捜査編⑭――憎悪の果てに
※※最後に若干残酷な表現が出てきます。ご注意くださいませ……
――――
窓から射し込んでくるのは、なんとも気持ちの良い日差しだった。
青く晴れ渡った空はどこまでも透き通り、吹き抜ける風に踊る草花は、さあぁ、と清々しい音を立てて全身に湛えた滴をキラキラ散らしている。
窓辺に立って外を眺めていたアミメキリンは、
アミメキリンは部屋の中に視線を移す。陽が射したため、照明は消えてしまっていた。日差しで
「先生……」
いかがですか、と声を掛けながら向かい側に座るのに、しかしタイリクオオカミは何も言わなかった。むっつりと押し黙ったまま、見下ろす視線の先には資料の山が。テーブルの上に溢れるほどに積まれていた。
「結局――」
ぽつり、とタイリクオオカミが言った。苦虫を何びきも噛み潰したような顔に、自嘲の色が浮かぶ。
「――私たちの捜査も、この資料も。無駄になってしまうようだね」
残念ながら、という言葉がため息を共に吐き出される。重苦しい場の雰囲気をさらに重くするその様子に、アミメキリンは耐えかねてうつむいた。
――もう、疲れたの……。
資料の余白に、みんなの顔が浮かび上がる。ヘラジカは犯人ではなかったと、みんなを一室に集めて説明したときに見た顔だった。
アミメキリンたちの言葉に、一応納得はしてくれたものの、誰もがみな一様に疲れた表情を隠せないでいた。
「こんなこと、一体いつまで続くんだよ……」
ツチノコがぼやきながら壁に寄りかかったまま、ずるずると座り込んだ。憔悴しきった目をぎゅっと閉じ、顔を覆う。
「もう少し。もう少しだけ待ってほしいの。私たちが必ず犯人を見つけ出すから……」
「見つける見つけるって、一体どれだけ待たせるんだよォ」
助け起こそうとしたアミメキリンの手を振り払う。
「こんな場所に閉じ込められて。……もう勘弁してくれ」
「私も同じ意見なんですけど」
振り返ると、ショウジョウトキが空に浮かんだままアミメキリンを見下ろしていた。
「どこかへ行く自由もなく、ずっと部屋の中。私たちもいい加減限界なんですけど」
二人の言葉に、一同はうんうんと頷いた。
「もう帰りたいんですけど」
「で、でも、そんなことしたら事件が……」
「そこまでして解決させる必要が、あるんすか……」
アメリカビーバーが恐る恐るといった具合に口を開いた。みんなの視線を避けるようにうつむく。
「その……、こんなことを繰り返して、どうなるって言うんすよ。これ以上みんなが喧嘩するとこ、見たくないっす」
絞り出すように言って、今さら恥ずかしくなったのか、隣のプレーリードッグの後ろにするりと隠れてしまう。握りしめた拳をぶるぶる震わせながら、プレーリードッグもまた大きく息を吐く。
「ここに長くいればいるほど自分達が疑われてしまうであります。犯人じゃないのに犯人だと言われるかもしれない。そんな恐怖を、いつまで味わい続けたらいいんでありますか……」
それを皮切りに、みんなの不満が爆発した。
――いつまでここにいる必要があるのか
――もう犯人なんて誰でもいい
――うちに帰らせて
――本当に事件を解決できるのか
溜まりに溜まった不満や不安がその場を騒然とさせ、収拾をつけることができなくなった。
探偵たちへの不満は、やがて状況そのものへの不満へとスライドしていった。
――もうこんなとこ、いたくない
最初にそれを言った者が誰なのか、今となってはわからない。おそらく言った本人にも。
だが、この言葉がキッカケとなり、総勢七人の宿泊者の意見は、「ここを発つ」ということで一致した。
――もう事件は解決しなくていい。犯人が分からなくても構わない。少しでも早くここを離れたい。
それがみんなの出した結論だった。
「誰かいたかい?」
唐突に尋ねてきたタイリクオオカミに、アミメキリンはハッとして顔を上げる。窓の方を見ているのに、ああ、とアミメキリンは首を横に振る。
「いいえ。まだ誰も」
「そうかい。ならきっと荷物をまとめてるんだろうね」
「……何とか説得できないでしょうか」
アミメキリンが言うと、タイリクオオカミは考え込むようにして、それからやんわり首を振った。
「無理だろう。引き留めようにも、その根拠すら分かってないんだから」
「そんな……」
でも、そんなことをすれば事件は迷宮入りになってしまう、そうアミメキリンが勢い込むが、タイリクオオカミは複雑な表情のまま首を振るばかりだった。
「たしかに。ここでみんなを返してしまえば事件は迷宮入りだろう。だが、だからと言っていつまでもここに留まらせるわけにはいかないよ」
「でも」
「ここに残れということは」
ぱしり、とタイリクオオカミが手に取った資料を手の甲で叩く。
「いつ自分が犯人に仕立て上げられるかもしれない。そんな途方もない重圧に耐え続けろと言ってるのと同じなんだ」
アミメキリンは、ハッとしてタイリクオオカミを見た。
「信じていた親友が犯人かもしれない。自分が犯人だと誤解されるかもしれない。不安や恐怖に怯え続けろと命ずるなんてこと、私はやりたくない」
誰かが犯人なのに、それが誰なのか分からない。宙に浮いた犯人の手がかりばかりを見上げて、あやうく容疑者として巻き込まれてしまった者たちを踏みつけにするところだった。
もし、少しでも犯人に迫る証拠を見つけられていたのなら、それを理由にみんなを説得することもできただろう。犯人を突き止める証拠がある。だから犯人じゃない者は安心して待っていてほしい、と。
だが、現状ではそれすらできていない。細かな証拠は複数あれど、そのどれもが犯人を指し示すほど有力なものではない。犯人と、そうでない者とを分けるための決定的な材料が不足しているのだ。
自分が犯人だといわれるかもしれない。冤罪を受けるかもしれないという不安。それはきっと、途方もない恐怖に違いない。
(でも……このままだと解決しないのは事件だけではない)
いがみ合い、憎しみ合うみんなの顔が脳裏に浮かび上がる。おまえが犯人だ、と罵り合った彼女らの中では、この先、永久に疑いの心を抱くことになる。きっとあいつが、という思いを持ったまま、それを晴らす機会もまた失われてしまうのだ。
アミメキリンにとってそれは、犯人が分からないことよりもつらいことのように思われた。壊された像のようにバラバラになったみんなの心を思うと、ひたすらに悔しくて、哀れだった。
「先生……私、くやしいです」
「私もだ」
そうして資料を見下ろして、果たしてどれくらいの時間を過ごしたのだろうか。カタリ、とドアが開かれたのに、二人は顔をあげた。
「アルパカ……」
「ああ、やっぱりこんなところにいたんだぁ」
カフェに入ってきたアルパカがにっこり目を細める。胸に抱き止めたラッキービーストが、キョロキョロと周囲を見回している。思えば、ラッキービーストもずいぶんと減ってしまった。
「お疲れさん。いまお茶を入れたげるからね」
「そんな、いいのよ。だって私たち、もう……」
言いかけたアミメキリンを、いいからいいから、と制したアルパカ。ラッキービーストを置いてカウンターの裏に入ると、戸棚から茶葉の詰まった瓶を取りだしながら鍋をヒーターに掛ける。二人に背中を向けて忙しなく手を動かしていたアルパカが、ふっと息を溢した。
「……さっき。みんなが宿泊棟から出るのを見送ったんだけどねぇ」
アミメキリンとタイリクオオカミが目を見開いた。中腰になって窓の外を見れば、ゴンドラの方へ歩いていく集団が見えた。まるで距離を置くように、個々の人影のあいだに隙間が空いているのは、気のせいではないだろう。
本当に、間に合わなかった……。実感が今さらのように心の中をえぐる。力を失った足を支えられず、椅子に座り込んだ。
「みーんなギスギスしちゃってねぇ。一言もしゃべらないまま、むすっと荷物だけを持って行っちゃったんだよねぇ……」
ほんとどうしちゃったんだろうねえ、と言ったアルパカの表情には、ひどい疲れの色が出ていた。どんよりと落ち窪んだ目を隠すように、努めて笑顔を作るのが、いっそう不憫だった。
「ほんと、みんな仲悪くなっちゃって……。あたしがそもそも、カフェの改装をしたいだなんて言ったのが間違いだったんだろうかにぇ……」
「そんなことないわ」
アミメキリンが思わず椅子を蹴って立ち上がる。
「アルパカは悪くない。そんなこと、思ったらダメよ」
アルパカは一瞬、驚いたように目を見開くと、すぐに表情をくしゃくしゃにした。何度も何度も目元をぬぐう。
「やだね。ずっと一人だったせいか。涙もろくて……」
ひとしきり顔を覆い、それから吹っ切れたように顔を上げるころには、またもとの笑顔が戻っていた。
「ありがとよ。さ、お湯も沸いたことだし、お茶でも飲んで、ちょっと一休みしなって」
二人分のティーカップを持ってアルパカがやってくる。香りの良い紅茶を口に含むと、口の中一杯に芳醇な香りが広がっていく。
「おいしい。これ、私たちが最初に来たときにも淹れてくれたのよね」
「そおだよぉ。たっくさんあるから、いっぱい飲んでってねえ」
「ああ、すごくおいしいよ」
紅茶の味に舌鼓を打つ二人を見回して、アルパカは満足そうにうなずき――そして、大きなため息を吐いた。
「きっと、二人がこの紅茶の飲む最後のお客さんになるねぇ……」
「……それ、どういう意味……」
ちょうど飲み終えたアミメキリンが問うてくるのを、アルパカは制するように空になったカップに紅茶を注ぎ入れる。
「あたしねぇ。店を閉めようと思うんだよ」
アルパカが静かに遠くを見る。
「もともと道楽で始めたようなもんだからねえ。常連さんにゃ、申し訳ねえけど、こういうことがあるとねぇ……。もういいかなって思っちまったんだよねえ」
「そんな」
「あたしがいなくなったあと、空き家ンなったここを誰かが使ってくれんならそれでもいいし、そうでなくてもいい。とにかく、どっか遠いところでのんびりしたいなァって……」
そこまで言って、アルパカはアミメキリンの顔を見た。おそらくアルパカ本人以上に暗然とした顔をしていたのだろう。気にすんな、とまるで子供をあやすような軽い調子で背中を叩いた。
「別にアンタらを責めてるんじゃねえんだから」
「……アルパカ」
「なんだい?」
「もう、お店……やらないの」
ふぅっ、とアルパカの視線が落とされる。ティーポットの蓋がカタカタと音をならす。
「ああ。もう、こんなの見たくはねえからね……」
震える手を恥じるように、もう一方の手で押さえながらアルパカはカウンターの向こうへ下がった。茶器を洗う固い音が閑散とする室内にこだまする。客はわずかに二人。アミメキリンとタイリクオオカミ以外に誰もいなくなったカフェは、意識してみればひどく寂しげだった。
これが結末なのか――。アミメキリンは握りしめた両手を震わせる。事件は迷宮入りになり、アルパカは夢を諦める。仲違いしたみんなを一つに纏め上げることもできず、ただただ状況を引っ掻き回しただけ。探偵として――それだけでなく、みんなの友人として、フレンズの一人として――耐え難いほどみじめだった。
かぁっ、と目元が熱くなる。みじめで悔しくて、泣いてしまいそうだった。だが、アルパカの気持ちを思えば泣くわけにはいかない。うっかり目を閉じれば涙が流れるだろう。だからアミメキリンは目を見開いて資料を凝視する。資料の隅々にまで目を走らせ、解決の糸口が見つかることを願った。
「こんな結末、認められないです」
「アミメキリン……」
「認められるわけ……ないじゃないですか……」
必死になって資料の一つ一つを手に取っていく。紙の束は膨大だった。その一枚一枚を網膜に焼き付けて、ヒントを探しだそうとした。が、慌てれば慌てるほど、思考は心の上を上滑りし、ろくな考えすら思い付かない。思い付けない自分にまた焦った。――なんて悪循環なんだ、と。
下のほうの資料を引っ張りだそうとし、うっかりティーカップに残った紅茶をこぼしてしまった。いくつかの紙面上に赤い染みが広がる。苛立ちながら汚れてしまった資料を別のテーブルに避難させる。
「きっとどこかに。どこかにまだ私たちの気づいてない何かがあるはずなんです……。まだ間に合う……まだ……」
「アミメキリン」
タイリクオオカミの言葉に、アミメキリンは首を振った。頭を上げる時間すら、今は惜しい。
「落ち着くんだ」
「だって、先生。このままだったら、もう」
「違うんだ」
これを見てくれ、とタイリクオオカミが立ち上がる。ようやく顔を上げたアミメキリンは、タイリクオオカミの視線の先にあるものを見、眉間にシワを寄せる。
「それがどうしたった言うんです」
「気づかないのかい」
いつになく焦りを含んだ物言いで、タイリクオオカミはそれ――テーブルの上の、紅茶の付いた資料を指差した。窓に近いテーブルは太陽が当たり、白い紙と紅茶の赤いシミをはっきりと照らし出していた。
「ですから、それがどうして――」
言いかけて、アミメキリンも気がついた。驚きのあまり声を出せなくなる。――同時に、ずっと疼痛を感じていたこめかみが呼応するようにズキリと痛みが走った。駆け抜けるような痛みの後を追うように、曖昧だった記憶の一部分が靄が晴れるように澄み渡っていく。
――まさか、そんな……。
アミメキリンは片手で口を覆った。目線だけでタイリクオオカミを見れば、彼女がうなずいた。
「これが事件の真相だったんだ。これを発端にして、事件は膨れあがったんだ……」
アミメキリンは思わず座り込んだ。背中をテーブルにぶつけてしまい、ばらばらと目の前に資料が落とされる。
――誰もいないはずの宿泊棟に残された足跡
――床に残された奇妙な水のあと
――正体のわからない足音
――何者かによって使用されたヘラジカの武器
――存在しないはずの隠し扉
――勝手に下に降りたゴンドラ
――そして……
――そして像を壊した真犯人の正体
目の前を舞い落ちていく資料がこれまでの出来事をフラッシュバックさせる。
記憶が研ぎ澄まされる。
すべてが、すべてが一つに繋がっていく。繋がれば繋がるほど、単純な真相に乾いた笑みがこぼれそうになる。
「……こんな単純なこと……。これが真相だって言うの」
「ああ。なんとも馬鹿げた話だろう?」
アミメキリンの言葉を聞き、タイリクオオカミは失笑する。座り込んだアミメキリンを心配したのか、パタパタとアルパカが駆け寄ってくる。
「だ、大丈夫かい?」
差し出された手を取ってアミメキリンは立ち上がる。立ち上がるや否や、アルパカの肩をつかんでゆすった。
「アルパカ! 聞いて! 犯人の正体、わかったわよ」
「ええ!?」
驚きに目を剥いたアルパカにアミメキリンは力強くうなずいた。
「ええ、本当よ。さあ、早くみんなを追いかけないと」
「――いや。追いかけるのはアルパカだけでいい」
唐突にタイリクオオカミが割り込んできた。窓辺から外を見ていたタイリクオオカミが、きっと今頃発着場に着いたであろうみんなのいる方をあごで指し示した。
「ただ説明するだけでは、きっともうみんなの心には届かないだろう」
そう言って、おもむろに足下をうろついていたラッキービーストを掴みあげる。ジタバタと短い足を振り回すそれを、キョトンとするアルパカに押しつけた。
「ボスを持って、みんなにここへ戻ってくるよう伝えに入ってくれ。その間に私たちはちょっと準備したいことがあるんだ」
「い、いいけど……。準備って?」
たいしたことじゃない、とタイリクオオカミは手を振る。
「――あいつらに、自分たちが何をしたのか分からせる必要があるからね」
人の悪い笑みを浮かべるタイリクオオカミに、アルパカはとりあえずうなずくことしかできなかった。
――――
白々しいほどの陽気の中を、一団は歩いていた。雨を浴びた草花はつんっと一段と濃い緑のにおいを湛え、あるかなしかの風になびいてその身をくねらせる。それらを踏みしだき、歩く彼女らはただただ足を進めるばかり、一言も言葉を交わさなかった。
ようやく、と彼女らの一人は思った。ようやくここを離れることができる。もうこんな重圧を伴う環境にいる必要がなくなったのだ。
あの探偵たちは結局犯人を指し示すことができなかった。だが、それがどうだと言うのだ。この中に犯人がいるのは間違いないんだ。もう二度と関わらなければ済む話。この先一生仲良くしなければ問題ない。それに、どうせ犯人はあいつに決まっている。そうに違いないのだし、そうでなければならないのだ。
鬱々と下を向いて歩く彼女は、そう考えた。それはツチノコであり、プレーリードッグであり、ライオンであり、ショウジョウトキであり――。一人一人はそうと気づいていないだけで、全員が同じことを心に抱いていた。
互いへの、憎悪という。
――――
「みんなぁ! ちょっと! ちょっと待ってぇ!」
こけつまろびつしながらアルパカが追いついたのは、一団が発着場に着いたときだった。怪訝そうに振り返った顔には嫌悪の表情が露わになっており、もう関わりたくないという気持ちがにじみ出ていた。
「よかった……間にあった……」
息も絶え絶えになりながら膝をつくと、抱えていたラッキービーストがころりと転がり落ちる。足をばたつかせて起き上がり、アルパカを見上げているラッキービーストを見ていたツチノコが、少し考えるようにしてからアルパカに声をかけた。
「……どうした」
「犯人が……わかったん……だよ」
「へえ」
何の興味もない、そういった響きだった。思わぬ反応に惚けるアルパカを、鼻を鳴らして睨み付けたのはショウジョウトキだった。
「あの二人、まだやってたんだ。いい加減あきれるんですけど」
「嬉しく……ないンかい?」
そんなの、とショウジョウトキが吐き捨てる。
「アルパカ。あなたには悪いけど、私たち、もう家に帰りたいの。だからもう誰が犯人か、うだうだ推理に付き合うのはもううんざりなんですけど」
「そんなぁ……」
「それに」
ショウジョウトキの視線がツチノコへと差し向けられる。そのまなざしには明らかな侮蔑な色があった。
「それに、犯人なんてどうせ決まってるんですけど」
「それはどういう意味だ……」
ツチノコが低い声で振り返る。ショウジョウトキと視線がかち合った。横にいたトキが相棒の袖口を引っ張っているが、制止するにはいささか心許ないものだった。
「あーら。聞こえちゃったみたいね」
「今の言いぐさ。まるでスナネコが犯人だと言いたいみたいだな」
「そのつもりで言ったんですけど。理解できなかったかしら?」
「てめえ――!」
ツチノコが片腕を勢いよく突き出した。最悪の事態がよぎって目をつぶったが、幸いなことにツチノコの手は大きく曲がってアメリカビーバーを指し示しただけだった。
「犯人はこっちだ! スナネコなんかじゃねえ!」
「はあ! いい加減ふざけるのも大概にしてほしいであります!」
ビクつくアメリカビーバーの前に、プレーリードッグが躍り出る。服の端をぎゅっと掴んだ手が、怒りにぶるぶる震えている。
「犯人はヘラジカ殿でありますよ! ヘ、ラ、ジ、カ!」
「私は違う」
プレーリードッグの厳しい糾弾に反応したのは、意外にもヘラジカの方だけだった。胸元にぎゅっと抱き留められたライオンは、まるで話を聞いていないかのように呆然と宙を見ている。
「さっきはあんなことをやってしまったが、私は違うんだ。探偵たちだってそう言っていただろう」
「そんなの信用できないであります! 像をさらに壊したのがヘラジカ殿じゃなかっただけで、最初に壊したのはヘラジカ殿だったんでしょう」
「だから違うんだ」
アルパカの目の前で、怒声が飛び交う。いつ殴り合いの喧嘩に発展してもおかしくない状況に、アルパカは目を閉じ耳をふさいだ。――もういやだ。もうこんなこと、やめてほしい。やはり私は、カフェなんてするべきじゃなかったんだ……。きっとそうなんだ――。
そのときだった。カフェの方から、空気を震わせる大絶叫が
ののしり合っていた一団が凍り付いたように一斉に動きを止めた。全員の意識がカフェへと集中する。いまのは? と顔を見合わせようとしたそのとき、絶叫はまたも聞こえてきた。
今度はたしかに聞き取れた――アミメキリンの悲鳴だった。
ラッキービーストがはじかれたようカフェの方へと飛び出した。遅れてアルパカたちもカフェへ走る。カフェの入り口ではラッキービーストがドアの前でぐるぐる回っている。もう悲鳴は聞こえない。物音ひとつ聞こえないのが、いっそ不気味だった。
「……何があったんだい?」
アルパカの呼び掛けにも、一切の反応がない。中を窺おうにも、見えるところにある窓という窓すべてに内側から紙で目張りがされていた。――こんなもの、出るときにはなかったのに。
「開けるよ」
恐る恐る、ドアノブに手を掛ける。いつものようにノブを捻れば、カチリとラッチが音を立てた。ゆっくりドアを開けていく。
入り込むべき光を遮られた室内は暗かった。細かった光芒がみるみる膨らんでいき、やがて部屋の端でこちらに背を向けて立つタイリクオオカミの姿を照らし出す。その輪郭が、なぜだか異様に赤い。アルパカは息を飲んだ。
「あ、あんた――」
問い詰めようとした言葉は、絶句という無音の叫びに取って変わられた。
タイリクオオカミの足元に、アミメキリンが横たわっていたのだ。
背を壁に預け、両手は腹の上に――いびつな凹凸を描く服を押さえるその指の隙間から、ぬらぬらと赤い液体が絶え間なく床へとこぼれ落ちていた。
アミメキリンを中心に赤い水溜まりが急速に広がっていく。
身動きすらできず、呆然と見つめるアルパカたちを、ふと何気ない様子でタイリクオオカミが振り返った。
「やっと来たか」
遅かったじゃないか、全身を血色に染め上げたタイリクオオカミがニヤリと口の端をつり上げた。
――次回、結末
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