15th. ひとつの決着



 ――"指輪を見つけるから、待ってて、ビアンカさん"


 そうすれば、あなたを幸せにできるから。

 このときのアルミンの中にあったのは、ただ、そんな思いだけだった。




「――ちょっと待て。アルミンが、確かにそう言ったのか?」


 注意深く余計な気配を探りながら、アンネは隣のオスヴァルトに尋ねた。慎重になるのは、間違えてアルミンの力に触れないためだ。それまで消してしまったら、アルミンの命を取りかねない。


「ああ、耳はいいほうだ。フィンも聞いている」


 フィンはアルミンから守るように、オスヴァルトの前に立っている。「はい、確かに聞きました」と前を見据えながら答えた。


「わたしが話したのは、おまえが婚約者に贈る指輪を探していることと、それが皇家に伝わるものだということだ」

「それだけ?」


 それだけだ、と答えて。アンネははっと思い出す。


 ――"願いを叶えてくれる指輪って、なんですか?"


 噂好きの侍女としていた話を、アルミンも聞いていた。


『すみません、聞こえちゃって』

『いや、別に謝ることじゃない。なんでも妖精王の力が込められているらしい』

『王様の? それってもしかして――』


 その後に続く言葉が、なんとなく気になっていた。が、結局聞けずじまいになっていたのだ。

 でも、アルミンのあの様子。「それってもしかして」の後に、もし、何か心当たりのある言葉が続いたら?

 彼は知っていたのかもしれない。指輪について、というよりは。妖精王の力が込められた、、、、、、、、、、、、指輪について。


「指輪は、確かいわくつきだと言っていたな?」


 嫌な予感に、アンネの顔は引きつっている。


「城で、噂を聞いた。なんでも皇家に伝わる指輪は、妖精王の力が込められていて、願いを叶えてくれるらしいじゃないか。……まさか本当なのか」


 一瞬だけ逡巡して、オスヴァルトが答える。


「半分は、正しい」

「半分?」

「妖精王の力が込められているというのは、おそらく真実だ。だが、願いを叶えてくれるというのは、尾ひれがついただけだろう」


 もし、指輪にそんな力があるのなら、皇帝はすでに世界をその手にしている。そう聞いて、確かにな、とアンネからは皮肉げな笑みがこぼれる。


「だが、これでアルミンの目的ははっきりした。やはり指輪だ」

「まさかアルミンも噂を聞いたのか?」

「ああ、私と一緒にな。指輪に妖精王の力が込められていると知って、アルミンが言いかけたんだ。『それってもしかして』と」

「つまり、アルミンには指輪について、何か心当たりがあったというわけか」

「可能性は高い。妖精は、王の気配に敏感だ。おまえが言ったようにそれが真実なら、アルミンには指輪の在り処に心当たりがあったんだろう」

「ではここには、偶然来たわけではない?」


 こくりと、アンネは神妙に頷く。アルミンがずっと視線を彷徨わせていたのは、正気を失ってなお、探していたからだ。願いを叶えてくれるという、妖精王の力が込められた指輪を。

 それでも、アンネが感じたように、指輪は何かに守られ隠されている。だからアルミンも、正確な位置をはかりかねて、右往左往していたのだろう。

 そしてとうとう、見つけてしまった。


「指輪は皇帝の寝室だ。おまえが探していたものと……」


 そこでふと、アンネは視界の端に、妙な男がいることに気がついた。

 薄く開いた、廊下と私室を繋ぐ扉の前にいる。そこに、騎士ではない、商人風情の男がいる。気配を消して、ひっそりと。

 あの濁った瞳に、見覚えがあった。


「カミーユ!」


 アンネが叫んだ瞬間、男がニヤリとわらった。同時にアルミンの力が爆発する。咆哮を上げ、全ての窓ガラスがその衝撃に割れる。

 混乱に乗じて身を翻すカミーユを、アンネは反射的に追いかけた。が、そのときに、小さな妖精とすれ違う。

 ――ドクン。嫌な予感に足を止める。


「オスヴァルト、指輪を守れ!」


 振り返って叫ぶと同時、アンネは自分の白薔薇をオスヴァルトに投げつける。完全に勘だった。けど、すれ違った妖精は、迷いなく寝室に向かっていく。それを見て、なぜかビアンカの言葉が思い出された。


 ――"彼は私に言ったわ。それをバラされたくなければ、皇帝陛下の指輪を盗んでこいと"


 オスヴァルトは薔薇を受けとると、躊躇うことなく寝室に入っていった。

 騎士たちは、突然のアルミンの暴走に苦戦している。苦しげに声を上げ、もがくアルミンは、もう完全に正気を失っていた。

 幻覚の薔薇は、今の衝撃で散ってしまっている。


(あいつ……カミーユ! 一枚噛んでたのか!)


 ビアンカの話が本当なら、カミーユも指輪を狙っている。この場面で、まさか偶然居合わせたはずがない。そもそも偶然通りかかれる場所でもない。なによりも、カミーユとともに逃げた妖精の気配が、アルミンに纏わりつくそれと同じだった。

 つまり、アルミンは利用されたのだ。どこからどこまで、かは分からない。けど、アルミンの暴走を、隠れ蓑にしていることは間違いなかった。

 それでも今は追いかけてなんていられない。アンネは急いで、両手に収まらないほどの大輪の白薔薇を咲かせた。花弁が一枚ずつ剥がれていき、それがきれいに順を成して、アルミンの足元に円を描いていく。

 理解を超えた光景に、騎士たちが驚いて後ずさった。――ちょうどいい。

 

「そのまま近づくなよ!」


 円を描く花びらは、人の目では追えない速さで回り続ける。花弁が淡く光り始めた。次いで、パキンと乾いた音を立てて、花弁が勢いよく砕け散る。

 アルミンの足元には、いつのまにか刺繍があしらわれた絨毯でなく、真っ暗な空間が広がっていた。まるでどこかへと繋がっているように、空間が捻れている。その先は、人にとって未知である、妖精界だ。

 騎士たちは呆然とそれを眺めていた。泥沼に引き込まれていくように、アルミンの身体が沈んでいく。


「うぅっ……あ、あ゛ー……っ」


 抵抗するように、アルミンが手足をばたつかせる。絡んだ別の妖精の気配は、すでに完全に混ざり込んでいた。

 殺されないためには、もう、妖精界に帰すしかない。


「大丈夫だ、アルミン」


 アンネはできるだけ優しく、もがくアルミンに語りかけた。


「しばらく向こうで養生しろ。そうすれば、また正気に戻れるから」


 ただ、それが何年後になるのかは、アンネにも分からない。もしかすると、何百年も先になるかもしれない。妖精界とこの世界では、そもそも時間の流れが違うから。

 だからきっと、アルミンはもう、ビアンカとは……


「ごめん。ごめんな、アルミン。でも正気のおまえなら、ビアンカに嫌われるようなことはしたくないって、そう言うだろ?」


 アルミンの瞳から、涙がひとすじ溢れていく。蝕む他者の気配に、さぞ苦しかっただろう。でも、妖精界なら。あの場所なら、痛みを感じない。喜びも、楽しさも感じない代わりに、苦しみも、悲しみも、あの場所なら感じない。あそこは楽園。穏やかで、代わり映えのしない、妖精のための楽園だ。

 唸るアルミンの声が、どこか悲しげに響いている。どんどん沈み込んでいくアルミンを、アンネは静かに見守った。騎士たちも、誰も邪魔する者はいない。さっきまで恐ろしく響いていた唸り声が、まるで慟哭のように聞こえるからか。

 あと少しで完全に消えるというところで、オスヴァルトが戻ってきた。その彼に、一人の騎士が何かを差し出す。

 

「アルミン、これは、いつかの礼だ」


 騎士から受けとったものを、オスヴァルトは迷いなく空間の中に放り込んだ。ちらりと見えたそれは、ネックレスのようだった。ペンダントトップは、緑色の、ビアンカの瞳によく似た……。

 

彼女、、に無理を言って貸してもらった。早く回復して、私の代わりに返してやってほしい」


 オスヴァルトがそう言うと、アルミンから小さな呻き声が聞こえた。それは「分かりました」という、彼の返事だったのか。返事だったらいいのにと、アンネは最後までアルミンを見送り続ける。

 やがて空間は閉じていき、元の刺繍があしらわれた絨毯が現れる。


「……ビアンカのネックレスなんて、よく持ってたな」


 見上げたオスヴァルトの横顔は、いつものように無表情だ。けれどその視線は、未だにアルミンの消えた先を見続けている。


「アルミンが暴走していると分かったときに、騎士に取りに行かせていた。役に立つだろうと思って」


 だが、とその声は消えていく。表情は変わらないくせに、彼は声が感情を雄弁に物語る。

 どうやらオスヴァルトも、考えたことは同じだったらしい。正気を失っているのなら、元に戻せばいいのだと。そのためには、大切な人を思い出してもらうのがいい。人は、誰かのためなら、たまに凄い奇跡を起こすから。それはもしかしたら、妖精も同じかもしれないと考えて。

 アンネは胸を渦巻くもやもやに、どんな顔をすればいいのか分からなかった。残虐帝の息子のくせに、彼は殺すことを一片も考えなかったらしい。

 沈んだ声のまま、オスヴァルトは続ける。


「本当は、本人が良かったのだろうが、さすがに危険だった」

「だから、身につけているものか」


 オスヴァルトが投げ込んだネックレスは、実はアンネも見たことがあった。見かけるたび、ビアンカがいつも身につけていたものだ。

 それが、アルミンの救いになればいいと、彼は躊躇いなく放り込んだ。


「アルミンは、どうなる?」


 オスヴァルトがやっと視線を上げる。アンネをその瞳に映して、変わらない無表情で尋ねてくる。

 けれど、オスヴァルトの声音を聞き分けられるようになってきたアンネには、そこに小さな不安を見つけた。

 アンネにしてみれば、オスヴァルトのその行動は、間違いなくアルミンを救うと確信できる。妖精界に帰しただけのアンネでは、絶対にできなかったことだ。だから、癪ではあるけれど、今日くらいは優しい言葉を伝えてもいいかと思った。


「別に、おまえが心配するようなことはない。いずれ回復して、またこっちの世界に来られるようになる。そのための活力は、おまえが放り込んでくれた」

「そうか……」


 それっきり、オスヴァルトは黙り込む。

 次に動き出したときには、もう彼の瞳は揺らいでなどいなかった。素早く切替えて、騎士たちにてきぱきと指示を出していく。

 今回のことは箝口令が敷かれ、起きたこと全てについて、皇太子より忘れろとの命令が下った。もともと少数の騎士しかいなかったことと、早々にオスヴァルトが東棟を封鎖し、他の皇族たちを避難させていたためにできた処置だ。

 ただ、窓ガラスが割れ、部屋が散乱しているこの状況を、はたして皇帝に知られずに済むのかは、甚だ疑問である。たぶん無理だろうとアンネは思う。そのときオスヴァルトは、皇帝になんと説明するのか。

 彼の手に握られているものに、アンネはようやく気づいた。

 

「それが指輪か?」


 指示を出し終えたオスヴァルトが、「ああ」と短く頷いた。

 見せてくれたそれは、銀の指輪だった。石座には、テーブルカットされたダイヤモンドがついている。高価は高価だが、シンプルな指輪だ。妖精王の力が込められていると言うわりには、アンネにその気配は感じとれない。何かに隠されているからか。そのせいで、なかなかアンネは見つけられなかった。

 けどそれも、場所が寝室だと分かってしまえばさすがに見つけ出せる。どうやら薔薇は、ちゃんとオスヴァルトの気配を探し当てたらしい。

 手にした指輪を、オスヴァルトがじっと眺めている。その横顔は少しだけ強張っていた。まるで、沸き上がる感情を、無理やり押さえ込もうとするように。

 その様子を横目に見ながら、すっきりとしない自分の気持ちを、アンネは持て余していた。



 

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