4th. 妖精の愛し子


 捕らえられたアンネが連れていかれたのは、本城とは別の宮殿だった。

 そこが誰の宮殿なのか、アンネが知るはずもない。常人には視えないが、連れ去られるアンネについてきてくれたアルミンも、顔を青ざめさせるだけで何も教えてはくれなかった。

 しかし、牢にぶち込まれるかと思ったアンネだったが、放り込まれたのは、意外にも普通の部屋だった。

 いや、普通の、というには広すぎる部屋だ。そして豪華でもある。

 重厚な扉の中。一枚目の扉を開けて入った部屋から続く、二枚目の扉を開けた先。騎士によって無理やり座らされたのは、いったい何人分だと聞きたくなる大きな寝台だ。天蓋から流れる藍色の天幕が、オスヴァルトの"夜"を思わせる。

 さらに寝台の脇には小さなサイドテーブルがあり、そこから少し離れたところには、マホガニーのテーブルと、ベルベットのソファが置いてある。部屋を飾る置物はなく、家具一つ一つの価値は一目で高そうだと分かるけど、寂しい部屋だとアンネは思った。無駄なものが何もない。

 でも、こんなところに連れてこられた理由は、なんとなく察した。女は牢ではなく、色事の相手として捕らえるつもりなのだろう。

 まさか、怪しい女にまで手を出そうとするとは思わなかった。

 

「色狂い皇子は、今何人の側室を持っているんだったか」


 ひとり言のような、けれど確かに騎士の目を見て尋ねたそれを、騎士が拾う。


「ご安心くださいませ、エルフリーデ、、、、、、様。ネルベリ様及び我ら二人は、殿下の信が厚い者です。我々もあなたのことは存じております」


 予想外の答えに、アンネは少しだけ虚をつかれる。


「昨日、いたか?」

「我々は隠密もこなしますので」


 事も無げに告げられて、ひくりと口角が引きつった。

 つまり、アンネは彼らの存在に気づかなかったということだ。皇太子の護衛の真髄を見た気がして、ちょっとだけ恐ろしくなった。


「そ、そうか。なら話は早い。わたしはあいつの願いを聞くために来たのではない。別件だ」

「もうすぐ殿下がお越しになります」

「人の話を聞いていたか? わたしは別件で来たんだが」

「では、このままこちらでお待ちください」

「おい、だからわたしはっ」

「アンネ、あまり二人を困らせないでくれ」


 部屋を辞する騎士と入れ代わるように、オスヴァルトがなかに入ってきた。

 背筋が伸び、射抜くような視線で、威風堂々と歩く様は、他者を否応なく圧倒する。己の正体を隠そうとしていた昨夜と違って、今日の彼は誰もがひれ伏したくなるほど、皇太子の顔をしていた。

 その顔を、アンネは容赦なく睨む。


「今困らされているのはわたしだ。騎士はわたしのことを知っていたぞ。知らないならともかく、なぜ知っているのにわざわざここに連れてきた? 悪いが帰らせてもらう」


 たとえば、騎士がアンネを知らなかった場合。捕らえるのも納得がいく。カモフラージュのためだ。彼は、自分がエルフリーデに会ったことを隠したがっていたから。

 けど騎士がアンネの正体を知っているなら、わざわざカモフラージュなんて必要ない。それがどうしてこんなことになっているのか、アンネには分からなかった。

 寝台から立ち上がる。

 しかし一瞬の隙をつかれて、オスヴァルトに肩を押された。そこまで強くなかったのに、アンネは呆気なくシーツの上に沈み込む。

 出逢ったときから変わらない無表情が、アンネの上に覆いかぶさる。

 

「こちらも悪いが、まだ帰すわけにはいかない」

「おまえの願いは断ったはずだ」

「では、あなたが断れないようにしようか」

「は?」


 ベッドに広がるアンネの髪を、オスヴァルトがもてあそぶようにすくった。


「こういうとき、色狂い皇子は便利なんだ」

「……なにをするつもりだ?」


 青い瞳に捉えられて、アンネは居心地の悪さを感じる。

 勝手に髪に触れられているのも、なんだか心が落ち着かない。


「ここは私の離宮だ。私につけられている監視も、私が女を連れ込もうと、どうせ色事に耽け込むだけだと思っている」

「なるほど。だからわたしをここに連れてきたのか。監視の目を欺くために。おまえ、いったい誰に監視されてる?」

「さてな。心当たりが多すぎて把握していない。――だが、彼らの想像通りの展開を広げるのも、今だけはやぶさかじゃない」


 どういう意味だ、とアンネは視線で問う。


「このまま本当にあなたに手を出して、私の側室にしてしまおうか。みな、これもまた色狂い皇子が欲に走ったと思うだけで、やはり誰も怪しまない」

「馬鹿か。平民の女が側室になれるとでも? そもそもおまえ、わたしなんかに食指が動くのか?」


 はんっと鼻で笑ってやれば、


「普通に動くが」


 と当然のように返されて、これにはアンネも反応に窮した。

 だって、きっと否定の言葉が返ってくるだろうと思っていたのだ。こんな生意気な小娘に手を出さなくとも、オスヴァルトが女に困っていないことは容易に想像がつく。権力があり、金もあり、なおかつ顔の整った男だ。引く手数多だろう。

 色狂い皇子というあだ名はついているが、それでも、いやむしろ、それなら誘惑すれば側室になれると喜ぶ女がいそうなくらいである。

 まあ、妖精から聞くに、噂のように遊んではいないようだが。

 でもだからこそ、不思議だった。どうしてこの男は何人もの側室を持っているのだろう。


「どうする? 襲われてみるか?」

「こ、断るっ。そこをどけ。おまえのお手つきなんて、死んでもごめんだ」

「では願いを売ってくれ」

「おまえ、探し物のためにそこまでするか? となると、絶対に厄介な探し物としか考えられないじゃないか。それを知ってわたしが受けるとでも?」

「頼む。もう、あなたしかいないんだ」


 脅してきたくせに、最後は真摯な眼差しで、まるで助けを乞うように見つめてくる。

 よく考えれば、皇太子であることがバレた瞬間から、彼はいくらでもアンネに命令できたはずだ。皇太子の名でもって、「探せ」と、一言告げるだけでいい。なんなら一言、書面にするだけでいい。皇太子の印璽があるそれを、アンネは無視できない。いくら皇族を嫌っていようと、罰を受けたくはないのだから。

 なのに、彼は命令しない。脅しはするけど、それもただ脅すだけだ。

 本当に側室にする気はないのだろう。いや、本当にアンネに手を出す気はないのだろう。あれば、とっくにアンネは襲われていた。


「代理人、叶えてあげたら?」


 そこでふいに、アルミンの声が耳に届いた。アンネが押し倒されている反対側から、アンネの顔を覗き込んでくる。

 今の今まで沈黙を貫いていたのに、どういう風の吹き回しか、オスヴァルトに加担するようなことを言う。その意図をはかりかねて、アンネはオスヴァルトからアルミンに視線を移した。

 

「僕もよく分からないけど、たぶん、その人に力を貸してあげたほうがいいと思うんです」


 アンネは思う。これだから妖精の愛し子は面倒なんだ、と。本人が無自覚のまま、勝手に妖精に好かれている。妖精たちもまた、なんとなく、その人間に惹かれている。


「だが、ダークが許さない」


 あの鴉のような妖精だけは、愛し子にも靡かない。あの妖精は特別だ。マルティナがそう言っていた。


 ――"奴は導くものダーク。従うのは、妖精王のみだ"


 ダークの忠告だけは聞いておけと、恩人は重ねる。

 

「ダーク? とは誰だ」


 アルミンの声など聞こえないオスヴァルトは、アンネの言葉だけを拾う。

 不自然に動いたアンネの目線を辿るが、その先には誰もいない。

 

「妖精だ」

「妖精?」

「ああ。そこにそれとは別の妖精もいる。わたしは今日、その妖精の依頼を受けてここにいる。おまえのためじゃない」

「妖精……あなたはもしかして、妖精の眼を持っているのか?」

「そうだ。だが驚いたな。信じるのか?」


 言外に、皇太子のおまえが? と匂わせる。

 霊のように存在を訝しまれている妖精を、まさか皇太子が信じているのかと。彼の父である皇帝は、いっさいそういうものを信じないのに。

 だからこそ、皇帝と教皇の仲は悪い。国の成立ちに貢献した妖精を、教皇は敬虔なまでに信じているから。


「信じている。まあ、視えはしないが」


 言い切ったオスヴァルトに、アンネは複雑な思いを抱く。残虐帝と知られる父帝のように、彼もまた、信じているわけがないと思い込んでいた。

 そんなもの、信じていないと。そう言ってくれれば、アンネは簡単に目の前の男を切り捨てられたのに。


「それで、そこに妖精がいるのか。どんな妖精だ?」

「ちょっと待て。なぜそこで目を輝かせる?」

「輝いているか?」

「輝いて……いるように見える」


 正直なところ、オスヴァルトは全然表情が変わらないから、表情からそれを察することは難しい。が、声音がわずかに弾んだ気がした。

 どこまでも穏やかで、包み込んでくれるような優しい声が、そのときかすかに瞬いた気がしたのだ。


「昔から、一度くらい妖精を視てみたい気持ちはあった」

「そ、そうか」


 ともすれば無邪気にそう言われて、アンネは反応に困る。


「代理人、代理人」

「ちょ、いきなりなんだ」


 すると、アンネの頭上側から、アルミンがしつこくアンネを呼ぶ。呼ぶだけならまだしも、彼はアンネの額をコンコンと叩いてきた。


「代理人、僕、人になれます。願いを叶えてくれますか」

「今か? 今は……」

「今です。今でないと駄目なんです」


 急かされて、アンネはため息をつく。

 アルミンが突然そう言い出した理由に、アンネは心当たりがある。オスヴァルトが「視てみたい」とこぼしたからだろう。やはり、愛し子は面倒だ。

 純粋で、無邪気で、いたずら好きで――そして、お人好しな妖精たち。

 そんな彼らを、アンネは嫌いじゃない。


「そこをどいてくれ」


 諦めたようにアンネが言う。アルミンが「今」と言うなら、今、彼の願いを叶えよう。エルフリーデとは、もともとそのためにいる。


「妖精と何かあったのか?」


 視えなくても、声が聞こえなくても。アンネの言葉だけで何が起きているのか察したのだろう。けどそれは、妖精という存在を本当に信じていなければ、出てこない言葉だ。


「……おまえは、本当に信じてるんだな……」


 ぽつりと呟いたそれは、とても小さな声だった。聞き取れなかったオスヴァルトが、小首を傾げる。

 しかしそれを無視して、アンネはもう一度「どけ」と不機嫌そうに言った。


「アルミンの――妖精の願いを叶える。邪魔をするなよ」

「しない。何をするんだ?」

「人に視えるようにしてほしいというのが、今回の願いだ」


 大人しくアンネの上からどいたオスヴァルトは、これから何が始まるのかと、じっとアンネを凝視する。

 彼女が両手を胸元に持っていく。その手を辿った先には、不思議な形をした痣があった。花の形だ。それも、薔薇に似ている。そこが淡く光を帯びる。それだけでもオスヴァルトは目を疑ったが、やがてアンネの両手の中に、痣と同じ薔薇の花が咲いた。これには完全に度肝をぬかれた。

 咲いた美しい白薔薇は、ひらりひらりと散っていき、ある一方向に向かって流れていく。

 それが、何かを囲いながら回って、やがて、なかから人が現れる。


「――どうだ? これが、わたしの力だ」


 薔薇の香りが充満する。

 なかばやけくそのように、アンネは人の姿になったアルミンを指して言った。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る