第3話 紅火花という少女

 今日は運がいい。

 紅火花の背後に追従しながら、笹塚の胸は早鐘を打つ。

 紅火花は出没気没。何百とあるワールドの中でこうして偶然紅火花と出くわすのはかなり難しい。紅火花を追いかけて早数カ月、出会った場所や時間などをメモしているが、今だその出現場所も、出現周期も不明である。

「紅火花さん、お久しぶりです、suzuです」

 当然返事はない。それどころか一瞥すらくれない。紅火花は燃ゆるような赤髪交じりの黒髪が揺らし、ずんずんと前へ進んでいく。

「最近モデリングをはじめまして……その、差し出がましいんですけど、赤火花さんのようなアバターを作ってまして、いえ、パクっているわけではないんですけど!」

「……」

「アバター作るのって難しいんですね、自分の理想に近づけようとしても、機能的制約が多くって、紅火花さんみたいに技術力があれば別でしょうけど」

「……」

 笹塚は楽しんでいた。他人から見たら奇異に映るかもしれない。現実で動く人形に一方的に話しかけ、うきうき声でしゃべる人間がいたら、正気を疑われる。しかしここは違う。それが許される。

 自分の心をむき出しにして、自分の願いを叶えられる。

 笹塚は紅火花のアバター名をタップした。ウィンドウが開き、いくつかの項目が並ぶメニュー画面が開く。そこから、『present』という項目を選択。

「その、もしよろしければ、これ使ってください。拙いものですが、赤火花さんのイメージに合うかなと思って作りました」

 『tebukuro.fbx』というファイルを添付し、紅火花に送信する。送信完了のSEが鳴り、ウィンドウを閉じる。

 その手は震えていた。

 アバターの動きはモーションキャプチャで取得した現実の動きを反映している。つまり、現実の笹塚も震えていた。

 表情の変わらないアバターの裏では真っ赤にのぼせ上った笹塚の顔。嫌な汗がふつふと額に浮かぶのを感じる。

 やってしまった。ついに、ついにやってしまった。

 声の震えは何とか抑えたつもりだが、大丈夫だったろうか。

 現実だったら、絶対こんなことはしない。よくも知らない他人、ましてや人が入っているかもわからない相手に、プレゼントを、しかも手袋を、いい年した大の大人が、渡すなど、恥ずかしくてできやしない。

 しかし、紅火花と次会える保証はないのだ。

 世界を巡る紅火花は、またすぐにどこかへ飛んでいく。ここではないどこか。この世ではなくあの世へと、ぐるぐるぐるぐると世界を渡っていく。

 なら後で後悔などしたくない。

「本当に、気が向いたら使ってみてください」

「……」

 ワールドの端にたどり着き、紅火花が腕を振る。

 すると、転送窓となるワープゲートが開き、紅火花は別れも何も告げぬまま、その中へと消えてしまった。

 笹塚は短い角ばった腕をフリ、紅火花を送り出す。

 空を眺めると月はわざとらしいくらい真ん丸で、ワールドを包む草原が波打つ音が一定の周期で聞こえてくる。

 リアルでないこの世界は、しかしリアルよりも生々しい。

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