29th. 絡み合う



「え、アンネ?」

「ビアンカ?」


 夜、アンネは約束どおりグレースの許を訪れていた。人払いは済ませてあると聞いていたので、そこにビアンカがいたことにアンネは驚く。むしろ案内されて入った部屋には、グレースと、依頼に来た年嵩の侍女と、ビアンカの三人だけがいた。


「あら? 二人は知り合いだったの?」


 グレースが尋ねる。薄手の夜着に着替えた彼女は、昼間より色っぽく見えた。たぶん、胸元の痣を隠すため、立襟のドレスばかりを着ていたから野暮ったく見えていたのだろう。彼女の豊かな胸は、隠すより出したほうが女としての魅力に溢れている。

 幼顔にこの胸の大きさ。一部にはかなり人気が出そうだと、娼館で育ったアンネは思う。


「はい、皇后様。彼女とは以前、共通の知人を通して知り合ったんです」

「まあ。もしかしてそれって、あなたの大好きな恩人さん?」

「だい……ち、違います! ただの恩人です!」

「隠さなくてもいいのに。わたくし、そういうお話は大好きよ。最初は全く眼中になかったのに、次第に彼の魅力に気づいてだんだん絆されていく……ふふふ、強気な女の子が攻略されていく様が、たまらないわ!」

「皇后様!」


 うっとりと自分の世界に入ってしまったグレースを、ビアンカが赤い顔で止める。年嵩の侍女は顔色一つ変えずに佇んでいるし、アンネは苦笑するほかなかった。

 グレースが夢見がちな乙女であることは、どうやらここにいる全員が把握済みらしい。


「でも、意外だな。ビアンカがそういう話をするなんて」


 まだ一人盛り上がっているグレースを置いて、アンネは顔を覆って羞恥に耐えているビアンカに話しかけた。


「だって、仕方ないじゃない。皇后様に、何があったか全部話すように言われたんだもの。そうしたら途中から見る見る目が輝き出して……」

「ああ、そういうことか……」


 色々と察して、アンネは哀れみの目を向けた。

 でも、とビアンカは続ける。


「あれがなかったら私、皇后様がこんなにお茶目な人だって知らなかったの。他の使用人の前では、優しいのだけれど、なんだかぼーっとしていることが多かったから。まるで――」

「まるで、壊れた人形のように?」

「こ、皇后様!」


 アンネとビアンカの会話に、グレースのおっとりとした声が割り込んできた。どうやら自分の世界から戻ってきたらしい。

 ビアンカは申し訳なさそうに首を縮めたが、グレースは優しく微笑むだけだった。


「気にしなくていいわ、ビアンカ。そういうふうに振舞っているのは、わたくしなのだもの。むしろ、あなたのおかげで演技が上手くいっていると分かって、わたくしは万々歳よ」

「なるほど? つまり、ここにいる二人が、おまえの信頼できる侍女というわけだな? グレース」

「ええ。少ないかしら?」

「いや、いい人選なんじゃないか」


 アンネがそう言うと、グレースは満足そうに微笑んだ。

 

「さて、雑談はここまでにして、本題に入るか」

「わたくしは何をすればいいのかしら?」

「寝ているだけでいい。後はわたしがやる」


 言う通り大きな天蓋付きの寝台に寝転んだグレースのそばに、アンネは立った。

 この部屋に入ったときから、妖精の気配は感じていた。そしてグレースがまぶたを伏せたとき、それはいっそう強くなる。


(分かりやすくて、大いに助かる)


 アンネはいつものように手の中で白薔薇を咲かせる。その光景を初めて見る二人の侍女は、信じられないものでも見た顔でアンネと薔薇を交互に見つめる。

 アンネは咲かせた薔薇を、グレースの上に落とした。ただ落ちるだけだと思った薔薇は、グレースの中に吸い込まれていくように、徐々にその姿を消していく。


「ア、アンネ? あなたいったい……」

「しっ」


 たまらずビアンカが口を開く。アンネはそれを遮った。耳を澄ませて、ようよう聞こえてくる"声"に耳を傾ける。


「……なるほど」


 一言呟いて、アンネは足早に部屋を出て行く。二人の侍女には、そのまま残るよう伝えた。

 薔薇が掴んだ気配へと急ぐ。アンネが聞いた声は、それはそれは恨みのこもったものだった。予想していた通り、木を切られた恨みだ。

 辿りついた場所は、噂好きのメイドから教えてもらったことがある、白宮と呼ばれる宮殿だ。そこにはオスヴァルトの側室たちがいる。グレース曰く、他国の姫君ひとじちたちだ。

 アンネは周りを囲む柵をひらりと飛び越え、着地した。

 敷地内に入ると、本城よりは小さな庭が目に入る。それでもアンネにとっては十分広く、カラフルな花々がかわいらしい。季節は全く無視した花ばかりだが、人工的なのも、案外悪くないと思う。

 夜だからか、辺りは静けさに包まれている。明かりは天に輝く満月だけだ。その光を浴びて、女は仄白い光を帯びていた。


「グレースを呪っているのは、おまえだな、ドリュアス」


 そっと歩み寄る。

 ドリュアスとは、木の妖精の一種だ。緑色の髪が美しい、女人の姿をした妖精。美しい異性を見ると、その美貌をもってして木の中に引きずり込む習性がある。

 ただ、般若の如く涙を流す今は、その美貌も半減している。


「うぅ、恨めしい。その女の名前を口にしないで、代理人」

「おまえの木を失ったか」

「そうよ! あの女が、私の木を奪ったの!これが呪わずにいられると思う⁉︎」


 ドリュアスという種族は、木の"気"から生命力をもらっている。だから自分の宿る木が枯れたりすると、力が極端に弱くなるのだ。

 そのままでは死んでしまうこともある。死にたくなければ、別の木を見つけるか、妖精界に帰るしかない。

 

「そうだな、おまえの言い分は最もだ。だが、なぜ次の木を見つけない? そのままでは死ぬぞ」

「別にいい。あの女を殺せれば」


 完全に目が据わっていた。これを説得するのは難しそうだと、アンネは内心で唸った。

 ドリュアスは、確かに自分の木を切られると、切った相手を呪うことがある。でも、グレースに纏わりついていた気配のように、あそこまで執念深いのは稀だ。

 だからアンネも見過ごせなかった。あのままでは、本当にグレースは衰弱死するだろう。


「分かった。ドリュアス、おまえの怒りを教えてくれ。そこまで執着するということは、木を切られた以外に何かあるんだろ? わたしもみすみすと死なせるわけにはいかないんだ」

「……代理人は、妖精わたしたちの味方じゃないの?」

「だから、みすみす死なせるわけにはいかないんだ。おまえを」

 

 もちろん、アンネは両方救うつもりでいるけれど。

 バツの悪そうな顔をしたドリュアスが、やがて口を開いた。


「あの木は、ある男が植えた木だった。拠り所を探していた私に、妖精が視えるその男がくれた木だったの。普段は無愛想なくせに、弱っていた私を放っておけなかったみたい。ほんと、馬鹿な男」


 辛辣な言葉とは裏腹に、ドリュアスは悲しげにまぶたを伏せた。

 なるほど、だから彼女は、ここまで怒っていたのだ。そうして、すでに跡形もない木の面影を探して、今も同じ場所に留まっている。


「その男、今は?」

「さあね、知らない。会わなくなって結構経つし、どこぞの人間の女とでも結婚してるんじゃない?」


 強気な発言の中に隠れた寂しさを、アンネは感じとってしまった。たぶんだからこそ、唯一の思い出である二人の木を、このドリュアスは大事にしてきたのだろう。

 

「とにかく、私は呪うのをやめないから!」

「あ、ドリュアスっ」


 姿が忽然と消える。アンネの静止も虚しく、一人取り残されてしまった。

 はあ、とため息をついて、どうしたものかと考える。そもそもなぜ、グレースはここの木を切るよう命じたのだろう。


(一度戻って、その辺を詳しく訊いてみるか)


 運が良ければ、植えた男のことが分かるかもしれない。妖精の眼を持つ人間だ。しかも、皇城の敷地に入れる人物。候補者はそれほど多くない。


「思ったより根深そうだなぁ」

「だろう? 俺が見つけたんだ」

「⁉︎」


 いきなり背後から声をかけられて、アンネは瞬時に振り返った。月明かりの仄かな光に照らされて見えたのは、見覚えのある男だ。


「おまえ、カミーユ!」

「こんばんは、エルフリーデ。いや、アンネが名前だっけ? まともに会うのはこれが初めてだな」


 その男は飄々として笑う。

 ビアンカの元恋人。第一側妃のお抱え商人。そして、アルミンを暴走させた、張本人。

 なぜこんなところに、と警戒心を露わにする。ここは、皇太子の側室たちの宮殿だ。

 アンネの言いたいことが分かったのか、彼は面白そうに口端をつり上げた。


「どうしてか教えてほしい? 簡単さ。ここの側室を唆して、ドリュアスの木を皇后に切らせるよう仕向けたのは、俺だからね」

「なっ」

「女なんてどいつも一緒だからさ、ちょっと甘い言葉を囁いて、気持ちよくしてやれば簡単になびく。特にここの女たちは、商人でも相手にするくらい暇で、なおかつ男を知らない無垢なお姫様ばかりだ」


 笑い死にそうになるくらい、順調だったよ。とカミーユはアンネの髪をさらりととる。


「でも」


 手のひらにある白金の髪を、ぐっと握り潰した。


「最近は予定外が多すぎる。あんたのせいだよ、アンネ」

「っ、はな、せ!」

「なあ、あんたは何者? 妖精はあんたを代理人と呼ぶ。代理人ってなに? あんたはハーフじゃないだろう? なのにどうして、あんな力が使える?」

「知る、かっ」

「知らない? 自分のことなのに? そんなはずないよな。こう見えても俺、結構イラついてるんだ。指輪は盗り損ねるし、皇后の侍女は役に立たないし。でもさ、今いい感じで事が運んでるんだ。今度は邪魔しないでほしいんだよ」


 アンネはカミーユの顔をキッと睨んだ。六股どころか、もっと最低な奴だった。そんな男に髪を触られていると思うと、全身の身の毛がよだつ。


「……へぇ。いいね。あんた、結構そそる顔してるね。口の悪さが好みじゃないけど」

「余計な世話だ! だったらそのまま嫌ってろ!」


 アンネとしても、こんな男に好かれたくはない。

 一見、キャラメルブロンドの髪が印象的な、優男風の容貌だ。確かに女受けはいいかもしれない。

 けれど、アンネは初めて見たときから、カミーユは生理的に受け付けないと思っていた。


「残念だけど、その反抗的な目がいいねって言ってるんだ。俺の下で屈服させたくなる」


 逃げようとしても、髪を掴まれていて逃げられない。舌打ちしたアンネは、手の中に薔薇を咲かせた。眠らせて逃げようと思ったからだ。

 けど、アンネの力を間近で見たカミーユは、そのときアンネの胸元が淡く輝いたのを見逃さなかった。


「妖精王の気配……?」


 そう呟いたカミーユが、躊躇いもなくアンネの胸に触れようとする。それに気づいた瞬間、アンネは咄嗟に足が出ていた。


「いっ」

「あ」


 ――足があったか! と今さらそんなことに気づく。カミーユの爪先を問答無用で踏んづけたのは、完全に無意識だった。どうやら自分で思うほど、冷静ではなかったらしい。

 髪の拘束が解け、アンネは一気に距離をとる。しかし次の瞬間、身体が石像のように固まった。

 睨む先に、妖しくきらめく金色の瞳がある。


「あーあ。あんまりこれ、使いたくなかったんだけどな」


 ごくりと、息を呑む。身体が自由に動かない。濁った瞳から目を逸らせない。その間も、カミーユはアンネに近づいていた。


「これ使うとさぁ、相手は反応できなくなるだろ? 面白くないんだよな」

「な、んだ、これ」

「お、凄いなアンネ。ちゃんと喋れるんだ。じゃあこれでもいっか」

「ふざ、けるなっ」

「ふざけてない。せっかくだから、俺だって楽しみたいんだよ。あの人はもう飽きちゃったし。用が済んだらおさらばだ。その点、アンネはいい。謎があるのも惹かれるな。一生俺のおもちゃにしてやるよ」

「こ、とわ――」


 喉を振り絞って、拒絶しようとしたとき。


「断る。勝手にこの娘に触れるな」

「っと、あっぶな! ……あーあー、なんだ、皇太子様のお出ましか」


 現れたオスヴァルトが、アンネを後ろから守るように抱きしめ、カミーユに剣を突きつけた。さらにはカミーユの両脇から、ジャメオンとギデオンが同じように剣を突きつける。

 三方向から刃先を向けられ、さすがのカミーユも両手を上げた。


「と見せかけて、逃げるが勝ちってな!」

「「!」」


 アンネに攻撃を向けられ、咄嗟にそれを庇ったオスヴァルトの隙をつき、カミーユは逃げていく。ギデオンがその後を追いかけていった。

 すると、カミーユがいなくなったからか、アンネの硬直が解ける。知らず安堵の息をつくと、突然、今度は身体が浮いた。横抱きにされたのだ。


「お、おい⁉︎ 何をっ」

「少し黙っていてくれ」

「っ」


 覚えのある冷たい声に、アンネは抵抗できなくなっていた。


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る