捜査編⑪――消えたゴンドラ

「――なるほどね。これが設計図の内容か……」


 自分たち以外には誰もいないカフェの中で、スケッチブックに描き写された設計図の内容をまじまじと見下ろすタイリクオオカミ。

 聞き取りを終えたあと、設計図の内容を確認するため宿泊棟を離れてこちらへやってきたのだ。もう調べないと約束した手前、さすがに同じ建物の中で設計図を再現するのはまずいと考えたからだ。


「パッと見た感じ、特にすごいものが描かれてる感じではないね。アミメキリンはどう思う」

「そうですね……」


 スケッチブックを自分側へ回してアミメキリンは唸った。線の太さからメモのような落書きまで、我ながらよく記憶を再現できたと思う。再現してみたものの、はっきり言ってそれのどこがすごいのかよか分からなかった。


「うーん……。たぶんあれだけ隠そうと必死になったあたり、きっとすごいことが描かれてるんだと思います。……正直よくわかんないですね」

「私もだよ。まあ、ビーバーみたいな職人にとっては見られたら困るものなんだろうけどね。そういえば、他に何か覚えてないのかい?」

「他に、ですか?」


 額に手のひらを当てて記憶を辿る。設計図を出したとき、設計図を見せられたとき、設計図を引き出しにしまうとき。自分は何かを見たような覚えがある。が、そこだけ記憶にもやが掛かったように判然としない。一度見たものを忘れるなんてことは絶対にないはずなのに……。ぶつけたこめかみがまだズキズキ痛む。


「……たぶん気になるものは何もなかったと思います。ちょっと記憶が曖昧なんですよね。いてて……」

「大丈夫かい。ちょっと見せて。――ふむ、たんこぶになってしまってるね。たんこぶは最初は一つだけだけど、そのうち二つ三つと増えていって、最終的には全身をたんこぶで覆われたたんこぶのフレンズになってしまうという話が――」

「ひぃぃ……。って、それ、またいつもの怖い話なんじゃないですか。もうその手には乗りませんよっ」

「ははは。バレちゃったか」


 アミメキリンがジトッと睨みつけるのを愉快そうに笑うタイリクオオカミ。ゴホンと咳払いして腫れ上がったこめかみを気遣わしげに撫でる。


「冗談は置いておいて、相当強くぶつけたみたいだからね。記憶が飛んでしまうのも無理ないさ」

「うぅ、治りますかね?」

「ま、しばらくはかかるだろうね。しかしそうか、おそらく何もなかったのか。……残念だな」


 タイリクオオカミは苦笑する。


「決定的な証拠が見つかったと思ったのに、まさかの肩すかしとはね」

「……やっぱりプレーリーが犯人なんですかね」


 無意識に低められたアミメキリンの言葉に、しかしタイリクオオカミは首を振った。


「わからない。だが、プレーリー本人のあの怯えようといい、プレーリーの態度といい、怪しいという意味では犯人候補の中でも上位に入る。だけど、確実に犯人だという証拠がない。プレーリードッグの証言を聞く限り、アルパカの証言との食い違いはまったくなかった」

「ビーバーもですね。あのあとちらっと聞いてみたんですが、事件当時ビーバーはトキと一緒に宿泊棟のシャワー室に行ってたようです」


 トキのお腹に紅茶を溢してしまい、謝罪の意味も込めてシャワー室について行ったという。ヘラジカに呼ばれるまで、二人とも一緒だったということだ。

 はあ、とタイリクオオカミが盛大なため息を吐いた。頬杖をつき、空いてるほうの手でくるくると鉛筆を弄んでいる。マンガの続きが思い付かないとき、よくやっている動きだ。


「もう一度トキ――もしくはヘラジカか――に詳しく話を聞くべきかもしれない。そうすれば、アミメキリンの聞いたビーバーの証言と食い違ってるところが見つかるかもしれない」

「……はあ、気が引けますね」


 私もだよ、と苦笑混じりにタイリクオオカミが立ち上がった。宿泊棟に戻るため二人はカフェを出る。カフェの入り口は山頂の広場に面しているので、すっかり雨の上がった景色がよく見えた。


「止んでしまいましたね」

「ジャングルの天気は変わりやすいというからね」


 分厚い雲の隙間から見える青空に目を細目ながら、タイリクオオカミが言う。

 雨はやみ、風はなくなった。タイムリミットは過ぎてしまった。――あとは誰かが帰ると言い出せば、事件は迷宮入りになる。


「誰かがゴンドラの存在を思い出す前に、急いで宿泊棟に戻ろ――」


 唐突に言葉を途切らせたタイリクオオカミ。怪訝に思って振り返ると、目を大きく見開いて草原の一点を見つめていた。どうしたんですか、と聞こうとしたとき、ふるふると震える指先が視線の先を指差した。


「あ、アミメキリン……ゴンドラが……」


 視線を追ったアミメキリンは、視界に飛び込んできた光景に思わず息を飲んだ。タイリクオオカミが最後まで言うより先に、アミメキリンは駆け出していた。濡れた草を蹴りあげて、砕け散った像の破片を飛び越 えて、ロープウェイ乗り場に駆け込んだ。見間違いであってくれという願いは、近づくにつれて諦めへと変わった。


――ゴンドラが消えていた。


 空っぽになった発着場。金属製の錆の浮いた太いワイヤーがあるかなしかの風に揺られてキィキィと鳴っている。


「うそでしょ……」


 愕然とし、思わず言葉が漏れた。走ったのは短い距離だったにも関わらず、息が上がってしまうのは強く緊張しているからか。

 麓と山頂とを繋げるゴンドラは一台しかない。アミメキリンたちがここへ来るために使用したため、ゴンドラは山頂側にあるはずなのだ。


「いったいどうして」

「アミメキリン。これを」


 アミメキリンが振り返ると、地面を睨み付けるタイリクオオカミが。


「足跡だ。誰かがゴンドラを使って下に降りたんだ」


 発着場の打ちっぱなしのコンクリートに残る、泥の跡。アミメキリンともタイリクオオカミとも明らかに違う歩幅のそれ。屋根で防ぎきれなかった横殴りの雨風に削り取られて輪郭こそ曖昧だったものの、それは確かに足の形をしていた。それはカフェのほうから始まり、ゴンドラの乗り込み口で唐突に消えていた。

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