第3話 練習相手
取り敢えず人のいない教室に入った俺と吹奏楽部の少女は一言事も会話せず気まずい雰囲気の中、先程いた俺の机の上に座る。
CDプレイヤーは恵太の机に置く。
ショートヘアーで黒髪のおどおどとした少女は少し下を俯きながら隣の椅子に座る。
「えっと………宜しくね。俺は……………」
「鴨居田、弥君………だよね?」
「あれ、知ってるの?」
「この間自己紹介………してたし」
ってことはこの子、俺と同じクラスの子?!
やべぇ。名前と顔が思い出せない。
そもそも女子の顔と名前を覚えるのが苦手な俺にとって初対面でこうして二人きりで話すのは流石に難易度が高すぎる。
とにかく、ここは正直に聞こう。
「ごめん。まだ全員の名前覚えれなくて………」
「うん。無理もないよ、じゃあ私の名前ね………私の名前は九条優里菜(くじょうゆりな)。席は鴨居田君の後ろの後ろ」
マジか結構近かったな。
「よ、宜しくな九条。さっそくだけど俺はどうすればいいんだ?」
全て丸投げされた上に説明すらされていないから何をすればいいのか分からない。が、何となく想像できる。
「多分、CDのお手本を聞いた後に私の演奏を聞いて違いについて指摘してってことなんだと思う」
なるほど大体は理解した。
「あの、鴨居田君は音楽の経験はあるの?」
「いや全くないけど」
「……………………」
これはおそらく終わった。という顔をしている。
「あー、まぁそう思うのも分かるんだがこの練習法には慣れているから多分、平気だと思う」
「ほ、本当に?」
「要は聴き比べだろ、おかしいなって思った箇所を注意すればいいってことだな」
少し間を置いて冷静に考えた後に二回うなづいて了承する。
「よし、じゃあ流すか」
九条は再生ボタンを押す。するととても優美な音色が教室全体に伝わり反響する。
そして、一定の箇所まで流すとカチッと止める。
「ここまで聞いて欲しい………けどわかった?」
「…………何となくは」
不安そうな表情になるのも無理もない。
音楽が理解できない奴に演奏を聞いても理解は出来ないのだから。だが、これは間違い探しだ。
そう思えば理解出来ない俺でも可能。
「じゃあやるね」
九条は先程廊下を歩いていた際の音色、CDで聞いたような音とリズム、音調で上手く奏でる。
出だしから中々良い音を出す。
やはりこの学校の吹奏楽部に入るだけあって実力もかなり相当なものだと言える。
だが、途中。少し音のリズムが崩れたように感じた。
「ストップ、そこだな」
俺は唐突に言い始めると驚いて音が跳ね上がる。
そして九条は意外そうな顔をして答える。
「さっきと同じ箇所だ」
「当たってたか」
少し安心するが彼女にとっては全く安心できない事だ。
「どこが違った?」
「と、言われてもなぁ」
何をどう表現したらいいか分からない。
音楽用語なんてフォルテッシモとかピアノ、フェルマータくらいしか知らない。(意味は曖昧)
助言なんてしようにもな…………。
知識がなければ伝わるわけが無い。
そう困って考えていると
「優里菜、答えはあなたが導きなさい。自分の間違いを理解出来ないようじゃ意味無いから」
ドアのとこに立っていた由莉さんが厳しい助言を突きつけると九条は「はい」と答える。
「安心して、その男が良いって言うまで付き合うから」
「え、ちょっ………」
久しぶりに見た。
笑ってない笑顔。
笑っているはずなのに何故か高圧的な威圧しか感じないあの表情。
あれに何度、恐怖させられて従ったことか。
暫くあの表情を見てなかったせいですっかりわすれていた。
観念した俺は『了解であります!』と言う意味を込めた敬礼をしたのを見てニヤリと笑を浮かべて戻る性格の悪さを今一度心に刻んだ。
「本当にごめんね、付き合わせちゃって」
九条は頭を下げて謝る。
「謝ることは無いよ、俺は由莉さ……先輩の命令に従ったまでだから」
「鴨居田君は由莉先輩と仲良いんだね」
「まぁ、家が隣同士だったからよく聞き手に回って感想を言わされてたかな」
「道理で……………」
「最も音楽の知識はないから綺麗とか響きが良いとしか言えなかったけどね」
「でも、違いが見抜けるんだね」
「たしかに九条の音は手本のものと明確に違うって感じはしなかった。ただ、違うと思ったのは…………」
「ま、待ってそれ以上は……………」
「あー悪い。それじゃあ練習にならないよな」
先輩の要求通り果たさなければ後で痛い目に逢うのは主に俺だ。
それに九条の成長を促すには自分で気づくことが一番だしな、俺みたいな素人が口出しするのもやぶさかじゃない。
「じゃあ鴨居田君、もう一度……やるね?」
「ああ、頼む」
そうして俺達は最終下校時刻に至るまで何度も何度も繰り返し演奏をしていた。
そして最後、由莉先輩の元に行った九条はそこの部分のテストをして見事合格した。
「おめでとうやっと出来たわね」
「はい!」
「でも、皆は先に進んでる。こんな所でつまづいてはあとが真っ暗だから注意してね」
「はい。ありがとうございます」
「お礼なら私より付き合った弥に言いなさい」
「そうでした………」と気づいた九条は俺の元に来て深く頭を下げる。
「今日は付き合ってくれてありがとうございます」
「礼はいいよ」
「いえ、私のために大事な時間を割いてしまったんですから……………」
「どうせ帰っても家でゴロゴロするだけだから気にしないでくれ」
「なるほどねぇ、最近ゲームばっかしてるって聞いたけどまさかね……………」
やべぇ。これ以上の失言は命に関わる。
「あははは、なんだ今日の事は先輩の命令だから仕方ないことなんだ。それにお互いクラスメイトなんだし、敬語はやめようぜ」
顔を上げた九条は目を合わせるもすぐに逸らして「う、うん。そうだね」と答える。
「まぁなんだ、これからも宜しくな」
手を出して握手を求める。
それに応じた九条は気後れながらもそっと手を取って握手を交わす。
「はいはい。今日はもう下校時間だから優里菜は帰る」
ケースと鞄を受け取った九条は「お先失礼します」と一礼した後にすぐ近くの廊下を降りていく。
去り際、俺は九条と目が合うが彼女は少し顔を赤くするとそっと外して降りてしまった。
「弥も変わったね」
「そうですか?」
由莉先輩のその一言に何気なく返す。
「聞いたよ、テニス辞めたんだって」
「…………………」
帰る支度をしながらそう話しかける。
あまり触れてほしくない話題だったが今更にしか感じなかった。
「怪我の後遺症、そんなに酷いの?」
珍しく心配した風に聞いてくる。
「えぇ、まぁ」
「もしかしてこの学校に来た理由って……………」
「逃げたんですよ」
「……………」
「神奈川の高校は俺を知っている人がいますし、それに中学の部活の仲間がいます」
避けた。
俺はあいつらが嫌いという訳でもない。
遊ぶ時は遊ぶ。
だけど、同じ高校にはなりたくなかった。
流れでテニス部に入ってしまうかもしれないから。
「ふーん。弱気なんだね」
「すいません、なんかへこたれてて」
「謝ることはないよ。私は弥がどれだけ努力していたかを知ってるし、認めている」
「…………っ!」
「その上でもう一度言うけど、いつまでへこたれてるの?」
いつまで…………そんなの分かるわけないだろ。
「先輩は俺にもう一度テニスをやれって言ってるんですか?」
「そうではないけど…………実際この学校の運動部は弥には勧めない。それに足のことは聞いてるからまたテニスしろとも言わない。けど、いつまでも下ばかりみて顔を上げないのはよくないから」
俺は顔を少し伏せていた。
自分が気づかないうちに。
先輩の顔を見るのを無意識で嫌がって視線をしたに逸らして少し伏せていた。
「私は弥には顔をあげていて欲しい。前の………あの頃の弥が自慢の弟のように思えた」
「由莉さん……………」
お互い一人っ子だったからか。
兄妹のように親しく過ごす時も少なくはなかった。
俺は由莉先輩同様に今でも同じことを思っている。
「だからさ、心機一転して他の事を始めなよ」
「他のこと?」
「うん、文化部で。幸いこの学校は文化部が豊富だから選択の幅はかなり広い」
あまり考えてはいなかったけど。
「あ、吹奏楽部はお勧めしないから。うちは実力主義で上下関係厳しいから、男女問わず」
まぁ、さっきの流れからして推測はできる。
それに言われずともその選択肢は鼻から無い。
「それで何か興味あるのはあった?」
「それを見に今日行こうと思ってたんですけどね」
何せ目の前の人のせいで邪魔されたんだけどな。
「あー、今日は今日!私に出会ったのが運の尽きね」
その台詞、無理やり併用したよな今。
「取り敢えず、明日はこの文化部にいきなさい」
鞄から一枚の紙を取り出すと俺の胸元に押し付けて渡す。
手に取って内容を見るとそこには上手い絵が一枚載っているのと上の方に『クリエイター部募集!』とだけ一言書かれていた。
「随分アバウトな宣伝の仕方だな」
「絵の実力はあるけど…………肝心な文字に興味があまりないって言うか…………」
「この部活に知り合いが?」
「一人ね。芸術科で同じクラスの子が」
芸術科か。ならこの絵の実力は納得いく。
「まぁ、問題…………個性的な集まりだけど噛み合えば多分凄くなるから明日行ってみなさい」
今、問題児の集まりって言いかけたよな。
ちょっと嫌になってきた。
「いやぁ、明日は他の方に………………」
と、言いかけた直後携帯を取り出すと連絡先を開いて通話を始める。
「あ、もしもし由莉だけど。明日、そっちに一人新入生を仮入部させたいんだけど平気よね?」
『問題ない。むしろ大歓迎と伝えて』
「分かった。じゃ、宜しくね」
と、言って通話を切る。
「んじゃ、そういうことで」
「……………………」
拒否権は無しか。
こういう手の回し方は前よりも早くなった。
「大丈夫。今の弥になら魅力的なとこに見えるだろうから」
「はぁー、不安でしかないですよ」
深く溜め息を吐いた俺は仕方なく全て受け入れて、明日はその『クリエイター部』に行くとしよう。
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