38th. 運命と宿命



 ――"お話があります、父上"


 妖精王の花嫁という、国の歴史の真実を知ったとき、オスヴァルトは覚悟を決めた。国を変える――父帝を廃位に追い込む、その覚悟を。


「お時間は取らせません。簡潔に私の用件を申し上げます。父上――いえ、皇帝陛下、どうかその位を、私に譲ってはいただけないか」

「ふん、随分と率直に言ったものだ」


 白宮を後にして、その足でオスヴァルトとラルクは皇帝の私室にやって来ていた。人払いをし、部屋には完全に二人きりだ。血の繋がった親子だというのに、そんな状況はいつぶりだろう。


「国内の財政は圧迫しています。地方では犯罪の温床となっている地域が多くある。土地を奪うだけ奪って、放置したのは何故ですか。私腹を肥やす官僚たちを放置しているのは何故ですか。最初は戦にしか興味がない人なのだと、本当に思っていた。けれど違う。今日のあなたは、今までのあなたとまるで別人だ」


 今までの皇帝なら、こんな話を持ち出した時点で、「調子にのるな!」と怒鳴り散らしたことだろう。

 そもそも妖精嫌いの彼が、あの場面で大人しくしているはずもない。オスヴァルトの知っている皇帝なら、間違いなく白宮の庭園を燃やしていた。

 それが、どうしてか今日の皇帝は、全くと言っていいほど無反応だった。まるで、今まで背負っていた肩の荷が、やっと下りる瞬間が来たと待ち構えるように。


「……一部の貴族と癒着して、あなたが国の税金を横領していた証拠があります。芋づる式にその貴族の特定もできました。あなたの寵妃である第一側妃に懇願されて、多くの不正を見逃した証拠もあります。これはかなり驚きましたが、どうやら第一側妃殿は、若い男を食い散らかすのがお好きのようですね」


 淡々と告げていく。全て、オスヴァルトがかき集めた証拠だ。父帝の無茶な命令に応えながら、日々の政務をこなしながら、少しずつ、少しずつ、信頼のおける部下と集めた希望だった。

 たとえそれが、実の父を廃することになったとしても。

 ただ調べれば調べるほど、オスヴァルトは違和感に突き当たる。ずっとそれが何か分からず、もやもやしていた。

 けれど今日、ようやくその答えが分かった気がするのだ。


「私を誘導しましたか、父上」

「ふ、ははっ。誘導、そうきたか」


 たまらずといったていで、ラルクが吹き出した。オスヴァルトは表情を変えずに続ける。


「このまま父上が皇帝であり続ければ、国はいずれ滅ぶ。そう危惧して、廃位に持ち込めるだけの証拠を集めようと思いました。ですが、それを集めれば集めるほど、他の貴族の悪事が明るみに出る。それはもう、私の部下が眉をひそめるくらいに」

「それで?」

「第一側妃殿もご退場願おうと、仲良く引っ込んでもらうつもりでしたが、こちらも父上を調べればたくさん出てきました。陛下の側妃でありながら、不特定多数の男との乱交に、皇太子である私への暗殺未遂、果てはハーフカミーユと手を結び、陛下を害そうとした証拠」

「ほう。そこまで調べたか。上々」


 満足そうに頷く。それが少しだけ気に食わなかったオスヴァルトだ。彼としては、本当に身も心も削って調査したのだ。それが、もしかするとただ父の手のひらで踊らされていただけかもしれない今、何一つ喜べない。


「父上、あなたは何がしたいのか。私と母上を疎ましく思っていたのではないのですか?」

「さあな」

「では、第一側妃による暗殺が増えた時期と、私に側室が与えられた時期がほぼ重なるのは、何故ですか。さらに申し上げるなら、側室が与えられ、私の評判が地に落ちてから、暗殺も徐々に減っていきました。代わりに第二皇子の評判が上がったからか、私は取るに足らないと思われたようです。これも全て、父上の思惑通りですか」

「知らぬな」


 何も語ろうとしないラルクに、オスヴァルトはあからさまにため息をついた。今までは、心のどこかで恐ろしいと思っていた父親が、今ではただただ厄介な人だと思う。


「……母上とは、先に話をしました」

「なに?」


 ここでようやく、ラルクが反応を変えた。


「母上は、南にあるサンターニュ宮殿に行きたいそうです」

「……あれがそう言ったのか」

「はい。私はずっと、母上は精神を病まれたのだと思っておりました。しかしそうではないと、教えてくれた者がいた。母上もまた、隠居する準備をしていたそうです。誰と、とは教えてくれませんでしたが」


 父上、とオスヴァルトが呼びかける。静謐な眼差しで、ひたと父を見据えた。


「もう、大丈夫です」


 その一言に、ラルクの目が大きく見開く。


「もう、私に帝位を譲ってください。そして母上を、今度こそ幸せにしてください」


 本当は、母を蔑ろにし、国を荒らす父親を、オスヴァルトは憎んだこともある。けれど真実を知ってしまった今、目の前の皇帝を、彼は初めて自分の父親なのだと実感した。

 ずっと、守ってくれていたのだ。オスヴァルトとグレースを。たった一人で。

 国はもともと、先代陛下の御代に、恐ろしいほどのスピードで荒廃していっていた。先代は真実、野心と欲にまみれた人物だったから。中央の汚職は相当酷かったと聞く。その先代が病に倒れ、ラルクが後を継いだときには、もうどこから手をつければいいのか分からないほどだったらしい。

 そんなこんなで精神的に参っていた彼は、その当時、不思議な令嬢と出会った。それが第一側妃――リディアーヌである。ちなみに、このときにはすでにグレースと結婚し、オスヴァルトが産まれていた。

 しかしリディアーヌに会うと、不思議なほど心が安らいだという。その安らぎを求めて、ラルクはグレースを裏切った。たった一度の、過ちだった。けれどリディアーヌがその一度で身ごもってしまい、側妃にするほかなかったのだ。

 そうして後から知ったのは、リディアーヌが精神的に弱っていたラルクの隙をつき、彼が自分を抱くよう妖精と交渉したということだった。隠してはいるが、彼女もまた、妖精の眼を持っていたらしい。


「幸せに、か。そんなこと、あれは望んでおらぬだろう」


 たとえ妖精の力が働いたとはいえ、裏切った事実は変わらない。一生おまえだけを愛すると、確かに誓ったはずなのに。


「それはご自分で確かめてはどうですか。私の知る父上は、どんなときも逃げなかったと思いますが」


 面と向かって言われて、ラルクは虚をつかれたように息子を見やる。やがて喉奥から込み上げてきたのは、ラルク自身意外なことに、清々しい笑いだった。


「ふ、いつのまに、そんな生意気に育ったんだか」


 そんな父に、オスヴァルトは渋面をつくる。胸中は複雑だ。自分はちゃんと愛されていた。でも、今までの無茶苦茶な命令は、それでなかったことにできるほど生易しいものではなかった。

 怒ればいいのか、喜べばいいのか。よく、分からない。

 そんなオスヴァルトの様子に気づいたようで、

 

「どうした。面白い顔をしておるな」


 とラルクが小さく笑う。


「いえ。ただ、それにしても少々やり過ぎだったのではと思いまして」


 あんなに無駄に、戦争をする必要はなかったのではと。


「……そうだな。余のやり方は、正しいものではないだろう。愚かな皇帝でいたかったのもあるが、あの頃はそれが一番手っ取り早いと信じていた。戦に勝てば、国に金が入るからな」


 そう聞いて、やはりオスヴァルトは苦い顔をする。どうして最初に相談してくれなかったのかという怒りと、父がそれほどまでに追い詰められていたのだという悲しみと、何も気づけなかった悔しさを、一気に味わわされた気分だ。舌の上に粘つくその苦味に、オスヴァルトは口を開けなかった。

 最後の最後まで、父が愚かな皇帝であってくれれば、愚かな皇帝だと信じさせてくれれば、こんな思いは抱かなかった。

 けれど、知ったことを悔やむことはないと、オスヴァルトは断言できる。


「オスヴァルトよ」

「はい」


 父に名前を呼ばれる。いつぶりだろうと、頭の片隅で思う。


「おまえは、余のようにはなるなよ」

「……肝に銘じておきます」


 それから二人は、今後のことを話し合った。国内の政治、悪徳貴族、人質の姫君たち。そして、皇帝の代替わり。代々皇帝になる者のみに受け継がれる秘密を、オスヴァルトは全て引き継いだ。


「まずは指輪だ。その指輪は、エルフリーデにでも言って厳重に守らせておけ。その指輪を持つ者を、妖精王は皇帝と認める。それが親友ともとの約束らしい。次にエルフリーデ――いや、妖精王の花嫁か。これを失うわけにはいかぬ。おまえがどんな対価を用意するのか知らぬが、認められなければ花嫁は続く。続いたら、城に囲っておけ。からになる白宮でもいい。とにかく代々の皇帝は、花嫁に側妃という地位を与え、何人からも守っていた。その命も、身体も、害されれば国が荒れる。酷だろうが、閉じ込めておくのが安心だろう」


 側妃、と聞いて、オスヴァルトのこめかみがぴくりと動いた。けれどすぐに元の無表情に戻って、父の話に耳を傾ける。

 思えば、アンネと知り合って、それなりの月日が流れた。最初はエルフリーデの噂を頼っただけだったのに、いつのまにか国の秘密を知る事態にまでなっていた。

 巻き込んだのは、オスヴァルトだ。けれど自分が皇太子で、アンネが妖精王の花嫁なら、遅かれ早かれ二人は出逢っていたのだろう。そう思うと、オスヴァルトには、この出逢いがとても不思議なものに思えてならない。

 きっと人は、それを宿命と呼ぶのだろう。出逢うべくして出逢って、変えられない道を歩いていく。

 でもそれでは、オスヴァルトの望むものは手に入らない。視線を落とす。手に残された、愛しい人の感触を思い出す。もう一度それを手にするために、オスヴァルトは思考を巡らせる。

 

 ――"おまえは、余のようにはなるなよ"


 ぐっと手を握って、オスヴァルトは立ち上がった。正式に渡された金の指輪が、オスヴァルトの親指で輝いている。

 


 

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