6th. 違和感
「それじゃ、行きましょう!」
元気よく腕を突き上げたのは、下級使用人用の制服を身につけたアルミンだ。同じく下級使用人――メイドのお仕着せを着たアンネは、憂鬱そうにその後をついていく。
結局、アンネはオスヴァルトの願いを聞き入れた。
詳しい話はまたとのことで、今はアルミンの願いを優先するため、二人は皇后の侍女だというビアンカの許に向かっていた。オスヴァルトは仕事があるからと、すでに別れている。
「はぁ……」
うきうきしながら前を行くアルミンの後ろで、何回目になるか分からないため息をつく。憂鬱だ。なにがって、ダークがだ。
百歩……いや一億歩は譲って、オスヴァルトの願いを聞くのは、まあいい。なんだか嵌められた気がしないでもないけれど、自分のせいである。
けど、それがバレたときの、ダークが面倒だった。まず間違いなく、あの鋭利な嘴による
「あ、いました! 代理人、いましたよ。彼女です!」
皇太子宮から出て、本城に向かった二人は、皇后お気に入りの薔薇園に向かっていた。オスヴァルト曰く、皇后はよくその場所でお茶会をするという。
オスヴァルトから場所を聞いたアルミンが、「そこなら分かります」と言ったので、オスヴァルトも安心して送り出したようだ。
でなければついてきたのかと、アンネはちょっと呆れた。なんて気安い皇太子だ。出逢わなければ、一生知ることのなかった一面である。
「どうしましょう代理人、なんだか緊張してきました……っ」
「落ち着け。礼を言いたいんだろ? 大丈夫だ。別に緊張することじゃない」
教えてもらった庭園の一角で、同僚の侍女とテーブルセッティングをしているビアンカがいた。キャラメル色の髪をひとつに束ね、朝露に濡れた新緑の瞳を優しげに細めている。生き生きと仕事をしていて、陽の下がよく似合う女性だと思った。
小柄で、一見庇護欲をそそられるが、それだけの女性でないことはすぐに分かる。厳しい冬を乗り越え、芽吹く命のように、彼女の瞳には瑞々しい強さが秘められていた。
「い、いいいって、きます……!」
たった一言を噛みまくったアルミンに、アンネは心配そうな瞳を向ける。本当に大丈夫か。
気づかないアルミンは、操り人形のように不自然な動きで近づいていった。アンネは柱の影からこっそり見守る。
そのときふと、風に混じる妙な気配に気がついた。妖精の気配に似ている。けど、少しだけ違う気配。
(この城、やはり妙だな)
なぜか多い、自然の気。妖精のものに似た、不思議な気配。どことなく感じる、小さな違和感。
(なんだろう。妙に、懐かしく感じる……?)
ここに流れる、空気が。
おかしい。アンネは初めて、この城に足を踏み入れたはずなのに。不思議と、故郷への郷愁のような思いを抱く。何かに呼ばれている気がして、そんなはずはないかと首を振る。
気を取り直して前を見た。
「代理人!」
ちょうどアルミンが戻ってくる。その顔は上気していて、最初の緊張が嘘みたいに破顔していた。ともすれば抱きついてきそうな勢いに――
「ぶっ」
「やりましたよ代理人! また会ってくれるって!」
本当に抱きつかれた。というより、突撃された。危うく共倒れするところだった。
「友達になれるまで追いかけるって言ったら、しつこいもう勝手にしてって」
いやそれ完全に嫌がられてるじゃないか、とは残念ながら言えなかった。アルミンが抱きしめてくるせいで。
「ありがとうございます、代理人。あなたのおかげです!」
ものすごく感極まったようにお礼を言われるが、アンネは今にも窒息死しそうだ。抗議の意味も込めて、アルミンの腕をばしばしと叩いた。
気づいたアルミンが、ようやく腕を放してくれる。
「わたしを殺す気か!」
「す、すみません。つい嬉しくて」
「というか、礼を言ったら終わりじゃなかったのか?」
そもそもの話、アンネはそう思っていた。人に視えるようにできるのも、
「そんなこと一言も言ってませんよ! 僕はビアンカさんとたくさんお話したいんです」
「おまえ……そういうのはもっと早く言ってくれ。そうなってくると毎日術をかけなきゃいけない」
「え、そうなんですか?」
「悪いが、わたしの力は万能じゃないんだ。できないこともある」
「そんな……。で、でも、毎日かけてもらえばいいんですよね⁉︎」
「まあ、確かにそうだが」
しかしそう簡単なことではない。毎日この城に侵入して、アルミンに術をかける。なかなかリスクが高い。
けれど、妖精のためにあれと、幼少の頃から教えられてきたアンネだ。呪いのように染みついた教えは、アンネに拒否の選択肢を与えない。
「問題は、城への侵入方法か」
「それならこれ、このままお借りできないんですか?」
アルミンが着ている服を指して言う。
「ふむ、確かに」
「『確かに』ではありません。殿下の好意を悪用しないでくださいますか」
声に振り向くと、そこにはフィンがいた。昨夜と違って、今はちゃんとしたジャケットを羽織り、首元にはクラヴァットを結んでいる。
だからだろうか、昨夜より貴族感が出ている。こいつも上級貴族だったんだなと、当然のことをアンネは思った。
「聞いているのですか、エルフリーデ殿」
「ああ、聞いている。それにしても、なぜおまえがここに?」
「それはこちらのセリフだと思いますが……。まあ殿下から話は聞いております。その殿下より、あなたに伝言です。ありがたく受け取ってください」
昨日も思ったが、どうやらフィンはアンネのことが嫌いらしい。
ありがたくもない伝言を、アンネは渋々受け取った。
「『今夜、約束どおり』と殿下は仰せです。ですのでほら、いつまでも油を売っていないで、さっさとご自分のいるべき場所に戻ってはどうですか」
言外に、おまえのような平民が――しかも娼館にいるような人間が、いつまでも
当然といえば当然だが、アンネが城に侵入したことにご立腹らしい。アンネ自身もそれが悪いことの自覚はあるので、特段言い返したりはしない。反省もしないけど。
フィンはアルミンを一瞥してから、もう用はないとばかりに去っていった。
「こ、怖かったですね、あの人。誰ですか?」
「あの男の側近か何かだろう。詳しくは知らない」
「嫌われてましたね、代理人」
「まあな。わたしのことが気に入らないらしい。仕方ない」
――それに、理解もできる。
不思議な術を使う、エルフリーデ。その正体は妖精が視えるだけの人間だが、アンネのような術を扱える者は、他にはマルティナしかいない。と、アンネは聞いている。
というのも、アンネの世界はとても小さい。彼女は幼少の頃から、そのほとんどを〈妖精の庭〉で暮らしていて、あまり外に出なかったのだ。心配したマルティナが外に連れ出そうとするも、特に最初の頃のアンネは、ひたすらに嫌がった。
だから自分とマルティナ以外の術者について、彼女は存在も知らない。市井のことは、娼館の姐たちから噂を聞く程度である。
まあそのおかげで、自分が怪しい部類の人間だということは、アンネも理解しているのだが。
「……むしろわたしは、あの男のほうが理解できない」
浮かんだのは、闇を纏った男。黒い髪と、黒い服を着ているところばかり見るからか。
深い青眼と、怜悧な眼差しは、夜の冷たい空気を思わせる。けれど、その低く落ち着いた声は、静夜のように穏やかだ。
皇太子という高貴な身分のくせに、平民であるアンネとも気安く接する。強引なところはあるけれど、アンネが本当に嫌がることはしない。王侯貴族とは、平民を見下す者ばかりだと思っていたのに。
「? 今なんか言いましたか、代理人」
「いや、なんでもない」
アンネが歩き出す。その後ろを、アルミンがついてきた。
「ちょうどいい。これについては、今夜訊けばいいだろう」
着ているお仕着せを軽く引っ張って、アンネはアルミンを安心させるように言う。
「てことは、じゃあ……!」
「ああ。他ならぬ妖精の願いだ。どうせダークには怒られるんだし、他に怒ってくる奴が増えても大して変わらない」
「やったー! ありがとうございます! 大好きです!」
「はいはい」
子供のようにぎゅーっと抱きついてくるアルミンを軽く受け流しながら、アンネは苦笑する。
妖精は素直だ。思ったことをすぐ口にできるのは、とても羨ましい。
来たときと同じ要領で、アンネとアルミンは城をあとにした。
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