12th. 厄介



「アンネ、ひとついいだろうか?」


 突拍子もないことを言うアルミンから逃れ、〈妖精の庭〉に帰ってきたアンネは、戻るなりラウラに捕まった。

「最近、お得意様がいるらしいわね、アンネ?」とにっこり微笑むラウラは、まさに美の化身だ。肌が白ければ白いほど、美しいとされるエルディネラ。その中でも彼女の白さは群を抜く。一面の銀世界だ。彼女はそれを体現している。汚れのない白い肌。陽に照らされて輝く銀髪。全て頭に「雪のような」という比喩付きの。

 そんな彼女が――この娼館のトップが――なぜか今はアンネの部屋にいる。艶然と微笑みながら。


「ええ、なんなりとどうぞ」


 オスヴァルトの問いに応えたのは、ラウラだ。今日も報告を聞きに来たのか――城で会ったはずなのに――すでに馴染みとなりつつあるオスヴァルトとフィンである。

 しかし、ラウラがいるせいで、彼らは身につけているコートのフードを外さない。


「アンネ、ひとついいだろうか?」


 オスヴァルトが問いを繰り返した。


「ええ、ですから、なんなりとどうそ」

「アンネ――」

「ああもうなんだ! 聞いているからさっさとその先を言え!」


 ようやくアンネが応えたからか、オスヴァルトは頷いて先を口にする。


「彼女は誰だ?」

「ちょっと待て。たったそれだけを訊くために、なんであんな無駄な問答をした?」


 思わず呆れてしまった。というより、本人に訊けばいいだろうに。なぜ自分を介すのかが分からない。


「私はアンネに訊いた」

「答えは変わらないと思うが」

「だとしても、あなたに答えてほしい」


 ――面倒くさ! アンネは思った。本当によく分からない男だ。

 なのに、無視されたはずのラウラは、二人のやりとりに笑みを深くする。嫌な予感がした。


「ふふ。仲がよろしいのね、二人とも。それだけ仲がいいのなら、ねぇアンネ、あの話、こちらの紳士様にお願いしてはどうかしら?」

「ラウねえ、待った。あの話ってなんだ。そんな話聞いてない。ちょっと出て行ってくれないか」

「まあ、冷たいわ。せっかくあなたを思ってここにいるのに」

「嫌な予感しかしない……」

「あの話とは?」


 悲しいことに、オスヴァルトが食いついた。食いつくように、ラウラは話したのだ。さすがこの娼館のトップである。客は彼女のことを、店の名にちなんで「妖精の女王ティターニア」と呼ぶが、まさに女王の手腕だ。

 そして女王は今、稼げる妖精なかまを増やそうとしている。


「実はですね、そろそろアンネを店に出そうかという話が上がっておりますの。この子は私が一番可愛がっている子ですから、最初はうんと素敵な殿方と……と思って、オーナーと話し合っている最中なのですよ」

「だからそんな話っ――むが」

「でもこの子、自分を過小評価して、いつも逃げられてしまいますの。どうでしょう? あなた様がお相手なら、この子もやっとやる気を出してくれると思うのですが」


 アンネが反抗する前に、容赦なく口を塞がれる。信じられない強さだ。雪のような儚さはどこいったと、思いきり叫びたくなったアンネである。

 フードのせいで、オスヴァルトの表情は窺えない。


「なるほど。その娘が、願いだけでなく、色も売ると?」

「ええ。この子はきっと、次のティターニアも夢ではございません」


 本気でそう思って売り込んでいるラウラは、だから気づかない。

 彼女の夢は、身請けされることでも、この世界から抜けることでもない。恩人であるオーナーの後を継ぐこと。だから、売れそうな女の子を見つけると、暴走してしまう。

 その小さな欠点が、今は大きな欠点となる。


「それは面白い。とても興味深い話だ」


 ぶるりと、背筋が震えた。オスヴァルトが笑んだところを、アンネは初めて見た。フードから覗く、口元が。小さく微笑んだわけでも、純粋に大口を開けたわけでもなく。


(なんだ? もしかして、怒ってる、のか……?)


 そう匂わせる角度で、口角を上げている。そんな人間を、アンネは初めて見る。その恐怖を、初めて感じとる。

 肌が粟立つ。さすがにラウラも気づいた。


「それで、私の次は、誰に相手をさせる?」

「……まあ、気が早いですわ。まだ話に上がっているだけですのに」


 機転を利かせて、ラウラはそう逃げた。さすがは現ティターニア。それは、この場における正しい返し方だった。

 貴族を相手取るだけあって、駆け引きの仕方は心得ているようだと、フィンはフードの中で安堵の息をつく。静かに怒りを示した主に、彼もまた、緊張していたのだ。長年仕えるフィンでさえ、オスヴァルトの怒りには慣れていない。


「気が早いだけならいいのだが。この娘には、願いを売ってもらっている。色を売られて、こちらを疎かにされるのは困るな」

「ええ、そのとおりですわ。そこまで言われてしまいましたら、この子のお話は中断しなくてはなりませんね」

「話が早くて助かる」


 ふ、と。空気が和らいだ。ほっと胸を撫で下ろす。たった一瞬のことだったのに。その一瞬で、皇太子としての彼を見た気がした。


(あの威圧感は、本物だな)


 内心で冷や汗を滲ませて、アンネはオスヴァルトをちら見する。やはりフードのせいで、彼の全体の表情は分からない。

 それが、こんなにももどかしいなんて。


「では、私はここで失礼いたしますわ。どうやらこちらのお客様にはなってくれなさそうですものね」


 ふふ、とたおやかに微笑んで、ラウラは部屋を出て行く。その際、アンネにだけ聞こえる声で「残念だわ」と言って肩をすくめた。ティターニアと皇太子の勝負は、どうやら皇太子に軍配が上がったようである。


「脱げ」


 ラウラがいなくなると、アンネはすぐにそう言った。しかし意味を理解できなかったのか、オスヴァルトは無反応だ。


「そのフードを脱げと言っている。おまえの変わらない表情でも、見えないとこうも恐ろしいとは思わなかった」


 そこでようやくオスヴァルトがフードを取る。アンネの言う、変わらない表情が現れた。それだけで、なぜか心は安心する。


「アンネ?」


 さきほどとは違う、いつもの穏やかな声も、ひどく安堵するものだ。こいつに冷たい声は似合わないなと、ふと思った。

 

(――って、違うだろ!)


 なに自分は安堵なんかしているのか。よりにもよって皇太子に。皇帝の、息子に。


「……訊いていいか、アンネ。あなたの客は、私だけだよな?」

「え? いや、今はアルミンもいる」

「私とアルミンだけだな?」

「そうだが……なんだ、もしかしてさっきラウ姐が言ったことか? あれにはわたしも苦労してたんだ。ラウ姐の気持ちも分かるが、わたしは色を売らないと決めている。おかげで助かったよ。しばらくは何も言われないだろう。だからほら、見てみろ」


 アンネは自分の後ろを指差した。闇に紛れているが、燭台の灯りが反射した黒のまなこが見えている。ダークだ。


「彼がどうかしたのか?」


 ダークはつんとそっぽを向いている。昨日までは、オスヴァルトたちが来たときは、必ずと言っていいほど暴れていたのに。


「いつもと違って、ダークが大人しいだろ? こいつもわたしに色を売るよう誘ってくるラウ姐を敵視してたから、今回は大人しかったんだよ。たぶん、おまえが追い払ってくれるのを見越していたのかもしれないな」


 アンネは肩をすくめて笑った。だとしたら、なんて都合のいい鴉だろうか。そう思ってつついてやったら、「カァッ」と指を食われた。


「そ、それで、どうせおまえたちは、今日も現状を確かめに来たんだろう? 悪いが変わってないぞ。昨日言ったとおり、皇族の居住区にあるだろうという予測のみだ。まあ、おまえの執務室にないことは確かだったが」

「居住区のどの辺りかは分かるか?」

「奥だ。少なくとも手前にはなかった。というか、広すぎるんだよ! ただでさえ城は広くてうんざりしてるのに、居住区に絞っても広いってどういうことだ」


 アンネは何度迷子になりそうになったか知れない。そのたびに、妖精を捕まえては道を訊いた。人にしないのは、自分の正体を疑われたら面倒だからだ。ただ、その妖精を探すにも、同じ道を辿ったりとまた迷子になりかけたけれど。


「そうか、奥か。となると、限られてくるな」

「どうせ皇帝と皇后の部屋だろう?」

「ああ。奥ならそうだ。あと、第一側妃も」

「ふん、寵姫という噂は本当だったのか。クズだな」

「エルフリーデ殿、思っていても、言っていいことと悪いことがあります」


 フィンが咎める。いつものことだ。けれど、オスヴァルトを侮辱されたときよりは、ずいぶんと優しい咎め方だと思った。


「何を今さら。わたしは以前から皇族が嫌いだと言っているだろう。皇帝は最たるものだぞ。いつかあの顔に、唾を吐いてやると決めているからな」


 楽しそうにそう言ったアンネに、フィンは絶句、オスヴァルトは一瞬虚をつかれたのち、


「――ふ、はは、はははっ」


 突然、手の甲で口元を抑えて、笑い出した。堪え切れないといったように。


「唾か。それはいい」


 アンネは呆気にとられてしまった。もちろん、いきなり笑い出したオスヴァルトに。まるで子供のように笑うのだと、その破顔した顔をまじまじと見つめる。――と。


「アンネ、私のものにならないか?」


 突然、信じられないことを言われた。


「は……?」


 さすがのアンネも、思考がいったん停止した。フィンなんかは、この世の終わりでも見たような顔になっていた。


「だめか? やはり私では、あなたは嫌だろうか」

「え、は? なに、言って……?」

「私のものにならないか、と。なんだか、無性にあなたが欲しくなった」

「でんっ……オスヴァルト様! 何を仰っているのですか! お戯れもほどほどになさいませ!」


 なんて恐ろしいことを! とフィンが必死に縋っている。その姿を見て、ようやくアンネも脳を再起させた。


「ふ、ふざけたことを抜かすなっ。おまえの側室など絶対にごめんだと、前にも言っただろう! 帰れっ。出口はそこだ。二度と来るな!」

「アンネ、待ってくれ。私は――」

「カァーッ!」


 オスヴァルトの背中を無理やり押していると、ダークが加勢にやってくる。珍しくダークと気が合った。

 いつもはここで「無礼ですよ!」と怒るフィンも、今日ばかりは怒鳴らない。むしろ彼もオスヴァルトの退室を促している。

 何か言いたげだったオスヴァルトは、最終的には三人の勢いに呑まれてしまい、仕方なく口を閉ざすのだった。

 

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