7th. 指輪の行方
――"今夜、約束どおり"
本当にその通りに現れた人物を、アンネは胡乱げな目で見やった。
「アンネ、それは突っ込むべきか?」
「…………うるさい」
オスヴァルトとフィンが来る前から、アンネの頭は鴉の餌食になっている。ツツツキよろしく、突っつかれていた。地味どころか盛大に痛い。
誰のせいだ、とは言わなかった。
「アルミンはいないのか?」
「いる。ここに」
絶賛頭を
というか、アルミンに興味を移すのが早すぎないか。もう少しくらい、この状況に
(って違う。なぜわたしはそんなことを思ったんだ。まるで母親をとられた子供じゃないか)
自分の感情に戸惑う。
そもそもが、なぜダークはいつものように闇に紛れていないのか。常人にも視える特別な妖精だが、彼は客が来るときは、いつも闇に溶け込み姿を隠している。それこそ妖精らしく。なのに。
――ついに、己を鴉と思い始めたか?
「カァ!」
「いたっ⁉︎ なんだ急にっ」
それまでリズミカルにアンネの頭を突いていたダークが、急に渾身の一撃を放ってきた。もちろん、全てはオスヴァルトたちにも視えている。
「アンネ、それは止めるべきか?」
「止めてくれ!」
さすがに助けを求めた。それくらい、ダークが容赦なかったからだ。
フィンが止める前にオスヴァルトが動く。彼は難なくダークの首根っこを捕まえた。羽をばたつかせ、ダークが暴れる。慌ててフィンがオスヴァルトと代わり、ダークを抑え込んだ。
「た、助かった……」
「変わったペットだな」
「ペットじゃない。それも妖精だ」
「……なに?」
「ダークは特別な妖精だ」
だから、見た目が鴉だろうと、ダークは常人にも視える。
彼は
「殿下、こちらは処分いたしますか?」
「いや、その必要はない。放してやれ」
「え? ですが、エルフリーデ殿はともかく、殿下にも牙を剥いたのですよ。それに、これが本当に妖精とは……」
「カァーッ」
そのとき、ダークがさらに暴れた。自分は妖精だと主張しているのか。だったらひとこと話せば事も簡単だろうに。アンネは頭を押さえながら思う。
極度の面倒くさがり屋は、頑なに喋らない。彼が話すのは、ごく限られたときだけである。
それにしても、とアンネはオスヴァルトに視線をやった。
「おまえ、いくらなんでも妖精を信じすぎじゃないか?」
態度も変わりすぎである。
「妖精には、恩がある」
「恩?」
アンネはきょとんとした。だって、視えないはずなのに、恩――?
「昔、池に落ちそうになったところを、助けてもらった」
「それがどうして妖精だと?」
「教皇が教えてくれた。彼は妖精の眼を持っている」
「教皇が?」
アンネが驚いたのは、なにも教皇が妖精の眼を持っていたからではない。神殿は、その特性上、
だからアンネが驚いたのは、皇帝と仲の悪い教皇が、
皇帝は、妖精を信じていない。国のトップが、国の成立ちを担った妖精を否定することに、教皇は怒りさえ抱いていると聞いている。二人の険悪さは平民も知るところだ。
ゆえにアンネだけでなく、多くの人がこう思っている。――教皇は、皇室に愛想を尽かした。
「教皇はなんて?」
「『視えぬ者を信じよとは言いません。しかし、殿下を助けた者だけでも、信じてみなされ。せっかくあなたは愛されているのだから』」
アンネはわずかに目を見開く。どうやら教皇は、オスヴァルトが妖精の愛し子であることを知っているらしい。
「それでおまえは、妖精を信じるように?」
「その以前から、自分の周りに何かがいる気配は感じていた。それが何かまでは分からなかったが。でも、それで納得した」
「そう、か」
たまにだが、こんな人間がいる。子供の頃は妖精が視えていた人間だ。そこまでいかなくとも、オスヴァルトもその類だったのかもしれない。
「だとしても、過信はするな。人に善悪があるように、妖精にも善悪がある。ただのいたずら好きならかわいいものだが、人に呪いをかける妖精もいる。愛し子とて、必ずしも妖精の標的にならないわけじゃない」
そう忠告すると、なぜかオスヴァルトがじっとアンネを凝視してきた。
「……意外だな」
「なにが?」
「つまり、私を心配してくれているのか」
「はあ⁉︎」
「だからこその忠告だと思ったが。なあ、フィン」
「はい。私にもそのように聞こえました」
「違う! 誰がおまえなんか……っ。わ、わたしは皇族が嫌いだと言っただろう!」
「聞いた。では、皇族ではなく、私自身はどうだ?」
「はああ?」
ものすごく胡乱げな声が出てしまった。こいつは何を言っているのか。皇族に名を連ねるオスヴァルトだ。彼は皇族の一員で、それは切っても切り離せない事実である。
そもそも、"皇族"と一括りにしていたアンネは、その中の一人一人について考えたことはなかった。
「皇族としてではなく、私自身のことを考えてみてくれ。――さて、いい加減本題に入ろう」
(な……自分で話を振っておいて、あっさり話題を変えやがった……!)
唇がわなわなと震える。誰かあいつを殴ってくれ。もしくは殴らせてくれないだろうか。
「私の願いだが、先にも言ったとおり、探し物だ」
「……物は」
諦めて、アンネは短く問い返す。
「指輪だ」
「指輪? 結婚でもするのか、おまえ」
「――おほんっ。エルフリーデ殿、先ほどから敬称が抜けております。そろそろ私も我慢の限界です」
「いちいちうるさいな。小姑か」
「こじゅ……⁉︎」
「わたしだって敬意があれば払う。ないから払わないだけだ。それで?」
「カァー!」
「今度はダークか! ああもう、あっちもこっちもうるさいな! ちょうどいいからおまえら二人まとめて廊下に出てろ! 邪魔だ!」
小姑は口うるさくて、ダークは単にうるさい。そのダークをフィンが捕まえているのなら、ちょうどいい、そのまま部屋から出ていけ。そう言う意味の、「ちょうどいい」だ。
「あなたに命令される謂れはっ――」
「フィン。話が進まない」
「失礼いたしました、殿下」
なんて切替えの早い男だ。
「それと、さっきも言ったが、その妖精を放してやれ」
「だめだ。放すな。放せば暴れるぞ。ダークはおまえの願いを叶えることには反対している。だからわたしが攻撃されていたんだろうが」
「そうなのか?」
「そうだ」
だから今放されては、また自分の頭がかわいそうなことになる。もう突かれるのは嫌だ。ただでさえ、頭はまだ鈍く痛むのに。
「ならば仕方ないか……。フィン、彼と共に外で待機していてくれ」
「殿下⁉︎」
「落ち着いて話がしたい」
ようは、邪魔されたくない、と。
その理由を知っているフィンは、渋々口を噤んで出て行った。ダークがこれ以上なく暴れたが、終いにはオスヴァルトの護衛も加わり、二人がかりで抑えられていた。
扉が閉まり、アンネはほっと息をつく。
「それで、指輪だったか」
言いながら、途端に静かになった部屋に、「ん?」と首を傾げる。――もしかしなくても、今、二人きり……?
「ああ。大切な指輪なんだ」
「ふ、ふぅん。あれか、結婚でないなら、婚約指輪か」
「そんなところだ」
ふぅん。もう一度興味のなさそうな返事をする。というよりは、心は別のことに傾いていた。
アンネはオスヴァルトに気づかれないよう、小さく視線を動かした。二人きりという現状を打破してくれる、アルミンの存在を求めて。なのに。
(いない――⁉︎)
あの馬はどこいった、と話も忘れて周りを見渡す。
「アンネ?」
「なんだ」
「いや、それはこちらのセリフだ。急にどうした?」
「べ、別にどうもしない。それでなんだったか。指輪だったか?」
話が最初に戻り、オスヴァルトは不可解そうに眉根を寄せる。けれど、それに構う余裕なんてなかった。
娼館で育った彼女だが、実は男に対する免疫はないに等しい。いわゆる耳年増というやつだ。〈妖精の庭〉で働く
ダークがいるから、他の客と二人きりになったこともない。
だから、そうと気づいてしまえば、この状況に少しだけ戸惑ってしまう。でも悟られないよう、アンネは必死に口を動かした。
「分かった。指輪だな。任せろ朝飯前だ」
「本当に分かったのか?」
「もちろんだ。おまえの結婚……じゃなくて、婚約指輪だろ? おまえもついに妃を決めたんだな。必ず見つけてやろう」
「頼りにしている」
アンネの尊大な態度にも怒ることなく、オスヴァルトは大きく頷いた。
なんだか変な感じだ、とアンネは思う。まさか自分が、皇帝の息子に力を貸すことになろうとは。
「じゃあ動くなよ」
「?」
何かをかざすように、アンネは胸の前に両手を持っていく。淡い光を帯びた痣が、アンネの手の中に薔薇を咲かせた。
これを見るのは二度目になるオスヴァルトも、この光景には未だ慣れない。神秘的で、不可思議で、つい見惚れてしまう。――彼女はいったい、何者なのだろう。
咲いた薔薇の花びらが散る。それがオスヴァルトを囲んだ。ぎょっとするも、動くなと言われた彼は身動ぎ一つしなかった。
(……わたしのことも、信用しすぎだ、馬鹿者め)
彼は、アンネが自分に何かするとは思わないのだろうか。嫌いだと、面と向かって言われているにもかかわらず。皇太子なら、自意識過剰なくらい警戒してもいいと思うが。
(こいつ、あっさり刺客とかにやられるんじゃないか? 大丈夫か?)
する必要もない心配をしてしまい、アンネは遅れて苦虫を噛み潰した。
オスヴァルトを囲っていた薔薇の花びらが、やがて彼の頭上へと集まっていく。二人がそれを見守るなか、集まった花びらが、霧散した。
「な――」
はらはらと、白い花びらがオスヴァルトに降り注ぐ。
「これで何か分かったのか?」
「……ああ。一つ訊くが、その指輪は、本当におまえのものか?」
「ああ」
「ならば、触れたことはもちろんあるな?」
「一度だけ」
「一度?」
「皇家に伝わるものだから、皇太子といえど簡単には触れられない」
「……なるほど」
散った花びらを見下ろして、アンネは考え込むように押し黙る。
オスヴァルトはそれをじっと待った。
やがて、どこか悔しそうに顔を歪ませたアンネが、観念したように口を開いた。
「申し訳ないが、見つからない」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます