11th. 恋愛偏差値


 あの後、アンネは指輪探しを諦めた。それどころではなかった。オスヴァルトの色気に当てられたせいか、心臓はうるさいし、調子は狂っている。

 とにかく、まずは落ち着くことが優先だと判断した。

 そうして、皇族の居住区――の中にあるオスヴァルトの執務室――から脱出したアンネは、誰も邪魔が入らないだろう裏庭に来ていた。

 初秋の季節。まだいけると、花は健気に咲いている。ひまわり、アスター、クチナシ。他にも色とりどり。枯れかけの花はない。あんなに戦争にしか興味を示さない皇帝なのに、意外だと思った。皇后のおかげだろう。


(皇后というと、あの男の母親か)


 そういえば、皇后についての噂はあまり聞かない。どちらかというと第一側妃の噂ばかりが、庶民の耳には入る。曰く、皇帝の寵愛を独り占めしているとか。


(あいつも、わたしと同じか)


 母親が愛されない。それは、子供ながらに悲しいことだと知った。

 風がゆっくりと抜けていく。穏やかな天気だ。暑くもなく、寒くもない。人気ひとけのない裏庭を、奥へ奥へと進んでいく。庭というより森と言ったほうがいい空間だ。そこに昨日、小さなガゼボがあることを見つけていた。

 近づいていくと、風に乗って、人の話し声が耳に届く。


(なんだ、先客がいるのか? 出遅れたな)


 せっかく周りを気にせず休めそうな場所だったのに。


「……人は……だ! ……のこと、利用……けだ……」

「……ない……っ。……しは……」


 どうやら言い争っているらしい。なんだか今日は、そういう場面に遭遇する確率がいやに多い。アンネはうんざりした。

 しかも今度は、男女の声だ。痴話喧嘩だろうか。深いため息を吐き出したアンネは、くるりと方向転換する。


「……がい……ら、……して!」


 しかしもう一度聞こえてきた男の声に、アンネはぴたりと止まった。「ん?」と片眉を上げる。耳を澄ますと、やはり、それはアルミンの声だった。

 はああ、とまた大きなため息を吐き出した。


「失礼、先客か?」

「っ……――なんだ、代理人ですか」


 振り返ったアルミンが、アンネを認めてほっとする。見つかったのが知っている人間で、まだ安心したのかもしれない。

 逆に女性のほうは「誰?」と言いたそうな目でアンネを見てくる。第一印象と変わらない、厳しい冬を乗り越えた後の、新緑色の瞳だ。


「何を言い争っていた? こんな人気ひとけのないところで……感心しないな、アルミン」

「うっ、すみません。でも」

「ちょっと、その前にこの人だれ? あなたの知り合い?」


 外見の印象どおり、どうやらビアンカははっきりと意見を述べるタイプの人間らしい。メイドのお仕着せを着たアンネを、彼女はどこか警戒するように窺っている。


「わたしはアンネ。アルミンとはちょっとした知り合いだ」

「そう。私はビアンカ・ルクセンよ。知り合いならちょうどいいわ。この人のこと、二度と私につきまとわないようにして」


 ビアンカはかなりご立腹のようだ。それだけ告げると、彼女はさっさと歩き出してしまった。追いかけようとするアルミンを、アンネはとりあえず止める。今追いかけても、火に油を注ぐだけだろう。


「何があった?」


 二人はそのまま、ガゼボの椅子に腰かける。暗い顔を隠さないアルミンに、アンネは困ったように尋ねた。


「実は、ビアンカさんには恋人がいたんです」


 その一言に、アンネは「え」とアルミンの横顔を凝視する。まさかの展開だ。ビアンカに、すでに恋人がいたなんて。

 なんと言ってアルミンを励ませばいいのか、恋愛経験のないアンネには難問である。

 しかし意外にも、アルミンはそれについて嘆いているようではなかった。


「その恋人が、すごく嫌な奴なんです。性格も酒癖も最悪で……あ、違いますよ? ライバルだからそう言ってるんじゃなくて、たぶん代理人もそう思ってくれそうなほど、嫌な奴ってことです」


 アンネは頷くと、先を促すように耳を傾けた。アルミンもそれを感じとり、静かに続きを語り出す。


「ビアンカさんは、よく休暇は街に下りるんです。出来心で、僕も後をついていったことがあって。それで恋人がいることを知りました。そりゃ、最初はショックでしたよ。でも僕は妖精だし、ビアンカさんには視えないし、僕じゃ彼女を幸せにはできない。そんなこと分かりきっていたので、僕は二人を見守ることにしたんです。相手の男が、本当にビアンカさんを幸せにしてくれるのか、知りたくて」

「それで?」

「ビアンカさんと別れた後のそいつを、しばらく観察してました。そしたらそいつ――カミーユっていうんですけど、別の女性と親しげに会ってて!」


 出会い頭にキスですよ、キス! と興奮したようにアルミンが叫ぶ。


「あー……二股か?」

「違いますよ、六股です!」

「それはまた……すごい奴が出てきたな」

「しかも、どの女性とも遊びっぽいんです!」


 そりゃあアルミンがこうなるわけだ、と納得する。

 この国は、そこまで性に奔放ではない。だから管理された娼館があり、貴族も、平民も、皇族以外は等しく愛人を認められていない。一夫一妻制だ。これは、このエルディネラ帝国が、妖精と人間のハーフによってつくられたことが関係している。法を整備するとき、そこには妖精の価値観も多分に含まれたのだ。


「あんな男がビアンカさんを幸せになんて、できるはずないです! 僕はすぐに、そのことを彼女に伝えました。そしたらっ」

「『私の後をつけたの? 最低!』とか?」

「……凄いです代理人、その通りです」


 本気でびっくりした顔をするアルミンに、アンネは額に手を当ててガゼボの天井を仰いだ。似たようなやりとりを、あねで見たことがあったのだ。そのときは、全面的に姐に同意したものだが。


(アルミンの場合、意図が違うしなぁ)


 彼は姐の客とは違って、純粋にビアンカを心配したがゆえの行動だ。しかし、だから許されるかと言ったら、そうじゃない。純粋なのは妖精の美点だが、行き過ぎると欠点にもなる。悪気がないから、アンネも指摘しづらい。


「それで、口論になったのか」

「なんとかして説得しようとすればするほど、ビアンカさんが怒っちゃって」

「そりゃあそうだろう。言ってしまえば、惚れている男の悪口を言われて、怒らない女はいない。怒らないのなら、それは本当に惚れているとは言わない」

「うぅ〜、なんか代理人にそう言われると、ぐさっときますね。経験豊富で、説得力があるからですかね?」

「待て。経験豊富ってなんだ」


 聞き捨てならない言葉だ。いったいいつ、自分は経験豊富になったのか。


「違うんですか? だって代理人がいるお店、男女がそういうことをするお店ですよね? だからてっきり、恋愛についても経験豊富なのかと」

「そっ、それはそうだが! でもわたしは売ってないんだ! マルティナにも絶対に売るなって言われてるし、ましてや恋愛なんてっ」


 ――て、なんで妖精にこんなことを弁解しなきゃならないのだろう。アンネは真っ赤になりながら、頭の片隅で思う。

 一般的な閨事のことなら平気で話せるのに、自分のことになると、途端焦ってしまう。

 すると、アルミンがなにやら深刻そうに頷いた。


「そういえばそうですね。代理人は売っちゃだめでしたね、、、、、、、、、、。すみません、恐ろしいことを聞いてしまいました。忘れてください」

「? あ、ああ」


 あまりにも恐々と言われたものだから、アンネは逆に落ち着きを取り戻した。なぜ売ってはいけないのだろう。

 気を取り直したように、アルミンが続ける。


「とにかく、僕、どうすればいいですか? カミーユは六股してるって言っても信じてもらえないし、このままじゃビアンカさんが……」

「もしかして、それで『城の外ではだめですか?』って訊いてきたのか」


 はい。と答えて、アルミンは項垂れた。


「仮に視えるようにしても、状況は変わらないと思うぞ?」

「でもさすがにビアンカさんも、目の前で浮気現場を見れば目を覚ますと思うんです」

「おまえ、なかなかえげつない方法を取るな」

「えげつないですか?」


 アルミンがきょとんとする。本気で実行に移そうと考えていたのだろう。アンネは慌てて「いや、なんでもない」と誤魔化した。妖精と人では価値観も違う。当然だ。

 けど確かに、浮気現場を見せたほうが、盲目になっている恋を冷ますには手っ取り早いかもしれない。ビアンカは「それでもいいの!」と言うような女性ではないだろう。


「じゃあどうすれば……あ! 代理人、僕いいこと思いつきました!」


 アルミンが膝を叩いて立ち上がる。よほどいいことを思いついたらしい。その顔は打って変わって晴れやかだ。

 今度はアンネがきょとんとしていると、


「代理人が、カミーユの七股目の彼女になって、全部バラしてくれれば――」

「却下だ‼︎」


 自分の声が木霊した。目の前には、これしか方法はないと信じきっている、純粋な瞳。

 妖精の純粋さが、こんなに恐ろしいと思ったことはないアンネだった。



 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る