3rd. 痣


 アルミンの願いを叶えるためには、どうしても皇城に足を運ばなければならない。人の姿を取った彼に術をかけなければ、意味がないからだ。

 けど城に行くのは、アンネにとってかなり億劫なことだった。


「早く歩いてください、代理人」

「歩いてる。これがわたしの最速だ」

「嘘つかないでくださいよ。どう見てもやる気が感じられません」

「仕方ないだろう? 依頼でなければ、わたしはあそこに行きたくない」

「どうしてです?」


 純粋な疑問の瞳を向けられて、アンネは困ったように先に見える壮大な城を見上げた。

 いくつもの青い尖塔と鈍色の壁が特徴的な、エルディネラ帝国最古の宮殿。首都エンリーズの街から伸びる、一本道を行った小高い岩山の上に、それは構えていた。

 見下ろされているようで、アンネは不快感に眉をひそめる。


「嫌いだから、皇帝が」


 アルミンが小さく目を瞠った。妖精の彼でさえ、それが簡単に口にしていいことではないと知っている。

 慌てて周りを見渡したが、幸い周囲に人はいない。


「って、なんで僕がこんな心配しなきゃいけないんですかっ」

「さあ?」

「さあって……」


 はたから見れば、一人で歩いているようにしか見えないアンネだが、彼女は周りの目を一切気にしない。〈妖精の庭〉を出たときからずっとそうなので、もともと人目を気にしないタイプなのかもしれなかった。

 だからと言って、さすがに皇帝への恨み言を口にするときくらい、周りを気にしてほしい。特に、城が近い今は。どうやら今代の、、、代理人は少し変わっているようだと、アルミンは思う。

 やがてアンネたちは、城の東門に到達した。


「それで、どうやって中に入るんですか?」


 アルミンはもともと人に視えないので問題ない。が、アンネはそうじゃない。

 平民の娘が簡単に入れるほど、城の警備は甘くないはずだ。門には、門番である警備兵が三人ほどいる。


「なに、心配はいらない」


 にやりと笑みを浮かべたアンネが、胸の前に両手を持っていく。すると、左の鎖骨の下――胸元にある花の形をした痣が、淡い光を帯び始める。アンネの手のひらの中には、凛然とした白薔薇が咲いた。

 咲いた花は、一瞬にして砕け散る。散った花が、煙のようにアンネを覆う。

 そのまま躊躇いもなく門番の横を通り過ぎたが、誰も彼女には気づかない。ふと、甘い花の匂いがしてそちらを振り返るが、誰の姿もないために門番は首を傾げていた。


「ふん、ちょろいな」

「代理人、あなたはもうちょっと言葉遣いを改めたほうがいいと思う」


 ムッとしてアルミンを睨む。せっかく人がいい気分になっていたのに、水を差すようなことを言わないでほしい。

 それに、アンネのこの言葉遣いは、全てマルティナのせいである。アンネがマルティナの許に来たのは、彼女がまだ七歳の頃だ。自分を助けてくれた恩人に憧れ、何でもかんでも真似するような年頃だった。そのせいで、今では立派に年齢に見合わない少女と化してしまっただけである。


「そんなことより、人の姿になれるか」


 城への侵入を成功させたアンネたちは、すぐに進路を横にずらすと、立ち止まる。


「もっと城の中に近づかないと無理ですよ」

「条件があるのか」


 これには軽く目を瞠った。城の中に入れば、すぐに人の姿を取れると思っていた。

 とはいっても、城の中でだけ人の姿を取れるというのも、アンネにとっては不可解だが。仕方ないので人目を避けて走り出す。


(でも確かにこの城、妙だな)


 アンネは初めて城の中に足を踏み入れたが、その違和感に眉を寄せる。

 というのも、妖精の力の源である"気"が、この城には異常なほど溢れているからだ。本来"気"とは、自然の多いところにまる。にもかかわらず、なぜか城内で"気"は溢れ、妖精は力が湧くという。


「城がそういうものなのか……?」


 残念ながら比べられる対象がないので、なんとも言えないけれど。でもそうであるなら、きっとマルティナが教えてくれていたはずだ。


「違うと思いますよ? 僕も他のお城に行ったことないので知りませんけど、仲間からそんな話は聞いたことがないですし。というか代理人、なんで走ってるんです?」

「この術は長く保たないからだ。予定が狂った。見つかる前に中に入るぞ」

「わ、分かりました。すみません、言っておけばよかったですね」

「いや、わたしも考えが足りなかった。ちなみに、仲間からは聞いてないって言ったが、妖精にとってここは有名なのか?」

「有名も有名です。だってここは――」


 アルミンが言いかけた、そのとき。


「おい待て、そこの女」


 呼び止められて、アンネたちはびくりと肩を揺らした。薔薇の香りが消えている。術の効果が切れたようだ。

 内心でしまったと舌打ちしながら、アンネは後ろを振り返る。厳しい眼差しでこちらを訝しむ、騎士服の巨男がいた。


「慌てた様子でどこに行く? 貴族のご令嬢……ではないな。それにしてはみすぼらしい格好だ。かといって、使用人でもなさそうだが」


 お仕着せを着ていないせいだろう。みすぼらしいは余計だ。と思いながら、笑顔を貼りつけた。


「……どうかご容赦ください、騎士様。今日は休暇をいただいて街に行っておりましたので、このような格好なのです」


 急にかしこまった口調で話し出したアンネの横で、アルミンがぎょっとした。言いたいことは分かる。が、そうも反応してくれるなと、なんだか変な羞恥心に駆られたアンネである。

 騎士はまだ訝しむような目を向けてきたが、とりあえずは引いてくれるのか、鼻を鳴らして踵を返していく。城で働く人間の顔など、全員覚えているはずもないのだ。


「代理人! やればできるじゃないですか!」

「今それを言うのか⁉︎」

「――ん?」


 ――あ。しまった、と。本日二度目の後悔がアンネを襲う。

 せっかく踵を返してくれた騎士が、アンネのひとり言、、、、に足を止めた。さらなる厳しい眼差しでもって、アンネを下から上までくまなく観察してくる。


「な〜んか怪しいなぁ。所属はどこだ? 悪いが確認させてもらう」


 断る、と出かかった言葉を寸前で飲み込む。

 落ち着くために、小さく息を吐き出した。


「わたしはランドリーメイドです。どうぞお好きなだけご確認ください」

「では確認のため、一緒に来てもらうぞ」

「分かりました」


 アルミンはハラハラしながらやり取りを見守っていたが、アンネはあくまで冷静だ。

 騎士が先導して前を歩き始めたところで、アンネは気づかれないよう、先ほどと同じように白薔薇を咲かせる。

 甘い香りが騎士へと流れ、それを吸った騎士の足元がもつれた。


「あ……?」

「すまんな。少し、眠っててくれ」


 あっけなく倒れた騎士を放置して、アンネは足早にその場を離れる。

 

「あれ、放置していいんですか?」

「いい構わん尊い犠牲だ」


 早口で答える。その顔はどこか強張っていた。

 もしかしてこれは、とアルミンは並走しながら尋ねる。


「代理人、もしかして焦ってます?」

「焦るに決まってるだろっ。見つかるなんて思ってなかったんだ。わたしはマルティナほど度胸はない!」

「なんか、意外ですね。すごく冷静に対処してると思ってましたけど」

「外面はな。けど内心はこのざまだ。だからマルティナにも『まだ早い』と言われる」

「まだ早い? 何が?」

「さあ?」

「さあって……」


 なんかこのやりとり、さっきもやった気がする。とアルミンは項垂れた。今代の代理人は、やっぱりよく分からない。


「とにかく急ごう。無理に眠らせてしまったから、あの騎士が起きたら問題になりかねない。まだ人にはなれないのか?」


 アンネたちは木々に身を隠しながら、なんとか裏手に回る。人がいないことを確認して、本城に近づいていった。

 現在地なんて知らない。とにかく人の少ないほうへと足を進めた。

 それでも限度があり、やはり近づけば近づくほど人の姿が見え始める。あまりこそこそしていては、それこそ怪しまれるだろう。


「人になるにはもうちょっと……。あ、代理人、そっちは駄目です。確かそっち、かなり警備が厳しくなるんです」

「……」


 ぴたりと足を止める。なぜ? とは聞かない。が、アンネはゆっくりと隣のアルミンに視線を移した。陽に照らされる白毛が、嫌味なくらい綺麗である。


「そういえばおまえ、今まで城の中にいたんだよな?」

「いましたよ」

「じゃあ、城にも詳しいはずだよな?」

「そうですね。誰にも視えないので、どこにでも入り放題ですし。案内もできますよ」

「それをもっと早く言え!」


 今までの苦労は何だったんだ、と頭を抱える。城に詳しいなら、もちろん人の少ない場所だって知っているはずだ。初めからそれをアルミンに案内してもらえばよかったのだ。

 

「す、すみません。僕も今気づきました」


 つまり、二人して間抜けだったというわけだ。


「――アンネ?」


 なんだか、無駄に疲れた。そのせいか、幻聴が聞こえた気がした。

 というか、幻聴に聞こえるほど、自分はあの声を忘れていなかったのかと、さらに疲労感がのしかかる。

 ひどく優しげで、全てを包み込む夜のような、穏やかな声。けれど二度と聞きたくない、厄介事を持ち込もうとしている男の声。

 幻聴など、無視に限る。


「おい、アルミン。次はどっちに行けばいい?」

「え、えっと、その前に代理人、やばいですよ」

「なにが」

「見て、あっち見て。たぶん無視したら駄目なやつですよあれはっ」

「だからなにが…………げ」


 アルミンに無理やり向けさせられた視線の先に、闇を纏った男がいる。漆黒の髪に、夜空を思わせる深い青眼。精悍な顔つきがそうさせるのか、静謐な空気を纏い、どこか冷たい印象を持たせる。

 皇太子オスヴァルト・クロイツ。


「げ、とは随分だな」

「人違いだ」


 なにを思ったか、アンネは咄嗟にそう言って顔を逸らしていた。


「私はまだ何も言っていないが」

「さ、さっき誰かの名前を言っていただろ? だから、人違いだ」

「そうか」


 なら仕方ない、とオスヴァルトは後ろに控える騎士二人に目配せをする。どうやらフィンはいないらしい。

 主の意を汲み取った騎士たちが、素早い動きでアンネの両腕を捕らえた。


「……は?」


 突然の出来事に、アンネは驚きも怒りも通り越して、呆然としてしまう。

 オスヴァルトは、相変わらず何を考えているのか分からない顔をしている。


「私の知り合いでないなら仕方ない。彼女を離宮へ」

「「は」」

「いや待て。離宮? なんで……てか離せっ」

「あまり暴れるなよ。大丈夫だ、私も用を片付けたら行く」

「何が大丈夫なんだ⁉︎」

 

 むしろ全然大丈夫じゃないだろ、とアンネは抵抗してみるも、さすがに本職の、しかも皇太子につけられた騎士二人を相手に、小娘では歯が立たない。せめて両手が使えたら、まだ逃げることもできたのに。

 結局アンネはなすすべもなく、皇太子の騎士によって捕らえられてしまった。


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る