捜査編⑩――ビーバーの証言。アミメキリンの見たもの
何度目か、アミメキリンは窓の外を見やる。あれだけ吹き荒れていた風は嘘みたいに収まり、雨足も目に見えて小降りになっていた。黒々と立ち込めていた雨雲もとうに過ぎ去り、徐々に穏やかな景色を取り戻そうとしていた。
「何度同じ事を言わせるでありますか!」
バンっとプレーリードッグが机を叩いた。草原を歩き回るラッキービーストたちから意識を引き剥がされたアミメキリンが振り返ると、怒りを露に立ち上がったプレーリードッグがタイリクオオカミを睨み付けているところだった。
「ビーバー殿は犯人じゃないであります! 犯人はヘラジカ殿だって何度言ったらわかるんでありますか!?」
名前を呼ばれ、部屋の隅で膝を抱えていたビーバーがさらに縮こまる。記憶が正しければ、アミメキリンたちが部屋に入って以来、彼女はそこから動いていないはずだ。
「君の言い分はよくわかる。だが、どうしてヘラジカが犯人だと考えるのか、もうちょっと噛み砕いて話してくれないだろうか。生憎私は像が壊されたときそこにいなかったものでね」
タイリクオオカミがポンポンと鉛筆の背でスケッチブックを叩きながら苦笑を投げ掛ける。その態度に一瞬気を悪くしたよう見えたが、はあ、と一回大きくため息を吐くと、
「カフェでお茶を飲んでるとき、ガチャンって大きな音がしたであります。なんだろう、と思って窓から外を見たら、壊れた像とヘラジカが見えたんであります」
「すぐ近くに?」
「そう、そうであります。すぐ近くでありました。本当に、こう、見下ろすような感じだったであります」
プレーリードッグが地面を覗き込むような身振りをする。角度で考えると数メートルかそれくらいにだろうか。少なくとも、ヘラジカの両剣ならば十分当たってしまう距離だ。
「間違いないであります。ヘラジカが像を壊したんであります」
「念のため聞いておくんだけど、そのとき像の周りにはヘラジカ以外に誰かいたりはしなかったかい?」
プレーリードッグはふるふると頭を振る。
「いたらとっくにそう言ってるでありますよ! 原っぱにはヘラジカ殿以外誰もいなかったであります」
怒り心頭なプレーリードッグを宥めるのはタイリクオオカミに任せて、アミメキリンは部屋の隅で縮こまるアメリカビーバーに目を向けた。おっかなびっくりこちらを見ていたビーバーは目が合うや、ひっ、慌てて視線をよそへやる。膝を抱え直す手が震えているように見えたのは気のせいではないはずだ。
「大丈夫?」
ビーバーのそばにしゃがみこむと、そっと声をかける。う、と息を飲んだビーバーが震える目でこちらを見つめ返す。その顔色は青白いにもかかわらず、目元や耳ばかりが妙に赤い。表情を読み取る能力に乏しいアミメキリンでも、それが恐怖によるものだとなんとなく理解できた。
「……お、おれっちに……なんの用すか」
「ううん。大したことないわ。ちょっと心配だったから」
つとめて笑顔をつくってはみたものの、しかしビーバーの表情は固いままだった。
「心配……? それは、プレーリーさんを犯人だと疑ってるということですか……」
「そんなことないわ。プレーリーにはアリバイがある。像が壊されたときみんなと一緒にいたんから。だから犯人ではないわ。疑われてるのは――」
むしろあなたなんだから、と言いかけた言葉をすんでで飲み込んだ。いまそれを言っても余計拒絶されるだけだろう。ただでさえ至る所で拗れてる現状、それくらいの空気は読まなければ。
「……なんすか」
「ううん、なんでもない。気にしないで」
「そうすか……」
ならいいっす、とそれきり口をつぐんでうつむくビーバー。床の一点を見つめて微動だにしない様子は、さながら置物のようだった。実際、すぐ目の前で自分を庇って口論を繰り広げる友人がいれば、いたたまれなさのあまり置物になってしまいたい気分なのだろうことは、容易に想像できる。
小さく丸められた背中に哀れみを感じていたアミメキリンの脳裏に、ふと疑問が浮かび上がる。置物といえば、そういえばずっと確認していなかったことがある。
「そうだ。ねえ、ちょっと聞きたいことがあるんだけどいいかしら」
「ひっ――な、なんすか……。おれっち、なにも知らないっすよぉ……」
あえて明るい調子で尋ねてみたものの、とうのビーバーはビクリと飛び上がってアミメキリンから逃れようとする。背中を壁にピッタリ押し付けてなお後ずさろうとする姿は一層哀れだった。
「ええと、うん……。大したことじゃないの。個人的に気になるなぁってことがあってね」
怯えきった様子に苦笑いを浮かべつつ、アミメキリンは窓の外に視線を向ける。風雨が収まって凪いだ草原の上を、数体のラッキービーストが右往左往している。雨がやんで視界がよくなったせいだろう。心なしか、広い草原に対してその数が減っているように見えた。
「壊された像のことなんだけど、どんな像だったのかなーっなんて」
「像……っすか」
明らかに不信感のこもった目がよろよろとアミメキリンを見上げてくるのは、あえて気づかないふりをした。ややあって、ビーバーは意を決したように大きく息を吐き出した。
「そうっすね。大きさはおれっちたちよりもずっと大きいっすね。アルパカさんがティーポットとカップを持ってて、紅茶を入れてる姿をモデルにして作ったんすよ」
こんな感じで、とビーバーが立ち上がってポーズをつくる。高く掲げたティーポットを傾けて、反対に低く持ったカップに向かって紅茶を注ぎ込むポーズだ。
先程アルパカとカフェで話をした際、紅茶は高いところから淹れるとおいしくなるのだと言っていたはずだ。
そのことをアミメキリンが指摘すると、ビーバーは嬉しそうに目をまん丸にしてアミメキリンを振り返った。
「そう! そうなんっす! おれっちたちもアルパカさんからその話を聞いて、それならぜひそのポーズで像を作りたいと思ったんすよ! そりゃあポーズがポーズだったから、細くて脆いところとか重心が高くて不安定になりそうなところとか、色んな課題があったっすけど。素材を見直したり、中空になってる箇所を作ったり、その一つ一つを解決して頑張って作り上げたんすよ!」
思わずぎゅっと握りしめた両手を胸の前で振り回しながら、熱く語るビーバー。徐々に熱を帯びて饒舌になっていくのは、やはり職人としての誇りがあるからだろう。
ようやく元気を取り戻してくれたのに安堵すると同時に、像ひとつのためにみんなが心を乱す気持ちがようやく理解できた気がした。
作り物とはいえ、それはフレンズをかたどったものだったのだ。みなが力を合わせて作り上げた新しいカフェの集大成。人の形をしたそれが、何者かに破壊されたのだ。それも踏みつけられ、原型をとどめないほどに粉々に打ち砕かれるという、最悪の形で。
これがなんの変哲もない普通の像なら、犯人に怒りは覚えども疑心暗鬼に陥るほど犯人探しに躍起になったりはしなかったであろう。だが、壊されたのはフレンズの像だ。きっと親友を殺されたに等しい衝撃を受けたにちがいない。
――そして、そのフレンズを殺した犯人は、今もなに食わぬ顔で隣にいるかもしれない。そういう状況だったのだ。
「アミメキリンさん。どうしたんすか?」
ビーバーの声にふと我に返ったアミメキリンは、何でもないと苦々しく笑んでみせた。
「そう、っすか? なんだか、すごく怖い顔してたっすけど……」
「そんなに!? ……じゃなくって。ええっと、な、何でもないわ。ただちょっと、うん、考え事してただけだから……」
咳払いをし、感傷に浸りかけた自分をひとまず意識の外へ追いやった。今やるべきことは事件を解決することだ。
改めてビーバーの発言を吟味する。壊された像は形こそ不安定そうだったものの、工夫を重ねることでしっかり安定するように作られていたという。
確認の意味を込めてそのことを尋ねると、ビーバーは大きくうなずいた。
「当然っす。カフェの玄関先に設置こそしてなかったすけど、ひとりでに倒れるようなことは絶対にないっす。だって、もし何かあってお客さんが下敷きになったら大変っすもん」
鼻息荒く断言するビーバー。何事にも不安症な彼女が生半可な仕事をしないことは、前回の事件を通じてアミメキリンはよく知っている。
「知ってるわ。でも、そんな大きな像、細工も含めて作るの大変だったんじゃない?」
「そうでもないっす。材料は他のみんなが用意してくれたし。それに、今回は作る前の段階にも工夫を凝らしてみたんすよ」
「作る前?」
「そうっす。説明するより見てもらったほうが早いっすね。これを見てほしいっす」
言って、ビーバーはベッドサイドの棚の引き出しを開けると折り畳まれた紙を取り出した。
「これは……設計図?」
見せつけられた紙に描かれていたのは、まさに像の設計図だった。様々な角度から見たモデルとなったアルパカのポーズが、拙いながらも事細かに書き記されていた。
「像を作るのはどうしても時間が掛かるっすからね、そのあいだ、アルパカさんにずっと同じポーズをとってもらうのは大変すから。おれっちもアルパカさんに気兼ねしてじっくりみれないし……。そこで思い付いたのが設計図っす。このまえセルリアンの大きな人形をつくったとき、すごく便利だったから見よう見まねでプレーリーさんと協力して描いてみたんっすよ」
自慢げに設計図について語るビーバーの言葉に相づちを打ちながら、アミメキリンは内心ハラハラしていた。
セルリアンの人形とは、すなわち前回アミメキリンたちが解決した事件のものだろう。寝込むほど丹精込めて作り上げた巨大セルリアン人形が、とある計画のためバラバラに粉砕されたことをビーバーたちはまだ知らない。というより、可哀想すぎて教えられなかった。
「そういえばあのセルリアン人形、どうなったっすかね。 アミメキリンさんは何か聞いてるないっすか」
「ふへっ!? そ、そうね。うん、そう……。立派に……役目を果たしてたわよ……」
跡形もなく木っ端微塵にされたという意味で、と心の中で締めくくるアミメキリン。そんな事情とはつゆ知らず、ぱあっと音が聞こえそうなくらい顔をほころばせたビーバーは、アミメキリンの手を握りしめてその場でぴょんぴょんと跳び跳ねた。興奮のあまり、頬どころか耳の先まで紅潮している。
「ホントっすか! ホントにホントっすか! おれっち、嬉しさのあまり泣けてきたっす……ぐすっ」
空いた手で目元をぬぐうビーバーに、いよいよ罪悪感が頂点に達してきた。やはり本当のことを言うべきだろうか。もし後々嘘をついたことがバレでもしたら、ある朝起きたら出口のない部屋に閉じ込められてるなんてことになるかもしれない……。
言おうか言うまいか、自分でもそうと分かるくらい険しい顔をして迷っていると、そうだ! と手を掴んだままビーバーが声を張り上げる。
「プレーリーさん聞いてくださいよ! あの二人で頑張って作ったセルリアン人形、大切に使ってくれてるそうっすよ!!」
監禁コースに生き埋めのオマケがついた瞬間だった。あちゃーっとアミメキリンが思っていると、呼ばれて振り返ったプレーリーの顔が凍りつくのが見えた。わなわなと震える唇からみるみる血の気が引いていく。
「ビ、ビーバー殿! 何してるでありますかっ!!」
言うが早いか、真っ青になって駆け出したプレーリーはアミメキリンを押し退けてビーバーから設計図を掴みとると、棚の開いたままになってる引き出しに設計図を乱暴に押し込んだ。
突き飛ばされてよろめくアミメキリン。支えきれずに踏み出した足をもつれされて転ぶ直前、まさに閉められようとする引き出しの中身を視界の端で捉えた。
グシャグシャに押し込まれた設計図の隙間。今まさに閉められようとする引き出しの隙間。ほんの一瞬できた間隙にちらりと見えた″それ″。
つい先程、″それ″と同じものを見かけた気がする。そう、たしかあれは――。
次の瞬間、アミメキリンはこめかみに強い衝撃を受けた。目の前に星が飛び散り、そこで思考は意識もろとも砕け散った。
――――
「アミメキリン!」
壁に思い切り頭を打ち付けたアミメキリンに、タイリクオオカミが駆け寄る。背中に回された手を頼りに何とか身を起こしたアミメキリンは、視界に飛び交う星を追い出そうと頭を振った。
「大丈夫かい」
「いたたたた……。な、なんとか」
相当したたかにぶつけたらしい。頭の硬さには自信があるつもりだったが、まだ痛みの余韻が残っている。
ハラハラとした様子で顔を歪めるアミメキリンを助け起こすタイリクオオカミ。とりあえず怪我がなさそうなのを確認してほっと胸を撫で下ろす。
そして背後で青くなったプレーリーをジロリと睨み付けた。
「プレーリードッグ。これはどういう――」
「ずみませんでありまずぅっ!」
飛び付く勢いで飛び出してきたプレーリーがアミメキリンを前に深々と頭を下げる。怒り心頭だったタイリクオオカミもさすがに驚いたらしく、慌ててその場から飛び退いた。
「そ、その……さっきは慌ててしまったものでありまして……!」
両手両足をつき、頭を地面にこすりつけんばかりに平伏するプレーリー。突き飛ばされたとはいえ、ここまでされたら怒る気持ちもなくなってしまう。
「い、いいの。気にしないで。怪我してないからっ。ほら、キリンの子ってみんな石頭だし、これくらいなんともないから、ね?」
だから頭を上げて、とアミメキリンが懇願――これではまるでこちらが謝ってるみたいだ――すると、ようやくプレーリーが頭を上げる。申し訳なさそうに青ざめた顔を向けてくるあたり、根はいい子なのだろう。
おそらくライオンやヘラジカに対する態度は、親友のビーバーを守るための裏返しなのかもしれない。
「許してくれるのでありますか!?」
「うん。むしろ全然気にしてないわ」
「本当でありますか、 さすが探偵は心が広いでありますね! 自分、感動したであります! よっ、名探偵!」
「そ、そうかしら? えへへ……」
「――ところで」
おだてられ、ついデレデレになってしまったアミメキリンは、後ろから聞こえた冷静な声に我に帰った。
「たしか慌ててたって言ったかい。それは、何に対して慌ててたんだい?」
「それは……」
プレーリーの表情が強ばった。ちらりとビーバーとその横の棚に視線を走らせる。それをタイリクオオカミが見過ごすはずがなかった。
「もしかして棚に入れたものと関係あるのかい?」
「そんなことは……ないでありますよ……」
「確認してもいいかな」
「ダメであります!」
言うが早いか、棚へ足を踏み出したタイリクオオカミ。その腕を掴んで静止したのはプレーリーだった。何とか止めたことに安堵したのだろう。ため息を吐き出したプレーリーは次の瞬間、自分のしたことに気づいて慌てて手を離した。
「……そんなに必死になるなんて、よほど見られたらまずいものが入ってるだね」
言質を得たと言わんばかりのタイリクオオカミの言葉に、もうプレーリーは何も言わなかった。わなわなと唇を震わせる彼女をその場に、タイリクオオカミは棚へ向き直った。
が、タイリクオオカミは足を踏み出せなかった。
「……設計図っす」
棚を守るように両手を広げたビーバーがタイリクオオカミの前に立ちはだかっていた。うん? と首を傾げるタイリクオオカミに、ビーバーは必要以上に怯えた様子で、
「ひっ……そ、その……さっきの設計図、あんまり人に見られたくないんすよ……」
「それはどうしてだい?」
「真似をされるからであります」
質問にはプレーリーが答えた。
「設計図には自分たちがどういう風に物を作ってるのか、詳しく書いてあるのであります。それがもし他の人にバレて、真似されたら困るのでありますよ」
「実はおれっちたち、今回の作品のために色んな材質の木材を使ったんすよ。どれが合うのかわからなかったっすから、それこそジャパリパーク中の木を集めて」
「そのためにどうしても博士たちの力を借りないといけなかったんでありますが、おかげでものすごい量のジャパリまんを要求されたんであります……」
なるほど、とアミメキリンは心の中で納得する。たしか自分たちも以前、探偵事務所の看板を作るときに仲介料としてかなり持っていかれたっけ。――同じ事をここでもしたのだろう。
現状、こんな大きな木の像を作ることができるのはジャパリパークでこの二人だけだろう。像が話題になれば、それだけ作って欲しいフレンズも出てくるにちがいない。依頼が増えれば当然ジャパリまんもたくさん手に入る。資本主義の観点から言って素晴らしい発想だ。
変に思い切りぶつけたせいか、妙に冴える頭でそんなことを考えていたアミメキリンの前で、二人がペコリと頭を下げた。
「せめてジャパリまんの返済が終わるまで、設計図のことは内緒にしといて欲しいであります。返済が終わったら絶対にみんなにも教えてあげるって約束するであります。だからお願いであります」
「おれっちからもお願いするっす」
二人に懇願され、タイリクオオカミが困ったように笑う。そこまで言うなら……、とポリポリと頬を掻く。
「そういうことなら、無理強いしないよ。脅かして悪かったね」
タイリクオオカミの言葉にホッとしたように笑うビーバーたち。ふと、タイリクオオカミがアミメキリンを見やった。
「それに、アミメキリンも設計図を少しか見てないからね。内容は覚えてないんだろう?」
最後の言葉はアミメキリンに向けたものだった。
「ふえ? いや、結構しっかり見ましたし、そんなこと――」
「覚えてないんだろう?」
強調してみせるタイリクオオカミに、アミメキリンはその意図を悟った。その場をいなしつつ、必要な情報をすべて集める。この機転の早さには尊敬を越えて呆れてしまう。
「……そ、そうね。何も覚えてないかなーなんて」
よかった、とニッコリ微笑んだタイリクオオカミは、あらためてビーバーたちに向き直った。
「約束する。もう設計図のことは調べたりしないよ」
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