20th. すれ違う
妖精に導かれて、アンネは城にやってきた。久々の城だ。まさかまた来ることになろうとは……なんて思いも、今は抱かなかった。
(毒……毒ってなんだ。あいつは皇太子だろ? それがなんで)
さっきから頭の中は、この疑問でいっぱいだ。なんで皇太子が毒を盛られるのか。護衛はどうしたんだとか、倒れてどうなったんだとか。それに、自分を呼んだというのは、本当なのだろうか。
白薔薇を咲かせて門を通る。妖精曰く、今は皇太子宮にいるとのことだ。メイドのお仕着せは返してしまったので、アンネは術が解ける前に走った。
走りながら、アンネは自問自答を繰り返す。
(なんで、わたしは、走ってるんだ。なんでわたしは、ここに来たんだ)
いくら妖精に言われたからって、断ることもできたはずだ。
(わたしが行ったって、何もできないくせに)
エルフリーデの力に、病や怪我を治す力はない。行ったところで、助けてはやれない。
(分かってて、なんで、走ってるんだ)
また、同じ疑問に辿り着く。それでも足は動き続けた。先導する妖精の後を追い、信じられないことに、死ぬなと願っている。
皇太子宮に着いた。息が切れて、喉が痛い。宮殿の前には騎士が二人立っている。まだ術が有効であることを確かめて、アンネは突風を起こさせた。それによって騎士が手で目を覆ったうちに、さっと扉を開けて入る。
こんな、泥棒みたいなやり方でないと会えない人物だということを、改めて思い知る。オスヴァルトがあまりに気安かったせいで、彼が皇太子であることを、分かっていても実感していなかった。
(まずい、そろそろ術が切れる)
その前に、廊下の柱の影に隠れる。息を整えて、冷静になろうと努めた。
「代理人、何してるの。急いで」
「早く早く」
常人には視えない妖精を、今は羨ましいと思う。けど、首を振った。アルミンが願ったように、大切な人たちに認識してもらえないというのは、とても寂しくて、悲しいことだ。
一度長く息を吐いたあと、アンネは再び足を踏み出した。術は切れている。ここからは慎重にいかなければ。
しかし、そう思っているときほど、なぜか見つかってしまう。
「そこの女、何者だ!」
声に振り返れば、アンネの死角から騎士が二人現れた。どちらも見覚えのない騎士だ。アンネは舌打ちする。せめて見覚えのある騎士だったなら、まだ融通がきいたかもしれないのに。
アンネは逃げるのを諦め、大人しく騎士に捕まった。ここで鬼ごっこがしたいわけじゃない。
「どこから入った、侵入者め」
「正面から」
「なに? あそこには見張りがいたろ?」
「隙を狙って通らせてもらった」
にわかに信じられないと、騎士は疑いの目でアンネを見る。次いで、苦々しく吐き捨てた。
「よりにもよってこんなときに。まあいい。詳しいことは後で聞こう。ほら歩け」
「俺は殿下に報告してくる」
「ああ、頼む」
「殿下?」
アンネがぴくりと反応した。それを見て、騎士の眼差しがより一層厳しくなった。アンネの狙いが皇太子だと確信したらしい。
「おい、今殿下って言ったな? 無事なのか」
「
「毒を盛られたと聞いた」
「! ……どうやら、毒殺犯の可能性も出てきたな」
「つっ」
ぎりっと、拘束されていた腕を締め上げられる。痛みに顔が歪んだ。どういうことだ? と視線で問う。
「殿下が毒でお倒れになったことは、近しい人間か、犯人しか知らないんだよ」
「なる、ほど……っ」
騎士は女だろうと容赦ない。
侵入者を、さらには毒殺犯かもしれない人間を見つけた護衛としては、正しい行動だ。それでも、ちょっと力を入れすぎじゃないかと、文句の一つも言いたくなる。
妖精たちは自分たちの邪魔をする人間に、今にも食ってかかりそうだ。それをアンネが視線でなんとか抑えていた。余計な揉め事は起こしたくない。
騒ぎを聞いてか、遠巻きに人が集まり始める。野次馬根性でも見せたのだろう。
(気楽なものだな)
つい呆れてしまう。もしアンネが本物の刺客だったら、どうするつもりなのか。騎士の隙をついて拘束から逃れ、その辺のメイドを容易く人質にできそうだ。そうして困るのは、
(それでもあいつは、見捨てないんだろう)
なんとなく、そんな気がした。メイドが人質になったとして、彼はきっと、簡単に切り捨てたりはしない。そう確信できる自分がおかしくて、つい鼻で笑ってしまった。
「とっとと歩け。何を笑ってる?」
「いや、わたしも随分毒されたなぁ、と」
「は?」
残虐帝の息子に、まさかそんなことを思うなんて。でも彼は、アルミンを最後の最後まで見捨てなかった男だ。
「なんか調子狂う奴だな。とにかく俺と――」
「俺と、どこに行くつもりだ?」
「で、殿下⁉︎」
周りにいた人間が、一斉に頭を垂れた。アンネを捕まえている騎士も、慌てて簡単な礼をとる。
あの夜以来会うこともなかった皇太子は、少しだけやつれたように思う。けど、その威厳は健在だ。
「私が問うたのだ。答えよ」
「は、はいっ。侵入者を捕らえたため、騎士棟に連れて行こうかと」
「侵入者? さて、それはどこにいる?」
「……え?」
彼の深い青眼は、どこまでも冷たい。その眼差しに射抜かれたら、身体はたちまち凍ってしまいそうだ。アンネでさえぞっとした。本当に彼が、あのオスヴァルトなのかと、疑ってしまうくらい。
「彼女は私の
「も、申し訳ございません!」
ぱっと腕が離れた。拘束が解けて、痛みがなくなる。アンネも予想外のことで、呆然とオスヴァルトを見上げた。目が合う。けど、すぐに逸らされてしまった。
「さ、エルフリーデ様、こちらに」
そう声をかけてきたのは、あの夜にもいた皇太子付きの護衛だ。先を行くオスヴァルトに続くよう、促される。
アンネを捕らえていた騎士は顔面蒼白で、なんとなく後ろ髪を引かれた。しかし、それを見越したように、
「アンネ、こちらに」
振り返ってそう言われてしまっては、アンネもついていく他なかった。
辿り着いたのは、オスヴァルトの私室だった。以前、護衛その一と二に連れてこられた部屋である。あのときは隣の寝室にまで連れていかれたが、今回は私室で止まった。それにほっと胸を撫で下ろす。
オスヴァルトが、ソファにゆったりと座った。後ろに控えるフィンも、久々だ。
「それで、エルフリーデ。なぜあなたがここにいる? 依頼はもう終わったはずだが」
「……は?」
アンネ、と。途端、いつもの呼び方がなくなった。冷たい眼差し。冷たい声。さっきの騎士に向けていたものと、全く同じ。驚くというよりも、それは一種の衝撃だった。夜のしじまのように穏やかなあの声が、今は絶対零度の冷ややかさを持っている。
だからか、声が勝手に震えた。
「い、依頼は、確かに終わっている。ただ……」
「ただ、なんだ? 終わっているなら、もう互いに用などないはずだ。ここには二度と来ないでくれ。助けるのはこれ一度きりだ」
煩わしそうに、オスヴァルトが視線を外した。それを見て、アンネは悟る。
「……は、そうか。そういうことか」
なるほどな、と腑に落ちた。互いに用などない。なるほど。つまりエルフリーデは――アンネは、オスヴァルトにとってもう用済みだということである。
ズキリ。心が軋んだ。
「っ、おまえなんか……おまえなんか心配したわたしが馬鹿だった! いいだろう。頼まれたってここには来るものか。二度とその
部屋を飛び出す。扉の前にいた騎士がぎょっとしていたが、アンネは構わなかった。走って逃げるのはなんだか癪で、早歩きで皇太子宮を出ていく。
残された部屋で、オスヴァルトは。
「……ジャメオン、アンネが無事に城から出るまで、ついてやってくれ」
「御意」
自分専属の護衛騎士にそう命じて、ソファに背を預けた。
「殿下、別にそこまでしなくてよろしいのでは? 殿下の厚意に気づかぬ娘ですよ?」
苦言を呈したのはフィンだ。彼はアンネの捨てゼリフに、内心で腹を立てている。
「むしろ気づいてもらっては困る。だが、これで完全に嫌われてしまったな」
「あんな娘、殿下が御心を砕く必要はございません。そもそも、なんで城に来たんでしょうね」
「恐れながら殿下、よろしいですか」
もう一人の専属護衛騎士、ギデオンが進み出た。オスヴァルトは頷いて応える。
「どうやらエルフリーデ様は、殿下が毒を盛られたことをご存知だったようです。騎士から証言が取れました」
「アンネが?」
ああ、だから。彼女は「心配したわたしが馬鹿だった」と、そう言ったのかと納得する。胸がちくりと痛んだ。
「そうか。心配して、来てくれたのか」
なのに自分は、そんな彼女を手酷く追い返してしまった。彼女まで皇帝に目をつけられないよう、ただ守りたかっただけなのに。
いつかの彼女が言ったとおり、依頼した指輪は、オスヴァルトのものではない。代々皇帝に受け継がれる指輪だ。妖精王の力が込められていて、その指輪なくしては、真の皇帝にはなれない。かつて、指輪を継承されることなく皇帝となった男は、ものの一週間でその御代を終わらせた。妖精王の怒りを買ったからだ。その指輪は、初代皇帝と妖精王の、友情と約束の証だったという。
逆に言えば、その指輪さえあれば、王は干渉してこない。だから必要だった。皇帝となるために。
けれど失敗すれば、自分は反逆者だ。加担した者もただでは済むまい。フィンやジャメオン、ギデオンなんかは、全てを承知で力を貸してくれている。だから遠慮なく巻き込める。
でも、彼女は違う。騙していることが苦痛になったのは、いつの頃だったろう。今回、偽物の指輪を摑まされて、ある意味よかったのだ。
彼女はもう巻き込めない。最初は目的のためなら、誰かを巻き込んでも平気だと思っていた。それがまさか、こんな想いを抱くことになるなんて。後悔した。
だから、指輪が偽物だったことを、オスヴァルトはアンネに伝えなかったのだ。
「それより殿下、そろそろ寝室に。まだ本調子ではないのですから」
「そうだな。もう少し休むとしよう。だが万が一アンネに何かあったら、私が寝ていても叩き起こせ」
「……かしこまりました」
フィンが渋々頷いた。少しも隠さない不満げな顔に、オスヴァルトは思わず苦笑してしまう。
毒を盛られたのは、昨日のことだ。犯人はおそらく、第一側妃のリディアーヌだろう。もう何度も狙われている。オスヴァルトについている監視だって、彼女の差し金だ。
オスヴァルトは寝台に横たわると、気怠げに目を閉じる。
(ちょうど会いたいと思っていた、と言ったら、彼女はどんな反応をしてくれたのか)
自分を心配して、皇族嫌いの彼女が、わざわざ城にまで来てくれたのだ。少しは期待する気持ちが湧いてしまう。
(きっと妖精が、彼女を連れてきてくれたんだな)
他に毒のことを知る手段は、たぶんない。昨日のことは、その場で口止めがなされている。妖精を信じているオスヴァルトだからこそ、その可能性を抵抗なく考えられた。
でも、せっかくの妖精の厚意を。そしてアンネの心配を。全部無駄にしたのは、他でもない自分自身だ。
(ああ、もう、会いたい――――アンネ)
睡魔に誘われて、意識が遠のく最後。
まぶたの裏に浮かんだのは、彼女がよくしていた、照れ隠しに怒る顔だった。
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