涙《tear》

「『驚いた……』」


見事に声が重なった。

なんとも締まらない。


「うお、なんだこれ妙に馴染む。」


そういって自身の両手を見る。


『伊達に二百年剣を握っていた訳では無いな……』


対して霜月は感心したような声を上げた。


「これは調整すれば実力をかなりあげることができるかもしれない……、」


『そうだろうそうだろう。』


折角褒めたと言うのに調子にのって得意げに言うのがなんとも鼻につく。


『む、主よ。向こうの方に何やら強い魔力反応が』


「なんだと?……ん」


霜月は今までの巫山戯た態度はどこへ行ったのかと思うほど真剣な声音でそういった。

エリックも驚いたような顔をしたが、直ぐに表情を引き締め周囲の気配を探る。


そして数秒が経ち、どこか納得したような声を漏らした。


「そうだな……こっちか」


徐に立ち上がると暫く進み左手にある大きな木の裏側へと回り込んだ。


「なっ……」


『これは……』


エリックと霜月は、木の裏を見て言葉を失った。

血だらけで横たわる獣人と思しき女性とその腕に抱かれて眠る赤子の姿があったのだ。


その女性の姿は凄惨そのものであり、処置が遅れれば後遺症が残るどころか命すら落としかねない。


エリックはすぐさま氷魔術を発動させた。


「癒冰ッ……、」


癒冰、この魔術は魔素の多く含まれた氷を精製し傷口に直接当てるか、食べるかをして細胞の活性化を促し、回復速度を速めるものだ。

しかし、エリックはこの手の回復魔法は得意としない。魔素の制御が難しい上に細かい作業でもあるためだ。


「くそっ、効きが悪い……、何故だ!?」


魔力を込め続けるも、滝のように流れる血は一向に止まる気配を見せない。その事に焦りを覚えつつウエストポーチを左手で開きポーションを探す。


「いつっ……、破片?!」


指先に鋭い痛みが走り、視線を移すと指の腹が開き赤い液体が流れてきた。


「このままでは……」


『主……』


万策尽きたという面持ちで闇雲に回復用魔術を行使するエリックを見かねたのか、霜月が声をかける。


「あ……の…」


その時、女性がエリックの肩に手を伸ばし、弱々しくも確実に掴んだ。


「喋るな!まだ傷口が塞がっていない!」


まだ、と如何にも治す手立てがありそうに言うが、彼自身ことの異常さに気が付き始めていた。

幾ら回復用魔術を苦手とするエリックだとしても、これだけの量の魔力を注ぎ込めば止血くらいは可能な筈である。それにもかかわらず、血が止まる気配を微塵も感じないこの状況は異常だ。


「お願い、です……聞いてくだ……さい…」


本当に、今にも消えそうな灯火ほどの声でそう伝える。彼女自身、先は長くないのを悟っているようだった。


「分かった。聞こう……」


エリックも、その瞳の真剣さと必死な声音に気圧され半ば反射的にその言葉を口にしてしまう。


「あの、このッ!?ゲホッ!ゲホッ!」


何かを言い出そうとした刹那、その女性は苦痛に喘ぐ。

激しく咳き込み、とても会話のできる状況ではない。


「待ってろ、凍経……」


痛覚遮断用魔術。

普段は戦闘中など回復魔術の使えないような時、その場しのぎで使うものだ。


「ありがとうございます……」


僅かに震えてはいるが、しっかりと聞き取れる。


「ああ……」


「私には呪詛魔術がかけられています。怪我の治りが異常に遅いのはそれのせいだと思われます。そして、私は……一族に追放されたのです。この子と共に……」


そういうと、愛おしそうに腕の中の赤子を抱き直す。


「逃げている最中、運悪く奴隷商人に捕まってしまい……、この子は無事に産めましたが…」


血と涙に濡れたその顔は、表情が雲ったことにより、より凄惨さを増した。


「追放された理由は、他種族との……」


「もういい」


続きを説明しようとする女性を止める。

これ以上聞いていたら行けない気がした。


「奴隷として主に尽くさなければいけません。それで、主は私に……」


女性の主は被虐趣味者であった。

その為だけに呪詛魔術のかけられている奴隷を買ったとしか思えない。

エリックはふつふつと怒りが湧くのを確かに感じる。


「もう、私はダメそうです。なので、この子を……」


そういって、女性は涙を浮かべながらもエリックに赤子を手渡した。


「ああ……」


エリックは絞り出すようにして答える。

歯を強く食いしばり唇に血が滲む。


他人のことだと言うのに、全くそうは感じなかった。


彼も似たような目にあったことがあるからだ。

悪い人間により、善良な人間が全てを奪われる。そんな経験が……


真っ白な髪を風になびかせ、琥珀色の瞳を薄らと開き、精一杯の笑みを浮かべてエリックへと向き直る。


そして、その一言をしっかりと紡ぎ、獣人の女性はこの世を去った。


「ありがとう……」

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