第2話 現実と仮想

 星々の瞬く虚空に、ひし形のウィンドウが浮かぶ。中央には現在のローディング状況を伝える数字が表示されており、ひし形の枠を進む光がちょうど一周すると、値は百を示した。

 途端開けた世界は、焚火の燃ゆるキャンプ地だった。煌々と光る焚火の周りには、鉄串に刺さったマシュマロを焼くロボットや、獣耳を生やした少女の姿がある。彼らは笹塚に気づくと、手を挙げた。

「suzuさん、こんばんは」

「どうもー」

「どうも、お疲れ様です、タニシさんに丸々さん」

 suzuとは笹塚が仮想空間で利用しているアバターの名前だ。とはいえ、本当の人間の体に近いアバターではなく、ドット絵を3Dに起こしたものなので、体は積み木を積み上げたような形状をしている。一応手も足もあるが、寸胴体系のマスコット。とてもではないが、笹塚の理想からは程遠い。

 焚火を囲む仮想世界で知り合った友人たちは、マシュマロを焼いては食べるフリをしたり、無限にポップすることをいいことに宙へ投げ飛ばしている。近くの別の焚火では、火の上でダンスをする陽気な人もいた。

 焚火のそばの丸太に腰を下ろし、仲間と同じようにマシュマロを焼く。

「suzuさん、毎日ログインするの遅いですよね、お仕事なんですか?」

「ええ、今日も残業で……ははっ」

「それはお疲れ様です、マシュマロどうぞ」

 獣耳をはやしたかわいらしい少女のアバターが、火にあぶられても無傷のマシュマロを差し出してきた。

 外見に似合わぬ低音ボイス。瞬き以外には変わらぬ表情。この仮想空間ではありふれたその光景に、笹塚は少し心が軽くなる。

「そういえば、suzuさん、アバターの進捗どうすか?」

「いやー、それが、モデル自体は完成しつつあるんですけど、テクスチャをどうしようかと思ってて、単純に光の反射を変えるだけだと、なんか気持ちの悪い色になってしまいますし」

「あー、じゃあUVマップかー」

「やはりそれしかないですかね、私全然絵が描けないんですけど……」

 いかにも戦闘用といった風のロボット姿のタニシが、顎に手を置いて傾げる素振りをする。そのアバターは本人が作ったものであるらしく、脚部にセットされた剣を有名な抜刀シーン風に抜けるなど、かなりのこだわり仕様。笹塚にとってタニシは、アバターづくりの師匠でもある。

「まあ、簡単な色付けなら、ペイントとマウスでもできますよ! あとは気合っす!」

「ありがとう、頑張ってみるよ」

 ロボットが妙に滑らかな動きでガッツポーズをとる。ボイスチェンジャーを通していると思われる電子的な声は、それでいて人間臭く、思わず笑みが零れた。

 その時だった。

 キャンプ地を囲む山の頂上に、人型のシルエットが現れる。クレーターがはっきりとわかる月を背景に、突如として出現したその人型は、まっすぐにキャンプ地へと降りてきた。

 徐々にあらわになるその姿に、キャンプ地の何人かは目を奪われる。

 波打つ赤いコートに、赤髪の混じる黒の長髪。はるか先を見据えるようなまっすぐな赤の瞳。口元は決死の戦場へ向かうかのように引き結ばれ、地面を踏みしめる足は黒いブーツで覆われている。

 迷いなく進む姿に皆が道を開ける。口々に漏れる声は、誰もが一つの名前を指していた。

 『紅火花』

 アバターの登録名。

「相変わらず綺麗なアバターすね、ぜひお話聞きたいところですけど、あれじゃあね」

「あれというと?」

「あ、丸丸さんはそういえば日が浅かったすよね、紅火花は、生きる都市伝説なんす」

 不思議そうに体を揺らす丸々に、タニシが指を立てて説明する。

「紅火花はワールドからワールドを渡り歩くだけなんです。しゃべらないし、止まらない。何が目的なのか知らないですけど、世界の果てでも目指してみるみたいに、ただ、ただ歩くだけなんすよ。噂では二次元が好きすぎて死んだ人間の亡霊だとか、運営がよこした監視アバターだとか色々言われてますが、真相は謎です」

 キャンプ地を横切っていく紅火花は、周囲から様々な干渉を受けるがまったく意に返さず、一定の歩調で前へと進んでいく。

「ま、私が思うに、誰かが面白がってプログラミングした、そういうギミックなんだと思うんですけどね、もったいない、あれだけよくできたアバターなら、いくらでも使い道があるだろうに」

「交流も一切ないんですか?」

「いくらフレンド申請を飛ばしても、なしのつぶてっすよ、ある程度この世界にいる人はそれを知っているので、たまに見かけても、今みたいに遠目から珍獣扱いです……大体は」

「すみません、それじゃあ私はこれで」

「また今度っす」

「あー? はい、さようなら」

 笹塚は挨拶もそこそこにその場を辞した。その足の向かう先は紅火花の方向。

「suzuさん、急にどうしたんですか?」

「ファンなんすよ」

「でも会話してくれないんですよね」

「そう、けどあの人はずっと追っかけしてんす」

「それってガチ恋みたいなやつなんですかね?」

「本人が言うには憧れだそうです」

「憧れ、ですか」

 取り残された二人は、紅火花を追う箱みたいなアバターをマシュマロを食べつつ見送った。

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