34th. 反撃開始
時は少し遡り。
エアリアルが、アンネに幻覚を見せたとき。
――"嬉しいよ、オスヴァルト"
その後、アンネはすぐさま薔薇を咲かせて、逃げないよう捕まえていた偽のオスヴァルトを、薔薇の蔦で拘束した。
『っ、アンネ?』
『芝居はもういい。おまえ、妖精だな? わたしが気づかないとでも思ったか』
そう言うと、偽のオスヴァルトは首を横に振った。意外だった。そんな簡単に正体を認めてくれるとは、思ってもいなかったから。
しかも妙に冷静だ。もう少し抵抗されると思っていたのに。
『何か企んでるのか?』
妖精がもう一度首を振る。
『何も。ただ、あなたなら気づいてくれると思ってた。あなたは代理人。他の子が、あなたなら助けてくれると言ったから』
『……助けてほしいこととは?』
『私の羽を、取り返してほしい』
『! もしかしておまえ、エアリアルか』
こくりと、エアリアルが頷く。それは妖精の一種だ。大気の妖精。自在に風を操れるけれど、それ以外にも幻覚を見せることができる。
そしてアンネは聞いていた。あわいの子に羽を取られて、従わされている
『おまえのことだったのか』
『私は妖精界に帰りたい。でも、帰れない。あの男が私の羽を奪ったから。余計なことをすれば、あの男は私の羽を燃やすと言った』
『なんて酷いことを。でも、そんなこと話して大丈夫なのか? これはその余計なことに入ったりは……』
『大丈夫。代理人を誑かして利用しろと言ったのは、あの男のほうだから。彼はまだ知らない。代理人の力量を。私で測るつもりだった』
『なるほど。それで、命令を聞くふりをして、わたしに助けを求めてきたんだな?』
『うん、助けて。これ以上、奪いたくない。殺したくない』
エアリアルは静かに言った。でもそれが、彼女の心からの叫びだった。
アンネはしっかり頷くと、彼女を拘束していた蔦を解いた。
『なら、少しだけ協力してもらうぞ』
という一連の流れを経て、アンネとオスヴァルトは皇帝の私室にやって来ていた。皇帝は、今は御前会議に出ているという。もう一人のオスヴァルトもそちらに参加している。
第一関門は、部屋の前にいる騎士二人だ。アンネは物陰で
「皇帝陛下から頼まれて、書類を探しにきた。開けてくれ」
「しかし殿下、お言葉ですが、書類であれば陛下の執務室では?」
「そこになかったからここに来た。陛下もどこかにあるとしか仰られなかったからな」
騎士たちは逡巡したようだが、普段からそういうことを言う皇帝だったのか、やがて頷いた。
「そういうことでしたら、大変失礼いたしました。どうぞ」
「ああ、助かる」
言いながら、オスヴァルトがアンネの方に一瞬だけ視線を寄越す。その合図を待っていたアンネは、いつも通り姿を消した状態で、開けられた扉の中に入っていった。
扉が完全に閉まったのを確認して、オスヴァルトが小さく確認する。
「アンネ、いるか?」
「いるよ」
その言葉通り、何もないところからアンネの姿が現れて、オスヴァルトはほっとした。
「さて、時間がない。さっさと探すか」
二人は迷いなく寝室の扉を開ける。以前は部屋の中を見渡す余裕なんてなかったが、今回はじっくりと観察できる。広い部屋の中に、大きな寝台が一つ。天蓋から降ろされる幕は珍しい黒色で、内心「うわぁ」と思ったアンネである。そこだけなんだか物々しかった。
「見つけられそうか?」
「うーん」
ちょっと待ってくれ、とアンネは感覚を研ぎ澄ませた。この部屋に入った時から思っていたが、ここは色々な気配が混ざりすぎている。皇帝、オスヴァルト、グレース、妖精。
妖精は、一人や二人なんてものじゃない。たくさんの気配が渦巻いている。前回アンネはこの部屋には入らなかったが、入らなくてよかったと思う。
ようは、
「気持ち悪い……」
「アンネ?」
まるでカオスだ。以前この部屋に入ってしまった妖精と話したが、よく入れたものだと思う。おそらくあの妖精は、かなり鈍感な部類に入るのだろう。これだけめちゃくちゃな気配を漂わせる場所なんて、気配に敏感な妖精が近づくはずもない。
実際、あのとき一緒にいた別の妖精は言っていた。「こいつの他に部屋に入っちゃった仲間は聞かないけど」
「アンネ、具合が悪いなら無理はするな」
「だいじょ……うっ」
言ってしまえば、酔うのだ。この渦巻く気配に。この調子だと、たぶん、前回カミーユと共にいた妖精――指輪を狙って寝室に入っていった妖精――も、何もできずに引き返したに違いない。
すると、突然ふわりと、身体が何かに包まれた。
「やはりやめよう。そこまで顔色を失うあなたを見るのは初めてだ。一度体勢を立て直して……」
「いや、待て。このままで」
不思議なことに、オスヴァルトに抱きしめられると、今まで感じていた雑多なものが突然クリアになった。余計なものをはねのけてくれているみたいに、気持ち悪さが引いていく。
アンネは無意識にオスヴァルトの服を握りしめながら、もう一度感覚を研ぎ澄ませる。
「――……見つけた」
一つだけ、明らかに違う気配を。おそらくだが、その気配を隠すために、
「こっちだ」
アンネはオスヴァルトの服をぐいぐいと引っ張った。指したのは、寝台の脇に置いてあるサイドテーブルだ。アンネはその二番目の
けれど、何も入っていないために、首を傾げる。
「あれ? おかしいな。絶対ここから感じたと思ったんだが」
「アンネ、ちょっといいか」
今度はオスヴァルトが身を乗り出す。抽斗を隅々まで観察していると、ある箇所で空洞音が鳴った。
二人は顔を見合わせる。オスヴァルトがもう一度よく調べてみると、手前の角に小さな突起を見つけた。それを掴み取って、開けてみると。
「これは……」
「グレースと、皇帝? 赤ん坊もいる……もしかしておまえか?」
それは、小さな額に入った絵だった。グレースが椅子に座って、優しい眼差しで赤ん坊を抱いている。その後ろに、顰めっ面の皇帝が立っていた。けれど、その手はしっかりとグレースの肩を抱いていた。
「こんな絵、初めて見る」
「! これ、中に何か入ってるぞ」
揺らすとかすかに物音がした。アンネは慎重に留具を外し、裏板を取り除く。すると中から、一つの指輪が出てきた。
オスヴァルトが、恐る恐るアンネからそれを受け取る。
「どうだ? それか?」
しばらく見つめて黙り込んでしまったオスヴァルトに焦れて、アンネが尋ねる。
「ああ……おそらく、これが本物で間違いない。形状は偽物と全く同じだが、色が違う。私が昔見せられたのは銀色だった。だが、これは金だ」
「でもなんで色の違う偽物を作ったんだ?」
これじゃあ一発で本物と偽物の区別がついてしまう。
「これは予想になるが。銀色を本物と思い込ませることで、万が一こちらを見つけられても、こちらが偽物だと思わせようとしたんだろう」
「なるほど。ややこしい」
「用心深い父ならやるだろうな」
と、そのとき。この部屋に第三者の声が響く。
「へぇ、そんなところにあったんだ。見つけてくれて感謝するよ、アンネ」
カミーユだ。
「おまえ、どうやって」
「そんなの簡単さ。表の奴らにはちょっと眠ってもらった。俺はあんたと違って平和主義者じゃないもんでね。騒動がバレても構わないってわけ。さて。そんなことより、それ持ってこっちに来いよ、
カミーユがオスヴァルトに向かって言う。カミーユの手には、あからさまに脅しているのか、藍白色の羽が揺れている。
オスヴァルトは、自分の服を握るアンネの手を解くと、カミーユの許へと歩いていった。
「オスヴァルト……?」
離れていく彼に、アンネは戸惑いを露わにする。しかも、彼が離れていったことで、あの"酔い"が再び襲ってくる。
「いやぁ、それにしても笑えるよな。興味なさそうなふりして、あんたも結局は美貌の皇太子には弱かったって? いったいこいつにどんな甘い夢を見せてもらったのか、ちょっと興味あるな」
「どういう、ことだ」
気持ち悪い。とにかく吐きそうだ。予想外なのは、この嗚咽感だけである。
カミーユもこの部屋の異常さには気づいているのか、一歩も入って来ようとはしなかった。
「残念だけど、こいつは皇太子本人じゃないってことさ。エアリアルって妖精を知ってるか? あま〜い夢を見せてくれる、便利な妖精さ」
「じゃあ、まさかその羽……」
「ご察しの通り、これはエアリアルの羽だ。妖精に言うことを聞かせるには、これが一番確実で、手っ取り早いだろ?」
「クズめ! 羽が妖精にとってどういうものか、知らないわけじゃないだろうに」
「さあな。知ってるけど、俺にとってはどうでもいい」
「……そうか。なら安心したよ。おまえに心を傷めることはなさそうだ」
「はあ? 何言って――」
カミーユがアンネに気を取られた、一瞬。その一瞬の隙をついて、オスヴァルトがカミーユの手から羽を奪う。
「な、エアリアル!」
「悪いが、私はエアリアルではない。彼女なら、今頃私の代わりに参議中だ」
「参議中? どういうことだ!」
「おまえは妖精を、そしてわたしたちを甘く見過ぎたんだよ。エアリアルもわたしも、おまえが思うより
オスヴァルトがカミーユを羽交い締めにする。そこをアンネが、咲かせた白薔薇の蔦を使って完全に拘束しようとした。
しかしカミーユも大人しく捕まってくれるような人間ではない。足を上げ、オスヴァルトの
「っ、逃げろアンネ!」
自由になったカミーユは、すばやく狙いをアンネに定める。目が合いそうになって、アンネは咄嗟にまぶたを伏せた。――目を合わせたらまた動けなくなる。
しかし、それこそがカミーユの狙いだった。腕を掴まれ、一気に形勢が逆転する。
「ははっ。驚いたな、ほんと。まさか
ぐっと、首に回る腕に力が込められる。アンネは息苦しさに眉根を寄せた。ただカミーユのほうも、部屋の中の気配に当てられたのか、顔を歪めている。
「だったらさ、俺の邪魔すんじゃねぇよ。あいつのせいで俺の人生はめちゃくちゃになったんだ。しっかり報復しないと気が済まないだろ? そもそもさあ、何の力も持たない人間が皇帝なんかやってるから、おかしなことになるんだよ。初代のように、これからはハーフが国を治めていくべきだと思わないか?」
カミーユが
「あいつに何したっ」
「何って……俺がハーフだってことは、薄々気づいてるんだろ? じゃあさ、妖精の力が継承されてることも、ちゃんと頭に入れておかないとだめだろ、アンネ?」
歪に笑う男に、アンネは歯軋りする。
確かに、エアリアルのことを知ったときに、アンネはカミーユの正体も知った。なぜならエアリアルを捕らえているのがあわいの子だと、妖精から聞いていたからだ。
でもその力は、きっとあの"目"だろうと思っていた。まさかそれ以上を持っていたなんて、少しも考えなかった自分が腹立たしい。
「さあ、指輪を渡してもらおうか。愛しい男を死なせたくはないだろ?」
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