8th. 不本意
「見つからない?」
オスヴァルトは目を瞠る。
彼女は――エルフリーデは本物だ。巷で話題の呪術師や占い師のように、インチキではなかった。それはオスヴァルト自身、その目で確かに見ている。
けれど、そんな彼女が、見つからないと言う。
「なぜ?」
「わたしの術は、縁のないものには効果がない。物には触れた者の"気"か必ず残る。長く持っている物ほどそれは濃く、見つけやすい。だが、おまえの"気"を頼りに探してみたが、該当する物は見つからなかった」
「それは、私が一度しか触れていないからか?」
「いや、一度でも触れていれば、わたしなら見つけられる。というよりも、何かに邪魔されているような感じだ」
アンネは先ほど感じた違和感を思い出す。まるでその指輪が霧の中に隠されているみたいに、はっきりと捉えることができない。こんなことは初めてだった。
(いったい何に邪魔されてる? ただの指輪ではないのか?)
そんなこと、最初から分かっていたことだ。頭を掻きむしる。
あんなにしつこく「願いを叶えてくれ」とか「もうあなたしかいない」などと言っていたのは、指輪に何かあるからに他ならなかったのだ。
分かっていた。分かっていたことだけれど、本当に面倒くさい。どうして引き受けてしまったのだろう。
「まさかとは思うが、その指輪、いわくつきか何かか?」
「いわくつきかどうかと問われたら、まあいわくつきだろうな」
(やっぱりか!)
だから皇太子の願いなんて聞きたくなかったのだ。
それでも引き受けてしまったのは、他ならぬ自分だ。そしてアンネは、負けず嫌いでもある。
「おい、その指輪、失くしたということで間違いないな?」
「ああ」
「どこで失くした」
「城で」
「確かか?」
「間違いない」
「いいだろう。だったら絶対に見つけ出してやる。どうせおまえに、メイドのお仕着せをもう少し貸してくれと頼むはずだったし、あれはしばらく借りるぞ」
「それは構わないが、何をするつもりだ?」
「城で指輪の気配を探る」
アンネがそう言うと、意外だったのか、オスヴァルトは意表を突かれた顔をした。この男も感情を表すんだな、とアンネも意外に思う。
「アルミンのついでだ。それと覚えておけ、わたしは負けず嫌いだ」
闘士の燃える瞳で、アンネは不敵に笑った。
***
「そんなことになってたんですねぇ。だから代理人、あの後ギラギラしてたんですね」
ギラギラしてたか? とばつの悪そうに眉をひそめる。
昨夜、つい闘争心が燃えてしまい――何に対する闘争心か本人にも分かっていないが――依頼の続行を決めたアンネは、さっそくアルミンと共に城にやってきていた。ちなみに、アルミンがあの場から消えたのは、自分もいないほうが落ち着いて話せるだろうと思ったから、らしい。なんて要らない世話だ。愛し子なんて滅んでしまえ。もちろん、声には出さなかったけれど。
昨日と違って、二人は堂々と城の中を歩く。〈妖精の庭〉で働く姐たちが言っていたが、服は鎧とはよく言ったものだ。メイドのお仕着せを着ているだけで、こんなにも悪びれなく歩ける。
アルミンはすでに人の姿になっており、人にも視えるようになっていた。
「でもオスヴァルトさん、婚約者さんがいたんですね。知りませんでした」
「みたいだな。まあ、なぜその婚約者に、いわくつきの指輪を渡すのかは知らないが」
「あれじゃないですか。代々皇室に継がれる指輪とか」
そういえば、と思い出す。さらりと告げられたから流してしまったが、彼はその指輪を、皇家に伝えられているものだと言っていた。
「オスヴァルトさんがそれを渡したいと思った人かぁ。ちょっと見てみたいですね!」
「……そうか?」
「はい! きっとオスヴァルトさんが選んだ人なら、可憐で、優しくて、オスヴァルトさんみたいに僕らのことを大切にしてくれる人ですよ!」
それはまあ、確かに、アンネも思わないでもない。あの美しい男の隣には、穏やかな微笑みを浮かべる、美しい女が似合うだろう。
でも、不思議と見てみたいとは思わなかった。
「それじゃ、頑張ってくださいね代理人。僕も頑張ってきます!」
二人は本城の裏にある、使用人用の出入口で別れる。アルミンはこの後、お目当ての
一人になったアンネは、さてこれからどうしたものかと、ぼんやりと空を見上げた。ふと我に返ると、自分は何をやっているのだろうと呆れてしまう。まさか嫌いな皇帝の居城に、こうして二度も足を踏みいれようとは。
母を殺された恨みは、確かにこの胸の奥に息づいている。でもさすがに十年も経って、折り合いがついてきたのだろうか。分からない。
今はとにかく、オスヴァルト・クロイツという男のことで頭がいっぱいだった。
(あの男はよく分からないからな。よく分からないものは、やっぱり気になるというものだ)
それが人の性であり、無理に抗うこともない。そう言い聞かせて、アンネは深く考えることはしなかった。
指輪の気配を探していると、アンネは思わぬ邪魔をされていた。何がいけなかったのか――まず間違いなくこの格好がいけなかったのだが――自分の運の悪さに、内心で舌打ちする。メイドのお仕着せを着たアンネは、現在、雑巾片手に廊下の窓を磨いていた。
(なんっでわたしがこんなことを……⁉︎)
指輪の気配を探し歩いていたアンネに、侍女長らしき女性が目をつり上げてこう言ったのは、もう三十分ほど前のことだ。
『まあ! どこのメイドですか、こんなところで油を売っているのは』
その後は気づいたら手に雑巾をもたされ、こんなところに連れてこられていた。長い廊下は、通る者を飽きさせないためか、品の良い調度品が等間隔で置かれている。それはもう、先も見えないほど長いので、終わりが見えなくて泣きそうだった。
(わたしは、本物のメイドじゃないのに……!)
そう思いながら、窓を一つ一つ、力を込めて磨いていく。普通の掃除ならいざ知らず、城のメイドが心得る掃除の仕方なんて分からないアンネは、とりあえず力任せに拭き上げていった。
指輪の気配は、やはり判然としない。
(さすがに近づけば分かると思っていたが、かなり強固に隠されてるのか?)
手だけは動かして、頭は指輪のことを考える。しかし生来不器用なアンネは、二つのことを同時に
「手が動いていませんよ。さぼりですか?」
「――っ、やってますやってますよ。どこもさぼってませんよ侍女長様!」
肩が大げさに揺れた。背後から声をかけられて、てっきりアンネは侍女長に見つかったのかと思った。けれど、その声は女性にしては低い。
振り返った先には、フィンがいた。
「な、おまえっ」
「あなたは何をやっているんです?」
さぼりだと咎めた口で、呆れたように彼は言う。
見て分からんのかと怒鳴りたい。アンネも好きでやっているわけじゃない。
「いつから転職なさいました?」
「誰がするか!」
見られたくない奴に、見られたくないところを見られてしまった。
けれどまあ、彼は一番に見られたくない奴ではないので、まだましだと思おう。そう自分を落ち着かせていると、
「あなたはそんなことをする必要はないが?」
一番見られたくない奴の声が、アンネの耳に届いた。
今日も今日とて、黒衣に身を包んでいる。悠然たる態度は何者をも畏怖させるだろう。アンネはそこで、ようやく気づいた。
「おまえ、それは軍服か?」
オスヴァルトが着ていたのは、かっちりとしたデザインの、この国の軍人が着る制服だった。胸元には勲章がいくつか飾られ、肩から前部にかけて金糸の飾緒がつるされている。そのへんに疎いアンネでも、それが高位を表していることはなんとなく察した。
今まではジャケット姿だったのに、と首を捻る。軍籍に身を置いていたのか。
(いや、よく考えればそれもそうか。皇太子は皇帝の命令で、戦の舵を取っているって話だったな)
自国の領土を広げるため、好戦的な皇帝は、自分の息子を容赦なく戦場に送り出すという。
それもまた、アンネの嫌うところだ。言うなれば、自分でやれよ、と。
「ああ。今日は式典があったからな」
「ふーん。それで、首尾でも聞きにきたのか?」
「いや、偶然通りかかっただけだ。今から執務に戻る」
「ふーん……」
まじまじと、軍服姿のオスヴァルトを見つめる。なぜだろう。なんだか、見覚えがある気がした。
フィンが咳払いする。
「エルフリーデ殿、女性なら仕方ないかもしれませんが、見過ぎです」
「! これはちが……ちょっと別のことを考えていただけだ! 誰も見惚れてない!」
「私も、見惚れていたとは申し上げておりませんが?」
「本当にいちいちムカつく奴だなっ」
ここまで癇に障った奴は初めてだ。きつく睨めつけていると、さりげなく、オスヴァルトに遮られる。
「フィンのことは気にするな。いつもこんな感じだ」
「いつもこんな感じなのか⁉︎」
それで大丈夫なのか。つい変な心配をしてしまう。余計な敵を増やしそうだ。
顎に手を当て、今度はオスヴァルトがアンネを食い入るように見つめてくる。
「な、なんだ」
「……いや、ふと思ったんだが。あなたはだいぶ、最初と印象が違うな?」
ぎくり。心臓が跳ねる。
「私もそう思いました」
「だろう? 最初より――とてもかわいらしい性格をしている」
「分かった。さては喧嘩を売っているな?」
「いや? 純粋に褒めているんだが」
「エルフリーデ殿、せっかく褒めてくださった殿下に失礼ですよ」
「待て。失礼なことを言われているのはわたしじゃないか?」
それでもオスヴァルトは、本当に分かっていないように小首を傾げた。男のくせに顔が整っているからか、それが様になっているのが腹立たしい。そういえば姐たちも、かっこいい男はどんな表情も様になるから目の保養よね、とうっとりしていた気がする。
(
その瞬間、彼女たちの目の色が変わるのが見てとれる。お客としても、男としても、極上の相手だ。あの銭ババすら、まだオスヴァルトたちが何者かは知らない。上客としか思ってないだろう。客の事情を探るなというのは、娼館において、もはや暗黙のルールだ。
「アンネ」
(そうだな、いっそバラしてやれば、売り上げにも貢献できるんじゃないか?)
「アンネ、聞いているか?」
(わたしの紹介で売り上げが伸びれば、わたしの懐に入る金も増える? よし――)
「アンネ、いい加減こちらを見ろ」
「――⁉︎」
くいっと、顎を持ち上げられる。現実に戻った思考は、目の前にある男の顔を瞬時に理解した。オスヴァルトだ。
「何を考えていた?」
至近距離で捉えられて、アンネは顔に熱が集まるのを感じる。男に免疫がないからだ。
なによりも、オスヴァルトの深い青眼に、どこまでも堕ちていきそうな感覚がして。
(――っ、だめだ。姐さんたちですら、こいつは手に負えない……!)
高級娼館として有名な〈妖精の庭〉で働く彼女たちでも、この色気の前には屈するだろう。娼婦としてのプライドも忘れ、ただの女になり下がるに違いない。耳年増で、目だけが肥えているアンネが下す判断は、よく当たると評判である。
「……殿下」
「ああ、分かっている」
混乱状態のアンネは、二人のそのやり取りに気づかない。二人とも、打って変わって厳しい目つきをしている。
ただ、それも一瞬のことで、オスヴァルトはアンネの顎を掴む手を、自分に引き寄せた。
「――はあ⁉︎」
柔らかな感触がこめかみを掠めたのは、その数瞬あと。アンネが叫んだときには、彼はすでに背を向け歩き出していた。
「言っておきますが、勘違いなさらないように」
通り過ぎる、そのときに。フィンがぼそりと呟いた。前を見据えていた視線が、一瞬だけアンネの背後に向けられる。
それだけで、アンネは彼の言いたいことが分かってしまった。――監視だ。オスヴァルトが言っていた、彼についている監視。皇太子が一介のメイドと話していた理由を、色狂い皇子のせいにしようということだろう。
そのための、キス。
「だったら話しかけなきゃいいだろ……っ」
非常に不本意だが、なんだか振り回されている気がしてならなかった。
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