真実編――見えなかった容疑者 パート1

 時間ごと凍りついてしまったかのように誰もが身動きできないなか、ラッキービーストの判断は早かった。入り口に殺到したフレンズたちの足の間をすり抜けて、アミメキリンのいるほうへ走りよろうとする。それをタイリクオオカミは無感動に見下ろしながら、アミメキリンの方へ片足を振り上げた。

 決して勢いよく振り下ろしたわけではない足に、しかしアミメキリンはかかとが腹に触れた途端、苦しそうに引き結んでいた口から盛大に吐いた。苦悶に顔を歪め、何度も何度も咳き込みながら、赤い液体がばしゃばしゃと床を壁を叩くのに、ラッキービーストは動きを止める。


「なあボス。いいのかい? このままだとアミメキリンは手遅れになるよ。助けを呼んでくるべきなんじゃないかい」


 ラッキービーストの目がアミメキリンとタイリクオオカミの間で忙しなく行き来する。まるで迷っているような素振りに、タイリクオオカミは足裏で押し付けるように腹を捻った。ぶちぶちと生々しい音を立てて服の凹凸が移動する。アミメキリンが体を震わせて泣き叫ぶ。途端、ラッキービーストはくるりと向きを変え、カフェの外へと飛び出していった。跳ねるように草原を横切っていく青い影を見送り、さて、とタイリクオオカミが微笑んだ。


「さあ。これで準備は整った」


 入りたまえ、とタイリクオオカミが両手を広げたときだった。

 ヘラジカが近くにあった椅子を投げつけた。顔面に向かって勢いよく迫ってくる椅子。とっさにタイリクオオカミが手を伸ばしてかばおうとする。体をひねろうとし、視線がそれた。わずかに空いた意識の隙間に滑り込むように、ライオンが部屋に突入する。

 信じられないほど深い踏み込みにより、瞬時に最高速度に達したライオンは瞬く間にタイリクオオカミにぶつかりかけた椅子に追い付いた。

 椅子の足を掴む。

 それをタイリクオオカミのがら空きになったこめかみに、文字どおり横から振り下ろした。

 思いもよらない方向からの一撃に、タイリクオオカミは受け身を取ることすらできずに吹き飛んだ。

 飛び散る椅子の破片。

 その下で体を折り曲げ、頭を押さえてうめく。ヘラジカがアミメキリンに駆け寄るのをちらと確認し、ライオンはタイリクオオカミが何か仕掛けてこないよう、構えをとった。もし不穏な動きをしようとしたら、まわりに危害を及ぼすまえにとめなければ。ライオンの指先にサンドスターが煌めき、鋭利なカギ爪を形作る。そのとき――


「――やめて!」


 アミメキリンの声だった。思いもよらない声に慌てて振り返ると、同じく目を丸くしているヘラジカを押し退けて、アミメキリンが立ち上がったのが見えた。

 おおよそ腹に大穴が開いているとは思えない自然な動きで、アミメキリンはタイリクオオカミに走り寄る。


「先生。大丈夫ですか!」

「あ、ああ、なんとか。あいたたた……」


 抱き起こされたタイリクオオカミが笑おうとし、頭を押さえて顔を歪める。これではまるでどちらが怪我人だか。

 入り口から成り行きを見守っていた他の者が集まってくる。何が何だかわからない、そんな顔をした集団に、アミメキリンとタイリクオオカミは取り囲まれる格好になった。


「もう。だからこんな強引なことやめましょうって言ったのに」

「仕方ないだろう。こうでもしないとみんな集まってくれなかっただろうから」

「それはそうかもしれませんけど……。でも、それで怪我しちゃったらもとも子もないですよ」

「ごめんごめん。あの一瞬で、まさかあんなにいい連携をしてくるとはね……。――どうなってる?」

「……ちょっと切っちゃったみたいです。血が滲んでますね」


 これは腫れますよ……、とタイリクオオカミの髪を掻き分けて険しい顔をするアミメキリン。生傷を見慣れていないのか、嫌そうに目を細めているが、それが腹や口から大量に血を流している張本人だというのがひどく混乱させる。


「……おまえ、いいのかよ」


 おずおずとツチノコが尋ねる。恐ろしいことに、アミメキリンは何を尋ねられたかよく分かっていないようで、しきりに首を傾げている。赤く染まった白い首が、とても痛々しい。


「へ? 何が?」

「何って……。おめえの怪我に決まってンだろうが。すげえ血だぞ」


 ツチノコが呆れたように言うのに、ようやく自分の体のことを思い出したらしい。あっ、と声を上げて立ち上がると、気まずそうに頬を指先で掻く。


「ああ、これね……。これ、血じゃないの」


 はあ? と驚く声はここにいる全員分だった。驚愕するみんなに圧倒されて、アミメキリンはさらに小さくなってしまった。


「血じゃないって。じゃあ何なんだよ」

「紅茶だよ」


 おもむろに、タイリクオオカミがアミメキリンの服の前を開いた。陰惨な傷口とそこからこぼれ落ちてるモノを予感して目をそらしかけた一同はしかし、はだけた服の下からぼちゃりと床に落ちた塊に、思わず目を疑った。


「ま、ま、マフラぁー!?」


 紅茶の染まったマフラーから粘性の低い赤い液体が広がっていく。たしかに、紅茶であると分かった上で見てみれば、それは血ではあり得ないほど透明な赤色をしていた。錆びた鉄のような、血液特有の胃の腑をえぐる臭気もない。

 よく見れば、アミメキリンの首からマフラーが消えていた。肌を晒すことに慣れていないらしく、しきりに首をさすっている。


「具体的にいうと、アルパカが今回のために用意した特別な紅茶さ。そうだろう?」


 急に話を振られたアルパカがうなずく。


「え、ええ。そうだよ。ローズヒップとローゼルの特製ブレンドティーだよお。他の島から取り寄せた珍しいお茶で、向こうじゃ綺麗な赤色の花の香りがふんわり楽しめるって評判で……。そういうお茶だけども……ええと」

「それより、いったいどういうつもりなんですけど」


 こんなくだらないことをして、と吐き捨てるように言ったのはショウジョウトキだった。タイリクオオカミの目がちらりと光った。


「おや。アルパカから聞いてなかったのかい」

「もしかして、真犯人のこと? いまさら?」

「まあかな」


 含みを持たせた言葉に、ショウジョウトキはムッと顔をしかめる。


「なによ、かっこつけて」

「犯人を明らかにする前に。まず、君たちを集めたかったんだ」

「集めて、それで?」

「言うべきことがあるだろう。ここにいる全員が、全員に対してね」

「もったいぶるなよ」


 ツチノコが苛立ちを込めてタイリクオオカミを睨む。


「なんだよ、言うべきことって。あれか? また事情聴取の続きか? そんなの、いくら繰り返したところで意味ねえだろ。だって犯人は――」


 こいつなんだから、とそこにいる全員の言葉が交わった。互いを敵視する視線が交差する。最初に反応したのはプレーリードッグだった。


「ふざけないでほしいであります! ビーバー殿は何もなしてない! 無実であります!」


 スカートのはしを手で掴み、ぷるぷると体を震わせる。怒りで真っ赤になった顔を押し付けるようにツチノコに詰め寄った。


「犯人はビーバー殿以外であります! 何度も言わせるなであります!」

「じゃあなんだ? スナネコが犯人だって言うのかよ。おまえこそふざけるな!」


 ツチノコがたまらずプレーリードッグの肩を突いた。よろめいたプレーリードッグがトキにぶつかった。

 ショウジョウトキの目がぎらりと座る。トキと体を入れ換えるようにして、プレーリードッグの服を掴んだ。力任せに振り回そうとするのに、見かねてヘラジカがその手をはたき落とした。反射的に殴りかかろうとしたショウジョウトキをライオンが突き飛ばす。――怒りが怒りを呼んで、空気が過熱していく。苛立ち混じりの声は怒声へと変わっていき、互いをなじり合う罵声へと変わっていく。イスをなぎ倒し、テーブルの上のものが床に振り落とされる。足蹴にされて踏みしだかれる装飾を見たアルパカが、吐き気を堪えるように口を押さえてうずくまる。






 ――と






「いい加減にしろ!!!」





 空気を揺るがせる怒声が轟いた。驚いて凍りついた面々が声の主を一斉に見た。怒りに顔を真っ赤にさせたタイリクオオカミが、ダンッとその場で足を踏み鳴らす。


「みんないったい何を考えてるんだ! さっきから見てれば、あいつが悪いこいつが悪いと、喧嘩しかしてないじゃないか!」


 握り込んだ拳が震えていた。控えめにしか感情を出さないタイリクオオカミの、普段からは想像できないくらいに激しい怒気。怒りをほとばしらせて光る目が、ギロリとその場にいる全員を射抜いていく。


「しかもだ。誰も彼も犯人を特定したみたいな口振りをしてるけど、どれも根拠のない憶測でしかない。憶測で人を犯人呼ばわりするのか? 教えてくれよ。あんたたちは一体、いつからそんな偉くなったんだ? 他人に手前勝手な判断を下して、それで言い争って。いい加減にしたらどうなんだ!」


 タイリクオオカミが肩で息をする。一気にまくし立てられた言葉の奔流に、誰もが何も言えずに立ちすくむ。そのとき、アミメキリンが静かにタイリクオオカミの後ろを離れた。部屋を横切り、ふっ、としゃがみ込んだ先には、踏まれてボロボロになったテーブルクロスがあった。見るも無惨なそれを拾い上げ、胸元で包み込むように握る。


「…………」


 相棒の痛ましそうな顔を見て、いくらか落ち着きを取り戻したらしいタイリクオオカミが一つ深呼吸をする。激しい怒りを理性のタガに押しとどめるように繰り返される息の音が、無音のカフェに木霊する。


「……この事件を解決するためには、君たちが真実を語ってくれる必要がある。小汚ない嘘は、もう御免だ」


 幾分の鋭さを残したままのタイリクオオカミの視線が、固唾を呑んで見守る面々を見回していく。全員の顔にわずかな強張りが現れたのを、タイリクオオカミは確かに感じ取った。

 ショウジョウトキがおずおずと前に出た。全員の視線が集まるのに、一瞬気後れしたように固まるが、ややあって口を開く。


「アンタの言いたいことはつまり。私が嘘を言ってると、そう言いたいわけ?」

「そう言ったつもりだが、ご理解いただけなかったかな」

「ふざけないでほしいんですけど! いったい私がいつ嘘をついたって――」

「ふざけてない!」


 荒げかけたショウジョウトキの声をさらに覆い被さるように、タイリクオオカミが声を張った。音がしそうなほど強く人差し指を突きつけられたショウジョウトキが、思わず顎を引いて硬直する。


「君は嘘をついた。自分にとって都合の良い真実を仕立て上げるため、私たちを利用しようとした。違うかい」


 そしてそれは、ここにいる全員にも言えることだ。と言ったタイリクオオカミの声は、恐ろしく低い色をしていた。


「もう一度言う。小汚ない嘘は、もう、御免なんだ」

「証拠は――」


 ショウジョウトキの目が鈍く光った。


「証拠はあるの? 私やトキが嘘をついてるっていう証拠は? あるのなら早く見せてほしいんですけど!」

「証拠、か」


 タイリクオオカミは顎に手をやって考えるように唸る。そうしてしばらくしたあと、わざとらしく肩をすくめた。


「残念ながらないかなァ」

「ない?」

「そう、ないんだ。本当は前もって証拠を用意したかったんだが、どうにも見つからなくてねェ。――そうだ。もし良かったら探すのを手伝ってもらえないかな?」


 そうしてくれれば助かるんだが。と何食わぬ顔で言ってのけたタイリクオオカミに、一瞬、呆けたように口を開いたショウジョウトキは、みるみる顔を紅潮させていく。


「……つまり証拠はないってこと」

「そうだ」

「証拠もないのに、私を嘘つき呼ばわりした?」

「まあ、そうなるかな」

「はあ!?」


 ショウジョウトキがタイリクオオカミの胸を突いた。


「そんなふざけた理由で、なんで嘘つき呼ばわりされないといけないんですけど!」


 嘘つきと糾弾していた先ほどからは一転。へらへらと笑って言葉を濁すのに、ショウジョウトキの怒りは頂点に達した。


「証拠がない? 一緒に探せ? 黙って聞いてればいけしゃあしゃあと! それでよく探偵を名乗れたわね! それともなに。探偵は証拠もなしに誰彼構わず嘘つき呼ばわりしても許されるって言うんですけど?」


 胸を突かれて後ろによろめくタイリクオオカミを追って、ショウジョウトキが前に足を踏み出した。途中、撒き散らされた紅茶の水溜まりを踏んでしまった。足首を飛沫く水の感触すら腹立たしい。怒りに任せてタイリクオオカミの胸ぐらを掴んだ。俯いたまま何も言わないのに、彼女は力任せに揺すった。


「嘘つきはアンタたちのほうじゃない。探偵は嘘つきでもなれるっていうの? どうなの! 俯いてないで答えなさいよ!」

「――見つけた」

「は」


 されるがままになっていたタイリクオオカミの手が、ショウジョウトキの腕を掴んだ。おもむろに顔が上がる。ショウジョウトキはハッと息を飲んだ。そこにあったのは、片頬を歪めてわらうタイリクオオカミのかおだった――。


「前言撤回だ。証拠はある。そこにできた」


 それは獲物を捕らえた猟犬が発する、身の毛のよだつ声だった。

 息を吸い、笑みを消したタイリクオオカミの視線が、ついと彼女の肩越しに背後を見た。恐る恐る振り返ったショウジョウトキは、先ほど踏み荒らした紅茶の水溜まりから点々と続く自身の足跡に気づいた。

 ――そして。


「……間違いありません」


 足跡を見下ろしていたアミメキリンが、ぽつり呟いた。悲哀に揺れる瞳がショウジョウトキを見る。


「ロープウェイの発着場に残されていた足跡の正体……。やっぱりあなただったのね」




――――

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