VR世界で会いましょう

二十四番町

第1話 私の仮想現実


肘が捻じ曲がる。

 肉体と衣服の境界があいまいになり、立体だったものがひしゃげて薄い板のようにつぶれてしまう。しかし、血は一滴もこぼれず、白い床は汚れない。

 鏡に映る自分の姿は動けば動くほど破綻していく。

 体を揺すれば髪の毛が顔にめり込み、手を握ると親指が手の平に突き刺さる。

 顔はまるで出来損ないの粘土細工のように凹凸がなく、口の割れ目だけが異様に目立つ。

 おぞましく変容した自分の体に耐え切れず、笹塚亮は叫び声を上げた。


「あーチクショウ! うまくモデリング出来ねぇ!」

 VRのヘッドセットを荒々しく外し、丁寧にそれをテーブルに置く。髪の毛をかきむしり、笹塚はデスクトップからモデリングソフトを立ち上げた。「suzu_Second」と言う名のファイルを選択し、画面に呼び出すと、両手を広げ、棒立ちになっている少女が現れる。

 茶色のセミロング、モスグリーンのミリタリジャケット。ホットパンツからすらりと伸びた脚の先はごついブーツに包まれ、同じように、手にもごつい手袋がはめ込まれている。

 笹塚の趣味と憧れを凝縮した想像の中の少女が、仮想の立体としてそこにあった。

「こっちのソフトだと多少はまともに見えるんだけどな」

 360度、少女を回転させながら、眺めると、人型としての粗が否が応でも目についてしまう。髪は薄い板を折り曲げて作ってあるし、足も腕も太さがほぼ均一。手の指もすべて同じ太さで、関節の節くれがない。

 立体は無数の細かい面で出来ているので、区切りのわかるメッシュ表示にすると、体の情報量のなさが一目瞭然だった。

 何より、一番酷いのは、肌の色だ。

 少女は全体的にのっぺりしていた。漫画やアニメみたいに影が分かりやすく描かれてないにも関わらず、造形としては2Dのようなデフォルメがされているので、そのアンバランスさが気味の悪さを引き起こしている。

 これを仮想の世界に持っていくと、人間らしさのない化け物が生まれる。

 笹塚はデスクトップの電源を落とし、背後のベッドに倒れこんだ。

「道は長いなー」

 寝転がったままiphoneを起動すると時刻は午前七時。一度目を瞑り、気合を入れるため、跳ね起きれば、ハンガーにかかったスーツが目に入る。

「……ヨシ、出社だ」

 顔を叩いて、窮屈な戦闘服に身を包む。

 笹塚亮の日常が始まる。



「笹塚君、今日の午後一時からのミーティング資料作ってもらっていい?」

「えーと……今作っている資料も午後一時に提出しないといけない資料ですので、厳しいです」

「大丈夫大丈夫、こっちは内部にしか出さない資料だからさ、チャチャっとやってもらえばいいから」

「そのミーティングに、部長は……?」

「出るね」

「……他に手を空いている方がいれば、そちらに回してほしいです」

「君しかいないんだよ、じゃ、よろしく」

 笹塚の横にファイルが積み重なる。現在時刻、十一時半、今の仕事だけなら正午までに終わる。ファイルをぱらぱらとめくれば、どうやら一から作る資料ではないので、部長に見せることも考慮し、全力を尽くしたうえで、完成まで一時間程度。

 つまり、昼休みを返上すれば完成するわけだ。

「ババ引いてやんの」

「そうおもうなら手伝ってくれませんか、片倉さん?」

「悪いね、見ての通り手がふさがってるから」

 そう言っている間も、片倉の指はキーボードをするすると滑っていく。入社五年目、同じ開発チームの片倉良平は、チャラけた性格のわりに仕事ができる。しかし、熱心ではないので、いつも実力の七割で生きているとは、本人の言だ。

「焼肉定食」

「……お願いします」

「毎度ー」

 片倉は軽快にenterキーを叩くと、回転いすでクルリと身をひるがえし、ファイルを掻っ攫っていった。図ったかのようなタイミング。どうやら指は本当に滑っていただけらしい。以前、そろそろ長編小説が一本仕上がると言っていたのを思い出した。

 何はともあれ、手痛い出費と引き換えに、笹塚の昼休みは守られたのである。


「ブイアール? ああ、今はやりのアレね、俺も3Dの動画投稿者見たりするよ」

「意外です。片倉さん、酒と肉と猫以外趣味ないと思ってました」

「酒と肉と猫突きながら、動画は見れるかんね、俺、割と流行には詳しいよ?」

 片倉は焼肉と白米を思うまま口に放り込む。一方、笹塚と言えば素うどんをすすりながら、千切りキャベツに乗った最後の肉を眺めていた。

「ほしい?」

「ええ、もちろん」

「はいよ」

 片倉は最後の一切れを飲み込み、キャベツの残ったプレートを押し出してきた。肉の油の染みたキャベツをシャクシャクと噛みしめ、水で胃に落とす。

「それで、なんでまたブイアールでモデリングなんて始めたのさ」

「別に、なんでもいいじゃないですか」

「美少女になりたいからとか?」

 片倉がにんまりと口端を吊り上げ、笹塚は目をそらす。

「当たらずとも、遠からず……です」

「あっそ、けどいいんじゃない、熱中できることなんて俺ないし、そういうのは若者の特権でしょ」

「ないんですか?」

「だから言ってるだろ、酒、肉、猫、これだけあれば人は生きていけんの」

 片倉はプレートを持ち上げ、席を立った。

「というより、この歳になると、他のこと考えるのめんどくさくなんだよ」

 「んじゃ、俺寝るから」と言って、片倉は早々にプレートを持って行ってしまう。

 笹塚はうどんの残り汁を音を立てて啜り、先ほどの質問について考える。

 なぜ、モデリングを始めたか。

 その理由を、笹塚は誰にも言えずにいる。

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