18th. 矜持


 血を流さずに、暴動を鎮圧する。これが一番いいのだろう。でも相手だって、大人しく捕まってくれるとは限らない。今までも自警団から逃げられているということは、それなりに頭も切れる。だったらやはり、捕まることを是とはしない。

 そもそもが、皇帝への不満の結果が暴動なのだから。


「本当にクズだな」


 アンネが吐き捨てる。それを聞いて、オスヴァルトは自分の心臓がズキ、と反応したことを知った。今まで感じたことのない痛みに、知らず胸を押さえる。

 アンネの反応は、予想していたものと違わない。彼女がこれを聞いたら、ますます皇帝を、自分を、皇族というものを、嫌悪すると分かっていた。

 分かっていて、こんなところにまで足を運んだ自分は、いったい何がしたかったのか。

 確かなことは、アンネが自分をさらに嫌悪して、もう二度と会ってくれないかもと思ったことだ。そう考えたとき、目の前が真っ暗になった。早く彼女に会わなければと、その衝動ばかりが心を占めていた。


「言っておくが」


 内心の葛藤を少しも出さないオスヴァルトに、けど、アンネはそう前置きをして、


「クズだと言ったのは、何もおまえだけのことじゃない」


 ソファにどかりと腰を下ろす。言われていることは辛辣だ。でもその言葉は、まるでオスヴァルトの、自分でも気づかない傷を優しくふさいだ。


「皇帝は不動のクズだが、いくら血を流さないと言っても、暴動を起こす奴らもクズだ。――街の人間を傷つけるつもりはない? はっ、そんなわけあるか。だったら暴動なんか起こさず、直接皇帝を狙えばいい。そいつらは解っていない。街に住むただの一般人は、暴動が起こるだけで、不安な毎日を過ごす羽目になる。残虐帝は女子供も関係ない。気に食わなければ殺す男だと、みなが知っている」


 腕を組み、嫌悪も露わに、アンネは続けた。


「わたしも、不安だった」


 その横顔は、昔を思い出しているかのように。


「わたしが住んでいた街も、暴動がよく起こっていた」

「それは、隣国の?」

「そうだ。もともとあそこは、自国への不満も溜めていた。もしかすると、残虐帝にやられなくても、自国の兵にやられてたかもな」

「……あなたは、私を殺したいとは思わないのか?」

「おまえを? なんだ、殺してほしいのか?」


 オスヴァルトは首を横に振る。彼女に殺されるなら、仕方ないと思う自分はいる。けれど、今はまだ、誰にも殺されるわけにはいかないから。


「ただ、全てが終わって、私の役目も終わったら。そのときは、あなたが殺してくれ」

「はあ?」

「そうだな……あと十年後くらいの話にはなりそうだが」

「ちょっと待て。わたしは了承なんかしてない」

「殺されるなら、アンネがいい」

「だから了承してない。面倒をわたしに押しつけるな」

「面倒?」


 意外なことを言われた、といった感じで、オスヴァルトが軽く目を瞠る。


「面倒なのか? でもあなたは、私を憎んでいるのだろう?」

「……」


 その問いは、アンネにも答えられないことだった。皇帝は憎い。それは即答できる。

 じゃあ、その息子は? そう訊かれると、以前のように「嫌いだ」と即答できない自分がいる。

 皇族は、みな等しく残虐帝の血が流れていると思っていた。実際そうではあるが、アンネが思っていたのは、その気性のことである。残虐帝と同じく好戦的で、命を命とも思わない。そんな考えを持つ人間が、皇族にはたくさんいると思っていた。なのに。

 皇太子は、噂よりも厄介な相手だった。


「一度、アンネに訊いてみたいと思っていた。あなたはなぜ、憎いと言いながらも皇帝に復讐しない? 私のことも、殺そうと思えば殺せたはずだ」


 自分のことなのに、簡単にそう言うオスヴァルトが、アンネはなんだか気に食わなかった。さっきから殺してくれと頼んできたり、まるで死にたいみたいだ。

 そんな奴、頼まれたって誰が殺してやるものか。


「わたしの復讐は、皇帝の顔に唾をかけることだ。それ以上も以下も、するつもりはない」

「なぜ?」

「殺したいと思って殺してしまったら、あの男と同じになる。わたしはそれが嫌だ。あんな男と同じになるなんて、反吐がでる。ならば耐えてやるまでだ。自分を嫌いにならないために。同じにならないために」

「同じ、か……」

「というか、今日は様子がおかしくないか? そもそもおまえ、何か企んでるだろ? あれから少し引っかかってはいたんだ。ちょうどいい。わたしにも訊きたいことがある。あの指輪、本当は誰のものだ?」


 アンネが不思議だったのは、どうしてオスヴァルトの指輪が、皇帝の寝室にあったのかということ。いくら親子といえど、普通、自分の指輪を父親の寝室で失くすだろうか。

 

「それについてはあなたが知る必要はない。知らなくてもいいことだ。それより……」

「⁉︎」


 オスヴァルトが、アンネの横に遠慮なく座った。

 いきなり近づいてこられて、アンネは身体を硬直させる。

 ――なんで緊張なんかしているのだろう。自分の感情に戸惑っていたら、さらに混乱することが起きた。アンネの膝の上に、オスヴァルトが頭をのせてきたのだ。


「なっ」

「少しだけ、後悔している」


 何を、と訊きたくても、その前にこの態勢はなんだ、と文句を言いたい。けど、暴れ出す心臓が、うまく言葉を紡いでくれない。

 平然と人の上に寝転がった男を、きつく睨む。こんなことをしても変わらない表情が、本当に憎たらしかった。

 視線が重なる。オスヴァルトの手が、アンネの頬をするりと撫でた。


「後悔している。あなたに、願わなければよかった」

「な、にを」

「まさか、こんなことになるとは思わなかったんだ」

「……っ」


 アンネも、なんで今こんな状況になっているのか理解できない。本当は、立ち上がって、勝手に人の膝に頭をのせるなと、憤慨するのがいいのだろう。なのに身体が動かない。触れる大きな手から、優しい温もりが伝わってくる。じんわりと肌からしみ込んで、確実に心臓を侵されている。こんなにうるさく鳴る鼓動は、初めてのことだった。


「明朝まで、あなたの時間を買った」

「え?」

「私の、最後のわがままだ」

「はい?」


 意味が分からないと、ちゃんと表情にも出ていただろう。けれどオスヴァルトは、それを無視した。というより、言うだけ言って、その瞳を閉じてしまった。


「え……おい? おい、ちょっと待――側近! いないのか? もしくは護衛その一と二!」

「はい、護衛その一か二です」

「⁉︎」


 いきなり背後から声をかけられて、危うく心臓が止まるかと思った。しかし今はそれどころじゃない。


「おまえだけか?」

「はい、今夜は。抜け出した殿下を、慌てて追って参りましたゆえ」


 抜け出したって……。思わず半目になる。


「いや、そんなことより、こいつを連れて帰ってくれ。どう見ても寝てるぞ、こいつ。なんで人の膝の上で簡単に寝れるんだ」

「羨ましいことこの上ないですね」


 アンネはもう一度半目になった。この主にしてこの部下あり、だ。髪をオールバックで固めているこの騎士は、お堅そうなイメージなのに。


「しかし申し訳ありません、エルフリーデ様。我が主は、あなたの膝上をご所望です。自分は影のように付き従い、守ることが役目でありますれば、それほど穏やかに眠っておられる殿下を起こすことはできません」

「穏やかなのか? これ」

「人前で寝姿を晒すことが、まず貴重です」

「……わたしも寝たいんだが」

「どうぞそのままの姿勢でお眠りください」

「無茶苦茶だな⁉︎」

「殿下が仰ったとおり、そのための金銭はすでにヒルダ様に払っております」

(あんの銭ババ!)


 アンネはそんなことは聞いていない。どおりでオスヴァルトを案内した後、ヒルダが意味深な笑みを浮かべてきたわけだ。金払いのいい上客に、舞い上がっていたわけではなかったらしい。


「わたしはっ、色は売ら――」

「買っておりません。殿下が買ったのは、エルフリーデ様の時間でございます」


 それはそれで最低だな、と思わなくもない。売った覚えもないのだから。けど、こんなやりとりをしていても、オスヴァルトが起きる気配はなかった。すっかり目を閉じて、護衛その一の言う穏やかな表情で眠り続けている。いつもはどこか冷たくて、近寄りにくい雰囲気なのに。今は、少しだけ幼く見えた。

 彼のまぶたにかかっていた前髪を、アンネは無意識に取り払う。大きなため息をひとつ吐いた。


「……仕方ない。もらった分は、働いてやろう」


 諦めて、全身の力を抜く。さて、自分の足は、いったいどれくらい保つのだろう。耐えられなくなったら頭を落とせばいいかと、そう思いながら、アンネも静かに目を閉じた。


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