捜査編④――宿泊施設にて
アルパカに残骸の見張りをお願いし、カフェを出た二人は、とりあえず彼女の言っていた宿泊施設へ向かった。アルパカの言うとおり、宿泊施設は丁度カフェの裏手にあった。足の甲を洗うような土砂降りの中を走り抜け、宿泊施設のドアに飛び込んだ。ドアの先はまっすぐ延びる廊下があり、両側の壁には等間隔に個室へ繋がる入り口が並んでいた。完成したばかりということもあり、森林のような木の香りが鼻に心地よい。
「あーもう、体中びっしょびしょ……」
「待った」
アミメキリンがボタボタとスカートの端から水を滴らせながら廊下を進みかけたのを、タイリクオオカミが制する。
「床を見てくれ。妙な跡がある」
「跡?」
足元を見つめるタイリクオオカミの言葉に、アミメキリンが目線を追って床に目をやった。明るさの乏しい廊下――照明はついていなかった。恐らく博士たちがまだ配線工事をしていないのだろう――に目を凝らし、「あっ」と声を漏らした。
言われなければ分からないほどかすかだったが、たしかに廊下に水の跡が残っていた。それは入り口から等間隔に廊下を進んでいき、徐々に薄くなって消えている。
「何ですかね。足跡……にしては変な形ですよね」
アミメキリンが廊下の跡の隣に自分の足跡を付けて比べてみる。丸を細長くしたような自分の足跡に対して、廊下の跡はやけに小さく、そして四角く角張っている。
「誰かが先に戻ってきてるみたいだね。ただ……」
隣のタイリクオオカミが這うように姿勢を落として足跡に鼻を近づける。が、すぐに立ち上がって肩をすくめた。
「あいにく雨で匂いは飛んでしまってるみたいだ」
アミメキリンは首を捻る。
「うーん。一人だけ先に部屋に帰っているフレンズ……。怪しいわね。犯人が何か見つかったらまずいものを隠そうとしてるんじゃないかしら」
「犯人かどうかはまだ断定はできないさ。でも、気になるのは確かだね」
タイリクオオカミがスケッチブックに足跡のことを描き込んだときだった。背後のドアが勢いよく開かれた。表にいたフレンズたちが帰ってきたのだ。壁際に寄った二人の前を、フレンズたちが通りすぎていく。バタバタとみんなが一斉に歩くせいで、先ほどの足跡は一瞬にして踏み荒らされてしまった。「ちょ、ちょっと」と文句を言おうとしたアミメキリンだったが、目の前の光景に思わず息を呑んでしまう。
イライラと肩を怒らせるライオンと、それを宥めるように背中をさするヘラジカ。すぐ後ろからヘラジカを睨みつけるプレーリードッグと、彼女に支えられてべそべそと泣いてるアメリカビーバー。黙ってうつ向いたまま顔を上げないトキと、その彼女の手を握って励ますショウジョウトキ。
全く言葉を交わすことなく、廊下を歩く彼女たち。それぞれがお互いに敵意や不安を剥き出しにしたまま、自分達の部屋へ戻っていった。
「大変なことになってるわね……」
アミメキリンが首を振ってため息を吐く。あの様子から察するに、おそらく外で相当やりあったにちがいない。すっかり険悪なムードになってしまっている。
「これは早いところ犯人を見つけて事件を解決してあげないと……って、どうしたんです?」
タイリクオオカミを見たアミメキリンは、タイリクオオカミが考え込むようにしてるのが目に入った。
「いや。人数をね」
「人数?」
タイリクオオカミが頷く。目の前をラッキービーストが一体通りすぎていく。
「外にいるのはたしか七人だったはず。でも、いま入ってきたのは六人だった」
「一人いませんね。でもそれがどうした……あっ!」
アミメキリンが手を打つ。タイリクオオカミが満足げに微笑む。
「足跡の持ち主!」
「そう。いま帰ってきた集団にいなかったフレンズ。それが誰だったか考えててね。アミメキリンは覚えてるかい」
「ええっと、ちょっと待ってくださいね。ライオン、ヘラジカ。ビーバー、プレーリー。トキ、ショウジョウトキ。この六人が入ってきたわけだから、残りは……」
「俺がどうかしたのか?」
背後からの声に二人が慌てて振り返る。そこには七人目のフレンズ、ツチノコが入り口から入ってきたところだった。
「あれっ。その……ツチノコ?」
「そ、そうだけど。なんだよっ。人の顔じろじろ見やがって」
「今帰ってきたのかい」
タイリクオオカミが尋ねると、ツチノコが憮然と鼻を鳴らす。
「見りゃわかるだろっ。そ、それともあれか。おまえら俺を疑ってたのか!」
「探偵は疑うのが仕事だからね。不快にさせたのなら謝るよ」
「ったく。探偵ってのは這いつくばったり人を疑ったり、ホント忙しいんだな! 俺は部屋に戻るぞ」
吐き捨てるようにまくし立て、ツチノコが二人の横をすり抜ける。ツカツカと苛立たしそうに立ち去ろうとするツチノコの尻尾を、アミメキリンは掴んで引き留めた。
「キシャっ!? ななな、なんだよおまえー!」
「どうして先生が足跡を見てたこと、知ってるの」
怒鳴るツチノコの表情が一瞬凍り付く。が、すぐに首を振って自身の顔を指さして、
「ピット器官があるからだよ! ドアの向こうからお前らの姿が見えたんだよ! 探偵だったらそれくらい知っとけっ! ほらっ離せ!!」
そう言ってアミメキリンの手から尻尾を奪い取ると、みんなの足跡で濡れた廊下を踏みしだいて自分の部屋へと戻った。
勢いよく閉められたドアをアミメキリンが睨む。
「なによ。ピット器官だなんてよく分からないもので誤魔化したりなんかして、怪しいわね」
「ピット器官、か。聞いたことあるよ」
「えっ、ピット器官って実在するんです?」
驚くアミメキリンの言葉に、タイリクオオカミは苦笑しながら頷いた。
「ああ。たしか、赤外線とかいう見えない光を見ることができる体の機能だったはずだよ。何でも壁くらいなら透けて見えるらしい」
「そうなんです? なんだ、ということは彼女は本当に見えてたんだ……」
ガッカリと肩を落とすアミメキリンを、タイリクオオカミが励ますように肩を叩く。
「まあまあ。君が怪しむ気持ちは分かるよ。彼女が何かを隠してるのは確実だろうからね」
「それはどういう――」
「ま、そんなことよりも、だ。今は早く建物を調べないと。うかうかしてると、さっきの足跡みたいに荒らされてしまうかもしれないからね」
言いさしたアミメキリンの言葉を遮り、タイリクオオカミは彼女に背を向けて廊下を進んでいく。それもそうか、とアミメキリンは心の中で頷くと、すぐに彼女を追いかけた。
二人は宿泊施設の一室に足を踏み入れた。照明がない上に窓がないためかなり暗いものの、どうやらシャワー室のようだった。数人が同時に使用できるよう、衝立で仕切られた空間にシャワーノズルが複数取り付けられている。
「これ、水を浴びる人の絵だったんですね」
ドアに貼り付けられたプレートをアミメキリンはまじまじと見つめる。
「たしか前にロッジへ博士と助手がシャワー室の設置を勧めに来ませんでしたっけ」
室内を調べていたタイリクオオカミがフフっと失笑する。
「そんなこともあったね。雪山の温泉宿で同じものを見つけて、えらく感動したからロッジにも設置してみないかってアリツさんに言ってたよ」
もっとも、工賃としてとんでもない数のジャパリまんを要求してきたため、丁寧に断られてしまっていたが。そのシャワー室がここにあるということは、アルパカの説得には成功したようだ。
「アリツさんに断られてときかなり落ち込んでたからね。今回は相当安くしたんだろうね。――おや?」
タオルが沢山入った棚を見ていたタイリクオオカミがふと声を漏らす。「どうしたんです?」とそばに寄ったアミメキリンは、積み上げられたタオルの上にティーカップが置かれているのを見つけた。
「これって」
「カフェにあるはずなのに、どうしてここにあるんだろうね」
タイリクオオカミが興味深げにカップを手に取る。底に液体が残っているのを見たアミメキリンは、何気なしに横から手を伸ばすと、液体を指先で拭い取った。
「あっ、待った……」
タイリクオオカミが止めるより先に、アミメキリンが指を舐める。
「あっ、これさっきアルパカが入れてくれた紅茶の味がしますよ! 証拠ですよね!」
嬉しそうに声を上げるアミメキリンを、しかしタイリクオオカミは引き気味だった。
「そ、そう。でも、その舐めて確かめる癖はやめたほうがいいと思うな。そのうちお腹を壊すかもしれないからね。ハハ……」
「そうですかね?」
「私だったら、得たいの知れないものは先に臭いを嗅ぐかな」
「舐めたほうが早いと思うんだけどなァ」
苦笑するタイリクオオカミに、アミメキリンは首をかしげる。
キリンの子は舌が敏感にできている。それは動物のころにやっていた、味覚を頼りに異性のフェロモンを調べる″ユーリン・テイスティング″という習性に由来するとのことだ。こういう習性のフレンズはあまりいないらしく、説明してくれた博士や横で聞いていたタイリクオオカミが渋い顔をしていたのをよく覚えている。
「コホンっ。今はその話は置いておくとして……。どうです先生っ。これ、何か事件解決のヒントにならないですかね」
「うーん、どうだろうね」
タイリクオオカミはアミメキリンにタオルを渡しながら顎に手をやる。
「中身の入ったティーカップがここにあったってだけでは、犯人を捜す手がかりというには弱いかな」
アミメキリンがタオルで紅茶のついた指先を拭う。
「そうですかね」
「たしか、パーティの途中で会場から出たフレンズがいなかったかい」
「トキとビーバーですね」
言われてみればそうだった。アルパカの証言によるとパーティの途中、二人は会場となっていたカフェから外に出ていたのだ。トキの服に付いた紅茶を洗い流しに行くために。
アミメキリンがそう言うと、タイリクオオカミは頷いた。
「きっとどっちかが一緒に持ってきてしまったんだろうね。私の予想だと、大方ビーバーが持ってきてしまったんじゃないかな」
「ビーバーが、ですか?」
「そんな感じしないかい?」
「うーん、言われてみれば確かに……」
トキに紅茶をこぼしてしまったアメリカビーバー。慌てた彼女は、ついうっかり持っていたティーカップを掴んだままここに来てしまった。先ほどの様子からしても、あり得そうな話だ。
「……たしかにあの子ならやりかねないですね」
二人が顔を見合わせて笑っていたときだった。ピクリとタイリクオオカミの耳が何かを捉えた。彼女の表情がすぅっと鋭くなる。アミメキリンに静かにするよう手で示し、入り口を睨み付ける。
「どうしたんで――」
アミメキリンが言いかけた次の瞬間、廊下から何者かが走り去っていく足音が響いた。タイリクオオカミはティーカップを棚のタオルの上に戻すと、猛然と入り口目指して駆けだした。アミメキリンもその上にタオルを放り投げるとすぐにそのあとを追った。
シャワー室から飛び出した二人は、音が去っていった方を見た。廊下の奥、玄関扉がゆっくりとしまっていくところだった。二人は廊下を走り抜けると、体当たりするように玄関扉を開けて外に躍り出た。人影はなかった。
「先生! いまのは!」
「分からない。だが逃げるということは何かある!」
「追いかけないと!」タイリクオオカミは叫んだ。しかしこの雨だ。臭いも音も分からないのでは、追跡はほとんど不可能に違いない。
(追いかけたところで、追い付ける保証はない。でも、外に逃げたということは、宿泊施設の中に残っているのは……)
アミメキリンは玄関の方へ駆け戻る。引き留めかけたタイリクオオカミだったが、すぐに何をしているのか悟ったのか、ついてきてくれた。
「みんな出てきて! 確認したいことがあるの!」
玄関口に立ったアミメキリンは叫んだ。一斉に各部屋のドアが開かれる。横でタイリクオオカミがスケッチブックを用意する。これで逃げた者の正体が明らかになる。そう確信した。――が。
「……どうして」
二人は思わず目を見開いた。不審そうにこちらを見つめる七人のフレンズたち。それで全員。誰も欠けた者はいなかったのだったから。
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