36th. 妖精王



 ――"冗談でなく、彼を怒らせたら国が滅ぶ"


 そう急かされて、わけも分からないまま、アンネたちは白宮に向かった。その途中でマルティナから聞かされたことは、アンネにとって全てが夢のようだった。ようは、現実感がないのだ。

 アンネが妖精から「代理人」と呼ばれる理由。胸元にある妖精王の痣の秘密。そしてマルティナが、たびたびどこかへと出かける真相。

 なんの心の準備もしていないところに、一気に流し込まれた情報は、アンネを簡単に惑乱させた。

 二人の後ろをついてくるオスヴァルトも、父から何事かを淡々と告げられている。

 ただ、アンネもオスヴァルトも、それぞれから告げられた事実の中で、一番衝撃を受けたものは同じだった。


「『代理人』とはすなわち、妖精王の花嫁のことだ。眠り続ける王の代わりに、花嫁が妖精を束ねる。だから妖精たちは、王の花嫁を『代理人』と呼ぶ。敬意を込めて。そして花嫁は、王以外のものになってはいけない。その身と心を、王に捧げ続けなければならない」

「昔、愚かにも代理人に恋をした男がいた。そして代理人も男を愛してしまった。しかしその末路は悲惨なものよ。王は怒り、目覚め、国は半壊した。それからというもの、当時の皇帝の命により、代理人は白宮で一生を過ごすことになったのだ。……といっても、何を血迷ったか、先代の皇帝が先々代の代理人に一目惚れしてしまった。これはまずいと、当時の皇妃――つまりおまえのお祖母様が、代理人を逃したのだ」

 

 だから白宮は、主のいない宮殿になってしまったのだとか。確かにマルティナの師だという女性は、ちょうどその頃に〈妖精の庭〉に身を寄せるようになったと聞いている。

 だから、アンネの胸元にある痣は、妖精王の花嫁の証なのだと。

 妖精の呪いとは少し違う痣を、アンネも不思議に思っていた。どうやら、その痣が現れた娘こそ、花嫁に選ばれたということらしい。

 今はアンネがその花嫁だ。不思議な力を使えるのは、王の力を借りているからだとか。

 そして、毎回その娘を見つけ出す役目を持つのが、あの鴉――ダークの役割だという。


「なるほど。つまりわたしは――わたしたちは、国の生贄ということか?」


 笑ってしまう。そんなばかばかしい話があってたまるか。会ったこともない妖精王に操を立てて、人を好きになる自由も許されず、王を目覚めさせないよう怯えながら一生を暮らす。それはきっと、怒りにも似た感情だ。

 ああ、なんて、ばかばかしい。


「そもそもの話、なぜ目覚めさせてはいけないんだ?」

「王が眠り続けることによって、この国に根を張る地脈をコントロールしているからだ。王が目覚めれば地脈が荒れる。だから大昔、隣国のツェルツェと国を割ったとき、人間たちは真っ先にこちら側を捨てた。人間の手には負えないからな」


 そうして、最初はハーフでもある皇帝が、時々荒れる地脈を抑えていた。その数代後も、まだ妖精の力が残っていた皇族が、地脈を鎮める役割を担っていた。

 けれどいつしか血は薄れ、やがてそんな力を持たなくなった当時の皇族は、妖精王に願ったという。

 対価を渡す代わりに、地脈の安寧を。

 そのとき妖精王が望んだのが、自分の隣にいてくれる"花嫁"だった。以来、花嫁は痣を通して妖精王と繋がった。物理的に隣にいなくても、精神的に近くにいられるように。

 

(そうか、だから……。そういうことだったのか)


 全ての話を聞いて、アンネの中に腑に落ちたものがある。

 ずっと不思議で、でも誰にも聞けなかったこと。痣からたまに感じる執着は、どうやら本当に妖精王のものらしい。

 酷い執着だ、と何度思ったことだろう。けどそれは、呪った相手に対するものだと思っていた。


(でもどうやら、少し違うみたいだな)


 服の上からぎゅっと痣を握る。そこからは無言で走るアンネの後ろ姿を、オスヴァルトは静かに見つめていた。


 



 白宮に到着すると、庭園が凄いことになっていた。まるで地面が透けてしまったように、その下に蠢くものが見えている。強い光を放つそれこそ、おそらく地脈と呼ばれるものなのだろう。アンネは実物を見たことはないが、その巨大さとしなやかにうねる様は、天翔ける龍のようだと思った。

 下から感じる気配は、アンネが城で感じていたあの奇妙な気配と同じである。


「あの小僧、ここまで目覚めさせたのか……っ」


 マルティナが苦々しく吐き捨てる。王が決して目覚めないよう、マルティナは月に一度、地脈の様子を見て回っていたらしい。その一つが、代理人に与えられた白宮だった。

 本当は、その役目はアンネが請け負うはずだった。けれど通常花嫁に選ばれる年齢よりずっと幼かったことと、皇族を憎んでいたことを合わせ、マルティナは役目の譲渡を先延ばしにした。

 まさかこんな形で伝えることになるとは、マルティナも思っていなかったらしい。

 すでに避難は完了したのか、辺りは静かだ。眠りを邪魔された妖精王の怒りだけが、この場を支配している。

 すると、アンネが足を一歩踏み入れた瞬間、この庭に咲いていた植物が一斉にアンネに襲いかかってきた。予想外の攻撃に、アンネもマルティナも皇帝も、誰もが動けずにいたなか、オスヴァルトだけが違った。

 植物の矛先がアンネに届く、その前に。ためらいなく間に割って入る。

 

「――!」


 声にならない声で叫ぶ。このままじゃオスヴァルトが餌食になる。

 けれどどうしたことか、植物はオスヴァルトを傷つける前に、ぴたりとその動きを止めた。


〈……この匂い、愛し子か〉


 それは、確かに植物から聞こえた。子供のように高い声だ。けれど、滲み出る高慢さは、とても子供のようにかわいらしいものではない。


〈ああ、その後ろにいるのは、我が花嫁か。なんだ、我を起こした不届き者ではなかったか〉


 ――気づいてなかったのか! 思わずそう突っ込んでしまいそうになった。勘違いで殺されるなんて、たまったものじゃない。真相を聞かされて苛ついていたアンネだが、余計に苛つきが増す。

 そんな彼女に気づいてか、マルティナが一歩前に出た。


「初めてお会いする、妖精王よ。あなたを起こした罰当たりは、こちらで処分すると約束しよう。だからどうか、今はその怒りを鎮めてはくれないか」

〈……だれ?〉

「あなたの元花嫁だ」


 そのとき、アンネの中で何かが切れた。それはもう、盛大に。こう、ぶちっと。

 

「ふざっ――けるなッッ‼︎」


 ぐいっとオスヴァルトを押しのける。


「おまえ、そっちが望んでおきながら、自分の元花嫁の顔も知らないのか⁉︎」


 アンネはもともと怒っていた。過去の人間に。勝手に未来の人間まで対価にした、当時の皇族に。そして、要らないのに、、、、、、花嫁なんてものを望んだ、この王に。


「知ってるぞ、おまえ、ダークだろ」


 その一言に、場がしんと静まり返る。マルティナまで驚愕の表情を浮かべた。


「正確に言うなら、喋るときのダークだ。違うか?」


 シュル、と植物が少しだけ後退する。「喋る?」とマルティナが呟いた。初めて知ったという声色だ。

 それを見て、アンネはやっぱりと確信する。


「普段のダークは、本当にただの鴉のようだった。妖精の眼を持っていなくても視えるし、不自然なくらい『カァ』としか鳴かない。あれは、間違いなくただの鴉だ。そこにおまえが乗り移ることで、妖精ダークが完成する。そうだろ?」


 たまに彼が暴れるのは、花嫁を奪われないようにするためか。独りにならないよう。自分の、代わりに。


「喋ったときのダークとおまえの気配は同じだ。どういう仕組みかは知らないが、思念だけは飛ばせるのか」

〈……〉


 これはアンネの予想だが、きっと妖精王は、アンネにも喋りかけるつもりはなかったに違いない。

 ただ、当時のアンネは食うにも困っているところを拾われたばかりで、鳥を見ると反射的によだれが出る有様だった。

 そんなある日、マルティナが留守の間、つい空腹に負けてしまった時があった。あろうことか、ダークを丸焼きにしようとしたのだ。

 さすがの妖精王も、これには焦ったに違いない。ダークという存在を失えば、花嫁を監視することもできなくなる。

 だから喋った。「やめろ!」と。


「その後も、おまえが喋るのは二人きりのとき……さらに言うなら、わたしがおまえに日頃の腹いせをしようとするときだ」


 これには「何をやってるんだ馬鹿弟子め……」とマルティナの呆れたような声が聞こえたが、アンネは聞こえなかったふりをする。


「さっきオスヴァルトへの攻撃を止めたのも、ダークに宿っているときに助けてもらったからだろ?」

「そうなのか?」


 シュルシュル、とさらに植物が後退した。どうやら当たっているらしい。

 妖精と聞くなり丁重に扱うオスヴァルトは、フィンがダークを殺そうとしたとき、放してやれと止めていた。


「いくら愛し子といえど、それは妖精の、だからな。そこに王は含まれない」


 だからたぶん、王は攻撃をしなかった。もしさっき、別の人間が間に入っていたら、この王はかすり傷の一つや二つは負わせただろう。なにせ、元花嫁のことを覚えていなかったくらいなのだから。

 ある意味薄情で、ある意味そうではない王様。

 彼はただ、寂しかっただけだ。だから、自分に構ってくれる人間には、強い執着を見せる。


「ずっと不思議だったんだ。確かに他の人間にもたまに暴れることはあったが、わたしやこいつには鬱陶しいくらいに暴れる。最初は丸焼きの腹いせかと思ってたが、こいつにも同じことをするのを見て、なんとなく気づいたよ。あれ、本当は構ってほしかったからなんだろ?」


 おそらくそれは、親に甘える人間の子供と、全く同じ心理だろう。忙しいからとなかなか構ってもらえず、周りには話相手もいない。一人母の帰りを待つ、寂しい時間。その時間が長ければ長いほど、母が構ってくれるときは飛び上がって喜んだ。構ってもらえるのなら、時には困らせることもした。もちろん叱られるけれど、それさえ自分を見てくれているようで嬉しかったから。

 アンネには、その気持ちがよく解る。だから気づいた。ダークの持つ寂しさに。そして、だから、妖精王もことさらアンネに執着した。同じ匂いを感じたから。


「同情はする。もとは人間の願いが原因だ。でも、断れたのにそうしなかったのは、おまえだろ? なんで花嫁なんてものを望んだ。無意味なそれに、対価の価値はあったのか?」

〈……って、……スが……から〉

「は?」

〈だって、グリフィスが、幸せそうだったからっ〉


 グリフィス? と首を傾げる。そんなアンネに、オスヴァルトがそっと耳打ちした。


「おそらく、初代皇帝のことだろう」

〈グリフィスは、お嫁さんをもらってから、いつも幸せそうに笑ってた! 親友ののことも後回しにして、最後まで嫁自慢しながら死んでったんだ!〉

「嫁自慢……」


 アンネとマルティナが、師弟そろって半目になる。真面目な顔で聞いているのは、オスヴァルトとラルクだけだ。

 声音からして子供のようだと思ったが、声を荒げる様子は、いよいよ駄々をこねる子供そのものだった。

 王というからには、それなりに貫禄があるものだと思っていたが。


〈グリフィスだけずるいでしょ⁉︎ 僕らはいつも一緒だったのに、僕にはそのお嫁さんがいないなんて!〉


 子供だ。もうこれは、完全に子供だ。アンネは無言でマルティナに視線をやる。が、マルティナも無言で首を振るだけだった。


〈だから僕だって欲しかったんだ、そのお嫁さんが。そうしたら、僕も幸せになれる。ずっと退屈だったけど、僕もまた笑えると思ったんだ〉

「それで、ちょうどタイミングよく、人間が願いを叶えてほしいと言ってきたんだな?」

〈名案だと思ったんだ、あのときは〉


 そう言いながら、でも聞こえてくる声は落ち込んでいた。


「それで? 花嫁を得て、おまえの孤独は癒されたか?」

〈……全くだよ。みんな役目に従順で、それはいいことなのに、全然楽しくなかったんだ。奇しくも丸焼きにされそうになって、久しぶりに感情が動いた気がしたよ〉


 妖精王がそう言った瞬間、オスヴァルトがアンネの肩を抱き寄せた。なんだ? と思って見上げると、オスヴァルトはふいとアンネから視線を逸らす。ますます意味が分からなかった。

 

〈でも、花嫁を失ったら、僕は本当に独りになっちゃう。誰も僕を思い出してくれない。王は孤独だ。それは、そっちの皇帝もよく解ってるんじゃないかな〉


 急に話を振られたラルクだが、彼はうんともすんとも言わなかった。


〈まあでも、安心するといいよ。完全に目覚めたわけじゃないし、花嫁とこんなに長く話せて機嫌がいいんだ。これ以上荒らしたりはしないよ〉


 つまりそれは、機嫌が悪かったらもっと荒らしていたということか。知らず口元が引きつった。

 植物たちが大人しく引いていく。妖精王が再び眠りにつこうとしているのだろう。だが話はまだ終わってないと、アンネは呼び止めようとした。

 しかしその前に、オスヴァルトが口を開く。


「待ってほしい、妖精王よ。私からあなたに一つ、提案があるのだが」

 


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