアタックゲットをミノスに伝える。

 ハジけた雄叫びを上げながらサイクロップスに接近した彼。

 振り下ろされたハンマーをわずかな軌道修正で避け、ボスの腕に乗って駆け上がる。

「おらっ!」

 地面にナイフを突き立てるようにしてサイクロップスの腕を斬りつけ、そのままミノスは奴の頭に向かう。

 それを支援するためわたしは、彼の身体をつかもうとする左腕に拳銃弾を集中させた。

 ちらりと見ると、いろんな種類のスタイルアバターを身につけた人たちが、少し距離を取りながら集まってきていた。でも、手を出してくる気配はない。

 サイクロップスはフィールドに出現するボスの中でもかなりの強さを誇る。

 普通ならハーフパーティの四人か、レベルが低ければフルパーティの八人で挑む敵だ。

 でもティンカーとミノスと言えば、タクロマの中でもそれなりに名が知られたペアパーティ。

 歓声や罵倒を上げているギャラリーは、とりあえず戦いの推移を見てることにしたらしい。

「ティンカー! エクス!!」

「うんっ!」

 ミノスからの声に彼の意図を理解したわたしは、短機関銃をインベントリに放り込んで自動小銃(アサルトライフル)を喚び出した。

 めちゃくちゃに振り回す右腕のハンマー攻撃を避けて、サイクロップスの身体から飛び降りたミノスは、落ちながらカイザーエッジで次々と十字の傷を刻む。

 わたしはその傷の交叉点に、小銃弾(ライフルバレット)を叩き込む。

 弾種は炸裂弾(エクスプロージョン)。

 着弾の直後に体内で爆発して大ダメージを与える弾丸だ。

 傷から身体の深いところに撃ち込んだ炸裂弾が、爆発する。

 リアルな生き物と違って、粘土を抉ったような傷がサイクロップスの身体に出来上がった。

 プレイヤーキャラクターと違って、五段もあるライフゲージを凄い勢いで減少させながら、奴は苦しむように叫び声を上げる。

 身体から脚に、脚から腕に、ミノスがつける傷にハイパー・フェアリーに備えられた特殊能力である浮遊制御を使って滑るように動きながら、わたしはどんどん炸裂弾をサイクロップスに撃ち込んでいく。

 後ろから聞こえる歓声が、混じってる罵倒すら気持ちいい。

 ノリのいい大好きなBGMに心が躍る。

 何よりもいま、ミノスがいる。彼と一緒に戦ってる。

 彼の次の動きも、動きの意図も手に取るようにわかるわたしを、戦いの充足感が満たしてる。

 さすがにボスクラスのモンスターはすぐには倒せないけど、いつかはこの戦いも終わる。

 わたしはいまがもっと続けばいいのにと思うほど、ミノスとの時間を楽しんでいた。

 でも、サイクロップスがタクロマ最大の街であるセントラルシティの中に入ってきてるのは、二週間に一度行われる定期イベント「シティクライシス」のクライマックスに入った証拠。

 水曜の午後である今日、日付が変わった木曜の朝方に行われるメンテに突入するか、今頃少し離れたところのフィールドダンジョン内に湧いてるイベントボスを退治するまで、シティではこんな戦いが何度でも発生する。

 ミノスとの時間は、今日の夜にも、うぅん、イベントなんてなくてもタクロマにお互いが接続すれば過ごすことができる。

 ――まだまだいくよ、ミノス!

 アバター姿のミノスの広い背中に心の中で呼びかけながら、わたしは引鉄を絞る。

 再生能力があるサイクロップスは、傷もライフもどんどん回復していくけど、わたしたちはそれを上回る速度でダメージを与えていった。

 ついに膝を着いたサイクロップス。

 そのとき、ミノスがスマートギア越しに視線を飛ばしてきた。

 もちろんその意味もわたしは理解する。

 自動小銃を格納して次に取り出したのは、単発式の榴弾銃(グレネードランチャー)。

 ひとつしかない大きな目に右手、左手のナイフで斬りつけ、深い傷を負わせるミノス。

 わたしはその傷に向かって、自動小銃の小銃弾よりも遥かに大きい榴弾(グレネードバレット)を撃ち込んだ。

 一瞬の間があって、サイクロップスの頭が吹き飛び、ライフゲージが消し飛んだ。

 倒れ込みながらも光る泡の群れとなって弾け、空気に消えていく。

 着地したミノスがゆっくりと歩いてくるのに、わたしは榴弾銃を仕舞って駆け寄った。

 女子としてはそこそこの身長のわたしよりさらに高い彼の腕に自分の腕を絡めて、身長と同じく現実と同じくらいのサイズにしてある胸を押しつける。

 もちろんそれはアバターで、感触まではないわけだけど。

 それでもリアリティを追求してるタクロマの表示で、腕を包むようになってる胸にちょっと口元を引きつらせた感じでミノスは笑みを浮かべてる。

 そんな彼に、わたしは満面の笑みを返していた。

 ボス専用のBGMからシティ通常BGMに切り替わるけど、それより大きな歓声と拍手が、わたしとミノスを迎える。

 わたしたちはそれに手を上げて応えた。

「あ、レベル一二になった」

 サイクロップスの痕跡である泡が消え終わった後、様々なドロップアイテムがインベントリに入ってくるのと同時に、ステータスウィンドウに経験値が加算されて、レベルアップの表示が目の前に現れていた。

「おう。おめでとう、ティンカー」

「ん、ありがと。ミノスはいまいくつなの?」

「俺か? 俺はいま一五だな」

「うわ、やっぱり高いなぁ。追いつかないよ……」

「気にすんな。レベルなんて大して関係ないんだからよ」

 ミノスの言う通り、タクロマのレベル差は二、三程度は無視できる。

 さすがに七とか八変わってくるとステータスの差や装備できる武器の差が大きくなるけど、タクロマの強さはプレイヤースキル、というよりスマートギアによるアバター操作が一番の鍵。

 と言ってもやっぱり気になることには変わりない。

 レベル一五のミノスはタクロマの中でもトップに近いレベル。一二のわたしも決して低くないけど、やっとトップグループの下の方に入れる程度。

 先々月に知り合ったときよりひとつレベルが離されていて、わたしは思わずため息を漏らす。

 でも、わたしとミノスの関係はゲーム内のルールであるレベルなんかじゃ語れない。

 彼に出会う前からわたしはタクロマに填っていたけど、彼に出会ってからはさらにこのゲームが楽しくなっていた。

 アニメとかであるようなバーチャル世界にダイブするゲームではないけど、自分の身体のように扱えるアバター操作は楽しいし、タクロマのリアルでスピード感溢れる世界はこれまでやったことがあるどんなゲームより刺激的だ。

 そしてやっぱり、この世界にはミノスがいる。

 彼はわたしがログインすれば連絡してくれるし、わたしも彼がログインしてきたらメッセージを飛ばす。たまにだけどゲーム経由で携帯端末にメッセージをくれることもあって、いまみたいにボスの情報なんかをくれて一緒にログインすることもある。

 わたしはミノスの最高のパートナーで、彼にとってもそうであるはずだった。それくらい、タクロマの中でわたしとミノスはいつも一緒に過ごしていた。

「……ね、ミノス。今度の日曜って、暇?」

 観戦していた人たちが散っていき、まだミノスの腕に身体を寄せていたわたしは彼から少し離れて、正面からスマートギアを被った顔を覗き込む。

「週末は、どうだろ。どんな用事だ?」

「えぇっと、もしよかったら、逢わない? ……現実(オフ)で。お茶とか」

 これまでいろんな雑談をしてきた中から、ミノスが同じくらいの歳で、たぶん同じ高校に通ってることはわかっていた。長い時間タクロマの中で一緒に過ごしてきたけれど、近くにいるはずなのに現実の彼とはまだ一度も会ったことがなかった。

「いや、キキがいるからなぁ」

 キキことアバター名「キキーモラ」は、ミノスの現実の妹。確か中学生の。

 わたしも何度かタクロマ内で一緒に狩りをしたことがあるけど、キキはわたしやミノスみたいにコンビで狩りをするより、フルパーティでの狩りを得意としている。彼女がボスと取り巻きの十三体のモンスターを同時にスネアロックの魔法で転ばせた動画は見たけど、凄まじいというか唖然とするしかなかった。

 年下で、アバターは可愛らしい女の子なのに、スネアロックマスターの名で呼ばれるキキは、もの凄い戦闘指揮能力がいろんなとこで重宝されていて、あんまりわたしやミノスと一緒に戦うことは少なかった。

 パンキー炎なんてハジけた格好と、それに見合う発言の多いミノスは、でも現実の方だと妹想いのお兄ちゃんだ。

 これまで何度か現実で逢おうと誘ってるのに、一度も乗ってきてくれたことはなかった。

「そっかぁ。じゃあ、また今度、誘うね」

「……わかった。まぁ、また夜にでも、逢おうぜ」

「うんっ」

 手を上げてわたしに挨拶をしたミノス姿は、泡になって消えた。フレンド表示がグレーアウトして、ログアウトしたのを確認する。

「ちぇっ」

 声を出して石畳の地面を蹴りつけたわたしは、ため息を吐いた後にログアウト操作をして、タクロマの世界から現実へと戻る。



          *



「くぅーーーっ。またダメだったぁ……」

 ローズピンクのスマートギアを頭から脱いで、椅子を引いたわたしは机に突っ伏した。

「何? また振られたの?」

 前の席の椅子に横向きに座って、後頭部に声を降らせてきたのは、倉増仁奈(くらますにな)。

 顔だけ上げると、下着が透ける夏物のシャツの上から学校指定外の黄色いベストを重ね、短く穿いたスカートで脚を組む仁奈は、呆れたような視線をわたしに向けてきていた。

 中学のときは先端が溶けるほど丹念に脱色していた彼女の髪は、いまは濃い茶の落ち着いた色合いのセミロングだ。背中の半ばほどまで伸ばしてるわたしの髪と言えば、太くて硬い割に脱色とか染めたりするとすぐにぼろぼろになるので、仁奈の髪はちょっと羨ましい。

 顔は鼻筋とか顎の線とかがくっきりしたお母さん似の美人系で、たまに部分だけ見ると男みたいと言われるわたしと正反対の、小さくまとまった可愛らしい感じの仁奈。

 身長なんかはわたしの方が先に伸び始めて、胸とかの身体つきもわたしの方が先に女らしくなった、と思ってたのに、中学に入った頃から小柄なままだけど急に女の子っぽくなった彼女は、一年であることを示す赤いチェック柄のネクタイが胸の形に曲線を描くほどになってる。そこそこ大きいわたしよりもさらに大きな仁奈の胸は、重くて肩凝るらしいけど、ちょっと憎らしくなることもあるくらいだった。

 そんな仁奈は、幼稚園の頃からだから、もう十二年に渡るわたしの大親友だ。

「振られた、っていうか、そう言うんじゃなくて、週末は暇ならオフでって話をしただけだよ」

「智香(ちか)も懲りないよねぇ。っていうか、タクロマやってる間は性格変わるよね、智香。真面目でおしとやかなキャラで行くんじゃなかったの? まだ残ってる人いるよ。ほら深呼吸」

「うっ」

 だらしなく突っ伏していた身体を起こし、仁奈に促されて深呼吸する。緩んでいた表情を引き締め、髪の乱れを手櫛で直したわたしは柔らかい笑みをつくった。

 どうにもタクロマにログインしてると、あのBGMとミノスのノリが気持ちよくて、ログアウト直後はそれに引っ張られちゃう。

 教室の前の時計を見てみると、担任の先生が出ていってから三〇分以上が経ってる。タクロマに接続していたのは五分かそこらくらいにしか感じなかったけど、二〇分が経過していた。

 夏休みの足音が聞こえてくる今日、教室には放課後になってけっこう経つのに、集まって話をしたり、復習なのか教科書を開いてる人とか、ちらほらと残っているのが見えた。

「でもよく入学から三ヶ月も猫被っていられるよね」

「まぁ、振る舞いだけでも真面目そうにしておけば先生受けはいいし、男子受けもいいからね」

 いまは七月も上旬。高校に入ってから三ヶ月が経過していた。

 中学の頃は喧嘩売ってきた男子に口より先に手が出るくらい乱暴――元気だったわたしだけど、高校では素敵な彼氏のひとりくらいほしいと思って、少し自分を変えてみることにした。

 幼稚園と小学校は一緒で、中学は別々だったけど高校でまた一緒になった仁奈には、わたしの本性はバレてる。でも多少疲れることを除けば、真面目キャラは便利なことが多いのがやっててわかっていた。

 ――まぁ、必要なときには猫なんて被っていられないけど。

 入学早々人気のないところに呼びつけて拳で語り合おうとしてきたケバい先輩女子相手には、誰も来ないのをいいことに、こっちもきっちり拳で語ってあげたりもしてたけど。

「確かに智香は男子受けそこそこだけど、彼氏つくろうとしないし、学校でタクロマやってるのはどうなの? そのうち先生にもバレるよ」

「うぅー。だってぇ……」

 呆れた風に言ってくる仁奈に、わたしはちょっと上目遣いに言い訳の言葉を考える。

 いつもなら家に帰ってからやるタクロマを、今日は教室からログインしてやってたのは、放課後突入直後にミノスからメールがあったからだった。

 ランダムらしいシティクライシスのボス情報をどうやって仕入れたのかは知らないけど、わざわざ討伐に行くこともないレアなボスであるサイクロップスを狩らないか、なんてミノスから誘われたら、教室からタクロマにログインするのにためらう理由なんてない。

 仁奈を待たせることになったのは済まないと思うけど、この後約束してる新規開店のクレープ屋さんはおごりってことで許してくれるだろう。

「誘われたんだから、仕方ないし……」

「本当、智香はミノスラブだよね。いっそのことさっさと告っちゃえばいいのに」

「それはそれで、怖いし……」

「あれだけタクロマでラブラブなのに、いまさら何が怖いって言うの?」

「わたしみたいにリアルとほとんど同じ外見設定なのかわからないから、オフでどんな人なのかわかんないんだよね」

「あー。そういうとこ面倒臭いよね、アバターって」

 仁奈にはよく話していたから、タクロマはちょっとだけやってやめちゃった彼女だけど、ミノスのことはわたしを通して知っていた。

「うん。自分でもわかってるんだけどさ……」

「ったく。いつから智香はこんな恋する乙女になったんだか。いつもみたいにスパッと言うことは言う、やることはやる、で済ませちゃえばいいのに」

「そうしたいのは山々なんだけどねぇ、なかなか。でもミノスくらいハイテンションでわたしと相性のいい人は他にいないからね。リアルで一度でも逢えたら、悩む必要ないんだけどなぁ」

「ちなみに今回はどんな理由で振られたの?」

「妹の世話しないといけないんだって。中学生の」

「学校通えてるなら普通の子でしょ? 何? ミノスっってシスコンなの?」

「ちょっとそうかも? あ、でもよくわかんない。タクロマの中で一緒に逢ったときはそんな感じでもなかったし、どうなんだろ」

 自分でもウジウジしてるのはわかってるけど、そんなわたしを見た仁奈は盛大なため息を吐いていた。

「そんなバーチャルな男よりも、現実の男を見るべきじゃないか?」

 スマートギアを専用セミハードケースに仕舞って鞄に放り込み、クレープ屋さんに行こうと思ってたとき、そんな声をかけてきたのはクラスの男子、東堂育義(とうどういくよし)。

「立ち聞きしてたの? 東堂君」

「聞こえるくらいの声で話していたからね。秘密の話だったら誰にも聞こえないところでするべきだろう?」

 仁奈の冷め切った視線にも怯まず、柔らかい笑みを浮かべる東堂。

 彼はクラスの中でも人気の男子だ。

 彫りが深くて鼻が高く、いわゆるイケメン顔で、身長も高くてがっしり体型。運動も勉強もそこそこ。これと言って欠点がない。その上経済的には苦労のない家らしいし、口が上手いし気配り上手ってことで、クラス内や一年生内どころか、先輩からの声がかかるくらい人気者だった。

 その分、二股とか三股とかの噂も絶えないんだけど。

「オレだったら戦いに女の子を連れ出すなんてことはしないな。女の子は守ってやらないと」

「いや、モンスターを狩るゲームなんだから、自分で戦わないと楽しめないし」

「そうかも知れないが、女の子の誘いよりも妹を優先するなんてあり得ないだろう。そのミノスって奴は、何か別の理由があって藤多(ふじた)さんに逢えないだけなんじゃないか?」

「東堂君は一人っ子でしょ? 彼の事情なんてわからないじゃない」

 わたしと仁奈のちくちくした反論にも笑みを絶やすことのない東堂。こういうとこのモチベーションはちょっとミノスにも見習ってほしくなる。

「まぁともかく、週末は時間があるなら、オレと遊ばないか? 藤多さん」

「うぅーん」

 積極的に断る理由が見つからなくて、わたしはスカートと同じ紺色のチェック柄のベストのポケットから携帯端末を取り出す。

 ログイン画面を表示してるタクロマアプリを閉じて、スケジュールアプリを開いた。

「相変わらず分厚いね、その携帯」

「まぁ、お母さんの連絡受けられるようにしてるから、仕方ないんだけどね」

 フルタッチタイプのわたしの携帯は、薄くて軽い今時のに比べて二倍近い厚さがある。

 母子家庭で女手ひとつでわたしを育ててくれてるお母さんは、いわゆるキャリアウーマンで、月の半分くらいは出張で家にいない。海外出張することも多くて、携帯電波の通じない僻地にいることもあるから、わたしは衛星回線の受信もできるようなモデルを持たされていた。

 そんなに衛星回線なんて使うことはないんだけど、出張先の砂漠地帯からお土産は何がいいかとか訊かれて困るなんてこともあった。

「週末は家でやることあるから、また今度ね」

「それは残念。また今度誘うよ」

 キメ顔らしい笑みを残して、断られたことをとくに気にした風もなく、東堂はわたしたちの側から離れていった。

「……たまにはいいんじゃない? あぁいうのと遊びに行くのも。どうせ彼氏もいないんだし」

 東堂が教室から出て行った後、わたしの机に乗り出すようにして仁奈がそんなことを言う。

「そうは思うんだけど、何となく東堂と遊んでも楽しくなりそうな気がしないんだよねぇ」

「何よ、それ」

「いや、何となくなんだけど」

 眉根にシワを寄せてる仁奈に、わたしはどう答えていいのかわからない。

 中学の頃からけっこう女の子と遊んでいたという東堂は、いまもよくいろんな子やグループで遊びに行ってるみたいだし、女の子の扱いは上手いんだろうと思う。

 でも四月に同じクラスになって、最初は良さそうだなと思ってたけど、七月になったいまは、何となくフィーリングが合いそうじゃないな、と思うことがちょこちょこあった。

 それよりもミノスの代わりに東堂とは遊びに行けない理由がある。

「来週タクロマの大規模アップデートが控えてるんだよね」

「またタクロマかい」

「まぁそうなんだけど、できたらミノスに少しでもレベル近づけたいし」

 今日最高の呆れ顔を見せる仁奈だけど、仕方がない。

 公式情報では内容が一切発表されていない今回のアップデートは、いろんな推測が出てるけど、本当に不明なままだ。

 どんな内容でも対応できるよう、少しでもミノスに近づけるよう、彼をオフに誘えないなら、その分タクロマ内でのわたしに磨きをかける必要があった。

「まぁいいけどね。再来週でいいけど、買い物つき合ってよ? 水着見に行きたいし」

「彼氏とプールでも行くの?」

「いないから買いに行くんでしょ。夏なんだからいい人見繕わないと。智香と違ってアタシは好きな人すらいないんだから」

「あははっ」

 不満げに頬を膨らませてる仁奈と席を立って、約束してたお店に向かおうと教室を出る。

「うわっ」

「あ、ゴメン」

 教室を出たところで人にぶつかりそうになった。

 猫背気味の彼の顎の辺りにキスしそうになって、わたしは大げさに後退る。

「何だ、永瀬君か。ゴメンね、智香がよそ見してて」

「いや……」

 そこそこ綺麗に整えてるけど、うつむき加減で顔に影が差してる髪は、鬱陶しさを感じてしまう。一六〇ちょいのわたしよりも背が高いのに背中を丸めて視線を逸らす彼は、クラスでも影の薄い男子、永瀬稔(ながせみのる)。

「こっちもよそ見しててゴメン、藤多さん」

 聞き取りにくいボソボソした声で言う永瀬を、何となく苛立ちを感じて睨むように見ながら、黒いスマートギアポーチを抱えて教室に入る彼とすれ違った。

「さよなら、藤多さん」

「あ、うん。さよなら、永瀬。また明日」

 ちらりとこっちを見てすれ違い様に小さな声で言う彼に、わたしも返事をする。

「うぅーん」

「どうかしたの? 智香」

 廊下に出て昇降口に向かうために階段を下りながら、わたしは唸っていた。

「あぁいう、永瀬みたいな暗いタイプは嫌いだなぁ、と思って」

「まぁ、わかるけどね」

 たいした接触ではなかったのにどうしてもわだかまる永瀬の微妙な態度に、わたしは不満を漏らしていた。ミノスとは正反対のタイプで、根暗な感じが嫌いだ。

「オタクって嫌いだな」

「何言ってんの? 智香。あんただって充分タクロマオタクだけど?」

「うっ」

 反論のしようもない仁奈の突っ込みに、わたしは思わず息が詰まっていた。




 そうして、それから八日後、タクティカル・ロマンシアの定期メンテナンスと同時に行われた大規模アップデートの中、それは起こった。

 当たり前のように過ごしてきたわたしの日常は、崩れて消えてしまった。

 世界が、アップデートされてしまったその日から。



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