26th. 妖精の呪い



「――ったぁ〜。足打った」


 アンネは渋い顔になる。段差につまずいた。なんでこんなところに段差があるのだと、誰かに理不尽な攻撃をしたくなる。

 東棟に無事侵入を果たしたアンネは、堂々と廊下を歩いていた。すれ違う人たちは、アンネを見ても何も言わない。同じ服を着た女性とすれ違うこともあるのだ。アンネは完全に、風景の一部と化していた。


「えーと、確かここを曲がった先だったか」


 思い出すように呟いて、アンネは角からひょこりと顔を覗かせる。見覚えのある光景だ。実際、あの辺りだろうと目星をつけていた場所には、扉の前に二人の騎士がいた。


(ビンゴ。さて、ここからどうするかな)


 例によって姿を隠し、皇帝の私室に入ってもいい。けれどその場合、先ほどのように風で誤魔化すことはできないだろう。なにせ室内だ。窓も開いていないのに風が起こることも、勝手に扉が開くことも、おかしいことこの上ない。

 それに、もし皇帝が部屋にいたら、探せるものも探せなくなる。


(まずは確認するか)


 手の中で咲かせた薔薇が、さぁーと風化したように崩れていく。目に見えない粒子となって、それは扉の隙間へと流れていった。感覚を研ぎ澄ませるように目を瞑り、やがてそっと開く。


(いる。だめか)


 薔薇は、中に人がいることをアンネに教えた。誰がいるかまでは分からない。けれど、人の気配が完全にないときでないと、侵入は難しい。


(そう簡単にはいかないか)


 肩を落として、アンネは踵を返す。諦めどころは肝心だ。無駄に粘って捕まっては元も子もない。

 東棟を出ていく途中、アンネはふと、天井を見上げた。自分の方向感覚が正しいなら、このちょうど上の階に、オスヴァルトの執務室がある。アンネはわざとそこを通らないよう、遠回りしていた。万が一にでも鉢合わせたら気まずいからだ。


(ちゃんと、寝てるのか?)


 天井を見上げながら、心の中で問いかける。最後に見た彼は、少しやつれていた。今ならそれが偽物の指輪のせいだろうと、思い当たる。それに皇太子なら、他にも色々と多忙だろう。


(いや、だとしても、わたしの心配することじゃないか)


 顔を正面に戻した。いつまでもぼうっと突っ立っていては目立ってしまう。それに、願い以上のことに足を突っ込めば、いずれ馬鹿を見るのは自分だと知っている。

 平民アンネ皇太子オスヴァルトでは、この先の道なんて、絶対に交わらないのだから。


(帰ろう)


 自分でも気づかないうちに、アンネはスカートの裾を握りしめていた。



 ***



 まるで親友の邸宅を訪ねる気安さで、アンネは今日も城に潜入を果たしていた。昨日と同じく侍女の格好をして、迷いなくグレースのお気に入りの場所へと進んでいく。

 途中、アンネが城に来たことを知った妖精たちが、しつこく指輪はまだかと周りを飛んできたが、アンネが一言「待ってろ」と答えれば、彼らはいつのまにか消えていた。なんて自由な奴らだ。そしてなんてはた迷惑な奴だ。オスヴァルト・クロイツという男は。

 何度も言おう。好かれ過ぎだ。

 

「もう、やっと来たのねアンネ。待ちくたびれちゃったわ。今日はなんだかご機嫌斜めね?」


 おまえの息子のせいだ、とは、さすがに言えなかったアンネである。


「はい、じゃあ今日は、オスヴァルト十六歳編からね!」

「ちょっと待て」


 秒速で止める。自分の正体をバラしたからか、グレースは朗らかにそう言った。けどアンネは、全力でやめてくれと言いたい。


「それは、ご機嫌斜めな人間に持ってくる台本じゃない、絶対に」

「いいえ、気分が沈んでるときのほうがいいのよ。だってすでに沈んでいるのだから、これ以上沈まないでしょう?」

「そういう問題か⁉︎ というか、なんで人形ごっこで現実の家庭を演じる必要がある? それなら脚色でもして、もう少し幸せな物語にしたってバチは当たらないだろ」

「だめよ! それでは意味がないわ。わたくしは、日頃の愚痴と息子への愛を、同時に吐き出したいの!」

「だったら普通に話せばよくないか⁉︎」


 人形ごっこの意味はどこに……。突っ込みどころが満載で、アンネは頭を抱えた。グレースは頬を膨らませて、ぷいっと顔を背ける。


「だって、恥ずかしいもの」

「は?」

「いい年して、息子離れができていないのよ? ちゃんと食べているのか気になって仕方ないし、しっかり睡眠はとっているのか心配だわ。それに、色狂いなんて噂があるせいで、かわいいお嫁さんが逃げてしまったらどうしようって、不安で不安で夜も全然眠れなくて、もういっそ――っ」

「グレース⁉︎」


 ふらりと彼女の身体が傾いた。慌ててアンネが支える。けど、これで三回目だ。グレースが目眩を起こすのは。


「……ごめんなさいね。また興奮してしまったわ」


 グレースはそう言って微笑んだが、アンネは渋面のままだ。


「おまえ、この不調、身体が弱いせいじゃないな?」


 グレースから微かに漂った気配に、アンネは内心で舌打ちした。情けない。なぜ昨日、いや、最初に会ったときにでも気づかなかったのか。グレースからは、わずかに妖精の気配がしていた。纏わりつくような、粘着質な気配。覚えがある。

 

「胸を見せろ」

「え?」


 男でなくとも危ないセリフを、アンネは真剣な表情で言う。理解できなかったグレースは、ぽかんとアンネを見つめた。

 彼女の、珍しい立襟タイプのドレスを指して、アンネはもう一度言った。


「ドレスを、脱げと言ったんだ」

「ア、アンネ?」

「胸元を見たいだけだ。そこに、花の形をした痣があるな?」


 グレースがハッとする。その反応だけで、アンネには十分だった。

 

「スイカズラか」

「まあ、凄いわ。そんなことまで分かるの? エルフリーデは」

「茶化すな。おまえそれ、どんなものか知ってるのか?」

「いいえ。でも、あなたのその様子。あまりよくないものなのかしら」


 アンネは頷いた。胸元にできる花の痣は、妖精に呪われた者の証だ。あれは、妖精が執着している相手、いわゆるマーキングの意味もある。自分の標的に手を出すなという、他の妖精を牽制するものだ。


「いつからだ?」

「最近よ。ねぇ、この痣はどういうものなの?」

「それは妖精に呪われている証だ」


 単刀直入に言うと、グレースは一瞬だけ目を張って、自分の胸元を見下ろした。そのドレスの下に、アンネの予想するものがある。


「じゃあ、あなたも呪われているの?」


 ふいに尋ねられて、アンネは一瞬息を詰める。しかしすぐに、それは苦笑に変わった。


「ああ、わたしも呪われている。隠してはなかったが、いつ見た?」

「最初よ。最初は、胸元が少し開いた服を着ていたでしょう? ちらりと見えたの。そのときから、実は思っていたわ。あなたもわたくしと同じなのかしらって」

「残念ながら、少し違う。わたしの痣は薔薇だ。たぶん、こちらのほうが厄介だろう」

「そう……」


 目に見えないだけで、薔薇の痣から漂う気配は、いつもアンネを縛りつけている。

 酷い執着だ、と最初は思った。でもこの薔薇の痣は、アンネに害をもたらさない。むしろ不思議な力を授けてくれた。年々濃くなってはいるようだが、身体に害がないから放置している。

 それでも、スイカズラの痣より、はるかにこちらのほうが厄介なのは間違いない。

 スイカズラは、妖精が執着した証。けど薔薇は、妖精王が執着した証だと、マルティナが教えてくれた。


「わたしのことより、早急に対処すべきはおまえのほうだ。痣ができてから、何か変わったことは?」

「それなら分かるわ。悪夢を見るようになったの」

「どんなものを?」

「そうね、女の人が出てくるかしら。いつも同じ木の下にいて、涙を流しながら、じっとわたくしを睨んでいるの」

「木の下に、女か」

「わたくしを仇のように見てくるから、たぶん、わたくしが彼女を怒らせてしまったのね。あなたなら、わたくしがしてしまった罪が分かる?」

「まあ、予想なら。おそらくドリュアスだろう。おまえを呪っているのは」

「ドリュアス?」


 グレースが頬に手を当てる。誰かしら、と記憶を辿っているようだ。


「妖精には詳しいのか?」

「これでも、元は侯爵令嬢で、今は皇后よ? 国の歴史は一通り学んだわ」


 だから、国の成立ちに関わっている妖精なら、少しは分かると。


「それにね、未知のものって素敵じゃない? ロマンチックよね。初代皇帝陛下は人間と妖精のハーフだったから、つまりご両親は種族を超えた大恋愛だったのよ! アンネはそれが書かれた小説を読んだことはあって?」

「い、いや、ない」

「まあ! だったら読むべきよ、絶対」


 急にグレースの目が輝き出した。その純粋なきらめきが、なんだかデジャヴだと思った。妖精について話す、オスヴァルトと。この親にしてこの子あり、かもしれない。


「色んな諸説はあるけれどね、それはもう素敵なご夫婦だったらしいわ。どんな困難も二人で乗り越え、周りの反対も押し切って……ああ、素敵ね」


 瞳を恍惚と揺らしながら、うっとりとするグレースを、アンネは複雑な表情で見やった。よく考えれば、グレースは皇后なのだ。よく考えなくても、彼女はあの残虐帝の妻である。

 皇后と皇帝が政略結婚であることは、周知の事実だった。


「決めたわ、アンネ」


 唐突に、グレースが力強く言った。


「あなた、オスヴァルトのお嫁さんになる気はない?」

「ぶっ」


 この突拍子のなさも、デジャヴだ。


「だってエルフリーデは、妖精の眼を持っているのでしょう? しかもこんなにかわいらしいお嬢さんで、わたくしの人形ごっこにもなんだかんだ言って付き合ってくれるわ。息子はちょっと口数が少ないけれど、とってもいい子なのよ。本当は色狂いではないし、妖精が好きなお茶目な面もあるし、権力だってお金だってあるわ」

「……つまり?」

「身分差の恋って素敵よね!」


 言うと思った。


「だったらそういう小説でも読んでろ!」

「あら、残念」


 ちっとも残念じゃない。怒りを通り越して、アンネは額に手をやった。それが皇后の言うことなのか。身分差の恋を勧める皇后など、聞いたことがない。


「だいたい、おまえの息子の気持ちも考えてやったほうがいい。こんな生意気な女、嫁に欲しい男なんていないだろうに」

「あら、それなら大丈夫よ。きっとオスヴァルトはあなたを気に入るわ」

「? なんで言い切れる」

「だって、わたくしが気に入ったのだもの。やっぱり親子ね、わたくしとあの子、趣味が似ているの」


 アンネは何も言えなかった。だとしても、やっぱり自分を欲しがる男はいないだろうと思うからだ。

 一緒になれば、自分の面倒な事情まで背負わせてしまう。それを受け入れてくれる人間は、滅多といないに違いない。


「……話を戻そう。今は悪夢の話だ。友人として、おまえを助けよう」


 そう言って、アンネは立ち上がった。

 

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