2nd. 妖精の依頼



「どうしよう……」


 扉が閉ざされた後、燭台の灯りだけが頼りの部屋で、アンネは背もたれに身体を預けて顔を覆った。

 先ほどオスヴァルトたちに向けていた尊大な態度とは似ても似つかない、焦りの滲んだ表情をしている。


「明日も来る? 来るよな絶対。だって来るって言ってたし。ああもうどうすれば」


 ――よりにもよって、こんなときに。

 アンネは内心で愚痴る。その姿は、言ってしまえば十七歳という年相応の姿だった。

 客を迎えるときはエルフリーデの代理、、だとバレないよう、本物と同じ態度で接している。それが不遜な小娘の図を作り上げているとは知らず、アンネはとにかく虚勢を張った。

 本当なら、この〈妖精の庭〉でエルフリーデと呼ばれるのは、アンネではない。アンネを救い、育ててくれた恩人こそが、そう呼ばれる存在だ。

 しかしある日、その恩人が忽然と姿を消した。消したまま、いまだ戻らない。


(頼むから早く帰ってきてくれ、マルティナ)


 マルティナはもう五十を過ぎた初老の女性だ。けれど、それを感じさせない美しさがある。かくいうアンネも、彼女がもうすぐこの国の平均寿命に達する年齢だとは実感していない。

 だから、いなくなっても心配はしていなかった。というより、マルティナには定期的にそういう時期がある。

 何も告げずにふらりといなくなり、また突然ふらりと帰ってくる。どこに行っていたのか尋ねても、おまえにはまだ早いからと教えてもらえない。

 だからきっと、そのうち帰ってくるのだろう。

 アンネはその間の代理だが、今までは些細な依頼ばかりだった。呪殺を頼んでくる連中もいたけれど、大抵は脅せばなんとかなった。

 けれど、皇太子の依頼となれば、事は厄介である。


(それに、わたしは皇族が嫌いなんだ。せめてマルティナがいるときに来ればいいものを)


 なんてタイミングの悪い皇太子だろうと思う。

 漆黒の髪を持ち、その瞳はどこまでも深い青色。静穏な雰囲気をまとい、まるで夜を思わせるような人物だった。

 その冷たさが怖いのに、全てを包み込むような穏やかな声音は、アンネを不思議な気分にさせる。

 だからなのか、嫌いなのに、なぜか憎めない。

 彼の父であるラルク帝のことは、顔も見たくないほど憎いというのに。

 

「カァー!」


 ふいに、奥から鴉の鳴き声が響く。アンネは思考を止めて、部屋の奥に視線をやった。闇に溶け込んでいた一対が、ぎょろりとアンネを睨んでいる。

 妖精だ。鴉に似た、黒羽を持つ妖精。アンネはその鋭い眼差しを物ともせず、慣れた調子で尋ねた。


「なんだダーク、飯か?」


 その瞬間、ダークが「カッ」と目をかっ開く。どうやら飯ではないらしい。


「じゃあなんだ。おまえは喋れるんだから、たまには言葉にしてくれ」


 アンネの言う通り、妖精なのだから、彼は喋れないわけじゃない。ただその姿を視て、声を聞ける人間が限られているというだけである。

 そういう人間は、総じて妖精の眼を持っていると言われている。

 だからアンネも、その師であるマルティナも、実は妖精の眼を持っていた。誰だか知らないが「エルフリーデようせい」とは、なかなか的を得た呼び名をつけたものだと思う。


「カカカ、カァッ」

「だから分からないって」


 アンネはため息をこぼした。

 いくら妖精の眼を持っていても、鳥語は分かるわけがない。

 もう無視でいいかと決めて、アンネは立ち上がった。銭ババことヒルダにも、オスヴァルトたちについて報告しなければならないのだ。

 

「カァ!」


 すると、無視されたことが気に食わなかったのか、ダークが突然襲ってくる。


「ちょ、おい⁉︎ なんでいきなり突っついてくるんだ! 言いたいことがあるなら口で言えって言ってるだろ!」

「カー!」

「本当に痛いっ。まだ突っつくのか⁉︎」


 逃げても逃げても、ダークはアンネを追いかけてくる。部屋の外に避難したかったが、妖精の中で特別なダークは、実は人に視えてしまう。まかり間違ってもこんなところ、他の客に見られるわけにはいかなかった。


「分かったあれだ、皇太子を追い払わなかったからか⁉︎」


 それで怒っているのかと叫ぶように訊けば、ようやくダークが大人しくなる。元の定位置に降り立つと、


「カァ」


 頷くように一声鳴いた。

 でもあれは、アンネだって望んでいない。いわば不可抗力だ。しかしそんな内心の愚痴すら見破るのか、


「カァッ!」


 ひときわ大きな声で叱責される。

 

「はいはい悪かった。悪かったからそう怒るな。今度は絶対、必ず追い返すから」


 肩でぜいと息を整えながら、アンネは必死に言い繕った。悲しいのは、これだけダークが暴れても、誰も助けに来てくれないことである。

 特別なダークは、誰にでも視えてしまう。だから遠い部屋を与えられた。鳴き声が漏れないように。


「カァ、カ」

「ああ、分かってるって。金にはつられない」

「カカァ?」

「う、もちろん、食べ物にもつられない」


 言葉は通じていないけれど、なんやかんやで意思疎通のできる二人だ。

 こういうとき、アンネはほとんど負けている。いつだったか、彼を丸焼きにしようとしたのがいけなかったらしく、以来、ダークはアンネにだけは冷たかった。


「仕方ない。ご馳走は諦めよう……」


 会わなければ、釣られることもないだろう。


 *


 翌日。アンネは客を迎えていた。

 白い毛並みが美しい、姿形は完全に馬だ。普通、手綱のない馬が現れたら、街は騒然となるところだ。

 でも誰もこの馬を恐れない。当然だ。常人には視えないのだから。

 彼は妖精だ。


「何か困りごとでも?」


 実は、妖精といっても色々いる。

 彼のように生物型の妖精もいれば、人型の妖精もいる。そのどちらにも属さない妖精もいるが、総じて、人の姿をしている妖精が一番強い。ゆえに、彼らは自分の意思で、自分の姿を常人に視せることができるのだ。人に溶け込んで生活している妖精を、アンネは何度も見たことがある。

 逆に共通しているのは、羽だろう。どんな姿の妖精も、必ず羽を持っている。それは妖精によって様々な色形をしていて、ダークの場合は黒いそれだ。ただし、身体の中に収納できるらしく、外に出さない妖精が多い。

 目の前の彼は、その大勢であるらしかった。


「あの、失礼ですが、あなたが"代理人"?」

「ああ」


 マルティナの代理という意味だろうと、アンネは軽く頷いた。妖精たちからはよくそう呼ばれてもいる。


「それがどうかしたか?」

「い、いえ。想像よりずっと若かったので、びっくりして……」

「ああ……それはまあ、褒め言葉として受け取ろう」


 アンネはまだ十七歳なのに、とてもそうは見えないとは、遊びにやって来る妖精たちの言である。言葉遣いのせいなのか。はたまた本当に枯れているだけなのか。噂好きの他の妖精から、間違った情報でも聞いたのだろう。


「それで、用件は?」


 ちなみに言うと、エルフリーデとは、本来こちらが仕事である。――妖精たちの力になること。

 アンネがマルティナから教わったのは、何をおいても妖精たちを優先に考えるように、とのことだった。だから妖精たちからは、金も対価も要求しない。

 それがどうして人の願いを聞くようになったのかは知らないが、おおかた銭ババのせいだろうと思っている。

 なんでも銭ババは、マルティナと、マルティナの師匠の恩人の子であるらしい。が、タダ飯食らいは許さなかったのだろう。身体を売らないのなら、なんでもいいから金を稼げと言われたに違いない。

 そうして妖精たちを助けるかたわら、同じようなことを人にもするようになったのだ。おそらくは。

 そんなことならこの娼館から出て行けばいいのに、とは、アンネも言わなかった。

 なんだかんだ言って、アンネもここの生活を気に入っている。


「僕はアルミンといいます。実は、代理人たるあなたに、力を貸していただきたくて」

「どんな?」

「僕を、人に視えるようにしてほしいんです」


 アンネは目を瞬いた。珍しいな、と。彼らは人に視られることを避ける習性すらあるのに。視られている、と分かるや否や、攻撃してくる妖精もいるほどだ。人型の妖精ですら、自分たちが妖精だとバレると途端に姿を隠してしまう。

 彼女のそんな疑問が伝わったのか、彼は小さく項垂れながら、ぽつりと話し始めた。


「実は、お礼を言いたい人間がいまして」

「お礼?」


 はい、と頷いて、アルミンが続きを話す。


「僕はこんな姿ですが、とても怖がりで、臆病で。ある日、僕は城で鴉に襲われたんです」


 ほら、動物って人間と違って、僕らのことが視えるから。そう言ったアルミンに気づかれないよう、アンネはそっとダークをちら見した。まさかその鴉、ダークじゃないよな、と。

 正しく彼女の視線の意味を理解したダークは、「カッ」と短い抗議をあげる。アルミンが大げさに「ひいっ」と悲鳴をあげたのは、たぶん襲われたトラウマからだろう。


「安心しろ。あれは妖精だ」

「な、なんだ。妖精か。びっくりさせないでください」

「すまない。それで? 襲われてどうした?」

「どうもしません。やられっぱなしです」

「……やられっぱなしか……」


 その図体で、とは言わないでおいた。本人も自覚しているようだ。


「けどそんなとき、僕の前に女神が現れたんです!」

「女神?」

「はい! ビアンカさんって言って、城で侍女として働いているようです。彼女は僕の姿なんて視えてなかったですが、鴉を追い返してくれたんです!」

「それは……」


 ――単なる偶然だろう。

 もしくは、城で鴉が鳴いていたから、うるさいと追い払ったか。まず間違いなく、アルミンを助けるために追い払ったわけではない。


「分かってます。あなたの言いたいことは。それでも、僕がそのおかげで助かったのは事実です」

「だから、礼を言いたいと」

「お恥ずかしながら、どうにか彼女と話せないかと思っていたところ、城では人の姿になれることを知ったんです。嬉しくてすぐに彼女の許に行ったんですけど、やっぱり姿は視えないようで」


 そこにいるのに、気づいてもらえない。その寂しさに、日々涙に暮れていたという。


「ちょっと待て。城では人型になれるのか? なんで?」

「僕にもさっぱり。でも、あそこには自然の"気"が溢れてますから。その影響かもしれません」


 とにかく、とアルミンは真っ直ぐアンネを見つめて言う。


「そんなとき、代理人がこの街にいるって話を聞いたんです。あなたは妖精のために在る人だから、きっと力になってくれると思って」


 その言葉に違和感を覚えながらも、アンネは「了解した」と力強く頷いた。

 

 

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