5th. 天然策士


 元は白馬の姿をしていたアルミンだったが、人の姿になると、純朴そうな少年の姿となった。

 元の綺麗な白毛は残され、彼の髪は艶やかな白である。本人の怖がりで臆病な性格をそのまま表したような、ひょろりとした身体。いかにも軟弱そうな少年だ。

 だが、その顔に浮かぶ笑みは、とても愛嬌がある。


「代理人、僕、視えてます? ああ違う、代理人じゃ確認できないですよね。オスヴァルトさん、僕のこと、視えてます?」


 緊張と期待が孕んだ目で、アルミンはオスヴァルトに詰め寄った。

 最初は面食らっていたオスヴァルトだったが、さすが皇太子、立ち直りは早い。


「ああ、視える。何もないところから、君がいきなり姿を現した」

「本当ですか! やった、これで人にも視えるんですね、僕!」


 飛び上がる勢いで、アルミンがはしゃぐ。


「凄いな。これが妖精か。人にしか見えない」

「でも僕、元は馬の姿なんですよ」

「そうなのか? ちなみに、その元の姿にはなれるのか? 私にも視えるように」

「どうですかね? ここなら元の姿になっても騒がれないでしょうし、なれるかもしれません。ちょっとやってみましょう」

「やってくれるのか。頼む」


 アンネを置いて、なぜか二人が盛り上がっている。

 オスヴァルトの変貌ぶりにはぽかんとするが、それにしても、自分を放置し過ぎじゃないだろうか。

 彼の興味がアルミンに移ったことが、なんだか面白くないと感じた。


「どうです? 視えます?」

「視える。確かに馬だ。そうか、これが妖精か……」


 オスヴァルトの声は、先ほどよりも弾んでいる。ただ、その表情はやはり変化していないが。その仕組みをある意味すごいと思う一方で、いい加減にしろとアンネは思う。


「おまえたち、誰がその"すごい"を成したか忘れているだろう? わたしだぞ。無視するな」


 それは子供が拗ねたようだったが、アンネは気づかない。


「もちろん忘れてなどいない。一番凄いのはあなただ、アンネ。噂に違わぬ実力ぶりだな」


 意外にも素直に褒められて、逆にたじろいでしまった。それでも、やはり悪い気はしない。


「そ、そうだろう? なにせ、それくらいなら、わたしにとっては朝飯前だからな」

「そうか。では探し物は?」

「ふん。それくらい、朝飯前どころか、寝ながらでもできるぞ」

「それは頼もしい。やってくれるか」

「お安い御用――」

「よし、交渉成立だ」

「――っじゃない! 待て、違う。今のは違う!」


 まんまと乗せられた……! 

 そう後悔するも、すでに遅い。オスヴァルトは言質を得たとばかりに満足そうだ。といっても、やはりその顔は変わっていないけれど。

 ただ、なんとなくアンネはそう思った。満足そうだ、と。なんて腹立たしい。


「無理だ。おまえの願いを受けたら、ダークに……」

「約束の金と対価だが、荷馬車を埋め尽くす金貨に、同じく荷馬車いっぱいの食糧を――」

「やる」


 つい脊髄反射的に答えてしまい、遅れてはっとする。


「また乗せ……! い、今のも違う!」

「即答してくれるほどやる気に満ちているようで、とてもありがたい」

「待て。だから今のも違うんだ」

「金と対価は全て、グリュック修道院に送っておけばいいか?」


 何の脈絡もなく出された名前に、アンネは思わず息を呑んだ。


「な……なぜ、それを」


 そこは、アンネが昔、母と共に世話になっていた修道院だ。マルティナの許可をもらい、アンネがエルフリーデとして得た給料は、ほとんどそこに送っている。

 しかし、グリュック修道院は……。


「申し訳ないが、あなたのことは少し調べさせてもらった。あなたは他国の出身だったんだな」


 そう、グリュック修道院は、このエルディネラ帝国の隣、ツェルツェ王国内にある修道院だ。もともとツェルツェとも違う、リンテルン王国という北国出身のアンネだが、訳あって国を出ると、アンネたち母子はその修道院で世話になった。

 けれど十一年前、好戦的な現エルディネラ皇帝によって、二国は戦争を始める。国境付近の村や町は戦火に焼かれ、グリュック修道院もその一つとなった。

 民間人を平気で巻き込む戦い方は、の皇帝を残虐帝の名で知らしめた。

 だからアンネは、エルディネラ皇帝が嫌いだ。どうせその一族も、残虐帝と変わらないのだろうと思い込むほどには。

 そしてオスヴァルトは、その息子である。


「調べたというのは、どこまで?」


 緊張して、口がうまく回らない。知られたくないことが、ひとつだけある。


「時間が限られていたから、そこまで多くは調べていない。あなたがリンテルン出身で、グリュック修道院で暮らしていたこと。それと、先の戦争で、母を亡くしているということだ」

「そう、か」


 ほっと、息を吐く。知られたくなかったことは、どうやら暴かれていないらしい。


「なら分かっただろ? わたしは皇族が嫌いなんだ」

「……当然の感情だ。あなたがあの戦争に巻き込まれていたことを知って、私も悩んだ。だが、だからこそ、私は立ち止まるわけにはいかない」

「意味が分からん。そういうのはわたしを巻き込まずにやってくれ。いったいどんな探し物なのかは知らないが、それが間接的にも皇帝を助けるのならば、わたしはいくら積まれてもやらない」

「皇帝に利はない。これは、私の探し物だ」


 痛いくらい真剣な眼差しが、アンネを逃すまいと捉える。

 探し物ひとつにここまでこだわるなんて、どう考えても只事ではない。厄介だ。そりゃあ、ダークが忠告するというもの。


「あの〜、なんかよく分からないですけど、だんだん空気が悪くなってきたので、僕、非常に居心地が悪いんですが」

 

 恐る恐る、アルミンが手をあげる。「もう僕行っていいですか?」みたいな空気を作ってくるので、アンネは知らず毒気を抜かれ、肩の力を抜いた。


「悪い、アルミン。そうだったな。おまえの依頼を優先しよう。それで、礼を言いたい侍女はどこにいる?」

「ビアンカさんは、皇后の侍女らしいです」

「皇后?」


 また面倒そうな相手だな、とアンネは思った。けどまあ、皇后本人が相手でない分、断然ましか。


「それなら今すぐ行ったほうがいい。このあと皇后陛下は茶会がある。始まれば、長いこと侍女は解放されない」

「えっ。それは大変です。急がないとっ」

「待てアルミン! その格好で堂々と行くな。怪しまれて捕まるぞ」

 

 わたしのように。とは死んでも言いたくなかったアンネである。

 

「えぇっ、じゃあどうすればいいんですか?」


 そう言われて、アンネは逡巡した。この状況――皇太子宮にいること――は想定していなかったので、さてここからどう目的地まで向かおうか悩む。術の重ねがけはできない。アンネの術は、薔薇の香りが消えると効果を失うため、重ねれば先にかけたものが解かれてしまうのだ。アルミンにかけた術は強めにしてあるが、それでも、重ねればやはり消えてしまう。

 黙ったアンネの代わりに、オスヴァルトが提案する。


「では、使用人の制服を持って来させよう。妖精の力になれるなんて貴重だから、微力ながら協力させてほしい」

「本当ですか⁉︎」

「ああ。もちろん、あなたのものも用意しよう」


 さっきのことがあり、アンネは素直に返事もできず、黙ってそっぽを向いた。悔しいが、今はそれ以上の良策がない。

 オスヴァルトが部屋を出て行く。パタンと扉が閉まると、急に部屋は静かになった。そこでアンネは、ふと現実に気づく。現実――ここが彼の寝室で、そんなところに取り残されたという現実だ。

 さっきまでは気にならなかった大きなベッドが、途端、無性に気になってきた。


 ――"ねぇアンネ、知ってた? 皇太子様って、たくさんの側室がいるんだって。ほんと残念。箔がつくし、一度でいいから抱かれてみたかったけど、それじゃあここには来てくれないよねぇ"


 いつだったか、〈妖精の庭〉で働くあねが言っていた。

 未婚なのに、すでに何人もの側室を持っている皇太子のことは、平民のなかでも割と有名だ。女好き。遊び人。色狂い。噂は尾ひれがつきものだが、つき過ぎて逆に不憫に思えるほど。

 妖精が視えるアンネは、彼が遊び人でも、色狂いでもないことを知っている。それは、妖精が純粋なものを好むと知っているからだ。

 だから、最初はそれが単なる噂で、確かに側室はいるようだが、色狂いではないと思っていた。

 それに、実際に本人を前にしてみたら、そんな男にも見えなかった。

 が、妖精を前にしたときの、あの反応。


(実は性格か? 性格が純粋だったのか……?)


 そう疑ってしまう程度には、あの反応に驚いた。

 そうなってくると、色狂いの噂は間違いではない可能性が出てきて……。

 ちらりと、天蓋付きのベッドを見やる。


(…………やめよう)


 危うく想像しそうになって、すぐに自分の想像力にストップをかけた。

 オスヴァルトが誰とどうなろうが、自分にはどうでもいいことだ。彼が噂通りの色狂いだったとしても、アンネには何の関係もない。少なくとも、彼がアンネに色を求めてこない限りは。

 そこで、ふと思い出す。先ほど押し倒されたときのあの感じは、なんだか手慣れていたなと。


「待たせた。二人分用意したから――どうした? なんだか害虫を見るような目で睨まれているんだが。気のせいか?」

「気のせいじゃないか」


 素っ気なく言うと、アンネはオスヴァルトの手から服を奪い取る。


「ひとつ、忠告しておいてやる。赤の他人を寝室に残すものではない。わたしが間者だったらどうするんだ」

「もちろん、他の人間なら追い出している。そもそもこの部屋に他人を入れたのは、フィンや護衛を除けばあなたが初めてだ」

「……は?」

「だが、忠告は聞いておこう。あなた以外の人間は入れない」

「わ、わたしも入れるな」

「それだと願いを叶えてもらうために不都合が生じる」


 ――そっちか。思わず脱力した。


「それに、妖精は純粋なものを好むのだろう? あなたは性格の面で、妖精に好かれているように見える。だから入れても問題ないと思った」


 これには開いた口が塞がらなかった。どこをどう見てそう思ったのか。

 自分で言うのもなんだが、自分は決して褒められた性格はしていないと、アンネは思っている。生意気。尊大。意地っ張り。ついでに言うと可愛げも、女性らしい可憐さもない。

 だいたい、アンネは妖精が視えるだけで、妖精の愛し子ではないのだ。

 

「……おまえの目は、節穴だ」


 なんだか心がむず痒くて、誤魔化すように目を伏せた。

 オスヴァルトはそんなアンネを不思議そうに見やるだけで、否定も、肯定もしない。


「と、とにかく。これからは隣の応接間で十分だ。寝室まで連れてくる必要はない」

「こちらのほうが話が漏れないのだが」

「知るか。ここは嫌だ。なんだか落ち着かない」

「? まあ、仕方ないか。あなたの意見を聞こう。せっかく願いを叶えてくれる気になったようだし」


 そんな気になった覚えはない、と言おうとして。アンネは瞬間的に気づいた。

 自分はなにを暢気に、"次"の話をしているのか。アルミンの願いだけなら次などない。アルミンが恩人に礼を伝えれば、それで彼の願いは叶うのだから。アンネもお役目御免となる。

 なのに、なぜ自分は、またオスヴァルトの離宮に来るようなことを言ってしまったのか。

 話の流れで、というのもある。けど、無意識にそう口走ってしまったほど、自然に"次"を考えていた。


「アンネ」


 オスヴァルトが名前を呼ぶ。心が不思議とざわついた。

 月夜のように穏やかで、安らぎを覚える声。心地よくて、いつまでも聞いていたいと思わされる。

 その声で名前を呼ばれると、なんだか落ち着かない気持ちになる。


「ありがとう、アンネ。本当に助かる」


 どこか安堵の滲んだ声に、アンネはついに断り続ける気力を失ってしまったのだった。

 


 

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